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第一○八話 スケアリー・ヤバイ・モンスターズ その一

◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第二幕◆

◆「スケアリー・ヤバイ・モンスターズ」その一◆


 圧迫的に城壁の内を覆い尽くす怒号や悲鳴。

 包帯を巻かれた老婆は、石壁に背を預けて項垂れている。

 担架で何処かへと運ばれていく血塗れの母を見守る童女と、布を被せられた父の亡骸の前で立ち尽くす少年。

 回路めいた蒼き紋様の鎧を纏った兵士たちが指示を飛ばしながら走り回り、冒険者は土嚢に座り込んで手にした装備を整える。

 そんな人々のざわめきを背に受けながら、全身の痛みへ歯を食い縛り――シラノは城壁の最上段を目指して螺旋階段を駆け上がる。

 一段、二段、三段――――五段飛ばしで石段を蹴り、壁に肩を擦りながら飛ぶ。

 そして両脇を囲っていた石壁の内装を抜け、午後の空が開けた壁上へと登り馳せたとき、


「うぇぇぇぇぇ……高いよぉぉぉぉ……怖いよぉぉぉぉ……。腰が、腰が抜けちゃったよぉぉぉぉ……おんぶしてぇぇぇ……おんぶしてよぉぉぉぉ……おんぶぅぅぅ……」


 目の前に広がるのは、涙を流しながらセレーネの腰に縋り付くフローのクッソ情けない醜態だった。

 なにこれ。



 ◇ ◆ ◇



 城壁上では猛々しいレンガ製自動人形(ゴーレム)巨大弾弓(ギガスリング)を片手に街外を睨み、自律稼働する有翼石像(ガーゴイル)の備えられた滑車が次々に大きな油壺を引き上げている。

 油壺を抱えた金属製の鷲型自律爆撃飛翔体(ボムドローン)は両翼を広げて旋回し、その編隊は攻撃指令を待ちわびていた。

 大通りには装甲車めいた石像の竜。大鎌を光らせ壁面を這い回る真鍮製の百足。

 これが竜の大地(ドラカガルド)の最新の戦闘風景なのか――……。

 一言で言えば、手慣れていた。

 かつての人生の中で、画面の向こうであった戦地の映像。

 或いは近未来SF映画のそれをすべて魔術の世界で再現したと言える風景。

 攻め込むには、並の魔剣では苦労するであろう。

 そんな様を眺めつつも、

 

「……高いところに登る必要はなかったのでは?」


 フローを背負って長い長い螺旋階段を下ったシラノは小さく漏らした。

 住宅のレンガ壁にへたり込んでいるコートに包まれた小柄がビクリと震える。

 街に漂う臨戦の気配に萎縮してフードを目深に被ったフロランスには、先ほどのような勇姿はまるで見られなかった。


「うぇぇぇ……だって、そうした方がいいかなぁって……周りがよく見えるかなあって思って……って……だって見えなきゃ違う人巻き込んじゃったりするだろぉ……しちゃうじゃないかよぉ……そんなの駄目じゃないかよぉ……」

「……先輩、触手に目玉をつけられるのでは?」

「うぇぇっ……!? うぇぇぇぇぇ……先言ってよぉぉぉ……先に一言教えてよぉぉ……なんでそんな冷たいことするんだよぉぉぉ……言えよぉぉぉ……師匠見捨てるなよぉぉ……お姉ちゃん嫌いなのかよぉぉ……」

「……いやそもそも顔合わせてねースから。咄嗟に思いつかなかったのはわかりますが」


 ボリ、と頭を掻く。

 戦闘の緊張と興奮で頭が白くなる覚えはシラノにもあった。

 それでも“何かしよう”という思いで頭をいっぱいにさせながらも飛び出したが故なのだろう。フローらしいといえばフローらしい。


「うぇぇぇぇ……うぇぇぇぇぇ……」


 穴があったら入りたいと言わんばかりにフードの裾を限界まで引っ張って、体育座りで震えながら珍妙な呻き声を漏らすフロー。

 改めて眺めつつ、シラノは内心で胸を撫で下ろした。


(……先輩は、少し休めば何とかなりそうだ。俺は……反動移動が――“唯能(ユイノウ)(ウツホ)”が使えて残り“一度”。……どれだけ他を治して貰っても、強化されてねえ心臓の方が耐えられねえ)


 口腔を込み上げてくる鉄錆の臭いを堪え、吐息を整えようとするが……それでも上がった息が戻らず、戻りがてら治療を受けたはずの全身の熱も引かず、何よりも動転したように心拍数が高まったまま平常に戻らない。

 異常な加速度による負荷は、直接的な圧力の加わる五体のみならず心肺にも強く及ぶ。

 傷が回復すれば残弾数も回復するなどと、都合のいい話はないらしい。

 だが、それでも――……今のシラノに気を抜くという選択肢はなかった。

 何よりも目の前に、その原因の一つはいる。


「いやはや、大したもんだねえ……。はは、さて、お嬢さん……これで契約は完了ってことでいいのかい?」

「う、うん……その……ありがとう、ございます……?」

「構わねえさ、礼を言われるようなことはしちゃあいねえからなあ……おれの方も確かめることができたし、何よりも気持ちよく仕事ができたからな」


 大義名分を得た人斬り、リウドウフ・ア・ナーデ。

 フローから報酬の入った革袋を受け取るそのときも、ニヤついた野犬の瞳はシラノを照準していた。

 その気になればこの場でフロランスを斬ることもできると――そう言いたげに。


「はは、なあ狼のお兄さん……そう怖い顔をしないでくれないか。おれが意味もなく暴力を振るうように見えるかい? そうだとしたら、いくらお兄さんでも侮辱ってもんだぜ? 悲しいよなぁ……」

「……」

「暴力はよくないって、さっきお兄さんも目の当たりにしただろう? あの手の連中と他ならぬアンタに一緒にされちまうなんて――……ああ、そいつはちょっとばかり傷付くねえ」

