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第二十一話 ダンジョンズ・アンド・テンタクルス・ウィズ・ローニン その一


 かつて歴史に名を遺した帝国。そこに四人の天才がいた。

 そして世の礎に、七本の大いなる魔剣があった。


 あるものはその惨劇を見た。

 “この剣は手にかけた者の近くにいる者すら同じ首級として殺している”――“ならばよく似た異なる二つのものを、同一のものと看做せないか”。

 人の手では削り切れない岩を、同一と看做した粘土を削ることで神像に変えた。辺りの空気や水と透明な宝石を類似させることで、周囲の穢れを祓い去った。 

 それを共律魔術――或いは相似魔術と呼んだ。

 故に帝国は、その住処を大きく広げた。


 あるものはその刀身を見た。

 “魔力を傷跡としてこの世に残すことができる”――“ならば予め魔力を傷跡として刻み込み、それは後程に利用ができるのではないか”。

 予め魔力を通した刻印――回路を作ることで手を離れてからも実行できる。そして故意に回路の一部を欠けさせておき、のちに補えば魔力の無き者でも力を放てるのではないか。

 それを自律魔術――或いは刻印魔術と呼んだ。

 故に帝国は、その軍団を均一化し覇権を握った。


 あるものはその意匠を見た。

 “この剣は雷を模している。そして、雷の力を再現している”――“ならば真を模した虚像を、真として使うことはできないか”。

 真なるものを模した絵画、彫刻、歌、文字、或いは言葉そのもの――それは真と同じものである。それが精緻であれば精緻であるほど、情熱が込められていればいるほど、その効能というものは増加する。

 それを代律魔術――或いは形意魔術と呼んだ。

 故に帝国は、その文化を隆盛させた。


 あるものはその傷跡を見た。

 “この剣から生じた傷も同じ剣であるように振舞っている”――“ならばあるものから生じたものは、その大元と同じものなのではないか”。

 成木から手折った枝から、同じく成木を作り上げる。木切れに移した聖火を一部から、大いなる聖火を再現し燃え上がらせる。何かの一部からその大元の全体像を、魔力を用いて再現し複写する。

 それを類律魔術――或いは感応魔術と呼んだ。

 故に帝国は、その住民の腹を大いに満たした。


 それほど天才を抱え、この世に覇を為した帝国もやがて衰退し滅亡する。盛者必衰の理からは逃れられず、今やその財は遺跡として形を残すのみである。

 だが世には、魔術という超常の(すべ)が確立した。

 “貴”の気から作られし七本の魔剣を基に生み出された四つの魔術。

 そう。魔剣とは、“魔術の剣”という意味ではない。魔術こそが、“魔剣の理”を“(すべ)”として作られたのである。


 しかし世には、“貴”なる理を持つ術が溢れるばかりではない。分別されながらも、分別に逆らう“卑”の法則の魔の力もあり――それらを全て含めて“魔の法理”……“魔法”と呼んだ。




 さぁ、と通りに風が吹いた。

 朝焼けの中からオロロンゲボーロ、オロロンゲボーロとグランギョルヌールが飛んでくる。


「……ふぅ」


 鍛錬を終えて野太刀を肩に担いだシラノは、腹から深く息を吐く。

 結局、フローは案の定起きられなかった。

 何とか起こそうとしても「うぇぇぇぇ……眠いよぉ……」とか「こんなに朝早く起きたら仕事途中で眠くなっちゃうよぉ……」とか「お姉ちゃんを思うならこのまま寝かせてよぉ……ボクが仕事で失敗していいのかよぉ……」とか悲鳴を上げながら布団にしがみつくので、それを無理に引き剥がすなどという選択肢はシラノにはなかったのだ。

 故に、せめて風邪などひかぬように日頃の給金を貯めて手に入れた毛布を一枚その小さな身体にかけて、こうして今日も一人朝の修練に励むことになる。

 ひたすらに打ち込んだ触手の束を眺めて、感慨深げに吐息を漏らす。


(これで少しは、剣術としても格好がつくか……?)


