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第二十三話 ダンジョンズ・アンド・テンタクルス・ウィズ・ローニン その三


 この世は初め、一つであったと賢者は説いた。

 そして世界は攪拌される。正と負――即ち“貴”と“卑”の力だ。

 “貴”から生じたのが魔剣であり、そして魔術である。それはこの世に厳然たる理として存在する。法学者が定めた法や、或いは数式の定理が如くそれは徹底的に定義され、そして区分される。体系を為して、理屈を作る。

 それが“貴”だ。四つの魔術系統というのも“貴”であり、様々な超常の力を持つ魔剣も“貴”だ。

 しかし、世には“卑”の力もある。

 それは分類されながらも分類しきれぬ力。その中に法則はあっても、決定的な理屈の存在しない力。


 例えば呪術使い。

 呪術使いに睨まれると呪いを受ける。指差されれば精神は不調をきたし、触れ合った手は不運を帯び、語る言葉は不浄を遷す。

 それが呪術使いだ。人を呪う。物を呪う。呪われたものは貶められ、呪いを背負わされたものには不運が訪れる。

 だが、呪いと不運というのは決して一つには絞れない。例は浮かべども、具体的に何かとは誰も説けない。仕組みは判らない。


 例えば邪術使い。

 邪術使いは“卑”の気を操る。人馬を穢す。住居を穢す。野山を穢す。そして穢れしもの――魔物を自在に使役する。

 だが、全ての魔物を操れる訳ではない。常に何もかもを穢せる訳ではない。そこには個人差があり、個体差がある。

 一匹の魔物と生涯を共にする者もいれば、吐く吐息が全て穢れになるものもいる。ただ、“卑”に関わるとしか区別がない。


 例えば死霊使い。

 死霊使いは死を操る。死霊の嘆きを聞き、死霊に語りかける。死霊を他人に憑依させることもあれば、死霊で器物を操ることもある。

 ただ、死と死に関わる思念を司るものである。それ以上の区分はなく、それ以上の定義はできない。


 卑劣という言葉や卑怯という言葉が、“正”や“義”という言葉の区切りがあって初めて意味を為すように、区分から生じながらも区分の外にある――――それを“卑”と称した。

 ()()()()()()()であった。



「……あれ、おれは」

「気が付いたスか」

(おれ)は――ああ、なんだ。負けたのか。ったく、魔剣って言っても数打ちじゃこんなもんかね。情けねえ話だ」


 触手で後ろ手に縛られたリアムが、観念した悪童のように悪態をついた。

 やはりあの魔剣の力は、リアムの意識を奪っても続いていた。シェフィールドの〈水鏡の月刃(ヘレネハルパス)〉とは能力の性質が異なるのか――仮にあの場で斬撃をリアムに向けていたなら、死んでいたのはシラノの方であったろう。

 改めて、魔剣というのは空恐ろしいものであった。今回もまた、薄氷の勝利であったのだ。

 ともあれ――勝利だ。どんな勝ち方であろうと、勝ちという事実は歪まない。誰にも歪められない。たとえ勝者自身であっても、それは変わらない。


「なぁ、兄さん……なんで(おれ)を殺さねえ?」

「ここには……俺は女の子を助けるために来た。穢れに村ごと襲われて、たった一人生き残った子がいたんだ」

「……それで?」

「一欠片だけでよかったんだ。……お前を殺す理由なんてどこにもない。それに……これ以上その子に、他人の死を背負わせる訳にはいかない」


 シラノは静かに言い切った。

 剣に懸けて生きてはいるが、決して人を殺す為に剣を執っている訳ではなかった。

 たとえ剣の本質というものはどこまで行っても殺人であったとしても――それは変わらない。変えてはならないのだ。


「ハッ、殺してたらアンタに華麗に憑き纏ってやってたってのに残念だな。死霊術師をナメんなよ?」


 縛られたままのリアムが愉快そうに口角を吊り上げて皮肉を言った。それが彼流の諧謔なのか本気なのか、シラノには判らない。

 死霊術師。

 話には少し聞いた。死の際の思念であったり、人格――前世で言うところの“霊”だ。それに関わる魔法使いであると。

 ある者は死霊に力を与えて実体化させ、ある者は死霊を己に憑依させ戦闘経験を引き出す。その気になれば人間の精神のみを無間地獄に叩き落とし死霊に変えるなどという話も聞くが……その正体ははっきりとは分からない。

