第二十四話 お姉ちゃん不敬罪
重苦しい空気がテーブルを包んでいた。
机の上に肘を載せて、両手の指を組んだフローがおもむろに口を開く。
「お姉ちゃん不敬罪だと思います」
「お姉ちゃん不敬罪」
シラノは思わず聞き返した。
「……なぁ、シェフィールド。そんな罪あるのか?」
「ほらぁぁぁぁ――――っ! シラノくん、そういうとこだよ! そういうところがお姉ちゃん不敬罪なんだよ!」
「……うす」
涙目で指差されると、大人しく頷くしかない。フロランスは今日も胡乱だ。
「どうしてそこでセレーネさんに聞くのさあ!? シラノくんが聞くべきは、シラノくんがまず頼りにすべき人は別にいるだろう!?」
「……アンセラ」
「なんでだよぉぉぉぉぉ――――っ!? ボクが! ボクがいるだろう!? キミの目の前にいるのは誰なんだよぉっ!」
「……」
「お姉ちゃんがいるじゃないか! お姉ちゃんだぞ!? 先輩だぞ!? 師匠だぞ!?」
当人に聞くのは問題ではないかと思ったが、そういうなら仕方ない。
「先輩」
「うん、何かな? 何かなシラノくん? お姉ちゃんにどんな質問かな?」
「……この場合の罰則は打ち首獄門っスか? 切腹っスか?」
「うぇぇぇえ!? なんで!? なんでそんなに怖いこと言うの!?」
「いや、磔とか鞭打ちとか車裂きとか島流しでもいいスけど」
歴史的に考えると大体そうなる。人は罪の重さに心が潰されるのではなく、罪の重さに命が潰されるものなのである。
「やだよ!? 駄目だよ!? シラノくんにそんなことをするとかボクが許さないんだからね!?」
「うす」
「絶対許さないからね! お姉ちゃんが許さないからね!」
バンバン、と机を叩かれるが果たしてフローは官憲や官吏相手に何かの役に立つのだろうか。
いや、触手の技は一般人に強力である。そうなるとフローは無事に国家に逆らい、晴れて大罪人の汚名をひっ被ることになってしまう。
触手使いの名誉を晴らすと言いながら何たる無様か。そうなったら大人しく速やかに切腹しよう。シラノは決意した。
「とにかく、お姉ちゃん不敬罪だと思います。最近シラノくんはボクに対する『そんけー』とか『うやまい』とかが足りないと思います」
「……」
「具体的にはもっとお姉ちゃんを褒めるべきだと思います。お姉ちゃんのことを一番に考えるべきだと思います。お姉ちゃん大好きって……こ、これは恥ずかしいかな。えへへ……」
「……」
「とにかく、シラノくんはもっとお姉ちゃんのことを尊敬して第一に考えるべきだと思うんだ。お姉ちゃんの待遇改善は責務じゃないかな?」
拳をグッと握って、身を乗り出してくるフロー。
ここまで熱心に言われてしまうと、なんだかもっともな意見とさえ思えてくる。
根拠のないものでゴリ押しされるなど、果たして安宅の関で白紙の勧進帳を読み上げた弁慶と関守の富樫の一幕であろうか。どうやらやはり人間というものの性質は年月を経ても変わらないらしい。
まぁ、数万年前に地上の覇権を握ってから特に身体機能的に大きな構造変化は起きていないし――と思い、一応は聞いてみることにした。
「そうなのか、シェフィールド?」
「だからなんでそっちに行くのさぁ! お姉ちゃんが嫌いなのかい!? シラノくんはお姉ちゃんのこと本当に嫌いになっちゃったのかい!?」
「……まぁ、これ以上この茶番を続けられるなら」
「茶番とか言うなよぉぉぉぉ――――っ!? なんでそんな酷いこと言うんだよぉ――――っ!?」
「……」
「やめろよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――っ!? ボクをそんな目で見るなぁぁぁ――――っ!? 見るなよぉぉぉぉお――――――っ!?」
生まれつき目付きが決して良いとは言えない方だが、なんだかここ最近は余計に目付きが酷くなっている気がする。
それはまぁ、いいだろう。締まりの悪い目をしている剣豪なんて毒にも薬にもならないからだ。
と、目の前でフローが背筋を伸ばして二度三度咳払いをした。手櫛で髪を直して、黒髪の三つ編みまで整えだしてである。