 死地に赴くことの無謀さは判っている。恐怖もある。

 しかし目を瞑っていればやり過ごせるものでもなく――どうしたって今後も魔剣との戦いは控えている。

 少しでも切り抜けられる勝算を上げる為にも鍛錬は必要であった。苦手とは、到底言えまい。命懸けなのだ。


(あとは魔剣との戦いときたら……傷だよな、問題は)


 魔剣使いとの戦いでは、どうしてもその能力を突き止めねばならない関係上、敵の攻撃を打たせることが避けられない。いや、打たれてしまうことを防げないというか。

 即死さえしなければ、最終的に斬り捨てられればいい――そう思うところでもあるが、勝っても重傷で遠からずあの世に行ってしまうとなると、不確実極まりない。

 フローなら治せるが――この間のようにいつだってフローが近くにいるとは限らぬ上、何よりもあまり怪我をした様を彼女に見せたくなかった。本気で泣かれるのは、やはり非常に心に堪えるものがある。

 それにこう、痛い。すごく痛い。死にそうに痛い。

 それこそ何か、魔術の効果でもある鎧を身に纏うか。それとも何らかの道具でも用意すべきか。

 そう眉間に皺を寄せたシラノの後ろで、動く影があった。刃と共におもむろに振り返ると、建物の影から赤髪の少女が顔を出していた。


「……あのさ、ちょっといい?」


 燃えるような赤色の炎髪を風に靡かせる少女――アンセラだ。

 この街の酒場には数年務めており、それ以前からも冒険者として各地を旅していたアンセラ。セレーネと同じ〈銀の竪琴級〉の冒険者である彼女は、冒険集会所の顔役のようなものであった。

 その彼女からの指名。

 なんであるかなと、シラノは触手を光に還しながら歩み出した。



 ◇ ◆ ◇



「おつかれ……っていうかあんた、朝から元気ね」

「まぁ、戦いが早朝になることもあり得るから……そう思うとな」


 そう、いつなんどき敵と戦うことになるかは分からない。そんなときになって、『苦手でしたからできません』とか『初めてだから上手くできません』では話にならないのだ。

 そして、お世辞にもシラノは器用で万能な人間とは言えない。

 ……となれば、予め学習しておくのみである。予習だ。備えよう。常在戦場しかない。


「……うん。まぁ、こう、あんた本当にアレね……酒場でも中々いないわよ……」

「なんスか」

「いや……こう、戦いが形になったみたいな奴ね。結構なんか無愛想だし、ほんっと戦い以外では笑わなそうよね」

「いや……あんまりというか……全く楽しくねえけど、戦い」


 とてもではないが、セレーネの境地には至れない。

 どうすればあの域に達せるのか――と思案しつつ、あの域に達したら人としてだいぶ終わりだなと頷いた。

 人には向き不向きがある。する必要のない戦いは避けるに越したことはないのだ。

 だが、それでもシラノでは達しえないほどの域に足を踏み入れているというのは、同時に敬意すら抱くものであった。いずれにせよ一級の剣士である。


「それで一体……俺に何か?」

「ああ……いや、あの魔物の大量発生についてなんだけど……」


 歯切れ悪く切り出したアンセラの前で、シラノの眼差しに力が籠った。


「ちょ、に、睨まないでよ……!? 目が怖いってば! いや、あんたがかなり危なかったってのは判るけど……。いやごめん、それでも等級はそんなに上がらないんだけど……」

「それはいい。……結局、何が理由だったんスか?」

「ええと……近くの村が一つ、やっぱり駄目になってたわ。魔物は……もういなかったけど。多分どこかに逃げ出す前に、たまたま居合わせた――のか分からないけど、誰かがそれを食い止めた」


 メアリだ。シラノは一人、内心で頷いた。


「理由は……多分、村の中にあった〈浄化の塔〉が穢れたから……そうなったら、もう……」

「……」

「普通はこんなこと、起こらないんだけどさ……それこそ王宮とか領主からも人が派遣されてるし、冒険酒場からも本当に信頼できる人しか送らないから……事故にはちゃんと備えてて」


 ともすれば、村一つや街一つに関わらない。それほどの大事に至るならば、扱いというのも慎重になるだろう。

 となれば不幸な事故などということは防止されているものであり――。


「……なあ。誰か、下手人がいるんスか?」


 そんな発想に至ってしまうのも、決して突飛ではない。

 だが、シラノの問いに、アンセラは無念そうに首を振った。


「魔法の中に……邪術っていう、魔物を使役する技があるわ。だから邪術使いなら、宝石を一息に汚染できてもおかしくないけど……」

「けど?」

「邪術使いなんて早々いないし……それに当然、塔の警護はどんな小さな村でもしっかりしている筈よ? 扉だって専用の鍵で回路を補わないと発動しない刻印魔術だし、他にも色々と防衛機能がある」

「……外部から汚染するのは、不可能ってことか」

「ええ。……他にあり得るとしたら、よっぽどの魔剣使いが外部から無理矢理押し入ったのかだけど……」


 できるのか、とシラノは目線で問いかけた。

 アンセラは肩を竦めて、炎髪を揺らしながら力なく首で否定した。


「塔には二重の魔術の防衛機能があるわ。塔の中に置いた塔の模型に相似魔術を使いながら、模型に対して常に修復の魔術を使ってる。あとは塔の石材そのものに何重にも刻印が施してあって……魔力を持った傷痕がついたなら、その瞬間に修復の術が発動するようになってるわ」

