第二十二話 ダンジョンズ・アンド・テンタクルス・ウィズ・ローニン その二
リアムが両手に構えた剣はなんの変哲もない直刃の片手剣。質実剛健、余計な装飾を伴わぬその両刃に作り手の気概が見える。
迎え撃つシラノは、僅かに反っただけの長大な野太刀。室内ならば取り回しに向かぬ武骨な長物であるが、元より倉庫の如きこの部屋は天井も高く、おいそれと刃がぶつかることはあり得ない。
その――まさに天井近く。積み上げられた鉱石の山を跳び降るリアムが、勢いを殺さず剣を投じた。
「イアーッ!」
しかしシラノに問題はない。尋常なる長物使いの剣豪であれば飛来物に難儀したかもしれぬが、シラノは触手剣豪である。
宙に生じた“甲王・劔”――極紫色の薄刃が盾となり、投じられた剣を受け反らした。
だが、なおも駆け来るリアムの健脚に乱れはなく――――これほど不確実な足場で姿勢を保つなど、その並外れた鍛錬を感じさせる。
元よりこの足場、下方を取るシラノの不利である。
加えるならその不安定な傾斜では、野太刀を用いた振り下ろしなどは活かせる筈もなし。
「イアーッ!」
故にシラノは跳んだ。八艘跳びならぬ――触手・八艘跳び。
斜めに浮かんだ壁めいた“甲王・劔”の、その八枚。踏みしめると共に足裏で触手を弾けさせ、跳躍力を上乗せすること実に八度――リアムの上方を取る。
これで、位置力はシラノが上位を決した。
駆け下りるリアムが足を止めようとも登り直そうとも、既に位置を運動量に変化させてしまったその身では――今まさに上位を狙うシラノに勝る道理はない。
尋常なる理屈であれば、取り戻せぬこの隙。取り戻すことが叶うならば、不条理を覆す魔剣のみ。
いざやその特性に見えるかと発声を加えんとし――だが、故にシラノは驚愕した。
「ははッ!」
リアムは勢いを止めず――どころか更に鉱石を足裏で押し返すと、放たれた嚆矢めいて一直線に跳び下ったのだ。
その、目指す先は勝負を見守るアンセラ。
これほどの男がまさか先にアンセラを狙うとは思わず、虚を突かれたシラノであったが――――。
「イアーッ!」
その対応力こそ触手の妙。“甲王・劔”は罅割れさせたその身から数多の槍を突き下ろし、迎撃に乗り出した。
そしてアンセラが翻した赤き長髪は、形意魔術――炎として宙を焦がす。
宙空からの触手槍と、迸る炎髪。空中と地上からの挟撃がリアムの突進を迎え撃つ。
常人ならば戦闘不能を免れぬ必至の挟み撃ち。勢いのままに山を駆け下りたリアムが、その未来を逃れられる筈がなく、
「――はッ、意気がいいねぇ!」
だが彼は、駆け抜ける姿勢のまま急停止した。
左手を胸先に突き出して、右手は剣を肩に担いだ型。そんな不可思議な態勢で地を踏みしめ、歯を食い縛るリアム・ア・ボイエ。触手槍は空を切って床を砕き、迎え撃つアンセラの炎髪も元より牽制の技。ただ、室内の空間をなぞったに過ぎない。
アンセラの魔術の焦げるような匂いを感じるその中、それは襲い掛かった。
「悪いね、兄サン」
シラノへと振り返らず、リアムから零された乾いた嘲笑。
既に仕組まれていた――起きていたそれは、今まさにシラノを窮地へと叩き込んだ。
シラノの先、肩越しに見た視界の上部――山の頂上。そこから一直線に飛来する刃・刃・刃・刃・刃・刃――剣先が唸り、残る十一の魔剣が流星めいて接近する。
まさに釣瓶打ちめいた魔剣の乱打。飛び来るそれは、死神の指先に他ならない。
「イアーッ!」
だが、シラノとてむざむざとやられるほど愚かに非ず。
返して応ずるは触手の刃――白神一刀流・零ノ太刀“唯能・襲”。
反動で右腕から血が噴出する。放たれた紫色の多段突きは、己の致命を握った切っ先を切っ先で撃墜する。
速度で勝ったのはシラノの牙。空中で火花を散らし、迫りくる魔剣を食い破る。
三段に放たれた極紫の軌跡が、死を穿つ黄銅色の航跡を破砕させた。完全に、砕き尽くした。
勝利を確信し――否、シラノが真に驚愕したのはそこからであった。
動く……いや、止まらぬ。