「さ、さあ……シラノくん。お姉ちゃんに何か言うことはないかな?」
「……?」
「聞いたよ! セレーネさんに、かっこいいとか美人だとか言ったみたいだね!」
てめえ。セレーネを睨んだ。
ふふ、と笑い返された。どうやら魔剣使いとの戦いに置いていかれたことに怒っているらしい。相変わらず頭がアレな女性だった。
ともあれ言ったのは随分と前の話である。どれだけ記憶力がいいのか。そして美人と言ったのはフローの方である。どれだけ記憶力が悪いのか。
「シラノくん、シラノくん。ね、ねえ? お姉ちゃんに何か言うことないかな? かなー?」
「なんスか急に面白い顔して」
「うわぁぁぁぁあ――――――ん!? 面白い顔とか言ったぁぁぁぁあ――――っ!?」
「趣深い顔ですね」
「うわぁぁぁぁあああ――――――――ん!?」
だが、流石に隻眼という圧倒的な格好良さには及ばない。シラノは一人頷いた。隻眼というのは伊達ではないのだ。いや伊達政宗は隻眼だが。
なお、男伊達というのは“男“を“立て”るという意味らしい。つまり、それぐらい粋な男という意味だ。
ともあれ、そればっかりはいくらフロー相手でも譲れない。柳生十兵衛は男の子の憧れである。そして柳生宗矩の立身出世もまた男の子の憧れである。剣に生きる以上はかく有りたいものだ。
「わかった……わかったよ! シラノくんがそうするならボクにも考えがあるんだからね!」
「……具体的には?」
「お姉ちゃん不敬罪で、シラノくんとは口を聞いてあげないから! わかったかい!」
「……」
「なんでキミが先に口を聞かなくなるのさぁぁぁぁ――――――!?」
「……」
「うぇぇぇぇ……言えよぉ……なんとか言えよぉ……お姉ちゃんを敬えよぉ……」
「……」
情けなくテーブルに突っ伏したフローを眺めつつ、皿を重ねたシラノは両手を合わせた。
日常であった。
生還したのだ。
◇ ◆ ◇
死線である。果たして、何度目であったか。
目を開くと、見下ろして来るのは勝ち気で吊り目がちな赤の瞳。炎の如く赤く燃える長髪を流したアンセラであった。
ぐう、と呻いた。またもや致命傷であった。それでも宿まで保ったのは、普段から意識のない状態で触手を発現し続ける鍛錬の賜物であろう。
「あの……子、は……?」
「あんたのお陰で無事よ。後遺症もないわ。……今後については、まぁ、酒場で引き取って貰えるように掛け合ったけど」
「……悪い」
「別に? あたしは怪我もしてないし、何か道具使ったワケじゃないしね。……これぐらいはオマケよ、オマケ」
ふう、と髪を掻き上げながらアンセラは吐息を漏らした。
流石に疲れが覗いていた。アレから意識のないシラノを連れて戻って、その後のこともしてくれたというなら無理もないだろう。
「リアムは……どうしたんスか?」
「……さあ。最後に見たときは、魔物の群れと切り結んでたわ。あたしとあんたの二人がかりで戦ったような量の、魔物相手に……」
「そうか。……まぁ、あれだけの魔剣の使い手なんだ。負ける訳がねえ。あいつはそんな弱くない」
「……殺し合ったのに、なんかあんたらほんっと仲いいわね」
アンセラから向けられる呆れたような半眼に、むぅと眉間に皺を寄せた。
また殺し合いをしろと言われたら御免蒙るし、仲が良いか悪いかと言われたら決して良くはないだろう。
ただ、殺し合ったからこそ判るのだ。リアムの実力が。その実力の裏にある、真摯な思いが。それともこれは錯覚だろうか。
そうして眉を顰めていると、アンセラが足元から何かを取り出し差し出してきた。
白い布が巻かれた、指先までを伸ばした片腕を超える長さのものであった。
「これ、あいつからよ」
「これは……? …………これ、最初に俺の腕を刺した剣っスか」
「ええ。リアムのお養父さんが作った中でも一番出来が良い一品だったから――あんたに持っていて欲しいんだ、ですって。活かしてくれる誰かに渡す為に、戦闘にはあんまり使わなかったとか」
「そうか……」
白い革の鞘に収まった、黒い柄の片手剣である。
抜き放ってみると、イィィと鳴いた気がする。手にはすぐには馴染まないが、悪くない重さと長さであった。