 ただ、リアムはその死霊術師であったなら……。


「ここを守ってたのも……死んだ人に、そう頼まれたんスか? それとも憑依されてたのか?」

「憑依、ね。……生憎(おれ)はそんな才能なんてのは持ち合わせちゃなくてな。できることっつったら声を聴くだけさ。死人が強く抱えてた秘密や、どうしようもなく濃く思ったものを聞き取るだけさ」


 自嘲気味に笑って、リアムはシラノ目掛けて肩を竦めた。


「判るかい? (おれ)は色々と死人の声を聴いた。気味悪がられもしたが、それでも生きていくのには十分だった。死人の声を聞いて判断してた。(おれ)はいつだってそうしてきた」

「……なら、今回もそうなのか? ここの結晶を持ち出されるな……って」


 問いかけるシラノに、リアムはしっかりと首を振った。そんな事実だけは存在しない。存在してはならない――そう思われてもならない。そう感じるほど、強い否定であった。

 ならば、何が彼をそこまで駆り立てたのか。

 無理矢理に塞いだ腹の傷を庇いながら見つめるシラノに、ややあって、リアムは観念したように口を開いた。


「……いいや。実は(おれ)養父(おやじ)は刀鍛冶ってヤツでね? ……ああ、作るものはお世辞にも出来がいいものとは言えねえよ。単に錆びにくかったり、壊れにくければいいって言ってたんだ。武器なんてそれでいいってな」

「……」

「じゃあさっきの能力は何かって? ……さてね。随分と長らくこの洞穴にいたもんでね。ずっと鉱石の傍にいたのさ。養父おやじが作った剣の、その材料の傍にな。いつの間にか使えるようになったんだよ。ほら――ま、便利だろう?」


 に、と片頬を歪めるリアムは他愛もない話であるとでも言いたげに、そのまま続けた。


「ま、()()()()ばかり作る養父(おやじ)だ。結晶の量もケチってな? だから大した能力になりやがらねえ……その癖、数を打つことだけは一人前だよ。『無理に数を揃えてでも何かを守りたいって気持ちが一番信じられる』なんつってな? ……なーにが『それでこそ魂を込める甲斐がある』だ。なまくらしか打てねえってのに」

「……」

「……ここの鉱石場は養父(おやじ)が見つけた材料場だった。おかげで随分と馴染みの場所だったが……まさかここまで入ってこられるなんてな。死人の声を聞いて、やっとこさ鍵を開けたんだぜ? なぁ兄さん、アンタは一体どうやったんだ?」

「…………ち」

「ち?」

「…………………………ち、知恵と勇気で」


 ちからわざ――力技だったとは、口が裂けても言えなかった。

 アンセラが白い眼を向けてくるが努めて振り返らないことにした。兵は詭道である。かのドイツだってマジノ線とは遣り合わなかった。信長も今川義元の本隊を急襲である。何も間違ってないのだ。その筈だ。

 目を逸らすシラノを訝しげに眺めつつ、リアムが話を本筋に戻す。


「まぁ、あの野暮ったいツラの養父(おやじ)殿は生前いつも言っててね。『こういう恵みを使い切っちゃなんねえ』『いずれ、誰かが必要とするときがくる』『俺みてえな半端モンの鍛冶でもねえ。金に目がくらんだ冒険者でもねえ……正しく使えるものが手にする必要がある』……」