「……先輩に免じてここじゃあ斬らねえ。首と胴が繋がってるうちに早く消えろ」

「ははっ、おれはいつでもいいぜ? 誘い方が上手いねえ……そう怖いことを言われたら、おれだって剣を抜かずには済ませられないからなあ」

「……」


 いつでも抜き放てるように野太刀を握ったシラノに背を晒し、リウドウフは後ろ手を振って消えていく。

 この一戦のみ、そんな契約だったのだろう。

 不安そうに彼我をフローが見詰める中、シラノはしばし柄を握り続けた。



 状況を整理すると、こうなる。

 この魔術都市の防衛機能――その中でも哨戒役や警戒役とも言える城壁内部の〈石造りの竜〉や〈遠き物見の塔〉などは、特に異常を感知し得なかった。

 ()()()()()()()()――おそらくはあの四振りの魔剣の中の一つ――を通じて、敵は大軍を完全に隠蔽。

 そのまま時を見計らい、歌劇団の鑑賞のために近隣から集まった人々へと背後から襲いかかった。

 殺到する避難民のために城内からの殲滅兵器の使用が許可されず、また、外殻以遠の陣地防衛罠の作動も不能。

 そこで、シラノが退避までの時間稼ぎとして遅滞戦を命ぜられた――と。


「うす。では、そのようにお願いします。……遺体と敵の収容についての判断は任せます」

「は、はい……依頼、お疲れ様さまでした……報告に向かいます」


 鎧姿の伝令は、壁外の獣人軍が全て沈黙しているという情報を受け止めきれず、次なる指示も残さずにまた司令部へと駆け戻っていった。

 シラノの直接の依頼人となった冒険者協会と都市の首脳部は、フローによる突如とした敵の無力化に考えあぐねているらしい。

 ひとまず、一時的な小康状態――……。

 ただし魔剣の王の遺産の解読に残ったエルマリカから報告はなく、またメアリは所要に朝からより一党を抜けている状態だ。


(……腑に落ちねえ)


 腕を組んだシラノは、内心で静かに漏らした。


「先輩とセレーネの読みなら、〈赫血の妖剣(スクレップ)〉を呼び出すのが――敵の目的なんスよね?」

「う、うん……シラノくんが言ってた……その、人間の人為的交配? っていうのからもそうかなって思ったんだけど……」

「うす。ただ……」


 天地創世の魔剣、この世の絶対なる七振り、超攻撃的魔剣――前の騒動がエルマリカ狙いであった以上、淫魔がまた同様の目的で仕掛けるというのも理解できる。

 しかしいくつか、シラノには合点がいかないところがあった。


「まず……そう都合よく、アルモリアさんをここに呼び出せるんスか?」

「聞くところによれば、付近の宿屋の名簿から()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか……以前の幽霊騒ぎでシラノ様と邂逅した後、彼女もこの辺りまで来たのかと」

「うす。……ただアルモリアさんがこの近くいるにしても、あの人が何か目的があって旅をしてるならそっちを優先するんじゃ?」

「いえ、因縁ある“魔剣の王”の従者たちという釣り餌もあり……また如何なる目的の旅の最中であろうと――“世に過ぎたる魔剣を討つ”というガルボルクの大義を損なうことはないでしょう」


 シラノが触手剣豪であるように――彼女たちは剣の一族、ということらしい。

 純然たるこの世界の住人であるセレーネにそう言われて、否定できるところはない。

 現地住民の言葉に従うのが良いとは、洋の東西で変わらぬ理念であろう。

 ただし…


「……だったらなおさら、碌に魔術も使えない獣人の大群で攻城戦を仕掛けるなんて正気とは思えねえ。そもそも、これで被害を出しても……()()()()()()()()にはならねえんじゃねーっスか?」


 一番の疑問は、そこに尽きた。


「ええ、確かに……お伺いした四振りの魔剣の権能では大軍の援護も不要でしょう。それだけなら不可解です。ですが……こう考えれば此度の行動も合点が行くものでは? 大軍に脅かされれば人はこのように籠城を選びます。そこを一網打尽にする――――こうして閉じ込めることそのものが目的なのかもしれません」

「……なるほど。ただ……それでも、こう頭数を集めたら魔剣による虐殺か大軍による殺戮なのか、判別がつかねえんじゃ……」

「ええ、ですが“黒死風”には……原因不明の大量死や偶発的な事故に対して名付けられる“噂”という側面もあります。……例えば魔剣使いによらずとも虐殺を起こし、あとから魔剣を用いたと吹聴しガルボルクを釣り出すことも不可能ではありませんかと」


 話の筋は通る。

 その前提に従うならば――と、シラノはセレーネに目線をやった。


「そう偽装したいなら、仕掛けた奴にとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そこに間違いはないっスか?」

「ええ。魔剣による虐殺を直接見られる場所に……この街中に彼女がいてしまえばすべては破綻します。おそらくは彼女を釣り出せる範囲と、直接この殺戮を見とがめられない距離を鑑みてわざわざ本日を襲撃の日取りにしたのでしょう。逆に言えば……」

「うす。そこが変わってくるなら、敵の目的が……こっちの立てた前提そのものがまた変わってくる、か。近隣でアルモリアさんの目撃情報があるか確かめられればよかったんだけどな……」

「そればかりは仕方ありませんわ。ひとまず我らがまず行うべきは、街のものに言いつけて〈遠見の水晶玉〉で可能な限りの範囲で周囲の観測を行うことと……もし前提が異なるとなった際、他に今日仕掛けるに足る時間的な理由を探すこと、でしょうか」