ただ真っ直ぐなだけの両刃の片手剣。その刀身は、鏡の如く磨かれている。
錆びにくく壊れにくいだけという魔剣――だからこそシラノには丁度良かった。なまじ能力などあったら、それに頼り切りになってしまう。
あくまで触手剣豪なのだ。触手の力で勝てねばなんの意味もない。
そう思えば、この贈り物はシラノに適していた。願わくば、剣に追いつけるほどに技量を磨きたいものだ。
「……悪いな。肝心なときに寝てたってのに、魔剣なんか……。いや、違うか……ありがとうな、アンセラ」
「べーつーにー? ……信賞必罰よ。あんたが一番働いたんだから、あんたが一番報酬を得る。極めて単純――でしょ?」
「ああ。……ありがとう」
「どーいたしまして。んじゃ、あたしの用事はこれで終わり」
喪服めいた黒いスカートの尻を払って、アンセラが何か言いたげな目線を向けてきた。
「覚悟しときなさいよ?」
察した。二秒も要らなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁあ―――――ん!? シラノくん目が覚めたんだね!? 大丈夫!? 大丈夫かい!? お姉ちゃんがわかる!? 一週間は寝てたんだよ!?」
「……一週間、スか」
「触手尿瓶を作ろうか、触手尿管を作ろうか悩んでたんだよ!? セレーネさんがやめた方がいいって言ってたからやめたけどさぁ!」
「……」
危なかった。危うく男子のけんぜんな何かが損なわれるところだった。
だが、思えば意識不明にはそんな恐怖もあるのか。良く耐えてくれた下半身。本当に耐えたのだろうか。実は尿道に触手カテーテルとか刺さっていないか。
毛布を持ち上げたが、全くの無事である。素晴らしい。異世界というのはやはり違う。強いぞ身体。いい子だ身体。
触手の管を尿道に突っ込まれた男などという不名誉を避けられた。ありがとうセレーネ。
次からは腹のものは全て出していった方がいいのかもしれない。いや、出し切っても尿は出るのか。多分出るのだろう。昔そう聞いたことがあった。
「なんでボクを連れてかなかったのさぁ! シラノくん、本当に危なかったんだよ!? 本気で死んじゃうんじゃないかって、ずっとずっと心配してたんだよ!?」
「……申し訳ないです。場所が、危ないところだと聞いて……」
「う……」
「う?」
「うわぁぁぁぁぁぁあ――――――ん! シラノくんと喋ってる……シラノくんが話してる……! シラノくんが生きてるよぉ……! うわぁぁぁあああああああ――――――ん!」
「先輩……」
「うぇぇぇぇぇ……シラノくんが生きてるよぉ………生きてるよぉ……! うぇぇぇぇえ……!」
くしゃり、とフローの小さな白い手がシラノのシャツの胸元で皺を作った。頬の傍で黒髪が何度もえづきながら震えている。
何度も何度も鼻を啜りながら、フローは呻き声のようなものを漏らしていた。縋り付かれて泣かれると、胸が痛む。
「………」
これだから、戦いというのは好きにそうになかった。
技術や勇気で及ばぬ以上は、相手を呑み込まんとする気迫で挑みかかるしかない。知恵など捨てて、死地へと飛び込むしかない。
目の前のものを斬ること以外は投げ捨てるだけだ。斬って斬って斬り果てるだけだ。
死を恐れても、死に怯えずに死を呑み下して進むしかない。死に震えて足を止めれば最後、ただ死に喰い付かれるのみである。
矛盾した考えかもしれない。だが所詮は現代人の甘ったれた価値観を引きずるシラノが生き残る為には、それしかないのだ。
しかしそれは一方で、今のフローの涙を意味していた。
もっと研鑽を積まねばならない。静かに毛布に載せた指先を、強く握り締めた。
「シラノくん、本当に……本当に気をつけるんだよ? 傷だって、シラノくんの身体に触手を寄生させて置き換えてるだけなんだ。もし全部を触手に置き換えたら……それはシラノくんなのか判らないものになっちゃうんだよ?」
「……テセウスの船っスか」
「え?」
「……なんでもないです。以後気を付けます」