「……」

「『その為にも受け継いで残す必要がある』『未来の為に受け継がれるべきものがある』ってな。……わかるかい?」


 慈しむように目を細めたリアムの言葉に、どこか遠くを見るその瞳に嘘はなかった。

 シラノが問いかけたのは今回の真相だ。何故リアムがここにいたのか。何故他人と親しげに言葉を交わしながらも、斬り捨てようとするのか。何故全力で戦い、たった一人でこの場所を守ろうとするのか。

 何故、命懸けでシラノと立ち会ったのか――彼に問うたのは、その答えであった。

 こう答えるということは、つまり――


「まさか、だから……だからお前はここを守ってたっていうのか? その為に……誰かに持ち出されたり、この場所の全てを持っていかれたりしない為に……?」

「……はっ。なぁ、笑ってくれよ野暮な兄サン。(おれ)も大概滑稽な馬鹿野郎さ。死霊術師が死人の声じゃなくて……生者の声に縛られるなんて、こいつぁ本当に馬鹿げた話ってモンだろう?」


 おどけた口調のまま、とんだ皮肉もあったもんだ――と。

 藍色の髪のリアム・ア・ボイエは、恐るべき魔剣士は、どこか今にも泣きだしそうな子供のようにそうとだけ言った。

 皆、何も言わなかった。蠢く気配が満ちるダンジョンの中、そこだけが静寂であった。


 どれほどそうして居ただろうか。

 ガチガチと、歯が鳴った。歯の根が合わない。脂汗が止まらない。

 いい加減、シラノの身体を覆う苦痛も耐えがたくなってきた。失った臓器や血管を取り戻したわけではない。無理矢理に塞ぎ止めて、血液や体液、腹の中の糞が外に漏れ出ないようにしているだけだ。

 吐息は熱いのに唇だけが酷く寒い。

 そんな様子を見越してか、話を切り出したのはアンセラであった。


「……それじゃあ、あたしたちが勝ったから持ってってもいいかしら? 残りの分は――流石に今の話を聞いて貰ってこうとか、これを売り払ったら一財産じゃないとか、随分贅沢ができるわねとか……そういうことは考えないようにするからさ」


 冒険者である彼女にとっては口惜しいだろう。

 それほどまでの宝の山であったが――流石にアンセラは、今の話を聞いてなお金儲けに精を出せるほどの冷血漢ではないらしい。漢というか、まぁ、女であるが。

 ともあれ、シラノとしてもようやくこれで人心地がつくというものである。流した血は決して無駄ではなかった。あと恐ろしいのは、高揚が覚めてから襲ってくる痛みと、傷を治すことになるフロランスの泣き顔だけ。

 そろそろ、立っていることも辛くなってきた。小刻みに震える吐息に堪えかねて、膝を折ろうとしたそのときだった。


「――駄目だね」

「は?」

「言ったろう? 渡せねえんだ。()()()()()()()()……そういう決まりなんだ。(おれ)が決めたんだよ……これまでどんな死人の声を無視して来ようが、どんな死人の声を食い物にしてきた(おれ)であっても……その生者の声だけは裏切らねえって」

「リアム……」

「だから、渡さねえ……ここから持ち出していくって言うなら、(おれ)はアンタらを斬らなきゃいけねえ」


 両手を縛られて胡坐をかいた状態でも、リアムから剣気が立ち上る。

 それは、手負いの獣と同じであった。彼は止まらない。止めるとしたら、その心臓に刃を突き立てることだけであると――そう言っていた。

 当然ながら火が付いたのはアンセラである。


「は? さっきシラノが勝ったじゃない!? なんであんた、そんな自信満々と言えるわけ!? あんたさ、今の自分の状態判ってから話してる!?」

「確かに(おれ)は負けたよ……でも、アンタらは殺さなかった。アンタらはみすみすと機会をフイにしたってワケで――」


 リアムがゾっとするほど冷たい目を向けた。

 シラノには覚えがある。立ち会っている最中、彼が覚悟を決めた時の瞳であった。命を奪う決意をした者の目であった。

 そして、応じるようにシラノとアンセラの周囲で音が鳴る。


「……(おれ)はアンタらの生殺与奪を握ってる。この意味が、分かるかい?」


 〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉――シラノたちを取り囲む剣が、号令を待ちわびる兵の如くにカタカタと身を震わせた。