 頷きあうシラノたちを前に、フローが首を捻った。

 彼女だけは、話についてこれていなかったらしい。


「うん? 近くを探ってみるとか……今日である理由とか……どういうことだい?」

「うす。淫魔みたいに集団を確実に制御できるなら、この時期に仕掛けたことにも意味や必然性があるのかと思いまして……」

「無論、単に手筈が整い次第に仕掛けたという可能性もありますわ。ただ、こと剣の一族を釣り出すとなればある程度の計画性と慎重さが必要……もし逆に計画性がなかったならば、それは剣の一族を釣る以外の目的があったということになります」

「ええと……シラノくんたちは、相手に別の目的があるかもしれないって言いたいわけかい?」

「うす。……もしアルモリアさんが虐殺が魔剣によるものじゃないってわかるほど近くに来ているならそうなる、って感じっすけど」

「流石にこれまでの周到さから考えても、今日仕掛けたことに意味があると思いたいですわ」


 無論のことながら、襲撃時期をいつに設定するか――というものは本来であれば仕掛ける側だけでなく、仕掛けられる側の事情を加味したものである場合も多い。

 例えば暗殺のようにターゲットが特定の日にちにのみ到来するとか、或いは何かの納品日や警備体制が緩くなる日だとか……そういう都合がいい日に合わせたという事例も多いだろう。

 ただ、こと人間社会を完全に下における淫魔が仕掛けられる側の防衛体制を気にする必要は薄い。そう考えてさほどでも問題はあるまい。


「うーん、そっか……今日……今日っかぁ……うーん……歌劇団が来るからとか?」


 フローが呟いた言葉に、シラノは頷いた。

 人が集まる場所と時期を狙う。それはこの手の、薄汚いテロリズムに関しての定石と言える。確かにただ殺すならば最も効率のよいタイミングだろう。

 いや――……


「歌劇団……スか? 確かになんか張り出しとかありましたけど……そもそも今日ってなんかの祭りなんスか? 祭りなら半月ぐらい前にやってませんでしたか? 幽霊騒ぎのときに」

「あ、そっか。シラノくんは知らないんだっけ」


 ポン、とフローが手を打った。

 特に主張もしていないし忘れられているかもしれないが、シラノは転生者(てんしょうしゃ)だ。元は平和な現代日本の、ごくありふれた家庭に育った一般的な高校生であり異世界の風習には詳しくない。


「――〈死霊還しの日(ネーメイア)〉?」

「前に〈墓守と冥府の女神(クリュメニア)〉様と〈彩りと安穏の神(ウァルスルース)〉様のお祭りの話はしたよね? そのときに開いた冥府の門はまた閉じられるんだけど……そこで出てきた死者の内、現世に留まろうとする人が出るかもしれないだろう?」

「仮出所とか仮釈放のまま戻らねえみたいなモンすね。知り合いの知り合いにいました」

「えっと、それはなんのことか判らないけど……。一応、冥府にも猶予があって……半月ほどは待って、それでも戻ってこない死者を二人の娘の〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉が探すんだ。ただこの神様は、戦いとかに縁がある神様で……」


 鴉の主とも言われる死の女神。

 あらゆる場所に繋がる門を持ちながらどこに出かけることもなく、ただ鴉のみを使わせる――――そう謳われる彼女は母同様に、父のような冥府に屈しない勇者を求めている。

 現世に留まろうとする死霊を探すことに合わせて、この時期、勇敢なる戦士の魂を見出すべく諍いを起こそうとする。

 事実過去にはこの日に合わせて戦を行うこともあったが――……今は代わりに模擬的な闘技大会や、勇士を題材とした歌劇を行うらしい。

 そんな神話や逸話を聞く中に、見逃せない言葉があった。


「……“卑”の気が、濃くなる?」

「う、うん。ボクら触手使いはその神様たちには馴染みがないけど……星辰が“卑”の気を強くするときだから、この数日は召喚に向いてる日だって言われてるよ……。そうじゃなきゃボクも、さっきみたいに簡単に呼び出せはしなかっただろうし……」

「なるほど……」


 だからこそ、あのような並の魔剣をも凌駕する大量攻撃を行えたようだ。

 それよりも――“卑”の気が強まるというならば……。

 シラノたちが直面してきたこれまでの騒動でも、あまりにも当て嵌まることが多かった。


「……リルケスタックという街で、魔剣を得るために街ごと穢れに沈ませようと奴らはしてました」

「ええ、思えば城塞都市のときも……街を穢れで覆おうとしていたのでしたか。なら……」


 今回もまた、同様の――或いは異なるにしても――“卑”の気に関する何かを仕掛けている可能性は捨てきれない。

 或いはそれが、天地創世の魔剣を握るための策かもしれなかった。


「……先ほどの犠牲者で、穢れが溜まってるかもしれねえっスね。早いとこ浄化して貰った方がいいかもしれねえ」

「ふむ。あとは、この街は“浄化の塔”ではなく浄化の泉――……竜と共に掘った温泉が穢れを払う形式でしたか。……水に強く関わる魔剣があるというなら、注意しないとなりませんね」