「できるとしたら……瞬間的に破壊してそのまま瞬間的に侵入するって方法だけ、か」

「ええ……多分、セレーネでも難しいと思うけど……」


 歯切れが悪くアンセラは言った。

 ()()()()()()()()()――……裏を返せば、この世にできるものがまるで存在しないという意味ではない。

 魔剣次第では、可能なのだ。そんな荒業も。

 もしそんな相手と死合うとなれば、よほどの難敵――……眉間に皺を寄せるシラノの前で、アンセラは続けた。


「まあ……考えられるとしたら、内部からの手引きか……それとも鍵なんかを奪っての犯行だろうけど……」

「……」

「ごめん。……戦って貰ったあんたには悪いけど、これ以上は分からなかったわ。それこそ凄腕の死霊使いの捜査でもしないと、きっと……」

「……そうか」

「誰かがやったなら、せめてその動機が判ればいいんだけど……それも……」


 無力感に目を伏せるようなアンセラへ、シラノは「気にするな」と首を振った。

 元の世界で言うならば、大規模なテロ行為に当たるだろうか。

 彼女に何も非はない。調査というのも容易く行えるものではなく、ましてやそんなものを理解しろという方が無理強いであろう。手口の残忍さと人を選ばぬ暴虐さ以外に、常人が理解できることはないのだ。

 現れたなら斬り捨てるだけ。シラノにできることは、その為の鍛錬しかない。

 いや……、


「……なあ、この街に増えてるならず者……そっちはどうなんだ?」

「ええと……一応調査はしてるけど……」

「多分、もう少し警戒した方がいい。……今の件だって、そいつらならできるかもしれねえ」


 実質的な支配力を強めているなら、有形無形を問わない暴力によってその防衛機構を突破できる可能性はあった。歴史的にみてもそう間違いではあるまい。

 殊の外、アンセラも感じ入るところがあったのだろう。芯のある紅色の瞳で力強く頷き返していた。

 ふう、と息を漏らす。


(……)


 ……いや、それで落ち着ける筈がない。

 何者かの手によって、大勢の人生が狂わされたのだ。生き残ったあの少女も例外ではない。

 彼女はこの先、痛みを抱えて生きていくことになる。

 あった筈の平穏と、与えられる筈だった幸福を奪われて生きることになる。

 呪いを、背負わされたことになる。

 ギリ……と、自然と拳と奥歯に力が込もっていた。

 斬るしかない――そう思った。何ができるかは、判らない。いや、きっと何もない。それでもただ思うのだ。呪いは斬るしかない、と。


「ええと……その、まぁ、何か分かったら一応あんたには知らせておくわ。……なんかあんた、少し他の人とも違うって感じがするし――こういう話もできそうだから」

「どーも」

「……あーあ、暗い話ばっかりでやんなるわね。長く同じ場所にいると、この手の話まで持ち込まれて頭が痛くなるんだから……もう」


 肩が凝ったと手を伸ばしたアンセラからは、愚痴とは裏腹にどことない親愛の情が伺える。責任感が強いというのもあるだろうが――それ以上にこの街に思い入れが強いのだろう。

 彼女ほどの少女にそうされるなら、それだけ魅力的な街だということだ。……ほとんど鍛錬や依頼ばかりで、街そのものを見て回ったことはないが。

 いずれフローやセレーネと街に行ってみるかと思案した矢先、


「それで、実はさー……その、あんたに頼みたいことがあって……」

「頼み? ……ああ、分かった。それで、俺は何をしたらいいんスか? 何を斬ればいい?」

「え」

「なんスか」


 両手を合わせて祈るように拝んできたアンセラが、信じられないとばかりに目を見開いた。

 怪訝そうに眉を寄せれば……彼女がシラノに向けてきたのは呆れたような半眼である。


「いやいやいやいや、あんたさぁ……内容も聞いてないのに決めていいの? 後々とんでもない条件ふっかけられたりもするんだから、そこは聞いてからにしなさいよ!