粉々に散らした筈の魔剣の刀身は、しかしそれでも勢いを緩めることなく――――
「ぐ、ゥ……!」
豪雨めいて降り注ぐ金属片と、飛び散る鮮血。
咄嗟に右腕の骨で正中線を庇いこそすれ、胸や腹、腕の付け根を射抜かれた。まさに魔剣。まさに必殺――――いいや、否だ。まだ終わらない。まだ攻撃は終わっていない。
そのまま直剣が目指す先はアンセラ。
曲芸めいて大きく足を前後に開いて身を屈めたリアムの背の上を飛び去り、絶死の矢は飛翔をやめない。
「ぃ、……イアーッ!」
咄嗟、叫んだ。吐血を伴った発声と共に迸る十の触手槍。
間一髪――無数の触腕と突起突き出す触手槍の林で、リアムの攻撃を阻み殺した。
今度は……止められた。触手の幹へと突き立てられた十の直剣が、イィと衝撃に哭く。
「ぐ、ゥ……」
シラノが動かねば、この一幕で二人を屠られていただろう――それこそがまさに魔剣の本領。故にこそ、魔剣は世界の礎たりえるのである。
肩に担いだそんな一振りを下ろしたリアムは、卑屈そうな笑みを零した。
「……な、判ったろう? 己は見ての通り、女も手にかける野暮な卑怯モンさ。大いに恨んでくれて構わねえよ。それぐらいしかアンタらができることはなくて、己だってそれぐらいしかしてやれねえ」
「お……まえ、は……!」
「ったく、やんなるねぇ。本当にこれぐらいしか能がねえ……この魔剣だって、ただ錆びねえだけのモンだ。砕かれるとはまるで思っちゃいなかったが……ああ、やんなるねぇ。本当こいつぁ、たまらねえよ」
心底それが嫌になる――そう言いたげにくつくつと笑い、リアムはどこか寂しげで残忍な双眸を身体ごとシラノに向け直した。
空中の“甲王”に片膝をつくシラノと、淀んだ眼を向けてくるリアム。既に彼は、薄汚れた勝利を確信している風でもあった。
なあ、とリアムが嗤う。ごぶり、とシラノの口腔を新鮮な鉄錆の匂いが満たした。
「何か、言い残すことはあるかい? せめての情けだ。アンタのことは、忘れないでいてやるよ」
「……」
「……そんな怖い顔をしてくれんな。判ってるよ、己は卑怯モンで――薄汚れた死霊術師だ。恨み言を言いたいなら、死後に憑きまとってくれていい」
「死、霊……術師……?」
「……ああ、いけねえ。どうして己はこうなのかね。……今のは関係なかったな。ま、とにかく恨み言なら聞くぜ――って話だ。今言いたくなければ、後でも構わねえよ」
どこか哀愁が覗いた金色の瞳で、リアムはシラノを見上げてきた。
気安い態度とは裏腹に荒み切りながらも、それでも大切な何かを抱えようとしている男の目――。
ぐ、と拳を作った。
リアムにも何某かの理由はある――だがそれでシラノが敗れていいという理由にはならない。奥歯を噛み締め、拳で足場を押し返しながらも両足に力を込めて立ち上がった。
「なんだい、お兄さん。……悪いがアンタはもう詰んでるんだ。その傷じゃ長くは保たねえよ。身体のどこそこ、大切な血管も切れてるだろう? 立ち上がれるわけがねえ。アンタはそのまま、あの世行きだ」
「……」
「……なぁほんと、素直に死んでくれよ。苦しめたくねえンだ。久方ぶりの客だってモンで、己はアンタと話し過ぎた」
「……俺は、まだ話し足りない」
「くどいね。己が話したくないのさ。恨み言を聞いてやるだけだよ。……悪いがそのまま死んでくれ。頼むよ」
打ちひしがれるように複雑な瞳を向けるリアムを前に――シラノは決断的に叫んだ。
「イアーッ……!」
ぞぶると、中空から触手が湧く。
常人なら目を疑うであろう。事実、アンセラは小さな悲鳴を上げた。
ぐじ、と紫色の触手を鮮血溢れる傷口へと挿入する。肉体へと挿し入れる。ぶしゃと、血が撥ねる。
噛み砕けんばかりに奥歯に力を籠め、爪が罅割れるほどに拳を握った。“無方”・“甲王”――シラノに寄生の権能はない。単に触手で傷口を塞ぎ、内から物理的に血管を堰き止めるだけだ。
人体に粘土細工を込めるが如き所業。
召喚陣を断ち、触手を半ばから切り落とした。一時的に強度を無にしたが故に、形の上では十分に馴染んでいる。収縮させれば、筋肉の代わりにも使えなくはない。