「そんなに大事な場所なら、〈遠見の水晶玉〉でずっと見てないかな? とりあえずボクたちも、映像の確認とかさせて貰えるかなあ……」


 街の監視範囲にアルモリアの姿はあるか。

 源泉などに異常は起きていないか。

 無力化した獣人兵の収容と周囲の浄化。

 並行して、四振りの魔剣の捜索。

 方策は定まったと、手近な兵を探そうとしているときだった。


「あ、そうだ! だったら一緒に“魔剣の王の遺産”の解読を別の誰かにして貰えるか頼んで、エルマリカちゃんにはこっちに合流して貰うのがいいんじゃないかな?」


 道理である。

 解読役である身元不明のユーゴや“魔剣の王”の子孫であるという厄ネタのアルケルの身元保証を考えてのものであったが、今なら事情の説明程度の時間はある。

 街の治安部隊に立ち会いを任せ、エルマリカと合流。優れた索敵能力を持つ彼女の力で魔剣使いを撃滅し捕縛する――それが理想の手法だろう。

 早速、その旨も合わせて言伝をしようと踵を返し――……


「あら、シチ。……生きていたのね。死に損なったのかしら」


 ナイフの刃に指を添わせたかの如き冷ややかか感覚。

 臨戦態勢の都市の喧騒のうちにあっても、その静謐な声は凛として響いていた。

 路地裏を覗き込むは、女。

 月桂樹を模した金冠が茨めいて艷やかな黒髪に座し、軍服を煽情的に仕立て直したかの如きその衣装は情熱的な死を思わせる。

 闇に咲く毒薔薇の如く――妖艶ながらも濃密な死の気配を漂わせる少女が、路地へと一歩を踏み出した。

 血のような緋色の瞳の片方を宵闇めいた黒髪に隠し、石畳に靴音を響かせて彼女は嗤う。


「言葉も出ない? ええ、そうね。ふふ……いいえ、そう、正しく――ええ、名前というのは正しく――そう、正しく呼んであげるべきだったかしら?」


 蕩けるような甘い匂いと、その裏に隠しきれない剣呑。

 自然、シラノはフローを背に庇っていた。セレーネもまた同時、蒼銀の双剣を抜いた。

 リープアルテの腰の左右に差された剣。その一本の柄へ、歩み寄る彼女はすでに手を伸ばしている。

 そして、


「触手剣豪――シラノ・ア・ロー」


 薄皮を氷で(なめ)される如き好戦的な笑みが、零された。



 ◇ ◆ ◇



 その鴉の主は、勇敢な戦士を求める。

 万の宝剣と千の鎧、一つの紫の宝珠を携え、いと若く、老いることなく、妖しき笑みをこぼす鴉の主。

 我こそはと声を上げる戦士に、彼女は微笑みだけを送る。


 その鴉の主は、果敢な兵士を求める。

 万世に繋がる門の主にして、千の夜を共に過ごす一人の勇士を見定める鴉の主。

 口づけを得んと武器を取る兵士に、彼女は吐息だけを授ける。


 その鴉の主は、清廉な騎士を求める。

 万の生たる快楽と、千の死たる高揚と、ただ一人の恋人を探す鴉の主。

 貴人へ頭を垂れる騎士へ、彼女は影だけを与える。


 鴉よ、我をかの女主に伝え給え。

 ああ、死出の導きよ。戦士の伴侶よ。美しき黒鴉よ。伝令にして貴婦人、死を運び生を眺める翼あるものよ。

 我らの声を、その主人に伝えておくれ。

 我らここに生き、ここに死ぬ。我らは汝の主人に臆することなく、生を馳せたのだと。



 万の死者、千の道化、そして残るは一なる勇者。


 鴉はその死を、悼み泣く。


                        ――鴉の歌。



 ◇ ◆ ◇




 黒煙の立ち上る野原。あぜ道には数多の荷馬車が横倒しとなり、丘には血塗られた槍が刺さる。

 (ごう)、と風が吹いていた。黒き――風が。

 空転していた荷馬車の車輪が、落下する獣体の運動力に砕け散った。

 巨人の得物めいた戦斧が骨を打ち砕き――頭蓋骨、胸骨、肋骨、脊椎――強烈な打撃音のたび彼を取り囲む獣人が舞い上がる。


「ふ――――!」


 日も傾いた草原の中、いずれ訪れる闇よりも深く漆黒を固めた全身鎧の青年――アレクサンドの振る数多の武装が、八重垣の如く囲む獣人たちを無慈悲かつ的確に薙ぎ払う。

 一つの旋風と呼ぶべきか。

 尋常なる人体に許されぬほどの重さは、ただ、暴力の風となる。


《……サシャ。よほどの馬鹿ではないと思いますが、病み上がりというのをお忘れなく。(わたし)の権能で肉体を繋ぎ合わせましたが、傷が塞がるのと癒えるのとは別の話です》

「十二分に承知している。……それと、私はアレクサンドだ」


 彼の肉の内から響く無機質な少女の声――――人造魔剣〈擬人聖剣(アガルマトロン)義製の偽剣(アルマスノエル)〉。

 神の権能を宿す魔剣ではなく、人の魂を宿す人形めいたその魔剣は“使い手”を“使う”――故にアレクサンドは、常人ならば床につくほどの重症であっても一つの兵器の如き性能を発揮する。

 一方の周囲を囲む獣人たちは、まるで一つの生物めいて有機的にその包囲網を変化させていた。

 魔剣使いは散見されず――……機会を伺っているのだろうか。

 単なる人間に比べて優れた敏捷性と膂力を持つ獣人たちは圧力となり、アレクサンドらを攻め立てていた。


(すでに幾度も遭遇したが散発的だ……本隊は別にいるのか……いや――)


 思索にふけりそうな己に喝を入れる。

 戦場での無為なる思惟の一間は、命で支払うべき隙となる。あるいはひとたびに攻めかからない獣人らは、そんな獲物の消耗を狙っているのかもしれないが――。

 だがアレクサンドのうちに広がる言いようのない恐怖は、しかし、別にあった。


「いやあ、すごいねえ……剣術なんてオークか剣の一族(うち)ぐらいしかやってないってのに……それにほかの武器の技も使うなんてすごいねぇ。あたしと同じくらい若いってのに……いやー、惚れ惚れしちゃうよ。感心だねー」


