第二十五話 銀髪のセレーネ・シェフィールド
騎士とは何か、という話をしよう。
お伽話の騎士ではない。現実の騎士の話だ。
かつて腐敗や求心力の低下により帝国が滅亡した際、その帝国から重要な地位を任ぜられていたものが今の領主の前身となった――と伝えられるが、今の騎士とは多少意味合いが異なっている。
騎士とは剣を執った者たちだ。
帝国の滅びし後に竜の大地を席巻し、その手の魔剣により世を破壊し尽くしたと謳われる“魔剣の王”。
その破壊に伴う穢れから逃れるように人々が新たな土地を切り拓き耕そうとするとき、そこには決まって竜や大狼という怪物が居た。
多くの人々に代わり、それを討った力ある者――というのが騎士の前身となる戦士たちである。
そしてそんな戦士の元に、農地を耕すのではなく普段から専門に戦働きをするものが集まって戦士団を作り、戦士団と戦士団が結び、大きくなり、いつしかこの“竜なる大地”には領主による支配基盤が出来上がる。
そんな中、かつて帝国で奉ぜられていた“神殿”の保護を積極的に行い、ほそぼそと帝国から継承された技術――統治方法や生活基盤の堅牢化、教育の重要性にいち早く気付いたのが今の国王の血筋であった。
セレーネ・シェフィールドは、彼女の家は、彼女の家を傘下に収めた領主はそこに気付くことが遅れた。最後まで王宮に帰順しなかった。
そのまま、対立する別の王に併合され――……結果としては割を食った形になる。
故に彼女は、弱小騎士の生まれであった。
「……ふふ」
まあ、そんな話はどうでもいい。
さて、どうしたものかと氷の女神の如き容貌の彼女は微笑ましげに瞳を閉じた。
夜襲失敗である。またしても、というかいつも通りに触手の罠に全身を縛り上げられていた。
いつどんなときであっても、しっかりと奇襲への備えを忘れない――――そんな彼女の教えがちゃんと受け継がれていることを感じると、何とも良い心地になる。
そうとも。自分に勝ったのだから、その程度のことは押さえて貰わなくては――という気持ちと。
自分もいつまで生きられるのか判らないので、出来る限りそれを誰かに伝えて置きたくて――それが無事に伝えられているという安堵。
何とも面映ゆくて、彼女は不思議と笑いを浮かべてしまっていた。
「うぇぇぇぇ……」
と、目を擦るフローが極紫色の触手シャッターを開いて来るではないか。
目を擦っている。寝惚けたのか、それとも厠にでも立つのだろうか。
「あれぇ、シェフィールドさん……?」
「おはようございます、フロー様。お目覚めですか?」
「ううん……ボクはちょっと……うー」
なるほど、後者か。
突っかけただけのサンダルでペタペタと歩く彼女は背後を横切り――
「って、うぇぇぇぇ!? なんで!? なんでシェフィールドさん!? なんで!? どうして縛られてるの!?」
「あら。……フロー様はお気付きではありませんでしたか」
「ええええええなにさ!? シラノくんはお姉ちゃんに黙って女の子を縛ってたのかい!? ちょっとシラノくん!? シラノく――――うぇぇぇぇ!?」
詰め寄ったフローまで触手の餌食になった。
うむ、夜襲というのは敵が一人とは限らない。そこは見上げた備えである。セレーネとしても実に誇らしいものであった。
「痛、いたたたたたたた!? 痛っ!? 思ったより強い、強いよこれ!?」
「ふふ、私向けですからね」
「なんでセレーネさんは笑ってるのさ!? シラノくん!? シラノく――――もがが、もが、もがががが」
触手猿轡だ。フローが瞬く間に触手大殺法にて縛り上げられた。
触手に封じられる触手使い――なんともおかしな言語的な自己存在矛盾性を感じるが、まあいいだろう。
両手に握った〈水鏡の月刃〉を手放し床へと突き立てた。そして、己目掛けて引き寄せるはその傷である。
そうしてスッカリと己を取り囲む触手の拘束を叩き切り、フローも解放したセレーネはベッドに入る。そのように眠るのは、随分と久しぶりであった。
◇ ◆ ◇
そして、朝。いつものように食卓を囲む一行は、
