第一○七話 ウェイ・トゥ・スター・プラチナム その三
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆
◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」その三◆
呼吸を絞る。
睨んだ先の四体――――突如現れたリウドルフという闖入者に慌てる様子はない。
野太刀の握りを確かめ、隣の男へシラノは静かに口を開いた。
「あいつらの権能は――」
「ああ、いらねえさ狼のお兄さん。こういうのは、自分で確かめるのが楽しいんだろう?」
そんなことを言っている場合か――――。
そう言おうとしたシラノへ向けられる鋼色の切っ先。〈涅槃の輪剣〉――時の流れを操る魔剣が、死の突撃を開始する。
神速に至る絶影の一撃。
貫く大気すらも劣化させる一翔がシラノへ迫り、しかし、眼前にて突如その内側から砕け散って――――慣性で直進する破片すらもレールめいて宙に現れた細かな石色の刀身に逸らされた。
射程内に自在に発現する分割された刀身――〈石花の杭剣〉の権能。
「剣士なら、飛び道具を見切るなんて造作もねえよなあ?」
獣笑いを零すリウドルフに、シラノは内心で確信した。
先ほどの言葉とは裏腹に奴はとっくに戦場を俯瞰していた。魔剣の種も全て見抜いているのだ。
ならば――と、両足に力を込める。
睨むは黒き刃を握る獣人。死を与える魔剣の使い手。
「イアーッ!」
爆裂。常人の二十倍の脚力で一息に飛び込み放つ横一文字は、立ち込める土埃の壁に防がれた。
触手野太刀の剣先が砕け散る。
切れ味――つまり触れたものに“斬撃”という破壊を押し付けるという実体を持った幻影。〈深慮の神剣〉の権能。
そして剣を失い無防備になったシラノを前に、煙が掻き消え、刃を握る大柄の獣人が一直線に突きを繰り出す。
黒き刃が胸部装甲に迫り――――瞬間、その使い手の内側から胴を貫く石色の刃。飛び出た〈石花の杭剣〉に、獣人が血を吐いて崩れ落ちた。
「……九ノ太刀“陰矛・継”」
「ははっ、乱暴な運び方だねえ。もう少し紳士的に扱ってくれないか?」
突撃したシラノの背から後方へと伸びた触手に引かれて宙を舞ったリウドルフが、颯爽と着地する。
九ノ太刀“陰矛”――シラノ自身を敵への目眩ませとして使い、引き寄せられるリウドルフがそんな意識の隙を刈り取ったのだ。
互いに幾度と斬り結んだリウドルフとシラノに、今更言葉での打ち合わせは必要なかった。
まずは一人……シラノは新たな野太刀を静かに握る。
「さっきまでのようにはいかねえ。……今のうちに武器を捨てて、さっさとここから消えろ」
油断なく睨みつけたままの警告にも、獣人たちは応じない。
何が面白いのか半笑いを浮かべたまま――……そして、新たな獣人たちの幻影を雪崩のように飛びかからせた。
舌打ち一つ。
虚空の召喚陣から飛ぶ紫の噴水――“液状化”させた触手が幻影の獣人を飲み込み、奇妙な泥人形めいて覆い尽くす。
そのまま一閃。
液状触手越しに与えられた膨大な衝撃に、幻影が粉々に砕け散った。
「どんな切れ味だろうと液体を刻むことはできねえ。……もう一度言う。仲間を連れて、早くここから消えるんだ」
胴を貫かれ仰向けに倒れた大柄の獣人は弱々しく胸を上下させている。
まだ息がある。
リウドルフがシラノの流儀に合わせたのか……重症ではあるが、手当が間に合えば少なくとも命を拾える傷であった。
しかし――……その毛皮に覆われた身体を、地から赤き刃が貫いた。