 他人事のように眠たげな半眼を細める濃い茶髪の女、クドランカ――そう名乗った“剣の一族”の少女。

 彼女はこれまで一度とてその剣を抜くことなく、そして一度も斬られることもなく、ただ飄々とした間延び声を出しながらここまで来ている。

 体の線や足運びを隠すような布を幾重にも巻き付けた野暮な衣装と、ゆらゆらと二つに垂れた結わえられた髪――緩やかで軽薄な態度を彼女はどこまでも崩そうとしない。

 ……アレクサンド同様にその周囲を多数の獣人に囲まれ、これまで戦闘を担当してきた彼と引き離されているにもかかわらず、だ。


「貴殿も危機感を持ったらどうだ。……俺の救援ができるまで、無事に済むとは思えんが」

「えー? そこは『民には刃一本届かせない』って言ってほしいよねぇ……王族ならさぁ……」

「すでに廃嫡の身だ。継承権はない」


 一撃の合間に問答をするアレクサンドとて、実際のところ楽観的に過ごせない包囲網であった。

 狩り――と称すべきか。

 獣人たちは一定の距離を保ったまま、蠢く不定形の輪の如くアレクサンドたちの周囲を取り囲む。

 聞いたことがある――その名を“影狼(かげろう)”。

 押せば引き、引けば押す。しかし、隙あらば襲いかかろうとする姿勢は崩さない包円の陣。


(その嗅覚故に、仲間同士での連携の精度は他の種族を超える――――その極地が、これか)


 立ち合いの緊張感は否応なく精神を削る。

 ましてや集団に取り囲まれる圧力と、類い稀なる嗅覚にて隙をかぎ分ける獣人を相手に消耗しないなど、どんな武芸者とて不可能だ。

 そうして相手の精神と体力を削り――……疲弊した隙を狙い労せず獲物を仕留める。

 そんな黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)の戦法は、武勇に優れし圧倒的な個を持つ鬼人族(オーク)や北の山岳の先に住む巨人族(トロール)という伝説さえも損害なく打ち倒すやもしれない。

 上位の冒険者とて、ともすればなすすべなく血の海に沈むであろう……そんな容赦のない集団戦法であった。

 だが、


「まーまー、なんていうかさー悪いことは言わないからやめときなって。死ぬのは孫に囲まれながら暖炉の前で……とかでも悪くないんじゃないかなー? ……ま、どうでもいいけどさ」


 集団の輪の中心の剣の一族の少女は何気なく周囲を見回し、臨戦態勢の獣人へとひらひらと手を振るだけだ。

 故に――アレクサンドは静かに恐怖しているのだ。

 命がけの我慢比べ、と……そうとしか呼べぬ状況である。

 四周への警戒を強要され、その糸がどこかで途切れた瞬間を刈られる。集団ゆえに獣人は個々の消耗を抑えられ、対する獲物の消耗は加速度的に上昇する。

 睨み合いを続けたところで、獲物に未来はない。動かずにいれば背面を突かれるだけだ。


(だというのに……先ほどから……まったく、動く素振りすらない。……背後を確かめようとすら、しないとは)


 アレクサンドは、いずれ己が迎えるであろうそんな未来を拒んだ。

 故に敢えて動いて隙を作り、その一瞬で攻撃か撤退かを相手に逡巡させ――そして身の内の魔剣により独特の緩急をつけた歩法と、間合いで勝る得物でその間隙を縫い一つ一つ獣人を狩る。

 彼以外では一撃を入れることもままなるまい。可能とするのは、その身の研鑽と人造魔剣の力である。


「ふ、――――ッ」


 派手な衝突音と共に、また一体、剣を握る獣人を跳ね飛ばす。

 既に幾度と繰り返され……しかしそんな戦果を加味してなお、未だ分の悪い賭けには違いなかった。

 動けば動くだけ消耗するのは道理。

 敵はそんな獲物の抵抗も計算のうちにしており――どれだけ群れに犠牲が出ようとも敵を仕留めるという、そんなことも視野に入れている。

 彼らを倒しきるのが先か、アレクサンドが途切れるのが先か。

 それを〈擬人聖剣(アガルマトロン)義製の偽剣(アルマスノエル)〉の権能にて底上げしている。そんな賭けだ。

 だが。

 少女は、動かない。最も消耗するであろう視覚によらない背後の警戒をも――無計画に続けている。


(集団を相手にはできない魔剣なのか? それとも――……俺が包囲を抜けるまで、睨み合うつもりか? 余計に消耗するであろう、そんな背後を見ようともしない状態で?)


 アレクサンドの疑問とは裏腹に、獣人はただ機械的に、そして有機的に連携する。

 背後でのわずかな唸り声。

 衣擦れの音。

 そして息をひそめてにじり寄る動き。

 この修羅場においていずれも千の轟雷よりも神経を削り取るであろうそれを、少女に仕掛けている――静かに、しかし残酷な戦いは始まっているというのに。


「半年」


 彼女は、ふとそう口を開いた。

 アレクサンドも――或いはわずかに獣人ですら疑問を持つであろう言葉に、何気ない口調のまま続きがもたらされる。


「半年かな、続けたのは。ま、やろうと思えばもっとできたんだろうけどねー。いい加減飽きちゃうしさー。景色にも慣れちゃうからねー」

「何の、話だ?」

「え、ほら、()()()()。……知ってる? 腕とか足が千切れそうなぐらいに振って走るやつ」


 そこで、アレクサンドはふと気付いた。

 汗が滴っている。土が色を濃くするほどの、多量の汗が。

 少女の……ではない。取り囲む獣人たちの掌の肉球から――剣を伝って、汗が滴っているのだ。


「何を、言っている?」

「え、いやほら……無駄ですよーって? 剣を抜かずに済ませた方がいいからさ。悪いことは言わないから……諦めた方がいいんじゃないかなー。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んでしょ?」


 ここで――理解に至った。

 獣人たちは少女を取り囲み、圧迫しているのではなく……。

 彼らこそが立ち向かっているのだ。

 背を向けた瞬間に物言わぬ躯に変えられてしまうであろう根源的恐怖を前に、必死に向かい合って自我を保とうとしているということへ。

 死に怯えて逃げ出そうとする己と、その瞬間に齎されるであろう死に板挟みにされているということへ。

 ()()()()()()()()()()()