 『頼るのは己の腕と判断』『竜の巣穴には飛び込むな』『ただし竜から背を向けるな』――それが冒険者の心得なんだってば! ……話わかった? いい? 絶対だからね?」

「うす」

「もー……あんた本当に大丈夫? この先そんなんじゃ危ないんだからね?」

「……まぁ、世話になってる分は返さねえと。俺と先輩の身元、保証してくれてるんスよね?」


 言えば、アンセラは妙にバツの悪い顔をした。与えた好意を表にされるのは、あまり好まないらしい。

 冒険者酒場そのものの信頼を損なわせぬよう、相応の審査――具体的には冒険者による推挙ないしは保証金――があった。


「まあ……ほら、誘ったのはこっちからだったんだし、そりゃ当然じゃない。……でもさ、いいの? 恩につけ込まれて法外なことをさせられるかもしれないわよ? 普通の冒険者ならそんな白紙手形は絶対出さないからね?」

「そこはアンセラを信用してる。それと……」


 拳を握り締め、シラノは決断的に頷いた。


「冒険者じゃない。俺は、触手剣豪だ」


 そう。返すべき恩や義を見失ったら、剣客としての名折れであろう。

 斬る。

 それしか、己にできることはないのだ。



 ◇ ◆ ◇



 ファンタジーと言えば、ダンジョンだ。

 シラノも、あるいはシラノでなくとも現代人ならば少なくない数がそう考えるだろう。そして実際、この世界の冒険者もやはりダンジョンに関わる仕事をしている。

 この竜の大地(ドラカガルド)において、シラノがイメージするダンジョン――というものの答えは明白であった。

 城塞都市のその大元の砦のように、かつてこの大陸を支配していた帝国――その名残りである図書館や美術館、或いは神殿、或いは地下墓地。

 それらが今や、ダンジョンになっている。つまり有り体に言うなら、ダンジョン潜りとは遺跡盗掘であった。

 考古学者や歴史学者には目を瞑っていただきたいが、かつて栄えた文明というのはかなりの技術力を誇っていたのだ。帝国に存在していた神殿――宗教組織を通じて今の王国にその技術継承がされたとしても、遺失したものも数多い。

 また、魔剣の王と呼ばれるかつて世を恐怖に陥れ村々を焼いた存在によりなおさら技術というのは失われている。

 そんな帝国の遺産を発掘すること。

 或いはダンジョンそのものに生成される資源を探すこと。

 ないしは、街や街道を襲うモンスターの巣を潰すこと。

 はたまた表の世界では十分に生きていけず、ダンジョンを(ねぐら)に使う無法者を討伐すること。

 それがダンジョン潜りということであった。


 そして、今、まさに、 


「……凶悪な魔物がいる、危険な遺跡か」

「ええ。……それと、魔剣使いが出るって話も聞くからあんたに頼んだんだけど」


 腰を落として足音を潜めながら、二人は地下通路の中を歩いていた。

 ヒカリゴケの一種なのだろうか。それとも、かつてこの建築物を建てた人間の思いやりの名残なのだろうか。

 苔むした白い石畳の通路は床と言わず壁と言わず天井と言わず仄かに発光しており、曇りの日の室内程度には明かりがある。これならば早々に不覚は取らないと頷けた。


「……そ、その、装備整えた方が良かったんじゃないの? それか、十分な人数とか……」


 躊躇いがちにアンセラが呟いたが、シラノは決断的に首を振った。


「兵は拙速を尊ぶって言うから、まぁ、多少は」

「いや、あたしもあんたも兵じゃないからね?」

「正確には巧遅よりも拙速を尊ぶだったスかね。巧くて速いならそれが一番いいって――」

「聞きなさいよ!? いや聞きなさいよ!? あんた歴史の先生なの!?」


 今にも掴みかかって来ようばかりに「フシャー」と牙を向くアンセラの心情は尤もである。

 確かに、存分な調査を行った上で十分に装備を整え、万全の体勢で望むべきであろう。特に情報の優位性と重要性は、かの“ヤカン頭”――全世界で誰もが頷く大いなる偉人ユリウス・カエサルもそう説いている。

 或いはかの宮本武蔵も“果し合いなんて焦らして焦らして相手が住居に乗り込んでくるぐらい冷静さを失ってから棒で叩け”と言っているので、察するべきだ。

 だが、


「少しでも速い方がいいんだよな、その……解呪薬の素材集めってのは。()()()の為にも」

「まぁ、そりゃそうだけど……」

「なら決まりだ。……もう一日も経ってるんだ。すぐにやるしかねえ。死んでからじゃ、遅い」


 地獄と化した村の生き残り。

 少女は瘴気への生まれ持った耐性からか、それともその時いた場所が良かったのか――悪運が巡った為に、魔物になるという未来だけは避けられた。

 だがその体内を重篤に汚染され、今もなお生死の境を彷徨っている。“卑”の気――負の気であるそれに晒されることは、病になるということを意味していた。

 通常の薬草を煎じたものや、単に栄養を取るだけでは快癒に向かわない……死の病に。


「……確認するけど、魔剣の材料にもなる“結晶”が必要なんスよね?」

「ええ。一欠片でもいいわ。その鉱物の粉でもあれば体内からの浄化ができる。“卑”の結晶である魔物とは逆で……“貴”の結晶なんだからね」

「判った。……魔物が強く湧く場所には、魔剣の材料も多く生まれる――か。溜まりやすくなってるのか、氣が」


 浄化に用いられる宝石共律の魔術も、色の異なる人間の体液や血液には及ばない。それどころか、人類が魔術を使うからだろうか――人体というのは特別な意味を持ち、遮蔽物の役割を果たしてしまう。