「本当だよ!? もしシラノくんが触手生命体になったら、毎日お姉ちゃんを敬うだけの身体にしちゃうんだからね!? 『お姉ちゃんかわいい』『お姉ちゃん最高』しか言えなくしちゃうからね!?」
「そりゃあ御免ですね」
そんなフローは太陽の下に出ることなく部屋で引き篭もって死にそうだ。それは非常によろしくない。
なんだか打ちひしがれた顔をされていて非常に心苦しいが、己の師匠が、知己が、先輩が、自称・姉が――そんな不毛な最期を遂げるのを何故許せようか。
やはりかくなる上は研鑽と修練あるのみだ。それしかない。
ともあれ、
「先輩」
「ぐすっ………何、シラノくん? どうしたの? 大丈夫? 気分、悪かったりする?」
吐息がかかりそうなほどに近いフローの紫色の瞳に、思わず顔を逸したくなるが――
「勝ちました。……生きて、帰りました」
頷くように、静かに言った。
「うぇぇぇぇ……ばかぁ……おかえりぃ……おかえりシラノくん……」
「はい」
「おかえり……なさい……」
「はい」
「うぇぇ……おかえり、おかえりシラノくん……! おかえりぃ……! 生きててよかったよぉ……! 怖かったよぉ……!」
「うす、すみません……。……ただいま、先輩」
また胸元で「うぇぇぇぇ……」と泣き声を上げられたが、こうなってはなすすべがない。
手持ち無沙汰な両手を動かすこともできず、唯一動かせる首だけを傾けて天井を見上げて吐息をついた。
(……あァ、腹減ったな)
何はともあれ、腹は減るのだ。それが生きているということなのだろう。
本格的に死なないようにする必要がある。ともあれ、腹ごしらえだった。
◇ ◆ ◇
……そして。それが三日前のことである。
「……」
「……」
「あの……」
無言だ。
「……」
「……」
「……シラノ様? フロー様?」
無言であった。
朝の食事のアレからフローが口を聞かないのだから、元々話を振られない限りはそれほど多弁ではないシラノも黙る形になる。
セレーネだけに話しかけるというのも何かおかしな話であるので、シラノはずっと口を噤むしかない。
フローが口を聞かないと言っている以上、その意思を尊重する他なく、かと言ってフローを除け者にするように二人で会話するのは何とも筋が通らない話であろう。筋が通らないのはよくない。
結果としては、剣鬼セレーネが困惑する一行が出来上がるだけであった。
「……」
そして、また例によって魔物狩りの日々だ。依頼である。
兜割りと言うべきか――まだ〈成体〉になる前の黒い獣人態の魔物を、頭頂から股下まで真っ二つに叩き斬った。
この日は五体目。斬り覚えという言葉は凄まじく、シラノの唐竹割りというのも中々に様になってきていた。
「ありがとう……ありがとうございます! ありがとう! お兄さんは命の恩人です! ありがとうございます! その、もし良かったらこのあと時間とか――――」
両手を握り締めて視線を向けてくる女商人に、とりあえず黙して頷いて返す。そのまま馬車へ戻るように促した。
そして、小人族と人間の商人が混じった女性ばかりの個性豊かな馬車を見送った。街への大切な物資を運んでくれているのだろう。こんな街道なのだ。これからも息災であって欲しい。
あとは特に危険なく戻るだけだ。
帰りがけに偶然通りがかった兵士崩れのならず者の鎧を斬って丸裸にして縛り上げ、どこからか湧いたゴブリンの群れを十三分割し、何故か奇妙な雄叫びを上げる実際頭脳が狂った邪教信者の両足の骨を叩き折り土手から蹴り落とし、たまたま地面から頭を出したサンドワームを串刺しにする。
そして、街へと帰還するだけだ。差し出した金属板を受付嬢に引き攣った笑みで返されて、裏の井戸で手を洗っているときである。
ふと、シラノは口を開いた。
「……なぁ、シェフィールド。俺ってそんなに先輩のことを、その……尊敬してない風に見えるっスか?」
「ええ……? ええと――――……まぁ、その……」
「見えるのか……見えるんだな……」
「ええと……」
「……きっと気安すぎたんだよな。そうか」
己よりも先達の触手使い。そして師匠である触手使い。
