第三十二話 アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その一
「……俺が? 護衛に? 役者の?」
朝の肉包み――その名の通り蕎麦粉で作った生地で豚肉と人参とにんにくの芽を包んで蒸したものだ――を口に運ぼうとして停止する。
目の前には、アンセラである。疲れているのか近頃また随分と目が釣り上がり気味になった彼女が、心底忌々しいと言いたげに頷いた。
なお、本日もセレーネは寝たきり。フローはその介護を務めている。既に二人の朝食を運び終えてからのことであった。
「どう? ていうか……この酒場で腕が立つの、あとはもうあんたぐらいしかいないのよ」
「……あの二人は?」
桃色髪の剣士と、女を侍らせる美系剣士に目をやった。女性はひらひらと手を振りながら杯を煽り、青年は指を二本合わせて挨拶を飛ばしてきた。
確実に腕が立つ。おそらくは社会的な信用度も高い二人だが……
「イルヴァは興味なし……というか半分酔っ払いだから連れてけない。アルトノルは『主賓より目立っていいのかい?』って……」
「ああ……」
「で、あたしは別件で動けない……となると」
「……俺か」
アンセラからそう言われては仕方ない。
気乗りがしない案件ではあるが、彼女には二度の恩があるのだ。一つは宿と飯と身分保証。二つ目はリアムとの戦闘で瀕死のところを連れて戻られた件。
いずれにせよ、存分に返さねばならぬ恩である。そう言うとアンセラは烈火の如く怒りを上げるので、口にはしないが。
「……でも、いいのか」
「なにがよ。歌劇の役者よ? 見たくないの? 美人よ?」
「興味ねえよ。……それより、触手剣豪だって言っても――俺は触手使いだ。本当にいいのか?」
伺う目線に、にわかにアンセラが片眉を吊り上げた。
ぐ、と息を飲み込みそうになるが事実だ。フローは打ち解け始めている。シラノだってそれなりに会話をするようになった。だが、それでも限界がある。
この街でもそれなら、ましてや――。
「そうだぜアンセラ! “魔羅もどき”を女優に近づけちゃ駄目だろうが!」
「おれらだってそんな美人見てーぞ!」
「本人がやりたくねえんだからおれにやらせろよ! 報酬は多いんだろう?」
ワイワイと、すぐに野次が入った。
やはりであった。フローがもしこの場にいて耳にしてしまうようなら、シラノは即座に全員を黙らせていただろう。二度目なので容赦はない。
僅かに眉間に皺を寄せると、すぐにアンセラが噴火していた。
「黙りなさいよあんたら! あんたらがそのザマだからやらせらんないんでしょうが!」
「ええー」
「ええーじゃないのよ! 品がないのよ、品が! あんたらこそやらかすでしょうが!」
「だってよぉ……」
「はあ? 何かあたしに文句あるわけ? ごちゃごちゃ言うなら頭から噛り喰うわよ! まさかあたしの異名を知らないとは言わせないわよ? 骨ごと噛み砕かれたいの?」
ぐるる、と唸るアンセラに皆が口を噤んだ。
異名――炎狼だったか――は聞き及んでいたが、この分ではさらに何か逸話があるらしい。やはり冒険者酒場などの荒くれの場でまとめ役をしている以上、彼女もまた腕っ節には自信があるのだ。
それでもぶつくさと男たちが何やら漏らそうとしているところに――割入るように、カウンターに杯を置く音が高く響き渡った。
視線が集中する。
その先に居たのは、桃色の癖のある髪を後頭部の下の方で括った女性であった。
「そうだよお、少年……。だって魔剣を何本もやって、魔物だって随分と倒してるんだろぉ? ならこれは、当然の順番じゃないかなぁ。お姉さんはそう思うよぉ?」
「うす」
「あっはっは、『うす』だなんて素直そーだねぇー。うーん、お姉さんは好きだねぇ。そういう子は」
「……うす」
酒の匂いが漂ってきそうな、甘ったるい声。とろんとした緑色のタレ目。独特の民族模様の刺繍された、半纏のような大きめの上衣を肩からかけて腰に山鉈を吊るしている。
差し出されたもう一杯を煽りつつ、彼女は鷹揚に笑った。
「イルヴァさん……で、良かったですよね」
「うん。うんうん、このイルヴァお姉さんに何か用かなぁ? 飲み比べでもするのかい?」
「いや……それは、またの機会に。……いいんですか?」
