第一○九話 スケアリー・ヤバイ・モンスターズ その二
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第二幕◆
◆「スケアリー・ヤバイ・モンスターズ」その二◆
たった先ほどの、光景だった。
城壁内に運ばれた二つの遺体。かけられた白布の下では、折り重なるように幼子が二人、死んでいた。
そんなものばかりだ。
戦いに栄誉を見出す者がいたとしても、その栄誉を余人に否定できないとしても、犠牲というのは必ず生じる。
そんな人々の骸が、城内には積み重なっていた。
積み重なっているのだ。どれほど誉れという言葉で彩ろうとも、死ばかりは隠せない。
それを見たときには暗澹たる気持ちになった。
だけれども、その二人の死が特に焼き付いたのは、違う。
『よく頑張ったねえ、偉かったねえ……。痛かったろう? よく頑張ったねえ……』
彼らの母と思しき女性が、二人の頭を撫でながらそう呟いていた。
見れば一人は男児で、もう一人より大きかった。
兄だったのだろう。
折り重なるように死んだ彼らは、きっと、兄が妹を庇おうとしていたのだろう。
そんな子供を亡くした母が――――。家族を亡くした母が――――。
泣き叫ぶ訳でもなく、世を恨む訳でもなく、誰かに当たり散らす訳でもなく……。
死したる我が子を褒めるなどというのは、いったい如何ほどの気持ちなのだろうか。
流す涙がその答えであろう。
だが――失ってしまった母には、喪われてしまった子供たちに、そんな言葉を投げかけることしか残されていないのだ。
あらゆるものは届かない。
何もかもが終わってしまう。
そんな場所に、彼女の子供はいってしまった。
誰かがそうした。誰かがそうさせた。
本当なら彼女のその言葉は笑顔で零されて、そして子供たちもまた笑ったであろうに――――。
『――――』
ああ――。ああ、だから――――。
許してはならぬのだ。
斬らねばならぬのだ。
悪業を、虚無を、怨嗟を、不徳を、辛苦を、破壊を、悲哀を、喪失を、悲鳴を――――。
斬らねば、ならぬのだ。
呪いを斬らねばならぬのだ。
ましてや世界を焼く炎など、止めねばならぬのだ。
この剣は、そのためにだけなくてはならぬのだ。
◇ ◆ ◇
「イアーッ!」
――――白神一刀流・零ノ太刀“唯能”。
超高音域の斬撃が剣を握るリープアルテの右腕目掛けて放たれ、しかし、一つの火花とともに静止する。
黒い――刀であった。
黒土、或いは暗黒の闇。薪を燃やし尽くした後の煤の山。
そうとしか称せない漆黒の刀身に、さながらマグマめいて目が覚めるように鮮やかな紅蓮の罅割れが浮かぶ。
暗夜に浮かぶ灼熱の蜘蛛の巣か。
不気味な圧力を持つ刀が、極紫色の触手野太刀を受け止めていた。
「流石の決断力ね。……抜き身の刀みたい」
右手で左腰の柄を握りながら、左の逆手で逆の剣を抜き応対したリープアルテ。
双剣使い――――魔剣とするなら、セレーネやエルマリカのような二組一対の刀なのか。詳細は不明ながら、圧力を感じる剣であった。
その剣を払い、アルテの目へ切っ先を向けつつ距離を取る。
「……本気なのか」
「本気と判断したから、抜いたのでしょう? それは誤りではないけれど――攻め方は誤りね」
「――――!?」
瞬間、であった。
触手野太刀から火炎が噴き出し、その勢いに弾き飛ばされる。
炎と化した刀を手放し石畳を靴裏で滑り止めながら、シラノは触手の使い手として恐るべき感覚を受け取った。
これは、致命だ。
敵の刀身に触れると同時に内部の一切合切を焼き尽くされ、そして、アルテの剣が触手刀につけた傷痕からそれら炎が噴出したのだ。
最早、論ずるまでもないだろう。