シラノは歴史を尊重する男だ。ならばそこに敬意を抱かぬ筈がないのであるが、それは微塵も伝わっていなかったらしい。
ならば、どうしたらいいのか。
皿に酒でも注いで親子分の盃を交わせばいいのか。それとも片膝をつきながら剣で肩を叩かれるべきなのか。
妙案が浮かばない。というか師を尊敬しているなど、改めてどう言えばいいのだろうか。そこが全く判らない。そんな作法は聞いたことがなかった。
かくなる上はやはり言葉遣いか。やはり砕けた敬語が良くない。ここはしっかりと、歴史物に倣った言葉遣いをすべきなのでは――――。
「あの、シラノ様?」
「なんである。如何いたしたか」
「………………………………あの、シラノ様?」
「……忘れろ。忘れてくれ」
駄目だ。これでは痛い人である。腹を詰めたい。
「ええと……フロー様に敬意や親愛を伝えたいのでしたら……ふむ、そうですね。ここは具体的に、フロー様を褒めたらいかがでございますか?」
「褒める?」
「ええ。単に可愛らしいとか美しいなどと言うだけでなく……貴女の笑みは今日も眩しいとか、あの太陽よりも貴女の優しさは心地よいとか、顔を見るだけでも胸が高鳴るとか……」
「……」
「想いだけで溺れて死にそうだとか、貴女と生涯を共にできるならそんな幸福なことはないとか、どうか私を憐れむならばせめて手を取らせていただきたいとか」
「……」
「その紫色の瞳は死の女神を彩る宝珠よりもなお美しく、その深く艷やかな黒髪は如何なる天上の神々ですら決して穢すことなど叶うまい……貴女の陽射しよりも慈悲深き手は私の心の棘を溶かし、貴女と共に居れる幸福を噛み締めるしかない……とか」
「お前が言え。言ってくれ。言ってくれよ」
無理だ。どんな顔をしてそんなことを言えばいいのか。
絶対にシラノのキャラではない。完全に正気がやられている。無理だ。いくら狂気に片足突っ込んでる触手使いでも無理だ。
「ええと、私は構いませんが……この場合フロー様は、弟子であるシラノ様から尊重されたいのでしょう? ならば、シラノ様が言わないと意味は……」
「んなキザ言うぐらいなら俺は腹ァ斬る」
「腹を」
「腹だ」
「腹ですか」
「腹だ」
勿論比喩表現であるが、まぁ――それぐらい無理だと言うことだ。
何も軟派な野郎が嫌だとか、硬派を気取っている訳ではない。
何が嬉しくて敬意を伝える為に口説かねばならないのだ。それも絶対に言いそうにない台詞で。絶対にフローは気付くし、ひょっとすると馬鹿にされてるとか侮辱されているとか思うかもしれない。それだけならまだいい――いやよくないが――それが、シラノからの断絶宣言と受け止められたら……。
そうなったらどうなるか。
肩身が狭い触手使いの、弟子から師に対する恥辱。
それは本格的に腹を切って非礼を詫びる他なくなってしまうのではないか。そうしたらフローが泣く。本末転倒だ。またあの世で腹を切れと言うのか。腹は一つしかない。命と同じだ。
「ええと……その、腹を切っても人はすぐには死にませんよ?」
「腹を十字に斬る」
「十字に」
「内臓を出す」
「内臓を」
「そして喉を突く」
「喉を」
「……作法はもっと細かいけどな」
「蛮族の風習ですか。……なるほど、触手使いとは凄まじいものですね」
触手使いではなく武士なのだが、言っても伝わらないので黙った。
ともあれ切腹の話ではない。切腹は比喩だ。大事なのは、どうやってケジメをつけるかだ。シラノが極道者なら、指の一本や二本を詰めていたがそうも行くまい。
「あとは……そうですね。例えば、気分転換……街に買い物に出かけるなどはいかがでしょうか?」
「買い物?」
「ええ。やはり私も女性ですので、殿方と揃って出かけるなどには憧れがございますし……」
「あるのか。……あるんスか?」
「あったらいけませんか? ……ともあれフロー様も、きっと楽しくお過ごしになられたら機嫌も戻りましょうとも」
なるほど。
同じ女であるセレーネがこういうのだから、それは間違いではないのだろう。流石セレーネだ。頼もしい限りである。
ともあれ、
「……無理だ」
「無理とは?」
「……………………金がない。金が、ないんだ」