 初期の段階を過ぎて症状が進んでしまうと、宝石魔術ですら対処ができなくなるのだ。


「……」


 家族を失い逃げ延びたというのに、その命すらも危険に晒されている――。

 そんな無情が許されていい筈がない。そんな非道を許していい筈がない。速やかにその身を快癒させ、失ったその家族の菩提を弔わせてやるべきだった。

 眼差しを強めるシラノとは対照的に、アンセラは何故だか躊躇いがちな歩き方をしていた。

 魔物の危険があるからか。

 訝しんだ目を向けるシラノにアンセラは硬直し、


「い、いや……急ぐ理由はあたしにも判るけどさ……いや、でもね? こ、こう……男と……いや二人っきりって言うのは……その……ね?」


 気まずそうに目を逸らしてそう呟いた。

 足が止まる。シラノは知らず、吐き出すような口調で言っていた。


「……触手使いの男相手なら、そうもなるか」

「へ?」

「判ってる。男の触手使いの俺はそう思われても仕方ない……でも、先輩には絶対にそんなことは言わないでくれないスか。あの人はきっと傷付くから……頼む」


 そして、厳かに頭を下げた。

 自分一人が触手使いとして悪印象を持たれるのは、飲み込めなくはない。

 だが、仕事仲間ができたと喜ぶフローの前だけでは――近頃楽しそうにしていることが増えた彼女の前でだけは、そんな言葉は言わないで欲しかった。

 その場を茶化すように泣き言を言いながら――きっと本心では深く傷ついている。シラノが初めて出会った際の微笑の裏の荒んだ瞳のように、それは彼女の中の汚泥として降り積もるのである。


「……」


 返事がない。

 恐る恐ると伺うように顔を上げようとするシラノの後頭部に叩き付けられたのは、鉄拳であった。痛い。


「はぁぁぁぁぁ!? あんたあたしのコト馬鹿にしてるでしょ!? いいや馬鹿にしてる! 馬鹿にしてるわね! 絶対馬鹿にしてる! 馬鹿にしてるに違いないわ!」

「あ、アンセラ……!?」


 指を突きつけてきたアンセラが、今にも食いかからんほどに胸倉に掴みかかった。そのまま、ブンブンと身体を前後に振られる。頭がガクガクと揺れた。


「こちとらねえ、呪術師だの死霊魔術師だの邪術使いだのとも一緒に仕事したことあるのよ! たかが触手使いにそんなにビビるワケないでしょ!? そんなことで触手使いとか嫌うとか思ってんの!? そこらのヘボ冒険者と一緒にすんな! この“炎狼”のアンセラ様をナメんじゃないわよ!」