「……ッ」
それどころか――。
すぐに体内に溶け込んだその赤き刃に変わり、瀕死の獣人が猛烈な勢いで飛び起きた。
黒き魔剣を掴み握り、斬りかかる。まるで振るわれる剣めいた移動速度。
権能の応用か、強化されたその身体能力に目を見張る――――否、それ以上の異常事態が発生した。
驚愕に見開かれた獣の目。
魔剣を振りかぶろうとした獣人の内部から蒼き雷がほとばしる。黒き毛皮すらも蒼く染まり、周囲の空間を染め上げる猛烈な閃光――魔力逆流と呼ばれる現象。
そしてシラノとリウドルフの眼前で、猛烈な爆発が巻き起こった。
「……ッ、ぐ……」
「はは。……なんだ。面白いことをするねえ、こいつら」
魔剣の二本使いは不可能。
そんな伝承は正しさを証明するかのごとく起こった魔力の過剰供給――〈血湖の兵剣〉の刃を体液に溶かし、〈無門の奇剣〉の権能を行使しようとした二本使いの負荷は爆発死として使い手に降り注いだのだ。
電撃めいたその余波が、体中を苛む。
庇わんとしたために全身を叩きのめされたシラノと、少なくとも余波だけは受けたリウドルフ。
そして二人の視線の先で――……爆発に吹き飛ばされた黒き魔剣〈無門の奇剣〉を、新たな獣人兵が回収した。
また四人・四本――――万全の姿で魔剣使いたちが立ち塞がる。
「手前ぇら……」
重症であった瀕死の仲間のその命すらも使い潰す異常集団――……。
衝撃を堪えて身を起こすひび割れた鎧姿のシラノへ、涼しい顔のリウドルフが笑いかけた。
「相変わらずお優しいねえ……狼のお兄さんは。こいつらは羊でもなけりゃ、狼でもねえ……。虫さ。ならせめて笑いながら葬ってやるしかねえだろう?」
「人の命を、笑う気はねえ」
「……ああ、あんたはそうこなくっちゃな。いやあ、愉しく戦えそうだ」
愉悦を隠しきれずに魔剣を肩に担いで嗤うリウドルフと、無言で野太刀を蜻蛉に構える外骨格のシラノ。
対する獣人たちは不気味に、二人と逃げ延びた民を取り囲んでいた。
◇ ◆ ◇
蔵書を一部の空きもなくその身に収めた本棚が四方を圧迫する荘厳な一室。
書の森のごとく本棚が立ち並んだ一階のみならず、複数存在する図書塔は円筒状の壁面すらも全て本棚で満たされているというノリコネリアの大図書館。
烏や犬、蛇などの魔導人形が本を探して蠢くその中で、金髪の少年と童女は顔を蒼く俯いていた。
「そんな……〈血湖の兵剣〉が……そんな……」
「シラノさん……どうか、どうかご無事で……」
「はは、落ち着くしかねーでありますよ。ほらほら、深呼吸深呼吸」
黒髪を揺らして軽薄に嗤うユーゴにすら応じる余裕はない。
そんな三人へ、ようやく司書からのお呼びがかかった。
石造りの地下書庫の更に下、さながら墓所めいて魔導紋様の大理石に囲まれた昏き一室にその本はあった。
表には蔦の意匠が施された石造りの魔術箱。ボンドーが家紋の彫られた鍵を翳せば、石埃を零しながら石棺が開く。
乱雑に埃を手で払い、ユーゴは目を細めた。
「んーんと、なになに……? 『我が子孫に伝え送る。我らが悲願は――』……んー面倒くさいから飛ばすであります。恨み言が長ったらしい野郎であります。ええと、『……我が手に二振りの剣あり。我は常に二振りの剣を戦に用いる。この秘密に関しても我は其方たちに伝える』」
闇めいた漆黒の瞳が羊皮紙の古代文字を辿る。
かつて森人族が使用していたというその木の枝の如き文字は、帝国の時代で既に古典。だからこそ、神聖さや荘厳さを表すとして一部で重宝されたようであるが……書かれている内容はおぞましさの一言に尽きた。