「……」
「金が……ないんだ……ないんスよ、金が」
「繰り返さないでください」
皆の分の宿泊費。それで報酬のほとんどを使い切ってしまっているのである。
もうこうなったら内職でもすべきか。傘張りや草鞋作りなどにこの世界での需要はあるのだろうか。
「……ふむ。そういえば、露銀と申しますと――」
「知ってるのか、シェフィールド」
「ええ。……噂でございますが。何やら地下剣闘士なるものがあるとか――」
地下剣闘士。
なんたる力のある言葉であろうか。絶対にそれは大きな金の匂いがする。嘘か本当か判らぬが、実在するとしたら物凄い。
「なるほど……地下剣闘士……」
それはそれで、確かに異世界文化のようだ。流石セレーネだ。頼りになる。
シラノは強く拳を握り締めた。
◇ ◆ ◇
「無いわよ」
「無いと申すか」
「……なによその喋り方。そんなもん無いわよ」
何言ってんだこの蛮族二匹は――という冷たい目を向けられた。それが同じ人間にする目であろうか。なんたる冷酷な文明人的差別意識だろう。都会は怖い。
アンセラは半眼で完全に呆れ返っていた。
「……というかあんたら、なんであると思ったわけ?」
「いえ……やはりこう、そのようなものは基本かと」
「基本」
「ええ……ほら、いらっしゃるでしょう? 『ホホホ、冒険者などという命を懸けるしかない連中がブザマに争っているではありませんか。ホーッホッホ』……というような」
「うんうん」
「『今宵も屑共の血で酒が美味いわ、ガハハ』とか『虐殺劇を片手に女を抱くのは昂るわい、グフフ』とか……ありませんか?」
「うんうん」
二秒ほどアンセラは笑顔で停止した。
そして爆発した。
「……あんたねえ!? 街をなんだと思ってるのよ!? 大体そんなふざけた連中は執行騎士から取り締まられるわよ! 執行騎士から!」
「いえ……その、執行騎士もきっと万能ではないのかと」
「確かにきっと世の中広いから手が足りてないかもだけど、なんでここだけ適用外だと思ったワケ!?」
「……きたない金持ちの権利で」
「はぁ!? そんな連中なんかね、徒党を組まれて家を襲われておしまいよおしまい! 悪いことしようとしたら、そのまま集めたもっと悪い連中に有り金全部奪われて終わりよ! 頭湧いてるの!?」
「うぐぅ……」
「あんたその顔の代わりに中身どこに置いてきたの!? あの世!? お母さんのお腹の中!? 道にでも落とした!? 井戸にでも放り込んだの!?」
「そんなに言わなくとも、よいではないですか……」
すごい。セレーネがアンセラにボッコボコにされてる。言葉の拳で。
すっかりと自信を喪失して俯き加減になったセレーネと、肩息をつきながら獰猛な瞳を向けてくるアンセラ。
「……シラノ。あんたは説明いる? いらない?」
「いや……まぁ、流石に見れば判るというか……」
「そ。良かったわ。あんたはまだ頭の天辺から付け根までは蛮族に染まってなかったのね。褒めてあげる」
「うす」
蛮族に染まる。凄い力のある文句だった。
「……で、なんでそんな馬鹿な話をし始めたの?」
「いや……それは……」
「迷惑って言うなら、やっと色々仕事とか引き継ぎとか事務処理とか裏方手配とか落ち着いて『ワーイご飯だヤッター!』と思ってるあたしの邪魔した時点でもう迷惑っていうか、さっさと言いなさい。まだこの与太話続けるつもりならあんたを頭から喰うわよ?」
「うす」
よろしい、と頷かれた。人狼に頭から食われる。中々笑えない話だった。
そしておもむろに口を開き――
「……え。フローさんを怒らせたの?」
信じられない珍獣を見るような目で見られた。不本意だ。アンセラの中ではフロランスが常識人の地位を確立しているらしい。
まぁそれはいい。
「いや、面目ねえけど……正直先輩からこんな扱いをされるのは初めてで、俺だけじゃどうしていいのかが全く……」
「んー…………なんか贈り物とかしたら? あ、肉とかオススメよ。お肉。新鮮で美味しいヤツ」
「お肉」
「何よその目……なんか文句あんの?」
いや、と首を振った。今のアンセラは気が立っている。多分腹も減っている。つまり凶暴なのだ。