魔剣――である。
(……受ければ一撃で死ぬ魔剣、か)
視線の先、陽炎の向こうには左手の剣を構えなおしたリープアルテ。
思い出すのは〈風鬼の猟剣〉であるが――この炎の内部充填速度は風のそれを上回り、噴出速度もまた上位。その殺傷性は、〈風鬼の猟剣〉を超えている。
焼き尽くされた触手野太刀の代わりを引き抜いたシラノの前で、リープアルテは静かに満足げな笑みを作った。
「……流石ね。何故とか、やめろと言わないのは合格よ」
「やめろ。……剣から手を離して、後ろに下がれ。今なら手荒な真似はしねえ」
「言ったそばから……本当に不遜なのね、貴方。……ええ、今以上に手荒なことをするなんて……容赦がなくなるということかしら? 貴方の剣に、殺意が乗るというの?」
「もう一度言う……この場で剣を抜く意味が判らねえ訳じゃないなら、剣から手を離して静かに後ろに下がれ。次は腕の腱じゃなく、腕そのものを落とす」
そんな言葉に動じた様子もない。
双眸を尖らせたシラノの背後で、フローが緊張した声を漏らした。
「し、知り合いなのかい……シラノくん?」
「……何度か、世話になりました。できれば穏便に済ませたかった相手ではありますが……」
「あら、まだそんなつまらないことを言うのかしら? 世話? 穏便? ……そこまで見込み違いというのは、悲しくなるわ」
シラノの内心にかかわらず、リープアルテは交戦の気配と歩みを止めようとしない。
最早、是非もなし――そう考えたシラノは思わず息を飲んだ。
リープアルテの周囲に浮かんだ虹色の召喚魔方陣。シラノのものではない。
直後、そこから白煙が噴射され、
「……通じないわ。あらゆる毒も麻痺も異常も私には通じない」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
虚しくも内側から炎に塗りつぶされてしまったが、フローが止めに入ったのだ。気化させた麻酔液による鎮圧であった。
野太刀を握り、息を絞る。
無駄になってしまったとはいえ、戦場への参戦――……それは即ち標的にされる危険性を意味している。
戦いなら、斬り合いなら、シラノに任せればいい。
だがフロランスがそこに参加したというのは、ほかでもないシラノの――斬りたくはないという意思を汲もうとした結果であり、
(無駄には、できねえ。……何よりも、この街の人たちのためにも時間はかけられねえ)
故にこそ、シラノ・ア・ローは為さねばならない。応えねばなるまい。
己は触手剣豪だと、意識を切り替える。
背後の衣擦れの音。セレーネが、フローを庇うように間に入ったのだろう。
後方への意識を消し、シラノは静かに蜻蛉をとった。リープアルテは十歩の先。剣を握る腕をだらりと垂らしている。
シラノの肩が上がり、そして下がる。呼吸を整え、今一度言い放った。
「剣から手を放して、余計な動きをせずにゆっくりと後ろに下がれ。……知らねえ顔じゃねえ。それでも、見過ごせねえ。これが最後の警告だ」
「断るわ」
「……そうか。そう、スか」
ならば、いざ――――。
爪先に力を込め、シラノは地を蹴った。これまでの疲労が四肢を苛むも、すぐに脳内で氾濫するアドレナリンが塗り潰す。
顔の横に刀の柄が来る八相の構えを更に上に引き伸ばしたような、天を衝く野太刀――薬丸自顕流の蜻蛉。
そのまま石畳を駆ける。シラノの視線の先のリープアルテは動かない。
肩口。鎖骨を叩き折り戦闘不能にするか――――否、
「イアーッ!」
射程距離五メートル。その間合いは、剣士でなく触手剣豪であるからこその間合いである。
リープアルテの四肢の先に召喚陣が浮かび、そこから紫色の触手が溢れ出す。