 シラノの胴体を貫いた最初の一撃の際のように――剣と剣の間のリアムを頂点として、そこ目掛けて弦の始点の剣を引き寄せる――そんな発射の方法を、仕組んでいる。


「やるならやりなさいよ……! やればいいでしょ! 冒険者ナメんじゃないわよ! 倒したと思ってた相手が復活? ハッ、だから何? ならもう一回叩きのめしてやればいいだけでしょ!?」

「落ち着け、アンセラ……! お前、落ち着け……!」


 今にもリアムへの飛び掛かろうとするアンセラを、何とか羽交い絞めに抑え込む。

 シラノはまだ百神一刀流の力で死を免れられるかもしれない。だが、この状況は彼女にとってあまりにも致命的なのだ。

 腕の内で暴れる彼女の動きに胸と腹の傷が引き攣るが、努めて歯を食い縛って声を殺す。どうやってこの窮地を脱するべきか――そう思案するシラノへ、リアムが視線を向けてきていた。


「なあ、兄さん……。アンタその分じゃあ、魔剣とは相当に戦ってるんだろう? いやね、負けたばっかの奴がこんなこと言って馬鹿らしいとも思うんだが……。(おれ)と――死合っちゃくれねえか?」

「……」

「判ってるよ。馬鹿らしいンだろう? アンタはもう、一度は(おれ)にすっかりと勝っちまってる。そこから命のやり取りってのは本当に馬鹿らしいモンだよな……あんた、死にたくはねえんだろう?」

「……ああ」

(おれ)がアンタに言ってるのは無理筋だってのは判ってるんだ……それでもよぉ、立ち会っちゃくれないかね? じゃなきゃ、戦うまでもなくアンタを殺すかしかねえ」


 懇願なのか脅迫なのか。真っ直ぐに目を向けてくるリアムを前に吐息を漏らした。

 あの立ち回りをもう一度というのはあまりにも無謀な話だ。あれは、戦いの高揚で痛みを誤魔化していただけだ。そして、まだ十分に体力があったからできたのだ。

 シラノの技をリアムが知らなかった。だからこそ掴めた勝利だ。

 それをもう一度――できるのか、と己に問いかけた。答えは返ってこない。当然だ。シラノは自殺志願者ではない。戦う前から決していることに首を差し出すほどの無謀も、蛮勇も存在しなかった。

 むざむざと死ぬつもりはない。

 だからこそ、


「……分かった。ただし、俺にも条件がある」

「なんだい?」

「今度はアンセラを狙うな。絶対に巻き込むな……それだけは守ってもらうぞ。構わないな?」

「は。……さっきの戦いで二度は手ぇ出してねぇだろう? そこは信用してくれよ。約束するぜ」

「……」

「……それと、シラノ・ア・ロー……アンタの心意気に感謝する。それだけは、先に言っておく」

「……」

「……感謝するなら初めからするなって? はは、ああ、悪いねお兄さん」


 コキリと首を鳴らして身体を伸ばすリアムの前で、シラノは奥歯を噛みしめる。

 このまま何の抵抗もできず、殺されてはならない。それこそが、何よりも避けるべきこと。

 勝つだけだ。勝つしかない。勝てるか勝てないかではない。勝つのだ。それしかない。それだけがシラノに許されたことだった。


「……白神一刀流に、敗北の二字はねえ」


 静かに吐息を絞り出し、己を鼓舞する。

 再びの――死地であった。



 ◇ ◆ ◇



 星屑めいて室内を照らす鉱石の山の中、七歩の向こうに二人の男が向かい合う。

 藍色の髪を後ろで三つ編みに縛り、金の瞳を輝かせるのは伊達男のリアム・ア・ボイエ。両手で左右に握るは〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉――因果と呼ばれる言葉の内の、“因”を自在に手にする魔剣である。