過去に母が健在であったころ、森で一度そういう狼と遭遇した。
木の上から石をぶつけて、飛び降りて石を拾ってぶつけて、木の上から石をぶつけ続けて完全にやり飛ばさないと逃げてくれなかったものである。つまり凶悪なのだ。こわい。
「……ま、それはあんたらでどうにかしなさい。大事なのは誠意よ」
「征夷? ……いや、誠意か」
「……。それよりも――シラノ。あんただけ残って」
「……厄介事スか?」
「ええ。……ま、話ぐらい聞いて貰うわよ? あたしの食事の邪魔をしたんだからね」
是非もない。
決断的に頷いて、シラノは椅子に腰掛けた。
◇ ◆ ◇
竜の大地には、帝国の昔より継承した神話がある。
創世の七振りの魔剣と、それを握る神。
そして天の炉から溢れた煤――魔物を倒すために人に魔剣の製法を教え使わされた神と、造られた魔剣に権能を与えているとされる神。
さる大戦により神は人に見える現し身を失い、天上へ去ったとされているが……
「――邪教徒?」
「そ。“天の炉の女神”でもない。“月と狩りの女神”でもない。“鍛冶の一つ目神”でもなければ、“大地の竜母神”でもない。邪教よ、邪教」
「邪教か……」
シラノが寝込んで一週間。そしてそこから明けること三日――――合計十日。事態はどうにも、よろしくない方向に進んでいるらしい。
明らかに、目に見えて魔物の被害が多いそうだ。単なる穢れの局地的な濃度の増加では片付かないほどの異常事態。そこに、人為的な気配を感じるとアンセラは言う。
「ホンの少しだけど……上手く隠蔽してあるようだけど、匂いがするのよ。変な匂いが。……昔、その手の連中ともやりあったことがあってね」
「……」
「邪教徒が何かって言うと――さっき言ったような、広く神殿に崇められるの神々じゃない。そこに属さない……どころか危ないものを崇める連中よ。例えば魔物とか……あとは悪魔や妖魔なんかの実在しないものとか」
「実在しないもの、か……」
悪魔は実在しないのか、と頷いた。そういえば淫魔は悪魔の一種であるとも以前フローが言っている気がして――――まぁ、そういうことなのだろう。
しかし、実在するとは。まるで神が実在するようではないか。
……シラノは黙った。見たことがないので居ると思った試しがないが、見たなら見たで居るということにして良いだろう。斬れたなら確実に実在している。そんなぐらいの距離感だ。
「ハッキリ言って気が狂ってる連中よ。『世界は元は一つだったんだから人は魔物と混ざり合うべき』とか『人が死して穢れになるなら穢れこそが自然なかたち。偽りの肉の服を脱ぎ捨てさせよう』とか『魔物の肉が不老長寿を齎す』とか」
「……それは、なんというか……ひどいな」
「そーなの。で、果ては存在しない『木曜日の悪魔サマは心臓を好んでるから』とか『淫魔の不老不死を目指す為に男女のこうごぅ……だん、じょ、にょ………………これはいいわ。とにかく気が狂ってるのよ。破廉恥よ。主に頭と心と下半身が重症なのよ」
「うす、なるほど……」
腕を組み頷いた。
カルトか。カルトは良くない。それは良く判る。特に殺人とか集団自殺に発展するカルトは良くない。速やかに郎党全てを叩き潰すべきだろう。
……とはいえ、気が狂ってるものを崇めているという点ではシラノもそう違いがないので、あまりに連呼されるとこちらまでその邪教徒呼ばわりされているようで複雑な気分になる。
と、そんな内心を見透かしたのだろう。アンセラは慈しむように笑った。
「大丈夫よ。あんたの信仰してる神サマはちゃんといるから」
「え?」
「えーっと“農耕と進軍の神”だっけ? それとも“狂乱と雷霆の神”? “剣闘と馬術の神”か……あ、あれか! 蛮神! “車輪と水門の神”でしょ! それか“白狼と流星の神”!」
「…………」
「んー……あ、あれだ! “剣と水面の神”! これでしょ! どう?」
「……まぁ」
なお実際は邪神であった。言わない方が絶対よかった。
「……で、多分魔物の大量発生の裏には邪教徒がいるわ。その内、あんたの力を借りるかもしれないけど……」