計:四本――事前に設定した軌道目掛けて疾走る触手拘束。白神一刀流・一ノ太刀“身卜”。
振り下ろす野太刀と、縛り上げる触手の縄――いずれにせよ戦闘を不能とさせる活殺自在の法に、しかしそれでもシラノは慢心せずアルテの挙動へ注意を払い、
「――――」
故にこそ、ただ困惑するしかなかった。
緋色。赤。紅。
眼前のそこに残るは――――ただ紅蓮の火の粉のみ。
斬られたのだ。焼かれたのだ。
四本の触手――そのすべてが無力化されていた。気付いた瞬間には斬り飛ばされ、赤き火炎と化して空に散っていた。
目にも止まらぬ、目にも映らぬなどという話ならばどれだけ良かったか。触手剣豪であるからこそ、シラノに知れる絶望的な真実があった。
(同時……まったく同時!? すべてを同時に斬られた……!? まるで、時間でも止まっているみたいに――――……)
リープアルテは、不敵な笑みを崩さない。
剣をダラリと下げながら――……しかし確信できる。その間合いに踏み込んだら、死しか残されていない――死すらも焼き尽くされるだろうと。
奥歯を噛んだ。
咄嗟に召喚した触手にて己を掴み止め、牽制代わりに刃を平たく寝かした野太刀を撃発するが――――宙を翻る幾重もの赤き刃が三段突きを阻み止めた。
燃やし尽くされた“身卜”の触手の残り火。
それが、刃めいた形を取りつつリープアルテの周囲を旋回しているのだ。更に、たった今触れた三段突きの刃までもが炎に呑み込まれた。
そして――
「――――ッ」
その炎刃が石畳に突き立てられると同時、噴火めいて無数に噴き出した豪炎の切っ先。
地から天へ――足元からシラノへと襲いかかる。
瞬時に生み出した鋼板と触手の退避縄。
辛くも上空へと逃れたシラノとフローたちの眼下には、煌々と灯る魔剣の刃が数多に生じ並んでいた。
さながら、灼熱地獄か。
その中心で黒髪を靡かせ火の粉に彩られるリープアルテは、破滅を齎す炎鬼というべきか。
(炎が……刃に……。刃で触れただけで炎を満たして、その炎に触れたものにも炎が移る……攻防一体の、防御不能の魔剣……!)
あらゆる攻撃を焼き落とし、あらゆる防御を焼き尽くす。
そして原理が不明な時の流れを超越した行動――――ひと角の魔剣、などとは到底呼べぬ大業物であった。
「怖気づかせてしまったかしら?」
「……」
「これから斬る相手とは、無駄な会話をする趣味はない? それとも――これから貴方を殺す相手とはかしら? なんしても、どちらにしても、ただ残念……としか言えないわね」
「どうやってお前を斬るか、考えているだけだ」
「あら素敵。――ええ、本当に。そういうところ、すごく好きよ」
まるで映画のコマが落ちたかの如く、動作を時空跳躍させてリープアルテが剣を構え直した。
地面に並行に伸ばした刀身の、その刃だけを天空目掛けて立てて――あたかも天蓋を逆さに斬り上げて両断せんとする構えである。
もし、彼女が生み出した炎の刃がその魔剣に確実に呼応するというのなら……。
そして、彼女が何らかの勝利の確信を持ちその構えをとったというなら……。
「前にも言った通り、こんなものはただの手段よ。得られるものがない剣なんて意味もなければ、そんな剣に打ち込むことほど無意味なものはないわ……ええ、だから――」
「……ッ」
「せめて貴方という男をここで殺して、私には少しでも何か得るわ。――私がそんな女だと、私自身に確信させるために」
勿体ぶった末期の会話は強者の余裕か。
だが――事実としてシラノに打てる手はないのだ。その速度の前には回避もできず、その攻撃に対しては防御もできぬ。そして牽制も迎撃も通じない。
振り上げられれば、敗れるしかなく――
(いいや、白神一刀流に――――“敗北”の二字はねえ……!)