「『世の貴き気が集いて魔剣となり、邪なる気が集いて魔物となる。九百三十一体の屍と血を八百余りに分かち、それを死臭を醸す腐液の一として更に十万を重ね、楔のごとく地に注ぐ。死と魔が大地を穢れで覆うその時―――“卑”の気は剣の形を得てこの世へと顕現する』」
静かに眺めるユーゴの瞳の先に示されたのは、天地を揺るがす夜の理。
只人よ、何故否定できよう。
人の住まう世界を覆う二つの太極の一――――“貴”の結晶が世の定礎となる魔剣を成すというのなら、その対極もまた然り。
「『我は、これを“妖刀”と名付ける。この剣こそ我らの悲願に不可欠な“対となる剣”である』」
水を打ったように部屋が静まり返る。
魔剣の対をなす“卑”の気の真なる結晶。魔物には未だ先があるのだ――――と。
◇ ◆ ◇
血風の戦場に、剣戟の花が咲く。
澄んだ刃の音色は旋律に、旋律は協奏となり、やがては狂騒曲の如き波濤となる。
冴える切っ先の色彩は氷の花火の如く瞬き、唸る吐息の裂帛は雷轟めいて空間を裂く。
地に現れた流星群じみた無数の触手抜刀。
左十門、右十門。
左の抜刀。右の居合。
鬼甲冑の周囲を車座の如く取り囲んだ触手刀の柄は、次々に主にその残弾を消費される。消費し、なおも装填されていく。
幻影の死体・血の刃・鋼色の剣を打ちのめす一閃は剣風へ、更に剣風は剣嵐と成り果て至り、剣嵐は大地を砕いて吹き荒れる。
そして至るは剣の空。剣戟空間。
抉れた丘が、飛ぶ土が、青草の根ごと微塵に消える。剣閃のその余波だけで塵芥に散っていく。
触手剣豪という等身大の暴風は、崩れた大地のその砂すらも裂破し疾走を止めはしない。
「イアーッ!」
更に二刀抜刀のその合間に、円座の更に外の砲台――計・四十門から発射される触手刃が、“線”を越えようとした獣人の足を吹き飛ばす。
最早、一つの砲台であった。移動要塞であった。
重機関砲を超える速度で連打される触手抜刀。戦車砲を超える運動量を腕一つで抑え込む鬼の面の自在甲冑。
我が身一つで嵐に至るは、最早、人ではなく神の山嶺か。
見守る人々は言葉を失い、ただ剣の火花を見守った。
赤き光が鬼面に灯り――……砂塵一閃。
光芒めいた触手野太刀に破砕された幻影が、土肌を剥き出しにした丘に沈む。
「これで、もう使い潰しはさせねえ」
荒らげた息を整えて睨むシラノの眼前に横たわるのは、脚部を粉砕されて赤土の上で呻きあげる数多の獣人たち。
爆心地めいたシラノらの周囲には、茂み一つ……どころか草の根一つも遮蔽物も存在しない。
敵がその仲間の命すらも爆弾代わりに利用すると言うなら、それよりも先にすべからく再起不能にする――――忍び寄るための土壌も砕き尽くすのみ。
単純にして明白な真理であった。
「相変わらずやるってなると容赦ってもんがないねえ、狼のお兄さんは」
「人の命には代えられねえ」
「はは、人道的で結構なことだ。……ま、おかげで残るはこいつらか」
剣を担いで半笑いを浮かべるリウドルフの目線の先には、四人の魔剣使い。
赤き刃の〈血湖の兵剣〉、黒き刃の〈無門の奇剣〉、真珠の刃の〈深慮の神剣〉、鋼色の〈涅槃の輪剣〉――――四つの刃がその手に輝く。
使い手は様変わりを見せた。
初めに握っていた者たちはもういない。その死体すらも盾や爆発物として利用され、果てていた。
「……」
静かに調息し、シラノは手の内で野太刀の感触を確かめる。
避難民の収容が遅々として進んでいない。