 そして、無慈悲かつ無造作に均衡は破られた。


「はい、没収ーっと。……駄目だよねえ、こんな危ないもの振り回しちゃ」


 音もなく、淀みもなく。

 何気なく己を取り囲む獣人の輪に歩み寄った少女が、傷や剣タコ一つない指先で剣を摘み取って地へと放っていた。

 巻き上がる土の中にあっても一際確かに輝く銀色のそれは、魔剣だったのだろう。

 それは獲物を確実に殺すための、必殺の集団殺法に隠した真の牙であったのだろう。

 それを、子供の玩具を取り上げるかの如く没収した。

 そんな唯一最強の暴力を解除されてしまった彼らの衝撃たるや――……いや、そんな彼らよりもアレクサンドは驚愕していた。


「な……」


 緊張の糸が切れたか、それとも彼女の必殺の間合いに近づいた気あたりか……全ての獣人が剣を取り落として膝を折り、頭を垂れて失神していた。

 さながら処刑を待つ囚人の如く、首を差し出し座した敵対者たち。

 ただ緩やかに笑う彼女以外、立つものはいなかった。


(なんという、力だ……魔剣を抜くことすらなく……それどころか技を使うことすらなく、魔剣をくだすなど……)


 剣の一族は、オーク以外で唯一剣術を磨いた存在だ。

 だがその技の一つすら出すことなく、そしてその魔剣の刀身すら見せることなく、退屈そうに伸びをする彼女は勝利したのだ。

 勝負にすら、ならなかった。

 万物を防ぐエルマリカの無敵に対して、ただそこにいるだけであらゆる攻撃の意思を刈り取る無敵。

 それが剣の一族の継嗣――そして天地創世の七振りの一の使い手というのか。

 神話の彼方から今日まで続いているという伝説に、さしものアレクサンドも背筋を凍らせずにはいられなかったが――――風切り音がひとつ、


(――――ッ)


 直感と共に咄嗟に盾にした戦斧が砕け散る。

 魔剣ならずとも窟人族(ドワーフ)の鍛冶が竜を斬るために作り上げた一品が、無情にも破片となりアレクサンドの黒鎧に突き刺さった。

 そして、その全て脈打つ。

 破片が膨れ上がり――炸裂した。


「ぐ……!」

「ん、あー……大丈夫? や、すごいねえ。今のでも諦めない子もいるんだ……んー困ったねえ。今日って冥府が近くなる日なんだけど……ああ、キミたち黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)って〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉様は特に奉じてないんだっけ?」


 装甲の所々を剥ぎ取られ片膝を付くアレクサンドと、辺りをぼんやりと眺めながら呟く少女。

 下手人の姿はなく、そして――返答代わりに空気が嘶いた。

 不可視の斬撃。飛来する斬撃。

 土煙が舞い、破片が飛ぶ。

 独特の緩急のついた歩法で避けるアレクサンドであるが、躱しきれない。飛来する斬撃により飛び散った僅かな破片すらもが、また更なる炸裂を起こしているのだ。


(飛ぶ刃、不可視、爆発……これも権能の内か――――!)


 下位の魔剣には許されぬ殺戮力――――襲い来る攻撃から、アレクサンドは辛くも脱出した。

 宝石を利用した転移の魔術。

 青い光が反動として肉体を苛む中、アレクサンドは記憶を探った。

 魔剣の王に類する魔剣ならば、王国の執行騎士には情報がある。一見して共通点すら判らぬ能力であるが、“貴”の極地である魔剣のその権能には支配則があり法則性がある――ならば。

 見極める。そして推量する。

 全周へと神経を張り詰めさせながら、頭脳を回転させ――


「……んー、どうしよっか。今は王子様の前で抜くつもりはないんだけど、諦めてくれそうにないしねー……困ったねえ……」


 そこに間延びした声が思考に割り込む。

 共に退避する余裕なく取り残されたはずの少女は、爆発の煙が晴れたそこで、結った茶髪のみを揺らして涼しげな顔をしているだけだ。

 避けすらも、しない。

 否、それとも必要最小限度の動きだけで全てを回避したのだろうか。あれほど連続した爆発の中で。

 何にせよ飄々と笑う少女は折れた小枝を拾い上げ――――そしてあろうことか、()()()()()()()()


(――)


 魔剣ですらない木の枝が、斬撃を飛ばす。

 技術なのか、魔術なのか。理屈の推察もできず、いっそその身が一つの魔剣と言ってくれた方がまだ合点がいく。そんな出鱈目。

 幻覚と信じたくなる隔絶した光景の中、少女は緩やかに片目を瞑った。


「当たった音の感じが丸いし……んー、そうだねえ。球にした“傷”の内側に隠れてるのかな? 〈魔神の砲剣ヴァイペラ・エペトゥム〉って言ったっけ? 丸くするときの勢いで空気の傷を飛ばして――……」


 その説明も、アレクサンドの心には響かない。

 半年もの間、睡眠や休息なく全力疾走を続けると嘯き――構えすらせずに屈強な戦士の心を折り――魔剣ですらない小枝で斬撃を飛ばし――不可視である敵の位置を見抜き、一合で能力を判別する。

 最早、只人の領域にはない。

 如何なる魔剣の使い手も、この領域には至れない。


 そして――――そんな驚愕だけなら、どれほど()()()()()()であったろう。


「……ああ、そっか。ごめんね」


 諦めたような、悟ったような少女の笑み。

 それと共にその視線の先に赤い華が咲いた。血飛沫が、舞った。

 突如として虚空に露わとなるは、これまで不可視であった魔剣の刀身。人一人を覆い尽くすほどの巨大な円の如き曲刃――――〈魔神の砲剣ヴァイペラ・エペトゥム〉。

 その円盤めいた刃の内に使い手は体を収め、アレクサンドたちを狙っていたのだろう。

 いや、未だ狙っているのだろう――――銀色の毛皮の獣の、何かの勝利を確信したような表情は変わらない。

 ただし、


「――――キミさ、()()()()()()()らしいよ」


 その顔は憐れ宙を舞い、少女の呟きに合わせて草むらに落下して見えなくなった。

 最早、アレクサンドの理解を超えていた。

 彼女は、その腰の魔剣に手すらもかけていない。

 獣人がその身体に(たすき)がけにした魔剣の刃も壊れていない。

 だというのに獣人は首を刎ねられており――そしてその身体が、膝から草原へと崩れ落ちていた。


「やだねえ、無駄な殺生をしちゃったねえ……頑張ってる子って諦めないことを頑張るからねー……頑張ったなら何もこんな死に方しなくてもいいのにねー。……ま、仕方ないんだけどさ」