「お兄さん、アンタ……なんでそこまで……」
「死にたいと思う人間が……大人しく殺される人間が、いると思うのか……!」
戸惑いを浮かべたリアムの瞳に、血塗れのシラノはただ一直線に返した。
いつだって変わらない。魔剣との戦いは命懸けである。死ぬのは恐ろしいが、決して死に怯え震えてはならない。許されるのは、ただ死に目掛けて斬り込むのみである。
それこそが死線を分かち、生を切り拓く。
ここが死地だ――。肩息を吐いて、シラノは小さく呟いた。
こここそ死地だ――。手先を震わせ、シラノは奥歯で噛み締めた。
「魔剣、断つべし……!」
そしてシラノは触手野太刀を高く掲げた。元より不退転。初めから命は計算の内である。
半ば気圧されていたリアムが、ふと小さく笑った。そして開き直された金色の瞳からは――躊躇というものが消えていた。
「……なぁ、兄サン。こんな己にもこだわりってもんはあってね。安くねえよ。悪いが――両手のこの剣ばかりは、簡単に断てると思わせる訳にはいかないんだよ」
ぎぃ――と左手で柄を握り締めたリアムが逆さに剣を構え直す。
彼とて理解したのだ。そして覚悟した。いや、既にしていた覚悟を踏み抜ける意思を固めたというべきか。
既にリアムも、シラノも、アンセラを視界に映そうとしてはいない。その双眸で捉えるのは――向き合うのは、己と異なる道を辿る剣士だけである。
来い――と、どちらかの目が言った。
往くぞ――と、どちらかの目が応じた。
そして再び、戦いの火蓋が落とされた。即ちは、十三の魔剣と魔剣殺しの血戦である。
◇ ◆ ◇
肌を裂くような二つの剣気に硬直するアンセラの前で、ついには戦端が開かれた。
まず、動いたのはリアム。逆手に構えたその剣を、その頑健な切っ先を石畳の隙間に突き立てた。
そして、ニィと笑う。上体を倒し、腰が落とされるその瞬間に――巻き起こった十の死翔。
「えっ……!?」
リアムの背を飛び越す剣閃。光を反射する鋭い白刃。
再びだ。再びその担い手もなく、不可視の死霊の軍勢が剣を握って突撃するかの如くに一直線に飛翔する。
目指す先はシラノ。硬化させた触手の板の上で剣を構える彼目掛けて、九の魔剣と一の破片群がただ真っ直ぐに空を裂き喰らいかかった。
これは果たして、止められる攻撃なのか止められぬ攻撃なのか――アンセラの思案に答えが出る前に、シラノは冒涜的な召喚発声を上げた。
「イアーッ!」
虹色の門から宙に無数に展開する触手の大渦――そう、触手だ。ただの触手だ。硬化した盾ではなく、蛇めいてうねりを上げる触手の群れであった。
空中に咲いた極彩色の触手の大輪花。
毒々しい紫色の触腕は蠢きながらも何層にも織り重なり合い、飛来する死弾の勢いを殺し止めようと試みる――――
「……っ」
――――だが、無慈悲。だが、無情。魔剣の切っ先には、通常の触手では対抗しえない。
貫くは九つの魔剣。
魔剣とは即ちあらゆる魔術の上に立つものだ。その権能は常に最高出力であり、その発現は常に最大効力である。魔術と異なり、その業には乱れや不揃い……停滞や逡巡は存在しない。いつ何時であろうとも、その権能は十全に発揮されるのだ。
しかし、対する男には――魔剣殺しのシラノにはやはり魔剣への隙など無かった。
禍々しい魔界の花めいて展開する触腕に視界の大半を遮られつつも、アンセラはその奥に敷かれた砦を見た。
十重二十重に連なった触手の茨の海の向こう。最終層として君臨するは硬化した複合大盾――“甲王・劔”。
甲高い音が上がり、しかしまるで揺らがず。
それは堅牢な城壁の如くシラノの姿を完全に覆い隠し、そして城へと攻め入る軍勢の剣先を見事に押しとどめてのけたのだ。
そして直後、突破力を失った魔剣を触手が念入りに挟み潰す。
やはり、シラノは伊達ではなかった。伊達に魔剣との戦いを潜り抜けた触手使いではない。否――彼は触手剣豪であるのだ。
(なんでもありじゃない、あんたの触手……。でも、これなら……!)