咄嗟、周囲の空間を埋め尽くしたるは無数の召喚陣。無数の触手合一野太刀の切っ先。
街中、人界での使用限度を超えた合一本数である。
放たれれば、刃そのもののみならず――不定形の空気ですらも殺傷能力を持ち合わせる。
たとえシラノが焼き尽くされるその一瞬だろうと、条件罠の召喚陣にて触手刀は自動的に射出され、合一野太刀は爆発的な運動力を解放する。爆風が竜の息吹めいて吹き荒れる仕掛けである。
(今のところ、触れた空気に炎を込めてはいない……。なら――)
敗北を否定することと、勝利を得ることは別の次元の話だ。
そしてシラノが誓ったのは、不敗。それより何より――優先すべきは人々の命のみ。
フローとセレーネの周囲には、防壁のための召喚陣を用意した。
既に不退転。覚悟など、とうに完了させた。
殺されとて敗れぬ。死ぬとて守り抜く――そんな意思を込めてリープアルテを睨みつけ、
「し、死霊が! 死霊が出たぞッ! 畜生、奴ら死霊使いまで連れてやがる! ああ! ああ! なんてことだ! 犠牲者たちの死霊だ! 操られてやがる!」
「誰か早く魔術士を連れてこい! 魔導兵器は何をしてるんだ! 早く撃ちやがれ! いくら〈死霊還しの日〉でも、この時間ならまだ大した力はねえ! 今のうちに蜂の巣にしてやれ!」
「やめて! あれは私の坊やなのよ! 私の坊やなの! ひと目見させて! 声を、声を聞かせて! せめて別れを! 別れをさせて!」
そんな大通りからの悲鳴と絶叫が入り交じる怒号が、シラノとリープアルテの剣気に介入した。
黒天宮衆による攻勢。淫魔による攻城作戦。
先程の襲撃の犠牲者を“再利用”する醜悪な方法。
淫魔らしい悪趣味な尊厳の破戒を前に、胃の裏側から猛烈な怒りがこみ上げる。だが睨み合うシラノは動けず――……。
「……興が削がれたわね。いいわ、見逃してあげる」
しかし意外なことに、リープアルテが剣を引いた。周囲の炎すらも消滅する。
真実彼女には先ほどまでのような殺気がない。剣呑としながら、殺意までは感じない。
燃え上がった炎が一瞬で鎮火されたような、不気味なほどの不安定な情緒であった。
シラノは、迷った。
不発弾のような毒めいた女なのだ。真意の読めなさでは、これまでの誰にも負けることはない。
斬りたくはないが、ここで斬ることが最も安全なのかもしれない。
だからこそ、
「リープアルテさん……だったよね?」
「先輩!?」
フロランスがシラノの鋼板を飛び降り、去ろうとするリープアルテに声をかけたときには背筋を滝のような困惑の冷や汗が伝った。
「どうしたの? 貴女は、触手使いとしての彼の先達かしら? ……恨み言の一つでも、言いたいの?」
「えっと、その、あの……ボクの勘違いだったらゴメンね……でも、あの……」
「言いたいことがあるなら、はっきり言って頂戴。今の私、気分が悪いのよ」
アルテの気配に剣呑さが増した。
間に合うか――既にフローはアルテの剣の間合い。時を飛ばすように生まれる斬撃を前に、間に合うのか。
セレーネも、刃をリープアルテに向けた。雷をも凌駕するというその剣速が、間に合うのか。
いいや、いいや。間に合わずとも斬る。とにかく斬る。フロランスに刃を向けたならば、たとえ刺し違えたとしてもその首と胴を分かち斬る。殺す。なんとしても殺す。
その意気で鋼板を蹴りつけ、全ての触手容量を合一させた野太刀を放ち打たんとし――
「あのね? 前に会ったときから、少し……思ってたんだけどね……」
リープアルテの紅の瞳を、フロランスの紫の瞳が静かに見据える。
「どうして――キミは、そんなに苦しそうなの?」
その言葉に、時が止まった。
そんな気がした。
◇ ◆ ◇
蝋燭の炎めいて、魔導炎の彩る地下室には光も刺さない。
ただ絵画の中の炎が、煙もなく、橙色にあたりを照らしては影を踊らせているだけだ。
そんな中、魔剣の王の手記を解読する三人――古代文字を読み解く漆黒の書生のようなユーゴは、衝撃的な記述にも穏やかな笑みで返した。
「妖刀? ははあ、“卑”の気が剣に……なるほどなるほど、確かに“貴”なる気が集いて魔剣を成すならば、“卑”の気もまた剣になるのも道理でありますなあ」