市街戦の準備を優先しているのか。いよいよ丘へと足をかけ始めた漆黒の烈火の如き獣人兵と魔物の混成軍に対し、未だ城壁の外に逃げ遅れた民が多数残る。
もしも敵にさらなる策略や魔剣が用意されてしまえば――……防ぎきれると断言できない。
油を撒いて火を放つかのように、勢いづいた敵の大群に呑み込まれて死に絶えるだけだ。
(いいや……)
かつての世のアルビ派に対する十字軍や元寇の折の対馬・壱岐の惨状を起こしてはならない。
瞳を強めたシラノは刃を脇構えに、終わらせんと意気を込めた――……その瞬間だった。
「ま、ここまでだな。……損の分は返せたし、おかげで確かめられた。高名な魔剣だなんだと言っても……やっぱり、狼のお兄さん相手じゃないとおれも仕方ねえってな」
「お前、いったい何しに……」
「何しにって……そりゃあ、“時間稼ぎ”さ」
何を、と問い返すまでもない。
リウドルフの獣笑いのその先――――城壁に登る一つの影。
黒曜石のような艷やかな肩までの黒髪が、戦場の血風に撫で付けられる。
冥府の女神の宝珠の如き鮮やかな紫の瞳は、眼下の骸の痛ましさに伏せられている。
世や使命を背負わせるには華奢すぎる肩をコートに包み、見事な刺繍を紡ぐ白魚の如き細い指は異形の生命樹めいた杖を握る。
日焼けのない白き頬は、あどけない顔立ちはそこにはない。悲壮な決意を込めて引き締められ、それ以上の勇敢な覚悟で己を奮い立たせている。
フロランス・ア・ヴィオロン。
仰ぎ見る師であり頭を垂れるべき先達である彼女が、フードをかぶることもなく、竜の城壁のその壁面に立っていた。
「――――ッ」
瞬息で、撃発。
四体の群れの真っ只中に飛び込み、シラノは太刀風へ我が身を変える。
事情は知らぬ。理屈も読めぬ。だが、この魔剣の一つたりとも彼女に向かわせてはならない。惹き付けねばならない。この一命に替えても。
奥歯を噛み締め――――――一ノ太刀“身卜“・二ノ太刀“刀糸”・三ノ太刀“號雨”・四ノ太刀“十能”・五ノ太刀“矢重”・六ノ太刀・七ノ太刀・八ノ太刀・九ノ太刀……。
折り砕く触腕、炸裂する触手、放つ電撃、生まれる尖棘、生まれる霞に、鋼板に、液状に串刺しの槍――――数多の触手、持てる技全てを用いて敵を釘付けにする。
息をつかせぬ、否、ここで魔剣の息の根を止めてやる――――それほどの思考の熱で自爆覚悟で空間そのものを鎮圧にかかった。
そして、
「我、父なる大神に奉る――――」
壁上の彼女が、薄桃色の口を静かに開いた。
◇ ◆ ◇
刻む、刻む、刻む、刻む――――。
召喚陣を象った触手を縦に重ねて杖を作り、そなる触手に陣を重ねる。
いびつなる生命樹を掲げた彼女は天へと刻む。言葉を刻む。
「過去――現在――未来――なべてその内に懐きし我らが父神よ。天に、地に、時に、空に、なべて一つに纏いし大いなる父神よ」
世は我を見よ。
我は世を見よ。
錫杖から伝いし光帯が、都市を覆う大いなる円を描く。
「日輪第五の宮にあらじ、其の鎮星の三部一対座にあらじ……されど我は炎の五芒星を描き、第九の詩を三度唱えたる者なり」
其は契約にして盟約の言葉。
世の非道を正し、世の不浄を止めんと謳った祖先の言葉。
血脈に受け継がれ、血盟に背負いし果てなる神との誓約の証。
「一にして全、全にして一なるものよ……最極の空虚よ……我らが父神よ……彼方なるものよ……真実であり真理であるものよ……」
開け、開け、開け――――。
時空の扉を開き、須臾を超え、刹那を重ね、虚空の領域の鍵を開けよ。