 特にその中でも二振りの上物。リアムが手にするのは、常にこの二刀である。

 額に脂汗を浮かせて、褐色にほど近い暗い金髪を湿らせたのはシラノ・ア・ロー。

 意気を込めて研ぎ澄まされた双眸は、さながら刃である。両手で握るは極紫色の触手野太刀。己の決意は決して揺らがぬと天に目掛けて突き立てるように、上段へと蜻蛉をとる。


「さて、これっきりだ。悪いがアンタに死んで貰うぜ。……数々の魔剣に勝ったってアンタを斬れば、(おれ)の剣名も中々のものになるだろうさ」

「……そうだな。()()()()()()()

「……ああ嫌だ。そういう目をした野郎ってのは気に喰わねえ。そんな言い方の野郎ってのは本当に気に喰わねえ。ったく、ああ、アンタは本当に野暮野暮の野暮天ヤロウだ」


 何かを振り切るように、リアムが首を振った。

 立ち合いを務めるのは炎髪のアンセラ・ガルー。十五歩以上の向こうで固唾を飲んで見守っている。

 室内であるというのに、風が吹いた気がした。

 シラノの真向かいに立つリアムは、上下にそれぞれ剣を斜めに構えていた。彼なりの必勝の型なのか、それは知るところではない。

 歯を食い縛りつつも腹の底から息を引き絞り――痛みを覚えながら、シラノは柄を握る両手の感触を微細に至るまでも認識した。

 肺は殆ど潰れている。内臓も破けている。血も巡りを滞らせて、このままでは命はそう長くない。魔剣に身一つで及ぼうとするなら捨て身にならざるを得ない。その継戦能力が大きな枷であった。

 だが――――()()()()()()()


「イィィィィィィィィイイイアァァア――――――――――ッ!」


 斬り込むは己。斬り拓くは己。他に論ずるべき物事など存在しない。知恵など捨てて、ただひたすらに一刀を放つのみ。その意気こそ剣豪と知れ。

 猫足めいた爪先立ちでリアムへと駆け込み、ただ上段から剣を振り下ろす。守っては勝てぬ。受けては勝てぬ。ただひたすらに、一身で攻撃に転ずるのみ。

 先手はシラノ。そして、後手はリアム。

 張るは透明の弦。始点はシラノの背後に転がる魔剣。安全圏からではシラノに勝てぬ。己自身を矢としてつがえ、シラノ目掛けて撃ち出すのみである。

 一直線の斬撃として駆け寄るシラノと、真っ向勝負の矢頭として跳び来るリアム。ついに、その剣先が衝突する。


「――――――ッ」


 受けた打刀ごと使い手に死を与えると称される流派の斬撃が、触手の技として顕現する。魔剣に喰らいかかった触手野太刀の、その刀身が炸裂する――幾重もの断層をその身に生じて、放つは多重斬撃“唯能(ユイノウ)(オロシ)”。

 上段で防ぐはリアムの左剣。刀身の半ばまで食い込み――しかし、それでも数瞬は押し留めた。魔剣の強度と引き寄せる弦の力が、腕ごと力で押し込まれるという未来を避け、僅かながらに押し留めた。