「うん? いいって?」
「その……そういう仕事を、新入りの俺がやっても……」
実際のところ、それは多少気にしていた。
異邦人であるシラノが疎まれる理由には、触手使いである以上に酒場での前の大立ち回りがあり、そして瞬く間に序列や慣習を無視して一息に駆け上がったことも含まれていた。
そう伺うような目を見せれば、彼女は陽気に笑い飛ばした。
「あっはっは、冒険者に順番も何もないってば! だってそうだろう? 宝物を探すのも年功序列かい? 棺桶に入るのも年功序列かい? そりゃあほら、違うってもんだよ。歳を食ったのが強いのは竜だけだよぉ、少年」
「……うす」
「あはは、まーた『うす』だ。面白いねぇ……酒場に来るなり剣を抜いた子には見えないよねぇ。あっはっは!」
ぐ、と黙った。あの時はあれしかなかった。新しい集団に入るならナメられないことが肝心なのだ。一度ナメられたらその後もナメられ続ける。
ともあれ、とイルヴァはまた酒を煽る。
「……お姉さんはそういう固っ苦しいのは向かないし、アルトノルは自分が目立てないことはやらないだろぉ? で、若狼ちゃんは……」
「若狼じゃないわよ。アンセラよ、アンセラ」
「……うん、若狼ちゃんは見ての通り機嫌が悪いってことは巣作りの最中だねぇ。となると……」
「俺スか」
「そーそぉー」
震える指先で指し示してしまわれると、何とも変えしようがない。
……というか、既に断るような空気ではなくなっていた。酒場の誰もが黙って聞いている。あれほど騒がしかった冒険者たちが、イルヴァの言動に注目している。
剣の腕はおそらく立つ……だがそれ以上に、“間”の取り方に非常に長けている。空気を読み、機先を制するのが上手い。そんな印象を受けた。
もし戦うとしたら油断ならない相手だろう。
「……はぁ、まあ、判りました」
「素直でよろしいねぇ。……あ、でも少年。きみは本当に嫌じゃないのかな? どんな依頼を受けるかは、そりゃあ冒険者の自由だよ?」
「……仕事の選り好みをできるほど、偉くはないんで」
答えると、また快活に笑い飛ばされた。
どうしたものかと頭を掻けば……アンセラから顎をしゃくられた。今にも喰い殺してやると言わんばかりに目が吊り上がっている。
しまった。お説教だ。
「あんたねぇ……前に冒険者の心得を話したの忘れたのかしら?」
「……あぁ、まぁ」
「ふーん? で、じゃああたしは何て言ったっけ? はい復唱」
突き付けられた指を遮りつつ、ううむと眉間に皺を寄せる。
かなり朦朧とした状態で説明されたので、しっかりと覚えているか怪しいところでもあるが――。
「ええと……」
「覚えてないとか言ったら砕くわよ? 太腿の骨とか。逆の太腿の骨とか」
「足ばっかだな」
「は?」
「……いや、わりぃ。その、そりゃ困る。やめてくれ。思い出す」
目が本気だ。煌々と燃え上がっている。やると言ったらもうスデにやってるスゴ味があった。
何とか腕を組みつつ、記憶の奥底から捻り出す。
「『頼るのは己の腕と判断』」
「そうよ。神様だって助けちゃくれないわ。妙に期待してると肝心なとこで出目が悪くなるの。そうならないように運んでいくのは自分の腕と判断。……それで?」
「『竜の巣穴には飛び込むな』」
「美味しい話だと思っても危険を度外視したら長生きできないわ。生き残りたいなら、慎重に。蛮勇と勇気ってのは違う話よ。臆病なぐらい慎重に。……それで?」
「『ただし竜から背を向けるな』」
「そうよ。だからって危険から逃げ続けてたら飢え死にするわ。危険の先に機会はあるのよ。獅子の毛皮にネズミの心臓――あれ、逆だっけ? まぁいいわ。……あとは?」
あとは……。
追及するアンセラの目は笑いながらも鋭い。答えられないと言ったら齧り付かれそうである。
しばし黙考し、おもむろに口を開いた。
「『兵は不祥の器なり。天道之を悪む』」
「うんうん。……うん?」
「『止むことを獲ずして之を用いる、是れ天道也』」
「……」
「『一人の悪に依りて万人苦しむ事あり』」
「……」
「『しかるに、一人の悪を殺して万人を活かす。是れら誠に、人を殺す刀は、人を活かす剣なるべきにや』」
「は?」
「……『人を殺す刀、却って人を活かす剣なりとは、それ乱れたる世には、故なき者多く死するなり。乱れたる世を治めん為に、殺人刀を用いて、既に収まるときは、殺人刀すなわち活人剣ならずや』」