「分かった。俺もそんな奴らは許せねえ……あと、とりあえず見かけたら足の骨でも折っておけばいいか?」
「中々見付かんないわよ」
「まぁ、そうだよな」
カルトは陰湿なのが厄介だ。シラノは頷いた。
そしてアンセラが「ひとまずは――」と締め括った。魔物の大量発生の真相は見えた。それがむざむざと静観できるものでないという情報だけで十分だ。あとはその仕掛け人を見かけ次第、懇切丁寧に叩き潰すのみである。
万民の害となる天下の敵はまさに討つべし。その為に剣技や剣術というのはあるのだ。
「分かった。俺にできることは何でもする……何かあったら呼んでくれよ」
「なんでもするの?」
「ああ。……男に二言はねえよ」
とはいえ……ならず者に、邪教徒。この街の瀕した危機は深刻だろう。
ならばサパっと斬り捨てるまで――――とはいかないがアレはどうだろう。屯所に構えて不逞浪士をアレするとか、こう、見廻とかの組を作ってアレするとか。良さそうである。
何も、伊達や酔狂であってのことではない。 市井の治安は警備とパトロールから――それはどこの世界、どんな文化であれ共通だ。というかこの街の役人や官憲はどうなっているのだろう。
実際に確かめてみるべきか。
そして、居ないなら居ないでここはまさに冒険者がその立場に参画すべきではないだろうか。それが良さそうだ――と思いを巡らせた中、
「――あ、でね? それでさ、歌劇の花形がこの街に」
「……歌劇? 過激派じゃなくて?」
「そうよ、歌劇よ。てゆーか何よ、過激派って……いや、知ってるでしょ? 歌劇ぐらいは……」
「……」
「ねぇ……あんた本当に蛮族出身だったりしない? 僻地で斧や山鉈を振り回してたりしない? 獲った首を腰にぶらさげたり、相手の心臓を祭壇に捧げてたりしない?」
こう、モグラの穴から飛び出してきた貝殻を背負ったウミウシでも見るような目を向けられた。
なんたる文明人特有の冷淡で排他的な姿勢だろうか。あまりに酷い。これだから都会っ子というのはよろしくないのだ。
「まぁ……歌劇がね? その、役者さんがさぁ……来ちゃうのよ」
「どこに」
「この街に」
正気か。正気ではなく瘴気が満ちるこの大地に。
歌劇――多分アイドルやミュージシャンやロックスターやプロレスラーのようなものだ――の役者が。来てしまうとは。
「それであんたに頼みたいのが……」
「……判った。出歩かねえよ。触手使いが近寄ったら、コトだもんな」
「あんたなんでそう判断早いの!? あのさあ! ってか前に言ったわよね! 教育の時間よ、教育の! あんたには冒険者が何たるかみっちり仕込んでやるわ!」
アンセラが狼の皮を被った。というか普段から、喪服めいた黒のドレスの上に毛皮を被っているというワイルドスタイルになっていた。
そして、炎髪を翻して唸りを上げるアンセラ・人狼形態に――シラノは一言言った。
「その……拘束時間の分、金は貰えるのか?」
「普通ならあんたが払うのよ! あんたが! てか奢りなさいよ!? そう約束したわよね!? 食べるわよ!?」
「おい、やめ……」
首根っこをひっつかまれた。
少ない財布の中身が、更に少なくなりそうであった。
夜。
部屋のベッドの上で膝を抱えるセレーネと、何とこさ励まそうとしたフローは絶句した。
幽鬼めいた足取りでシラノが扉を開いたのだ。邪神の洗脳を受けたかの如く目は胡乱で、頬というのもこけている。
「せん、ぱい」
「うぇぇぇぇぇ!? シラノくん!? シラノくん!?」
「おれが……くろうとか……させませんから……」
「シラノくん!? シラノくん!? や、やだよシラノくん!? シラノくん!?」
「白神一刀流に……敗北の二字はねえ……」
「どう見ても負けてるよ!? ねえ、シラノくん!? 誰にやられたの!? ねえ!? シラノくん!?」
そしてベッドに倒れ込んだ。
武士は食わねど高楊枝。そんなもん絶対嘘だ。腹は減っては戦はできぬ。それが真理であった。
稼がねばなるまい。士族の商法なんて言ってられないのだ――――剣が身を助ける時代は終わった。諸行無常であった。