 鼻先に喰い付かれるほどに近く、目の前でアンセラが歯を剥き出しにする。

 力強い意思を秘めた紅の瞳が、怒りに燃えてシラノを睨みつける。どこか茫然とした気分で、意外に睫毛が長いものだな――とまじまじと見て、


「ぷぎゅ」


 手を離された。そそくさと距離を三歩ほど取られた。


「……うす。その、悪い」

「いや、その……ごめん……あたしも紛らわしかったから。それに――確かに触手使いをそう見る人って、すごく多いし……」

「いや…………でも、まぁ、その、ありがとう」


 少なくとも、アンセラのような人間がいる――――。

 それは福音であった。きっと、最初に出会ったあの魔剣使いや酒場で笑い飛ばしてきた人間ばかりではない。アンセラのように、懐の深い人間もいるのだ。

 それは希望だ。希望があるならば、迷うことなくこの道を進めるとも言えた。

 そして、通路の奥からの物音。今の喧騒が原因か――何かが這い回るような音や、引きずるような音。滴る音や擦れる音が響いてくる。

 吐息を一つ。互いに腰を落とした。


「アンセラ……何ができる?」

「あたしは魔術士だけど……」

「……なら分かった。一体たりとも近寄らせねえ」


 小さく頷き、シラノは歩を進めた。

 度重なる訓練の成果だろうか。柄ほどの触手召喚ならば、最早発声(シャウト)の必要すらなく空中から生じさせられている。

 どれほどの怪異が相手になるだろうか。

 胃がよじれるような恐ろしさを呑み下す為に、こここそ死地だと瞳を細め――


「……はぁ、じゃなくてさ」


 ため息と共に肩を並べたアンセラが、おもむろに頭から狼の毛皮を被った。

 上顎から上の頭部だけを残した狼のその毛皮は、アンセラの目が覚めるような緋色の髪と合わさって、さながら口から炎を吐き出す人型の狼にすら見える。


「あたしは前衛もできる魔術士なの。〈銀の竪琴級〉――“炎狼”のアンセラ・ガルーをナメんじゃないわよ?」

「……悪い」

「いいわよ。その代わり……戻ったら補習授業よ、歴史のセンセ? 勿論、そこはあんたの奢りでね?」


 にっ、と不敵な笑みを浮かべるアンセラの隣でシラノも笑い返し――そして、腹の底から叫んだ。


「イアーッ!」




 ◇ ◆ ◇




 消化液を放つ大蛞蝓(おおなめくじ)に、強靭な装甲を持つ大百足(おおむかで)。カタカタと動く骸骨兵士に、粘液と共に動く骨無し女。

 地面を這い寄る大蜂蟻(おおはちあり)の大群に、体表から毒を生じる大蝦蟇(がまがえる)――。

 恐ろしい戦いであった。

 特に、大化狐の三連大殺界殺法には背筋が凍った。二度と出逢いたくはないと神経に刻み込まれた。

 しかし、切り抜けられないことはないのだ。白神一刀流に敗北の二字はない。


「大変だったわね……」

「大変だったな……」


 顔を見合わせて、しみじみと頷いた。

 ここに更にセレーネ一人いれば大抵は切り抜けられたかもしれないが、彼女は生憎と別の依頼を受けていた。彼女を待つだけの時間はなかったのだ。

 そして、今や二人は目的の部屋の前である。


「にしても、あんた便利ね……」

「触手に不可能はない。……まぁ、あんまりは」

「何よそれ」


 フローならば、もっと上手く触手を使えるだろう。それこそダンジョン攻略の大いなる助けになる筈だ。

 ダンジョン――――シラノですらも、何も歩き回る必要はなかった。触手を長く伸ばして探り続ければいいだけである。

 その電撃を放ち続けることで生体を動的に暴き出し、そして振動を纏わせて壁や床を殴りつけることでその感触の違いから罠を見抜く。

 遭遇した敵には、触手の半ばを裂いて無数の触手抜刀を浴びせて殲滅するだけである。

 度重なる触手の訓練により、シラノはある程度の自律操作と遠隔操作の力を得ていた。視界外では未だに精密な動作はできぬであろうが、集中すれば触覚の辺りは奇妙なフィードバックを得られるようになった。


「先輩なら溶解液を気化させて体内から腐らせ殺すか、致死量の麻酔液を気化させて永眠に追い込むか……。

 それとも興奮剤を撒いて同士討ちに追い込むか、粘着液で窒息死させるか……あとは可燃性にイジった気体を電撃で着火させて殲滅するか……」

「何それこわい」

「触手使いに不可能はあんまりないんスよ。あんまり」


 その域にはまだまだ至れないな、とシラノは頷いた。

 なお、その顔半分を覆うのは面頬(メンポ)めいたおぞましき紫色の触手ガスマスクである。そこに繋がった管には、物理的に空気を圧縮した触手ガスボンベが存在する。閉鎖空間内での毒ガスを避ける為だ。

 果たしてダンジョンへの冒険とはこのように味気のない米軍特殊部隊による対テロ殲滅戦のようなものだったか。

 これがファンタジーや王道なのか。

 シラノは僅かに悲しくなったが、忘れることにした。今は少女の命が懸かっているのである。是非や好き嫌いの議論はその後ですれば良い。


「それじゃあ……」

「ええ、三・二・一で行きましょう」


 壁に背を預けて重厚な扉を覗き込む。

 やはりここまでも、魔法的な閉鎖処理の行われた扉が数多く存在したが――――魔剣すら両断する触手抜刀の敵ではない。

 物理的に完全に破壊した上で、二人は突破していた。

 相手の土台に付き合ってやる必要などはないし……正気が汚染されているとか邪神の加護があると称される触手使いである。仮に存在したところで、呪いや精神破壊などは全く脅威足り得なかった。