「は?」
「……わりぃ」
「は?」
「……」
公方様の剣術指南役の思想では誤魔化せなかった。流石の柳生新陰流といえども限界があったらしい。
頭を掴まれた。いつの間にかアンセラは人狼モードである。握力が凄い。ミシミシと頭蓋骨が軋んでいる気がする。というか普通に痛い。
「ねえ、あたし言わなかったっけ? 冒険者の“三”信条、射手の“三”口上、妖精の“三”カ条ってさぁ……」
「……」
「言ったわよねぇ……! 三が聖なる数字だって……! それ以上にある訳ないでしょうが……! 誤魔化そうとしてんじゃないわよ……!」
「……うす。三学円之太刀みたいな……」
「は?」
「……悪い」
顔が近い。歯が厳しく尖っている。その気になられたら、鼻を中心に顔の皮をまるごと食い千切られそうであった。
「あんたねぇ、あたしは言ったわよ? 冒険者として生きてくんなら、誰だって自分の命と行為には責任持たなきゃいけない……って」
「……ああ」
「だからさっきみたいな依頼主に丸投げ、みたいな言い方するんじゃないわよ。あんた前からそうでしょ。やれ恩がある、やれ頼まれたから……って。それは冒険者の態度じゃないのよ」
「……」
「いい? 依頼の条件を聞いて、自分で考えて、それで冒険に出るの。『言われたから』とか『それしかなかったから』じゃないの。決めるのは自分なのよ。自由に生きるってことはそういうことよ。何もかも責任を持つのよ、自分の行動に」
「……うす」
言われてしまえば、何の反論もできない。アンセラの意見は正しい。
流石の〈銀の竪琴級〉の冒険者であった。アンセラもまた、尊敬すべき実績を持っている。――そのことに疑いはない。
だが、だからこそ――。
「……悪い。じゃあ、依頼の詳細を聞かせてくれ。言える分で構わねえ」
「うん、六十点。そこは相手が言わない分を引き出すのが立派な冒険者だからね? ま、今回はおまけにしておいてあげるわ? ふふん、次からはもーっちょっとうまくやりなさいな?」
「……ああ」
機嫌よさげに笑うアンセラの顔を見て、静かに吐息を吐く。
やはりそれでもだ。アンセラがこうして真なる態度で接してくるからこそ、こちらも心意気を以って応えねばならない。本気には本気で返す。それが礼儀だ。
「ただ、悪いな。俺は冒険者じゃない……触手剣豪だ。そこだけは譲れない。義理と恩は忘れねえよ。二言もねえ」
「……はぁ」
目の前で顔に手を当てられたが、こればかりは捨てられなかった。生き方を曲げて上手に生きられるほど、器用な男でもないのだから。
◇ ◆ ◇
「……という訳で、なんかあっちの護衛にもちょぼちょぼ不穏な動きがあるんだってさ。失踪したり、急に病気になったり……それで人手が足りなくなってこっちに依頼、って感じ」
「……」
歌劇団というのは、王宮でも華として受け入れられている学芸一座だ。
元はと言えばそれは伝承を受け継いでいくための歌であり、文字が読めぬ者たちに向けた踊りや劇であった。始まりは神殿の巫女やその近侍であったそうだ。
時代を経るにつれて、それ自体が劇――出し物の形をとる。帝国時代にあった娯楽と混ざり、そしていつしか神殿の手を離れ、それだけで成り立つ歌劇になった。
その、花形。
確かに、おいそれと出歩かせていい相手ではない。不用意や、或いは不穏なことが許される人間ではない。
「……衛士には頼めねえのか」
「まぁ、そりゃ護衛だってするわよ? でも、それだけが本職じゃないし……それに今の街のこの騒動だと手が足りない。ちゃんと訓練されている人たちだけど……だからこそ、突出した力の持ち主はいない」
「なるほどな。……街中で魔剣が使われはしない、か」
「そゆこと」
ふむ、と頷いた。
アンセラからの話をまとめるとこういうことだ。
金払いがいい。――これは凄くありがたい。
腕が立つ奴を求めている。――やるからには誰にも負けるつもりはない。
最低限の礼儀を弁えていて、劇役者と問題を起こさない人間がいい。――こちらの道徳や倫理に明確に詳しいとは言えず、セレーネのように教養に明るい訳ではないが最低限の立ち振る舞いはできる筈だ。
つまり、望むべくもない仕事となる。