 数瞬。それだけでいい。シラノが刀身を切り離すが、遅い。中段に構えたリアムの右剣が、シラノの胴を貫きかかり――


「イアーッ!」


 シラノの胴から生じた触手がシラノの両手へ伸び、引き戻すは高速の型。

 僅か一瞬。紙一重の差。刀身を自切した柄だけをリアムの喉元へと突き付け、シラノは眼差しで一本を宣言した。

 ――白神一刀流・九ノ太刀“陰矛(カゲホコ)(オモテ)”。

 意識の虚を突く“(かげ)”なる“(ほこ)”。本来ならば相手の死角から放つ触手の技であるが、シラノは己の攻め手を目晦ましに正面から放つ技として改竄した。

 真ならば、胴からそのままリアムを触手で貫いたが――剣技として上回る形を取ったのは、シラノなりの情であった。


「く……」


 喉元に突き付けられた死の予兆に、リアムが口惜しげに歯を噛んだ。死霊術師の彼ならば、死の痛みも苦しみも存分に()っているであろう。

 もしもリアムが、シラノの背後の剣を射出する形を見せても――この距離ではシラノの方が早い。

 それでもまだ続けるつもりか――口を結ぼうとするリアム目掛けて、シラノは呟くように言った。


「……さっき、大した刀鍛冶じゃないって言ったよな」

「あ?」

「俺は前に一度魔剣を断ったことがある。……今のはそのときよりも強い技だ。それでもその剣は断てなかった」


 呆然とするリアムへと、もう一言。


「……()()()()なんかじゃない。その剣は、俺にお前を斬らさせなかったんだ。どこに出しても恥ずかしくない……立派な名刀だ」


 浮かんだのは、対する相手への称賛であった。

 凡庸な刀ならば、シラノの“唯能(ユイノウ)(オロシ)”にて見事真っ二つに切り裂かれていただろう。そうなればシラノは殺人者へと身を(やつ)し、リアムは冷たい屍として転がっていた。

 だが、そうはならなかった。

 それは紛れもなくその魔剣の――魔剣を作った鍛冶の、その魂の勝利であった。

 なまくらなどという言葉は断じて相応しくない。

 たとえ誰がそう呼ぼうとも、相対したシラノ・ア・ローだけはその剣を認めるほかないのだ。


「……ちくしょう」

「……」

「ちくしょう、野暮天め……。ズルいよ、アンタ。なんてズルい奴なんだよ……ちくしょう……」

「……なんか、悪いな。でも、お前には言われたくねえよ」

「うるせえよ……欠片でもなんでも持ってけよ……ちくしょう」


 その場に崩れ落ちたリアムを前に、触手を光に戻す。

 勝利であった。二度目であるが、紛れもない勝利であった。白神一刀流の、触手の技の勝利であった。

 その充足感を噛み締めたシラノは吐息を漏らし――そして、意識を手放した。




「あんたねえ……これでシラノが死んでたら、あんたのその首と胴も二度とくっつかないぐらい遠くに放り投げてやるわよ!?」

「判ってるよ。……ああ、クソ、いつもそうだ。なんだって(おれ)はこんな具合になっちまうんだ」

「あんたから仕掛けたからでしょうが! しっかり反省しなさいよ、このバカ!」


 ぎゃあ、と叫ぶ罵声が聞こえた。

 緩やかに目を開けてみると肩を担がれる形で引きずられているようで、己の両脇では赤と藍色――二色の髪の色が踊っている。

 体が酷く重い。動かすだけの気力が湧いてこず、首から下が鉛めいて垂れ下がっている。

 ボンヤリと目を向けて――己の身体を、アンセラとリアムが庇っていると知った。


「アンセラ……俺、は……?」

「気絶してたのよ! それだけの傷で戦おうとしたら当たり前でしょ! フローさんのところに連れてくまで、死ぬんじゃないわよ!?」

「ああ……判った……。先輩、今……仕事中か……」

「あんたは絶賛死にかけ中よ! 無駄に口開くな――じゃなくて、開かせた方がいいんだっけ!? ああもう、とにかく死ぬんじゃないわよ! 死んだらあんたマジで許さないからね!?」