役者なら、シラノが上か。
リアムも動きに確かな鍛錬を感じさせる男とは言え、その言動の端々からは未だにどこか煮え切らなさが見て取れる。
だが、シラノは違う。魔剣は格上。シラノは常に挑戦者。巨体へと喰らいかかる猟犬めいて彼のその身には慢心はなく、ただひたすらに牙を突き立てんと唸る静かなる獰猛さを持っている。
ともあれこれは、まだたったの一合。不利で言うなら、身体を既に貫かれたシラノである。真に実力が現れるのはここからだと口を結び――直後、アンセラは驚愕した。
「安くねえ、って……言わなかったかね、己は」
片側の口角を吊り上げたリアムの残忍な金色の瞳。
彼のその目は確信していた。即ち、彼自身の勝利を――シラノの詰みを。
突如、金属の擦れる音が聞こえた。アンセラが目をやった先には、触手槍の幹に刺さった飾り気のない魔剣が一振り。
残っていたのだ。リアムの剣は十三本。一本が彼の真横。もう一本が彼を挟んだ対角線の壁際。そしてシラノに破片に変えられた一本と、触手の茨に食い込んだ九本――ああ、一本残っている。いや、残していたのだ。リアムが。
その刀身が、カタカタと鳴る。待ち受けた戦闘に哭く。待ち望んだ殺戮に嗤う。
咄嗟にアンセラは黒雲立ち込める雷撃の絵札を構え――……そして、その手から取り零していた。
「なぁ、アンタ……動くなよ。今はあの兄サンに義理立てしてるけどなぁ、邪魔をするなら――己はどんな女でも斬るぜ。美人でもなんでも、だ。……女風情が、己たちの邪魔をするな」
「ぁ……」
「これは順番待ちの問題だ。そこんとこ忘れてくれるなよ。俺様は一向に構いやしねえけどな」
アンセラに一瞥もくれず、リアムが歯を剥いた。それだけでアンセラは己の不明を恥じた。
脳裏を走馬燈がよぎるほど、或いは膀胱が失禁を始めようとしてしまうほど、背骨の中身に氷柱を押し込まれたかの如きの寒気が彼女を襲っていた。汗だけが、無意識に噴き出てくる。
如何に狼の力を模し、如何にその身を炎に似せようとそれは魔術だ。
何が魔術士だ。何が冒険者だ。何が〈銀の竪琴級〉だ。目の前で嗤うこの男は、魔剣は、そんな域では測れない。
剣客の立ち合いに余人は不要――ではない。余人など、初めから剣客の域に立ち入れる筈がないのだ。
「……アンタがくたばる瞬間を見ずに済むのは、せめてもの僥倖かね。人の為に立ち、礼儀を弁えてる――それだけでアンタは、どんな冒険者よりも上だったよ」
そしてリアムがポツリと漏らすと同時。
何か強靭な弦につがえられていたかの如きその一振りは解放され、輝く剣矢として空を裂いた。
◇ ◆ ◇
放たれたその一振りは、ただ一本の鋭い直線として触手の花へと吸い込まれた。
最早、阻むものはいない。如何に触手が重なろうとも、如何に触腕を重ねようともその飛翔と止めることはできない。
それこそが魔剣。それこそが〈金管の豪剣群〉。それこそがリアム・ア・ボイエの振るい得る最大の暴力である。
初めにシラノが突きで迎撃したときと同じだ。強弓に番えられた矢の如く力を溜め込み続けたその一本は、射出までのその間は障害などまるで無きが如しに繰り出される。それが彼の能力であった。
そして唸りを上げた死霊の槍は、さながら破城杭めいて――茨の向こう、“甲王・劔”を完膚なきまでに貫き穿った。
音を置き去りに飛来する破壊の一閃。剣ほどの質量で為される超音速の射撃を前に、正面から無策で生き残ることなどは如何な触手剣豪でも不可能である。
そう――正面ならば、だ。
「イアーッ!」
轟くは猿叫。触手の大砦のその下で、シラノが宙を跳び走る。右腕一本。野太刀を肩担ぎに目指すはリアム。