「分かった。俺が受ける……ただ、大丈夫なのか? 触手使いってのは……相手が気にしないか?」
「あー、うん。まぁ……上手いとこ隠して」
「うまいとこ」
「隠して」
「隠す」
些か無理難題とも思えるが――折角、リアムから受け取った魔剣がある。まさにこここそ、使い時であろう。
しっかりと腰に下げ、意気を籠める。護衛。確かにそれも剣客の嗜みであろう。いい方に考えると、僅かながらに気分が高揚してくる感じがある。確かに。これはなかなかない機会だ。
「ま、そんなに気負わなくていいわよ? ほら、どこの馬の骨かも分からない冒険者をさ……そんなに役者に近づけると思う?」
「……だな」
「ええ。ま、肩の力を抜いてなさい。上手くいけばフローさんの分の公演の席も貰えるかもしれないわよ?」
「それはありがたいな」
ふぅ、と息を吐く。
腕を頼みにされて、報酬も悪くない。なんとも俗物的な感想だが――実入りがいい仕事という訳だ。
無論、
「邪教徒のことはこっちで探っておくから……あんたもしっかりね?」
「ああ。……人気者なんだろ? 指一本触れさせねえよ」
「……こないだみたいな血なまぐさい真似、役者の前で絶対にするんじゃないわよ?」
「……」
「あんた嘘はつかないけどすぐ黙るわよねえ!」
ぐい、と胸倉を掴まれた。お説教はまだ続くらしい。
◇ ◆ ◇
楽座……というのは何も楽市楽座のことではない。楽団とか一座とか、劇団というものを指す単語のことだ。少なくともこの世界においては。
魔術を用いない楽器。そして、魔術を用いた大道具や小道具。その操作を行う人間に、彼らを食わせるだけの手配を行う人間。当然、その荷車を引く馬車。
不得手であるシラノには深くは分からぬが、やはり素人目にもその楽座の規模は相当なものであった。窓の外では大工たちの喧騒が聞こえ、手配を行う団員たちも指差しながら指示を飛ばしていく。
これは、ある種の祭りであり神事であった。人の熱気が違う。冒険酒場に満ちるものとは、些か種類が異なっている。
どうやらこれでも本来の劇団からの一部と聞けば、なおその規模に圧倒される。この街ではそれほどの隆盛を見せてはいないが、西の王宮やその周辺都市に行けばまた違うのであろう。
興行という言葉は、馴染みがないが故に新鮮である。
この街にある神殿前の公聴広場を使って出し物をするらしい。本格的なものにはならないが、それでも何かの英雄譚や叙事詩、或いは神話をなぞった歌劇になる――と聞いていた。
「……」
ああ。実入りがいい仕事だ。そう聞いた。
楽しみのある仕事だ。それも聞いた。確かに新鮮だ。
だが――確か、こうも言われなかっただろうか。どこの骨かも分からない冒険者を、役者には近づけまい……と。
「もうやだ……もぉやだぁ……むりむりむりむり。もうむり……逃げたい……」
「ふふんふーん? あれ、ごめん、ここの台詞ってなんだったっけー? あれ、踊りー?」
「ええと……ここはどうしたら……ええと、ええと……」
「ねえ、あんた。ちょっと果物とか買ってきなさいよ。聞いてる? 勿論最高級品よ?」
ワイワイとか。
ガヤガヤとか。
やかましい。うるさい。近い。
「もぉぉむりだってばぁ……むりぃ……もうだめだってぇ……帰りたい帰りたい帰りたい」
「あー、まいっか。こーゆーのはその場のノリが大事だよねぇー」
「あれ……えっと、手がこうで……足がこうで……」
「ちょっとぉ、ねえ、聞いてるの? アンタさぁ!」
勝気そうな濃い桃紫色の少女から指で呼びつけられる。
周りを見た。誰もいなかった。自分一人しかいない。ここにいるのは、頼れるのはシラノ・ア・ロー唯一人だ。こうなっては剣も頼れない。
何が役者には近づけないだ。というか目の前だった。
「アンタさぁ……魔剣を何本も倒すものすごい凄腕で礼儀も弁えてて顔もよくて気が利く冒険者じゃなかったの? てゆーかぁ、アンタらのとこの酒場がそう売り込んできたんだけど? 随分と吹っ掛けられたんだから、さっさと動きなさいよ」
ああ、そうか。これはこう言うべきなのだろう。
売られた――――と。
(アンセラ、てめえ……)
うまい話には裏がある。そんな風に教訓めいて言われた気がした。
◆アイドルズ・ネヴァーモア・リグレット・カワイイ その二へ続く◆