「腹ァ斬ります」
出ハラキリ。
先ほど無事に目覚めてから、こんな一幕が続いている。とにかくシラノはフローに謝りっぱなしである。
触手使いには野蛮な風習があるものだなぁ――なんて思いながら、セレーネは上品に木のフォークを口に運ぶ。
「うぇぇぇぇ……もういいよぉ、シラノくん……」
「……いや、先輩を縛り上げた上に声に気付かず呑気に寝てたんスから、これはもう……もしこれが実戦だったと思うと……」
「その為にシラノくんが死んじゃってどうするのさぁぁ……」
「でも、もしこれで何かあったと思うと……」
「もういいよぉ……いいってばぁ……やめようよぉ……」
膝に手をやって頭を上げないシラノは、当然ながら料理に手をつけていない。
はたして彼は元々ここまで野蛮な人間であっただろうか。セレーネは訝しんだ。
野蛮な触手使いの本分に目覚めたのだろうか。……いやそもそも触手使いは元来野蛮なものなのだろうか。違うと思う。
まぁ、随分と近頃戦いに次ぐ戦いを繰り返してきていたし、彼は順調に野蛮の血に目覚めたのだろう。元々適性があったのかもしれない。
いずれにしても構わない。セレーネが思うのは、今のシラノと立ち会ってみたいということだ。これはこれで、前とは戦いの様相も変わってくるだろう。そう思うと、是非少し味見をしてみたくなる。
とはいえ、フローから助けを求めるように見られると――ううむと内心で少し悩み、言った。
「シラノ様、ここは逆に考えられては如何でしょうか」
「逆?」
「ええ。……フロー様の命があっただけいいさ、と考えられてみては如何ですか?」
ひとまず微笑みかけてみれば、フローは表情を凍らせていた。シラノも非常に気不味そうに目を伏せた。
何かおかしなことを言ったかな、と思いつつセレーネは続けた。
「シラノ様は、実際ならば――つまり外や遺跡で寝泊まりするのでしたら、あの罠にも殺傷能力をつけるつもりでしょう?」
「あぁ……いや、まぁ外なら……」
「ならば、もしその時に今回のようなことが起きたら――どうなったと思いますか?」
シラノが僅かながらに目を開いた。どうやらきちんと想像して貰えたらしい。
「そうなったら取り返しがつかない――ですが今回は取り返しがつくことであった。それで良いではありませんか。むしろ、改良の余地が見つかったのです」
「た、確かに…………いや……確かに……そう、なのか? そうなんスか……?」
「ええ。今回は命に関わらない失敗でした。それは――幸運なことではないか、と」
「幸運…………幸、運……?」
「ええ」
上品な笑みを浮かべ、セレーネは続けた。
実際のところ今回は得難いものであろう。人間の命はなくなったら取り返しがきかないが、失敗とは何も命に関わるものだけではない。
死ななければ安い。剣士としてはそう考えることも上達には重要なことなのだ。
「失敗とは誰もがするもの。……ですが大切なのは失敗を悔やむことではなく、省みることです。命はあるのですから、そこまで悩む必要もないかと思いますわ」
「そうなのか。……そう、なのか?」
「ええ。そうですよシラノ様。これは剣士として、先達としての助言ですわ」
先達。そう言うとシラノは黙る。
いずこかで上下関係を十分に仕込まれたのか、それとも生まれ持った蛮族の資質なのか、歴史や先人へと敬意を払う性格なのか――ともあれ、こう言われると黙る。
一体どこでそう育てられたのか、基本的に共同体向きの素質なのである。
これはしっかりと神殿の神官からそう教わるとか、或いは宮廷が執り行う学園で学ぶとか、騎士の出であるとか――そのようにそれなりの学を得ていないと育まれない素質。
学ばせられて、得るものだ。
それを何故だか持ち合わせているのは……一体全体本当に“触手使い”という排除される在り方からしたら不思議でならないが、ともあれ善なる資質だ。