空中に生じた触手足場を飛び石に、ただ一直線にひた走る。目指すは一点。くぐるは一線。ただ打ち込むは一閃のみ。
咲かせた触手の大輪の花はただ目隠しであり、城壁めいた“甲王”の壁もただ目隠しであった。
既に足場の強度を無にし脱出を果たしたシラノは、空中の触手を飛び地の足場に真っ向からリアムへと疾走する。
「ちィっ!」
僅かに目を見開いたリアムは、それでもすぐさまに拳を構えてシラノに応じた。
徒手空拳。地を蹴るリアムは、迫るシラノへ走りかかる。
だが、最早ここにきてリアムの目的と能力は明白だった。彼自身――そして剣と剣へ、見えない弦を張るのだ。そして矢を放つかの如くその緊張を解き放つ。それが能力。
果たして、かつてと同様にリアムの突進が止まった。何かの糸に繋ぎとめられるかの如く空中で停止し、始まるのは逃走の射出。二本の剣の間から突出したリアムのその身を、あたかも弓に番えられた矢の如く後方へと射飛ばした。
間合いを外される――
「イアーッ!」
――事を許すシラノではない。
触手野太刀を担いだのは右腕一本。既に備えていた。突き出した左手から、召喚発声と共に触手のロープがリアム目掛けて放たれる。
リアムの右腕に巻き付き押しとどめる触手の縄。そして、放つは電撃。触手を伝わる電光の瞬きが室内を眩く照らしあげる。
今度の攻撃はシラノ。攻めの手綱を握ったのはシラノ。一方的に電撃を放たれるという窮地に、しかし、
「こいつで詰みだなあ……!」
嗤ったのはリアムであった。
シラノの背後、空中の触手の茨に捉えられた魔剣の群れが動き出す。
その身を苛む電気の痛苦を味わいつつも、その程度ではリアムは止まらない。その程度で魔剣は終わらない。
それほど容易きものではないのだ。彼もまた、仕掛けていたのだ。
見るがいい――〈金管の豪剣群〉のその特性を。石畳に突き立てた剣、そして壁際に転がった剣――その二本を始点とした透明の弦。その弦につがえられた“矢”は十の魔剣と無数の破片だ。
発動と共に既に引き絞られた弦として発現するその力場は、まさしく強弓が如くつがえた剣を強烈に射出する。
その勢いを止めるものなし。その勢いを阻むものなし。たとえ“矢”の刀身を粉々に粉砕しつくそうとも、その“矢”を放ち抜けるまで――透明の弦が二つの剣の間を結ぶ一本の直線となるまで加重をやめない。
故にこの位置関係。シラノは既に死に体であった。剣と透明の弦が為す三角形の内側に入り込んだ時点で、そこから先に逃れる活路などあることもなし。
初太刀の邂逅の如くその攻勢は決して止まらない。決してだ。逃れる道など存在しない。
必殺――――であるが故の魔剣である。
「あばよ、お兄サン」
己も電撃に攻め立てられて自由を奪われつつ、それでもリアムはどこか悲しげに笑った。
既に射出を開始した〈金管の豪剣群〉。その疾駆は何者にも止められない。たとえこの世に神が居ようとも、魔剣の法理は阻めない。シラノが太刀でリアムを絶命させようとも、或いはそれより先に、その切っ先はシラノを穿つ。
まして神ならぬただの人の身で阻めるはずはなく、ここにリアムの必殺の型は完成した。
だが。
だが――――。
だがたとえ神ならぬ身だろうと、刃を振るうことは叶う。そこに神など必要ない。あるのはただの刃のみ。
シラノは虚空を睨み、決断的に半身を向けた。
詰まれたのではない。詰めているのだ。
「イアーッ!」
迫りくる十の彗星と二十の流星。闇の中で瞬き死の牙を前に、振るうは触手野太刀。放つは触手剣術。
――――白神野太刀一刀流・零ノ太刀“唯能・颪”。即ち、超高速の触手多段斬りである。