無量なるもの。無限なるもの。無空の高みに至りしものよ。最極に棲まいしものよ。
「我、第一の門をくぐるもの。第一を通り窮極に至るもの。其の眠りの内にて薔薇の海を渡り、銀色の鍵を手に遥か、我は大いなる門の扉を開くもの」
厳かなる詠唱を背に魔剣たちを食い止めるシラノは、ふと想う。
いつか……話題にしたことがあった。
シラノの限界容量に対し、フロランスはどの程度の容量を上限としているのかという……そんな話題。
精神力。そして欲望に直結するという上限容量。
皆が口々に考えを口にする中、彼女は恥ずかしがりながら『三つ分』と答えた。盃三つか、風呂桶三つか。それとも酒場三つか。答えはそのどれでもなかった。
「我は汝が子らなり……我は汝にして、汝は我なり。我が腕は汝の腕、汝の腕は我が腕……我ここに責務を果たす」
ついに詠唱は止み、小さなフロランスの唇から、彼の者へ呼びかける真言が放たれた。
「いあ、いあ……んぐああ、んんがい・がい……! いあ、いあ……んがい……ん・やあ、ん・やあ……しょごぐ、ふたぐん……! いあ、いあ……い・はあ……い・にやあい・にやあ……んがあ……んんがい……わふる……ふたぐん……■ぐ=そと■す! ■ぐ=そと■す!」
シラノ以外の全ての人間には、おぞましい雑音にしか聞こえない。
或いはシラノでさえも真なる音が聴こえず、意味すらも理解できない不浄の音色にすぎない。
だがその声は、時空の果てのその先の大いなるものへの呼びかけとなる。
「いあ! いあ! ■ぐ=そと■す! おさだごわあ!」
――――時空の門は開く。
街三つ分とされる彼女の最大容量の全てが触媒となり、彼方なる者は顕現を果たす。
空間が硝子めいて砕け散り、ひび割れ続け、その亀裂が現世を侵して根を張る如く――――天を衝いて八方に伸び至りたる多量にして巨大な触手。
万物を矮小と比したる大いなる赫きその身は、燃え上がる劫火めいて、天をも焦がす火勢の如く数多のその腕を天空へと伸ばす。
数百――数千――数万とも見える悪魔の蔓。その集合体。伸び続ける空虚なる生命樹。
人は、神を言い表す言葉を持たない。ならば、“これ”をなんと呼べばいいのだろうか。
頭上に広がる圧迫感に、人々は自然と膝を折った。
己が見る空の先には無限無量の虚空が果てしなく広がっていると知ったような……。
己が足元は万物頼りなき凍てつく空白にただ浮いているのみと知ったような……見上げた天に押し潰されんばかりの衝撃。
これこそが触手魔術の深奥。最上級の召喚魔術――――現実を侵食し塗り替える彼の者の触腕であった。
「――――――」
そしてその大いなる触腕は万物を塗りつぶす濁流の如く――街へと迫る矮小なる黒き大群へと放たれた。
◇ ◆ ◇
讃えよ。
讃えよ。
讃えよ。
『――――――――――――――――――――』
其は有限にして無限である。
其は実数にして虚数である。
其は肉体にして精神である。
『――――――――――――――――――――』
崩壊する/形成する――――死滅する/新生する。
赫き奔流が黒き大群を蹂躙する。
赫き炎が、黒き火を、覆い尽くす。
三千世界、四海八景の法則を塗り潰し塗り替える悪魔の蔦。
其の深遠なる指先は、現世を凌辱し/次元を超越し/空間を逸脱し/正気を破壊し/狂気を礼賛し/精神を損壊し/肉体を蹂躙し/存在を抹消し/虚構を創造する。
『――――――――――――――――――――』
赫き大河が黒き獣体へ殺到する。
父なる神の愛撫は魂への拷問であり、生への賛美歌であり、死への懺悔である。