 分かった、と頭を動かす。がくがくと頼りなく、挙動が落ち着かない。死にかけというのも、まんざら嘘ではないらしい。

 一度目の死は、何も感じる前に暗闇が訪れていた。そうなると、これが初めての瀕死だろうか。あまり実感がない。ただ、酷くぼんやりと身体が重くて、やけに眠いだけだ。

 地の底から伸びた糸で、安らかな眠りへと誘われる――どこか心地よい眠りへ。

 そんな錯覚に身を任せようとしたシラノの両頬を、何かが掴んだ。


「兄サン……アンタが死んだら華麗に扱き使ってやるからな? その辺よーく忘れないでいた方がいいと思うぜ」

「リアム……」

「やらかした(おれ)が言う事じゃねえけどよ。本当、そこのところ忘れねえでくれよ。……頼むよ」


 本気なのか冗談なのか分かりにくい。リアムは、そういう男だった。今まで随分と誤魔化しながら生きてきたのだろう。そんな癖がついている風にも思えた。

 馬鹿馬鹿しいなと笑って、もう一度目を閉じた。いや……


「イアーッ……」


 己の心臓近くの触手に召喚陣を設けた。“帯域(タイイキ)”――万が一心臓が止まったなら、召喚陣から電撃を流して無理矢理に蘇生させる。

 どれほど効果があるか分からないが、備えないよりはマシだった。死ぬつもりなど毛頭ないのだ。死を呑み込んでまで戦い、最期まで生き抜くと決めているのだから。


(先輩……セレーネ……)


 二人は今何をしているだろうか――。

 フローは職場に馴染めているだろうか。また泣き言を言ってはいないだろうか。傷ついてはいないだろうか。こんな体を晒して帰ったら、今度はどんな顔をするだろうか。

 セレーネはよく分からない。まぁ、また変なことを言ってなければいい。彼女だって、今は大切な仲間の一人なのだから。人格はともかく性格は悪くないので、できればもっと色々なことを学びたい。

 こんなことを考えていると、これがまるで最後のようだ。

 そう思いながら、シラノはもう一度目を閉じた――。



 ◇ ◆ ◇



 ついに出口の最後の分岐に差し掛かるそこで、アンセラとリアムは立ち尽くしていた。

 丁字路の右手は白く輝く世界。そこを抜ければ地上の朽ちた神殿で、あとは街へと帰るだけ。帰路はそう難しいものではない。

 そして、丁字路の左はおぞましい世界。遺跡に入り込む冒険者をまずは貪らんと、そして命からがら逃げだそうとする生還者を逃さんと、瘴気の結晶たる魔物たちが蠢いている。

 シラノの血の匂いに釣られたのか――今まさに、そこには魔物の群れが待ち構えていた。

 最悪だ、とアンセラは息を吐く。アンセラの形意魔術――人狼化と炎の毛皮は強烈であるが、武器というには足りない。強力な装甲を持つ魔物は貫き切れず、代わりに手持ちの絵札を使ったところでたかがしれている。