無骨な刀身に無数の亀裂を奔らせ、断面から放つは数多の触手刃。その爆発的な反動に右腕が砕き欠けるも、構わず奥歯を噛み締めてただひたすらに振り抜いた。
リアムを殺した程度で止まらぬ。リアムを殺す程度で止まらぬ。
何よりシラノが断つのは、ただ魔剣のみである――。
ぎり、と食い縛る奥歯。臨死を受けた体時間が加速する。手の内で暴れようとする斬撃の嵐の反抗を、赫き腕そのものを振動させて無理矢理に打ち消した。
そして迎え撃つは魔剣の剣先。己に降り懸かる死の尖兵を砕き散らし、金属の断片へと変えた。
だが、その星屑は止まらぬ。そうなろうとも死ぬことはない。止まることはない。既につがえられた矢とは命運であり、放たれるのは是・天命である。
無駄だ、と背後でリアムが嗤った気がした。
無駄ではない。シラノは内心で叫んだ。
飛来する触手の刃に粉々に破砕されながら、なおも突き進む魔剣の先端は想起させる。これから起こるのは初太刀で受けた致命傷の再現である、と。
「――――――ッ」
だが、同じ技を二度も受けるものがあるか。
詰まれたのではない。詰めているのだ。シラノが、リアムに詰めろをかけているのだ。白神一刀流に敗北の二字はない。
前段として宙に放たれた触手刃は魔剣を破断させ、継ぐは後段――亀裂から鮮血めいて宙に噴出する紫の液状触手である。
一つの発声で複数の技を操り為すが触手の妙。それこそが、師から受け付いた触手の技術。
紫色の血膜を突破した魔剣の破片は、それはかつての再現である。
まさしく過去のその如く、無数の刃がシラノの胴体へと突き刺さった。否。突き刺さらない。僅か一瞬であるが、それは確かに突き立ちこそすれ突き刺さってなどいない。
もう一つ、シラノには触手の召喚孔があった。即ちは胴や腹――一度目に与えられた致命傷を埋めた触手である。
触手で作った胴鎧。“甲王”の力により強度を増したそれは、人体よりも遥かに強靭だ。たとえ鮮烈なる魔剣の攻勢であっても、僅か一瞬でも耐えきることができる。
そして――一瞬あれば、十二分であった。
「イィィィィィィイ――――――」
飛び散る液化触手を貫き、破片はその身に触手を浴びた。破片を覆う液状の触手が硬化する。硬化し、そして結びつく。シラノの鎧に。シラノの肉体に。
敵の攻撃が決して止まらぬというなら。一定距離まで絶対の飛翔を行うというのなら。
ならば、シラノもその一部となれば良いだけであった。
「ィィィィィィィィィィィイアァァァアァ――――――――――――ッ!」
引き絞られた不可視の弦の、その“矢”の一部としてシラノは跳ぶ。飛び、そして猿叫を上げた。
眼前に迫るは一直線上のリアム。触手の縄で腕と腕とを繋いだリアム。驚きに金の瞳を見開いた彼の――その胴。空中で身を翻して、シラノが振りかぶりたるは右の赫腕。〈金管の豪剣群〉の勢いすらも上乗せし、その胴目掛けて高電圧で紫電を叩き込んだ。
空気が弾けるオゾン臭が、消毒的な匂いが鼻を突くが緩める理由など無し。歯を食い縛りシラノが炸裂させるは己が持つ唯一の外法であり、そして師から承った肉体の一部。
白神一刀流・外法ノ一――“白神空手・武雷掌”。
既に触手から送られるシラノの電撃に、追撃として重ねられるフローの魔力を下敷きにした雷撃の牙。
果たして――――。
「が、ハァ……!」
……最早その結果など、言うまでもあるまい。
生殺与奪の権を如実に決めるこの形。即ち、シラノの一本である。
「わりぃ、義父さん……」
そして、リアムが崩れ落ちた。シラノの――触手剣術の、勝利であった。
◆ダンジョンズ・アンド・テンタクルス・ウィズ・ローニン その三へ続く◆