「道理でありますなあ……じゃなくて、結構衝撃的なことが書かれてなかったかい!? “妖刀”!? 僕は聞いたこともないぞ!?」
「そりゃあ、表沙汰になるものでもねーだろうからこうして保管してるんでありましょう。世に百八しかない魔剣を求めるよりも、ある意味手っ取り早く作れるもんですからなあ」
「手っ取り早くって……」
その製法によるならば、少なくとも十一万以上の死を積み重ねなければ妖刀は生まれないのだ。
それを手軽と見るか、困難と見るかで大きく考え方に違いがあるものだが……
「……わたしの魔剣なら、蝋燭を吹き消すよりもなんでもないことで……お兄様もきっと……。ですから……」
「んー、まあ、いわゆる“上位の魔剣”ならそう難しくはねーことでありますな。それで……異なる力を持つ二本の剣を使えるようになるとすると、いくら大したことはない刀と言っても厄介であります」
「……ゴメンちょっとキミたち僕の理解を超えてる」
金髪を握り潰してボンドーは頭痛を堪えた。
人一人、人生がある。それが百並べれば、百の人生がある。
そんな集団を更に百も集めるという気が遠くなる膨大なところから、その出揃った大集団をまたしても十倍に重ねる。
それほどまでに果てもない命の数を蝋燭めいて簡単に消し飛ばしてしまえるのが魔剣――――上位の魔剣なのだ。
そんな火薬庫の上に、この世は成り立っている。奇跡的に今の今まで、滅ぶことなく。
広大な海原の下の底がどこまでも遠いような、見上げた空に果てはなく永劫と広がっているような――そんな薄ら寒さすらボンドーは感じていた。
「……と、ところでさ。その、キミ、妖刀が“大したことない”って……その、まさか実際に見たことでもあるのかい?」
「ははは、まさか。同じ“卑”の呪術や死霊術と同じでありますよ。できることが多岐に渡る分、単純な出力では“貴”たる魔術に及ばない。……魔剣と妖刀も同じ関係でありましょう」
「そうか、でも……本当にそれだけかい? こうして悲願って言うなんて、よっぽどじゃないのかな?」
ともすると数多の死で作った妖刀は、魔剣を超えるのではないか。
それに先程の手記の記述――“対となる剣”。そして“悲願”。
アルケルの先祖である魔剣の王は、世に語られる“虐殺者”は、一体何を願い何を望み妖刀を手にしてまでそんな凶行に及んだのか。
単なる武力の一つ、利点の一つだけとは思えない。何かもっと恐ろしき力を秘めているのだと思えてならない。
それこそが肝要だと、ユーゴに続きを促そうとし――
「道理、だな」
冷えた男の、声。
擦り切れた鉄のような、冷たい墓地を通る風の音のような、宵闇の石畳を叩く足音のような、声。
「確かに、つまらぬ剣だろう。“卑”に属する剣とは、どうしても、魔剣と比べると見劣りする」
いつからか、そこにいた。
腕を組んで壁に寄りかかる頬のこけた男。狂気と正気の果てに擦り切れたかの如き体温を感じさせない瞳。
黒服の裾を翻したユーゴが、剣を抜いてアルケルを庇う。
だが、この場で最速であるはずのエルマリカは動かなかった。否、彼女の持つ超知覚的な世界触覚故にエルマリカは動けなかった。
男は、そこにいないのだ。
そこに居ながらにして居ないのだと――その触覚が告げる困惑に、エルマリカは初撃の機会を損じた。
「惜しいな。……アレらと合流していたら、まとめて斬り捨てようかと思ったが。どうやら件の剣豪とやら、悪運だけは、強いらしい」
そして、
「百神二刀流」
一歩、男が踏み出し、
「弐ノ位――――“伝魔風”」
世界が、闇に包まれた。
◇ ◆ ◇
既に戦端は開かれた。
壁内を目指そうとする死霊たちと、その影を打ち払う石壁の竜。更に鷲型の自動飛翔体が上空から油壺の爆撃を加える。
魔導兵器の駆動音が木霊する通りの裏で、その一画は停止していた。
フロランスを庇いに入ったシラノと、そんなシラノより踏み込んでリープアルテを見るフローと、刀をだらりと下げたリープアルテ。
睨み合いとも呼べぬ奇妙なその中で、静かに明確なる殺気を放っているのはセレーネだけであった。