 冗談なのか本気なのか測りかねる口調で、彼女は軽く手を払う。

 魔剣――抜刀せず。

 闘気――一切あらず。

 だというのにそこには、無慈悲極まりなく、そして断面すらも美しい死体が残されているのみ。


 剣の一族と向かい合うということには……ただ、死という結果しか存在していない。

 アレクサンドには、そうとしか思えなかった。



 ◇ ◆ ◇



 帝国の滅亡の記録は残されていない。

 数多の魔剣を集め、魔術を創り、街を整え、穢れを払った……その栄華の様は数多くの賛辞と麗句に彩られようとも。

 なぜ滅ばねばならなかったのか。

 如何にして滅んだのか。

 何をもって滅びと、そして何が故に滅びたと呼ぶのか。

 その全ては記されていない。


 ただ、帝国とその民は、滅んだのだ。

 ただ一人分の死霊すらも、残すことなく。



           ――――ヴェルゴ・ア・ビル「帝国の昔日」より。


 ◇ ◆ ◇



(……何が、起きたのだ? 一体、何が……?)


 恐るべき速度で抜き放たれたならば、まだ理解ができる。

 だが――間違いなくアレクサンドの目の前で魔剣を用いていたのは、襲撃者である獣人一人。

 だというのに眠たそうに目を擦る茶髪の少女こそが生き残り、あまつさえ権能としか呼べぬ超常的な死と破壊が起きていた。


「んー、そんなに見ちゃってどうしたのさ? 見惚れられても返せるものとかないよー、ってね? これでも年頃の乙女だから悪い気はしないけどさー」

「……今のは、一体」

「ん? やー、能力はヒミツだねー。そこまで仲良くない人には教えられないよねー」

「ならば……何故、それほどまでに〈赫血の妖剣(スクレップ)〉を抜こうとしないのか」

「え? ここで抜いたら王子様が本当に危ないときに魔剣を使えないでしょ? 助けるにしても殺すにしても、あたしはその人の前で抜くのは一度だけって決めてるからさー。さっきの頑張り屋さんは、ちょっと運がなかったね」


 トン、と肩に預けた魔剣の鞘を一撫でして彼女は笑う。

 先程までは呑気で軽薄に見えていたその態度すらも今は不気味に思えたが……アレクサンドは呑み下し、口を開いた。


「そろそろ理由を説明していただきたい。〈炎獄の覇剣(ディルンウィーン)〉……帝国崩壊の五百年前から失伝した魔剣を、何故今になって狙うのか。何故、今日このときにそんな魔剣が世に出たのか……」

「ん? 聞きたいの? ……いやー、聞かないほうがいいと思うんだけどねー。これは純粋な思い遣りとしてさー」

「……理由も聞かず、天地創世の魔剣と相まみえるほど勇猛な人間とお思いか。そうなら、貴殿は俺を買い被りすぎている」


 一触即発のような、静かな剣気を込めたアレクサンドへと彼女は肩を竦めた。

 そして緊張感もない眠たげな半眼を細め、やれやれと肩を崩す。


「いやー、あのときは流石のあたしも死ぬかと思ったよ……岩は蒸発するし揺れも凄いし、うちらの一族じゃなきゃホントに死人が出てたんじゃないかなー?」

「……?」

「いやー、ホントすごかったんだよ? 流石に直撃してたらあたしも死んでたかもしんないね。ま、わかんないけどさー」

「……何を言っているんだ」


 独特に間延びした語り口調。

 そのまま彼女は、衝撃的な言葉を言い放った。


「きみのところの()()()()()()だけどね、アレさ、実はうちの里を撃ち抜いてたんだよねー。そのせいで結界が壊れて、幽閉してた使い手が外に出ちゃった……ってね」

「何……!? いや、まさか――」


 この大地すらも完全に撃滅せしめる〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉の遠隔砲撃。

 その内の一発が、空の彼方からの落下中の戦いにて放たれ――大地を抉ったとはアレクサンドも知ってはいたが……


(メアリ殿の話では人的被害はなかった……いや、重大なのはそこではない。〈竜魔の邪剣(ノートゥング)〉の砲撃が隠されていた剣の一族の里を撃ち抜くなど……偶然にしてはできすぎている……ならば)


 エルマリカはかつて、教育役として王宮に入り込んだ黒髪の淫魔の首魁と出会っている。

 出会い、洗脳を受けている。

 その内容を突き止めるというのもまたアレクサンドの目的の一つであり、


淫魔(ヤツ)らは、剣の一族の里を見付けるためにエルマリカの“触覚”の探知能力を利用した――というのか。それこそが、初めから仕組まれていた“洗脳”……!?)