 そして、シラノがいる以上は目晦ましの炎の技も使えない。となれば、その生存率は恐ろしく低下する。ジリ貧(徐々に不利)の戦いしかできないであろう。

 そうアンセラが歯噛みする中、リアムがポツリと口を開いた。


「……なあ、姉さん」

「何よ……っていうか姉さん? あたしが?」

(おれ)はよお……死霊なんてのは見飽きちまってるんだよ。人が死ぬとこを見るなんて御免なんだ。いつだって馴れやしねえ」

「……」

「その兄さんのこと、頼んだぜ。どいつもこいつも、()()()()だって……生きてる間はだぁれも褒めてくれなかったモンなぁ、養父(おやじ)の剣をさ」


 悪戯っぽく笑って、シラノを預けたリアムが両手に剣を抜きはらった。

 持ち出せるのはそれだけしかなかった。あとは結晶と、初めにアンセラに襲いかかってシラノの右腕を傷つけた魔剣の一振り。一行が持ち寄れたのはそれだけだ。


「……死ぬんじゃないわよ」

「ははっ、死なねえよ。養父(おやじ)に殴り飛ばされちまう」


 リアムは笑った。そこには気負いや負い目のない……年相応よりいくらか若々しい、少年の笑みだった。

 ふう、とアンセラは息を吐いた。生きて帰るまでが冒険だ。そしてアンセラは冒険者で、シラノはその仲間だ。ならば、すべきことは一つしかない。

 それ以上は言葉を交わさず、互いに通路の右と左に飛び出した。アンセラとシラノは右。リアムは左だ。


「さあて、行くかい〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉」


 今にも口笛を吹きそうなほどの気軽さで、リアムは両手に剣を構えて歩く。

 目の前に群れを成すのは数多の魔物たち。大蛞蝓(おおなめくじ)大百足(おおむかで)大蝦蟇(おおがま)大蜂蟻(おおはちあり)――早々たる顔ぶれであったが、リアムの心はどこまでも爽やかであった。

 こんな気持ちになったのはいつ以来か。

 情けないケチな盗人として、死人の声を頼りに風のように盗みを繰り返していたあの頃か。

 いや、偏屈で頑固な養父に無理矢理拾われて、不貞腐れながらもその鍛冶の技を盗み見ていたときか。

 それとも、そんな養父の剣の磨ぎ師として仕事を手伝いながらも怒鳴られていた日々以来か。

 いずれかであるような気がしたし、どれでもないような気がした。でも、構わなかった。


「聞いたかい、養父(おやじ)殿よぉ……アンタの剣は()()()()じゃねえってさ。何本もの魔剣に勝ってる剣豪が、名刀だってよ。すげえよなあ」


 語りかけても、答えは返らない。

 そうだ。生前は口うるさい男であったが、その死後は一度とてリアムですらも声を聞いてはいない。死霊術師のリアムですらも。

 偏屈な鍛冶師であった。

 リアムのような不吉な死霊術師を拾って養子にし、人に乞われるままに魔剣を作った。ただ、数だけ多く作った。人々には、大した鍛冶師ではないと言われ続けた。

 それが――名刀だと。

 魔剣の力も持たず、ただ身一つと嫌われものの触手の力で戦うほどの男に。それほどまでに見上げた男に、名刀だと呼ばれたのだ。

 今ほど、死人の声を聞きたくなったことはない。だが養父は、死後は一度たりともリアムには語りかけなかった。


(おれ)はアンタに何にも返せちゃいないって思ってたよ。だから、言いつけぐらいしか守れることはねえって……でも、生きてるといいことってのはあるモンだな。名刀……名刀だってよ、養父おやじ殿よぉ」


 声は返らない。

 ただ、目の前で魔物だけが蠢いた。

 食おうとしているのだ。リアムを――――その向こうの、出口へと連れられるシラノを。

 だから、リアムは嗤った。


「俺様はリアム・ア・ボイエ。……悪いが同じ“卑”のアンタらに恨みはないがね、あんだけの漢を殺させるなんて野暮を見過ごすわけにはいかねえ」


 通路に仁王立ちし、眼前の魔物たちを見据えた。

 声が届くのか――いや、届いたところで意味はない。どうせやることは一つしかないのだ。

 高揚に任せて、剣の柄を握り込む。〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉――養父の生前はただ錆びにくいだけの剣であったというのに、何故死後には不可思議な力を手に入れたのか。それは分からない。

 だが、どうでもよかった。

 自分に応える自分の半身。養父が自分に残した十三の魔剣。彼の生涯を象った逸品――それだけでいい。それだけでよかった。

 それを、名刀と呼んでくれた男がいた。


「さぁ、その屍を晒して逝きな……!」


 魔剣とは、世の条理。世の理。それを剣の形で再現した世界の礎である。

 故に――――その魔剣を手にする限り。その使い手が敗れることなどないのだ。

 リアムは地を蹴った。そこに恐れは存在しなかった。


◆ダンジョンズ・アンド・テンタクルス・ウィズ・ローニン 終わり◆

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