「イアーッ!」

「よし、行くわよ!」


 虚空から生じた触手抜刀が扉を破砕すると同時、アンセラが部屋へと転がり込んだ。なおその姿は赤い半人狼――鋭い牙や爪、獣耳や獣の尾を持つ半獣人である。

 次いで、触手シャッター――“甲王(コウオウ)(ツルギ)”を構えたシラノが部屋へと押し入る。

 万が一魔物が居た場合、この盾から触手抜刀を放ち殺害するのである。ここまでそうしてきた。

 そんな即席のダンジョン踏破班を前に、


「……シラノ、()()()よ。凄いわ、これだけあったら大金持ちよ」


 声を上げたアンセラに従い辺りを見回せば――――そこにあったのは、色彩鮮やかな鉱物めいた結晶の山であった。

 仄暗い室内においても、確かに発光している。

 天の星を地に落としたプラネタリウムめいて、薄暗がりの中でも無数の輝きが光る。

 これが、“貴”の氣が年月と共に硬化した結晶――――精錬の過程にて使用すれば、魔剣を作り上げると言われる超常の物質である。

 昔話の絵本でみたように、室内一杯に積み上げられた宝の山――。

 そうとしか称せぬそれに二人が息を飲む中、


「へぇ、華麗にここの部屋を見つけるたぁ……アンタらやるねえ。勇敢だね。男伊達だ……いや、女の子もいるんなら女伊達ってか? ま、なんにしても骨がある奴ってことだ。(おれ)はそういうのは嫌いじゃないよ」


 積み上げられた鉱石の上から、見下ろしてくる影が一つ。

 深い藍色の髪と金色の瞳――簡素な布の服にだけ身を包んだ男は、さながら猫科の動物めいた朗笑を浮かべて寄越した。

 歳の頃はシラノより幾らか上――二十歳前後の、見慣れぬ美丈夫であった。

 軽い口調と軽い声。街を歩けば女の輪ができてそうな、実に軽快で飾り気のない立ち振る舞いである。


「誰、あんた?」

「アンタらよりも長く深くここを知ってる奴さ。ま、そう怖い顔をしないでくれないかね。折角の美人が台無しになっちまうじゃあねぇかよう」

「び、美人……?」


 頬を染めるアンセラに構わず、青年はシラノに親しげな笑顔を寄越した。


「なあ、お兄さん。あるなら食料とか貰えないかね。……いやぁ、そろそろなくなりそうでね。貰って貯めてはいたんだが――ああ、ほら、なんつったっけ。成長期。あれって奴だよ」

「……」

「おっ、悪いねえ。干し肉かい? いやあ、悪い。アンタはかなり豪華に気前がい……――ィい!? ……なんだこれ。味がしねえな」


 触手乾燥肉(フローお手製)であった。

 手料理のお弁当として出されたときはシラノも顔を顰めたが、それでも目の前で不味そうにされると若干眉を顰めざるを得ない。

 だがそれでも、吐き出さずに食べる辺りは目の前の美青年も礼儀をわきまえているのだろう。そこは好感が持てた。


「あなたは……ひょっとして、この部屋の主ですか?」

「ん? いやいや、(おれ)は主なんてご大層なモンじゃあねえさ。言うなら居候ってところかい? ほら、軒先を借りてるだけの役立たずって奴だよ」

「でも、あなたはここに住んでる。……そこの鉱石を一つ、譲ってもらえないスか?」


 シラノが頭を下げれば、青年は面食らったように金色の瞳を大きく開いた。そして破顔一笑。人好きのするにこやかな笑みを浮かべて、実に愉快そうに笑い飛ばす。


「ははっ! いいね、お兄さん。勝手に盗ってきゃいいのに、アンタときたら礼儀も弁えてて気前もいい。悪くない男だ。女も放っておかないだろう? (おれ)が女なら、アンタみたいのはだいーぶ好みだ。抱かれたくなってたろうねぇ」

「いや……」

「でも悪いねぇ……いや本当に悪いがね、ここのモンは譲れないのさ」

「……悪い。本当に一欠片でいいんだ。譲ってくれないか? ……小さな女の子の命がかかってるんだ」


 危険なダンジョンの中、食料の融通も利かないというのに唯一人で暮らしている。

 そう考えれば、その裏に大層な事情があるというのは明白であった。そんな彼の思いを踏みにじることは、到底できそうにない。

 どうにか力を貸して貰えないか――そう琥珀色の目を向けるシラノに対し、


「くどいねえ、お兄さん。それ以上は野暮ってモンだぜ……(おれ)は譲れない、って言ったろう? どんな華麗な決め台詞を言われても無駄さ。ここのモンは渡さない――そういう決まりになってンだ」