 ならばこそ、今少女がここにいる問題は淫魔の狙いとして相違はなく――……。

 そんな彼を眺めながら、少女は内心の読めぬ薄ら笑いを零した。


「やー、面倒なことになったよねぇ……ホントさぁ……大人しくしてくれればいいのに、世に解き放たれたら追わない訳にはいかないじゃん? だって危ないんだからさー」

「それが……貴殿が里を出た理由……」

「そう。〈炎獄の覇剣(ディルンウィーン)〉――――神々の最終戦争、炎の七日間を引き起こした絶滅の魔剣。うちの一族の祖がかつて()()()()()()()剣と水面の神(バトラズ)〉の愛剣」


 この竜の大地(ドラカガルド)に起きたる災厄は二度。

 一つは、魔剣の王――七振りの高位魔剣を用いて、人民の屍と血を積み上げ土地を汚染し尽くしたという人類の大敵。

 そして何よりも――……初手にして究極が、ある。

 人だけでなく天空・大地・海洋を焼き尽くし神の写し身さえも現世から滅ぼしきった超越者。大災厄。破滅の具現たる紅蓮の灼熱魔剣。

 この天地を成り立たせし創世の魔剣を生んだ〈天の炉の炎〉を束ねて作られし、究極の火――


「魔剣序列ノ“()()()”――。……ね? あたしが出張らなきゃいけないよねぇ?」


 その魔剣が世に解き放たれていた。

 淫魔の目論見を、元として。



 ◇ ◆ ◇


 

 その丘には、二匹、狼がいた。

 否――一人は黒銀狼の獣人。

 額の十字傷の下の瞳を歪めて、波線めいて刃が波打つ長剣を杖代わりに体重を預け、煙の上る街を遠く眺めている。

 もう一人は、獣人ではない人間。

 餓狼めいた眼光を持つ短髪灰毛の偉丈夫。無骨な性格が形となったような厳めしい肉体とは裏腹に、その頬はこけている。

 十字傷の人狼が革袋から獣口を離し、酒息とともに嘲り笑うように口角を上げた。


「御老体がたが叩きのめされてくってのが、何ともいい肴だね。……ああ、無念だろうなァ。しっかり覚えておいてやらねえといけないナァ」

「義務のつもりか」

「いいや、これは、単なる趣味さ。……ああ、それ以上は近づかないでくれ。()()()()()()()()()()()()()


 鼻を摘まんで疎ましそうに手を振る獣人にも、男は反応を返さない。

 シラノ・ア・ローを抜き身の白刃、アレクサンドを重厚な黒岩と例えるならば……男は、ただ、闇と静寂である。

 場の空気を沈黙させるほどの静かなる威圧感とともに、ただ、腰に剣を差しもしない無手でそこに佇んでいた。

 そんな男をチラリと眺め、酒を煽る人狼は思い出し笑いを浮かべる。獣の凶悪さを遺憾なく発揮するその犬顔は、しかしどこか道化めいていた。


「しかし、壮観だろうなァ。どうだい感想は? ()()()()のものとなれば、アンタも叩き切ってみたくもなるかい?」

「蜥蜴を斬って、誇れるなら」

「斬るまでもないと、素直にそう言えよ。思わせぶりな男ってのは、嫌われるもんだぜ」

「参考には、しておこう」


 にこりともしない頬のこけた男と、薄ら笑いを絶やすことのない狼男。

 その周囲には、躯。

 巨大な獣に喰い荒らされたの如く、数多の人間が散らばっていた。否、人間というよりは――……かつて人間であった()()だろうか。

 そのいずれもが冒険者。

 依頼を終え帰還する最中であった彼らは、街への危機に即座に行動を開始し――そして数分ののちに皆一様にこと切れ、原形もわからぬほどに散らされて野に打ち捨てられている。

 チャリと、人狼は手にした識別証を眺めた。

 銀の竪琴級、鉄の斧級、金の首飾り級――……冒険者たちの実力の証明であり拠り所であるはずのそれは、今はニヤついた獣人男の単なる戦利品でしかない。


「……さて、どう動くんだい? さっきの感じじゃあ、あの街にゃあ我らが首魁サマの天敵サンがいるみてえだが――……ってアンタにゃあ余計な説法かねェ?」

「……」

「暗いね、なんとも。戦いを前に黙り込む奴ってのは、余裕がないってのが俺の持論だ。口と同じだけ、腕前が錆びついていなけりゃあいいが……」

「聞くに、初陣を前にしたものもよく話すそうだ」

「ははは、馴れ合うつもりがないってのはいいことだ。嬉しくて先が思い遣られるというか――……ま、そうだな。おれァおれでこっちの目的が遂げられりゃあ構わんさねェ」


 識別証が放られると同時、音すらなく粉微塵に消える。

 それを一瞥した男は、ただ、飢えながらも一切の感情を失ったという瞳で――


()()()()()。剣者を名乗りしその日より、この身の有用性はそれだけだ」


 そう呟き、彼もまた識別証を放る。

 甲高い音が一つ。

 両断された識別証が草むらに落ちた。その断面は鏡面めいた鋭さで、転がっていた。



 ◇ ◆ ◇



 コツ、と硬質の靴音が石畳に木霊する。

 いつしか街の喧騒は消えた。否、最早、シラノの耳に入らないだけだ。

 眼前には赤黒の毒花の如き美貌の女。かつて魔剣の王の寵姫であった伝承上の女のように――妖しげな気配と、そして、死の予感を振りまいている。

 舐るように唇を舌でなぞり、リープアルテは口を開く。 


「……前に言ったでしょう? 私は“自分が真に何者なのか”を知りたい――と」

「……」

「そうね。貴方は世界を焼ける男だと思っていたわ。己の剣以外に寄る辺はなく、この世のすべてを相手取れる男だと……あらゆる存在を前にしてもなお、貫けるだけの己を持った男なのだと。……だから、ええ、残念よ。残念なのよ、シラノ・ア・ロー」


 足元から這い上がるような威圧感と、婀娜(あだ)っぽい雰囲気の裏に隠された剣気は――初遭遇のそれを超えている。

 この女は、本気だ。

 本気で、剣を抜くつもりなのだ。


「貴方の寄る辺を焼き滅ぼしたら、そうなるかしら?」


 故にシラノはその言葉に、反射めいて激発した。


◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第二幕◆

◆「スケアリー・ヤバイ・モンスターズ」その二へ続く◆

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