ほかにも、簡単な計算だって行える。それでお釣りを誤魔化そうとしていた行商人に注意をしたこともあるし、セレーネの行っている「指で敵や目標地との距離を測る方法」なんかも実に簡単にやってのける。魔物が姿の大元にした、様々な獣についての最低限の知識も備えている。
本当に、これを生まれ持ったというなら不思議でならない。
まぁ、きっと天から蛮族の戦士としての素養を十二分に与えられて生まれたのだろう。セレーネはそう思うことにした。
生まれながらの戦士。天性の戦闘者――なんと良い呼び名だろうか。その域に至るまで随分と時間がかかった自分とは大違いである。
「ですので、次はそうならないようにいたしましょう。死ななければ安い、ですわ」
「死ななければ……安い……」
「ええ。先達としての教訓です。是非活かして貰えると、私としても嬉しい限りですわ」
「うす」
素直である。素直なのはとてもいいことだ。やはりこれは戦士向きだ。
本当に叶うなら自分が師として育て上げ、その完成形を喰らうのも喰らわれるのも一興と思うが――
「シ、シラノくん!」
「なんスか先輩」
「近頃ボクも触手の技を見てなかったからね、どうかな? ここはボクが教えてあげるよ? 面倒をみてあげるよ? この後どうかな? 時間あるかな?」
「……先輩」
「ん、な、なにかなシラノくん? お姉ちゃんに何かな?」
「街中で触手使うんですか? ……街中で? 本気スか?」
残念ながら師匠という立場は既に確立されており、フローにも恩がある以上は奪い取る訳にはいかない。
理想のシラノを育て上げ、そして立ち会ってみるというセレーネの願いが叶う日はおそらくないのである。ちょっと勿体無い。
ふう、と物憂げな溜め息を漏らした。折角のごちそうを前にお預けである。歯痒いことこの上ない。
「な、ならほら……外とかどうかな? ほら、今日はついていくよ? というかこれからはボクもついていくよ? だってほら、この間みたいなことになったら困るだろう?」
「……まぁ」
「ここになんと、いざとなったらお水も出せるしご飯も出せるし、痛いのとかもどうにかできる凄い先輩がいるんだよ? すごい師匠がいるんだよ? これはもう、誘うべきだと思わないかい? すごいお姉ちゃんの気が変わる前に、シラノくんからお願いするしかないと思わないかい?」
「うす。……ただ先輩、また荒地とか山とか歩けるんスか? 泣き言言いませんか?」
「ボクを誰だと思ってるんだい? ボクはお姉ちゃんだぞ? 師匠だぞ? 先輩だぞ? ……セレーネさんからも何か言ってあげてよ!」
と、食事を再開した二人がまた何やら面白そうなやり取りをしていた。
ふふ、と自分が不思議と笑っているのを感じた。これはこれで悪くない。手折るのは一瞬、人の生も僅かな瞬きというもの。ならば、それを楽しむというのも趣深いことなのだ。
「では……なんらか、三人で行える依頼にでも参りましょうか」
「ああ。……いや、俺が行ってくる。二人はここにいてください」
「そうですか? ですがシラノ様、未だにお食事をなさっているのでは……」
「食べるのは昔から早いんだ。……先輩頼むぞ」
「ええ。仰せのままに」
皿を重ねて手を合わせて、受付に向かおうとするシラノの背を見て口を開いた。
ああ、そうだ――とふと思い出したことがあった。
「そういえばシラノ様……魔剣探索という仕事がございましたわ。なんでも、実入りがいいとか」
「魔剣探索……? 分かった。聞いてくる……ありがとな」
「いえ。お礼を言われるほどのことではありませんわ」
立ち去っていくシラノと、黒い三つ編みをフリフリ揺らしながら手を振るフロー。
二人を眺めながら、どうにも遠いところまできたものだな――とセレーネは吐息をついた。
三年前に〈水鏡の月刃〉を……己の一家にかつて伝わっていたという魔剣を取り戻してからこれまでは、誰かに嫁ぐためと育てられた日々よりもあまりに充足したものであったが……。
(これは、仲間……なのでしょうかね)
その中でもこんな日常は一度たりともなかったな――と振り返りながら、眼帯のセレーネ・シェフィールドは銀髪を揺らして静かに頷いた。