「決まり?」

「……っと、華麗な俺様にあるまじき失言だね。ま、野暮なコトは聞いてくださんな。無理なものは無理――そういう話さ」

「どうしても……なのか?」

「どうしても、だよ。いい男かと思ったが、アンタ野暮だねえ……野暮野暮の野暮天ヤロウだ」


 失笑しながら男があくびを漏らした。

 分かりかねる男だ。気さくで人好きがする――だからこそ、ここまで頑なであるのは意外であり、頑なであるというのにまだ会話を続けているのが余計に不可思議であった。


「……頼む、一欠片でいいんだ。その子は村を魔物に襲われて、一人だけ逃げ延びて――」

()()()()()


 ゾ、と男の声に剣呑さが混じる。

 口調は先ほどと変わらない。その笑顔も、身軽そうな態度も変わらない。

 だが明らかに、全身の皮膚の下に薄い氷の膜を挿入されたかの如く――シラノの第六感は、危機を明示していた。

 目線の先、藍色の髪の美丈夫が大あくびと共に背を伸ばす。


「多分、野暮天の兄サンは野暮な野郎だが、嘘をつくほど不格好じゃないンだろう。だが――――ま、それでも駄目なモンは駄目さ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そういう決まりだ」


 頬を吊り上げた青年の顔は、底冷えがするほど獰猛な形を作っていた。

 真っ直ぐに首元を射抜いてくる金色の目――縄張りへの侵入者に対する猛獣の威嚇めいて冷酷だ。

 シラノが声を詰まらせる中、雷撃の絵札を片手に踏み出したのはアンセラだった。


「決まり? あのさ、あんたがそれを決めてるって言いたいワケ? 悪いけど、こっちも人の命が懸かってるのよ。これ以上くだらない問答をするつもりなら――」

「ああ、確かに()()()()()()()


 目を細めた男が人差し指を宙で弾く――その瞬間、


「アンセラ!」


 咄嗟にアンセラを突き飛ばしたシラノの腕を襲ったのは、白刃であった。

 地の底からモグラめいて繰り出された鋼の刃。それがシラノの右腕の半ばに貫き立ち、見事なまでに貫通してる。

 尻もちを突いたアンセラは無事だ。だが、この右腕では触手抜刀に耐えられない――そう歯を食い縛るシラノの前で、美丈夫は愉快そうに片頬を上げた。


「……勘がいいねぇ。それに女子供にも優しい。そこだけはアンタは華麗な野郎だ。見上げた男だ。……本当に大した男だ。それに免じて教えてやるが――」


 そしておもむろに青年は片足を上げ、勢いよく踏みつけると同時。

 鉱物の影から飛び出したのは、柄・柄・柄・柄・柄――……実に十三本もの剣の柄が、上向きに揃え上げられていた。

 そして男が、軽薄な笑みを浮かべて両手を広げた。いや……やはりその瞳だけは、紛れもない真剣であった。


「――悪いが、この場所を見られた以上は生きては返せねえ。徒党を組んで来られちゃ、流石の俺様も分が悪いんでね……いや、本当に悪いね。アンタはちっとばかり、殺すには惜しすぎる」


 目を細める男とシラノの辺りに満ちるは、魔剣を生み出す“貴”の結晶たる鉱石。そして男の動作と共に発動した不可思議な現象。

 考えられることはただ一つ。

 男が魔術士でないとするなら、この十三本全てが――――即ちは魔剣である。


(おれ)の名前はリアム・ア・ボイエ。……せめてこれだけが手向けだ。花束代わりに受け取りな」


 寂しげに微笑んだのち、ニィと目を細める青年はしなやかな猫科の猛獣めいていた。

 アンセラをして危険と呼ばれるほどの遺跡の中で、一人暮らし続けてきた男。そして、彼が携えるは十三もの魔剣。対する己は必殺の斬撃を封じられた身。

 知らず、シラノの頬を汗が伝っていた。

 空間に満ちる胸を詰まらせるほどの緊張の中、それでもシラノは口を開いた。


「……どうしてもなのか」

「ああ、どうしてもだ」


 お互いの眼差しが交錯する――――リアムが抱いていたのは凍るような金色の双眸の内の、焼け付くような使命感。彼の心のその奥で、何かが猛々しく唸っていた。

 最早、是非もない。これほどまでの強い意志を瞳に籠めた男が、凡百の言葉で退く筈もなし。

 そしてシラノとて、むざむざと斬られるほど()()はない。

 となれば必然、互いに柄を握り、

 

「〈金管の豪剣群(ブルトリングス)〉のリアム・ア・ボイエ」

「白神一刀流のシラノ・ア・ロー」


 発するは同時、いざや、二人の男が視線を交わす。


「――さぁ、屍を晒して逝きな!」

「――魔剣、断つべし……!」


 地を蹴るは同時。いざや、二人の男は死線へとその身を交えた。

どうしても男が書きたかった

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