それ以外の二者は――この場の中心となった二者は、その双眸を向け合うのみ。
「あの、どこか悪いのかな……? あっ……も、もし嫌じゃないなら……触手で治すこともできるんだけど……」
「……」
「えと、リープアルテさん……?」
アルテを伺うフローの心中は、シラノには判らない。
同時にアルテの心中もまた、判らない。
図りあぐねていた。淫魔が再度攻勢をかけてきているというのも、ある。
話しかけているのがフロランスでなければ、或いはリープアルテのような危険な武力を持った存在でなければ、この場を離れて城壁に向かっていたかもしれない。
「……あの、前にも会ったときに……さっきみたいに剣を引いてくれたよね?」
「……」
「もしかしたら、なんだけど……本当はあまり戦いたくないんじゃないかな、と思って」
フロランスのそんな言葉に――――
「私を、覗き込んだわね」
――――叩きつけられたのは、高温の炎めいて純粋な殺気だった。
逆立つ毛に合わせて抜刀した。セレーネも、斬撃を放った。
だが、訪れた致死的な衝撃はそれよりも早かった。
空間そのものが震える激震。
比喩表現などではなく、その衝撃に空間が揺れていた。撹拌され、炸裂され、シラノの身体は霧揉みに飛ばされる。石畳が剥がれ飛び、建物が崩れ飛び、形あるものがそれを失う。
強烈な大気圧に内臓を直接殴られたような感触。
かつてのエルマリカが起こした剣圧と同じだけのそれが、爆裂として襲いかかった。
(先、輩……!)
打ち据えられた身をかろうじて起こすも、口鼻から入る強烈な空気圧に肺が破裂したのか声は出なかった。
しかしながら瓦礫と化した一角の中には無傷の極紫色の直方体が存在し……どうやら先ほどの己の自爆攻撃への備えが防御装置として無事に発生したらしい。衝撃波の低減のための高周波振動も動作していた。
改めて、惨劇を見た。
異様な光景。リープアルテの背後以降には石畳も残り、建物にも亀裂は入りつつも形は残り、逆にそれよりこちらは土面も露わにされて生々しい破壊痕が刻まれている。
さながら巨獣が進撃途中に消失したような――……いや、事実としてそれは巨獣の進撃であり、消失したのだろう。
「水を差されるのが多い日ね。……もう一度、来るわよ」
剣を片手に、リープアルテが空を指差す。
黒き空。
空の青さよりも深く遠き色彩を持つ水深一万メートルの深海の、そのさらに途方もなく底もない亀裂めいた海溝が孕んでいるような暗黒が、城壁の向こうから大地にのしかかるように覆い被さっていた。
……そう、夜だ。空が夜空になっている。
「……!?」
突如として世界が塗り替わったとしか言えぬ、恐るべき事実である。
だが、そんな内なる驚愕の声もまた、塗り潰された。
リープアルテが指し示し続けるその先。暗闇の中で瞬く紫電。
(アレ、は――……)
火花が散るように雷光が迸り、暗黒の宇宙の中で今まさに生命が生まれるかの如く空の一角で電気が胎動を見せる。
その主。降り注ぐ落雷を受け取る竜王。
山をも超える巨体。川をも呑み込む巨体。
山脈が大地から切り離されて空に浮いていると錯覚するほどの、距離感を狂わせる翼を持つ大蜥蜴――――千年古竜が滞空していた。
岩肌めいた竜鱗は雷撃を胎内へと充填し、明星めいた蜥蜴の双眸は煌々と灯る。
その翼下では、翼が生み出す下降気流によって木々が吹き飛び丘が削られていた。
そこにいるだけで破壊が生み出される――暴虐の化身。
巨大爬虫類が消化を助けるためにその内臓に胃石を蓄えることは周知の事実であろうが、恐るべき古竜はそれを兵器へと転用する。
城門を閉ざされたなら破城槌を。
敵軍が集まったなら投石器を。
そんな人類が磨いてきた戦の手順など、彼ら大いなるものは当たり前に知っている。
――電磁投射砲。
口腔から闇夜に咲くプラズマ炎。直径数メートルに至る岩石――実に四十トンを超える弾体が、極超音速で発射された。
◇ ◆ ◇
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第二幕◆
◆「スケアリー・ヤバイ・モンスターズ」その三へ続く◆