実体にして【いあ】非実体の触腕に呑まれしものは『我』大いなる一の意識の渦に【いあ】取り込まれ、矮小なる精神は『汝』宇宙的な狂気に破綻し――
ここに『我』肉体は精神であり【■ぐ=そと■す】即時その姿に追従し『汝』醜悪にして【いあ】異形なるあぶくに成り果てそして同じく『汝』万象無意味だとて【いあ】全ての影響は『我』無に帰して失せる【■ぐ=そと■す】――
剣を【いあ】取り落とし、腰から【いあ】崩れ落ちた。
幼児の眺める【いあ】万能たる私の現れる【いあ】夢の内に『我』溶け混ざりながら【■ぐ=そと■す】寂寥たる宇宙的現実である【いあ】惑星の孤独を悟り【いあ】し自我は拡散し――
集合する『我』無意識から生じたる【いあ】超自我は【いあ】知るがいい深遠なりし『汝』意識の井戸の奥から我は【■ぐ=そと■す】喚ばれたり【いあ】我を喚び求めたり【いあ】悟るがいい我は【■ぐ=そと■す】汝であり汝は我である【■ぐ=そと■す】――
燃え上がると【いぐないい】同時に凍りつき身体が弾ける『汝』と同時に『我』傷が癒【いぐないい】え消滅する『我』と同時に【とぅふるとぅんぐあ】生誕し――
彼方に放逐されると同時に【■ぐ=そと■す】悪魔的極小確率から『汝』偶発的に【■ぐ=そと■す】再誕し『我』その存在を否定されると同時に『我』生を称賛され【いあ】永劫にして『汝』瞬間の痛みであり喜びである【いあ】痛苦に撹拌され【■ぐ=そと■す】翻弄される――――圧倒的な混沌たる虚無の嵐。
『――――――――――――――――――――』
その混乱を理解できる知性体はおらず。
ただ何者も阻むことはできず、触腕の集合体の一撫でで失神するのみ。
誰が神を知ろうか。
知り得ぬこその神である。
その宇宙的膨大規模にして時空を超越する異界の狂乱に直面した生命はすべからく自我が爆裂し並んで再起再生する歪みに耐えられずに膝を折って屈し倒れていく。
『――――――――――――――――――――』
いずれかでフロランスが止めたらば、万物であり万物でない可能性の影響は一面だけが現世に残り、十次元時空の果てに追放され存在を抹消されるか異形として永劫の時を生きるか、凄惨なる破壊が吹き荒れたであろう。
しかし、その生まれ持った小さな善良さがそれを否定した。
結論として精神の過剰氾濫のみに留まり、淫魔の洗脳を漂白されて失神するだけ。
砂糖に群がる蟻のごとく丘へと殺到した兵は全てが沈黙し、大量虐殺めいて折り重なって倒れていた。
彼の神は、既に光塵へと消える。
そして、
「……先輩」
風が吹く。
荒涼と風が吹く。
阻むものなく、土煙を掃き散らすような風が吹く。
「……」
野太刀を下ろすシラノの周囲に、人影はない。
魔剣使いは混乱に乗じて逃げおおせたのか――……いや、それ以上にシラノの胸を打つことがあった。
避難民の誰もが、もう城壁の外にはいない。
彼女は――その触手をもって、全ての人間を壁上へと掬い上げたのだ。戦地からの民間人の安全なる離脱を果たしていたのだ。
いや、シラノが負傷させた敵兵すらも収容していた。触手でその傷を治しながら。
「……」
視線の遠く、灰色の城壁の上の彼女は……汗で黒髪を額に貼り付けながら、何かをやり遂げたような安堵の笑みを浮かべている。
シラノは、静かに言葉を漏らしていた。
傾き始めた陽光を背負う彼女へと、極星を目の当たりにしたように目を細めながら……。
「あなたは、本当に……。……流石っス、先輩」
赤いマフラーが風に波打つ。
シラノの呟きは、静かに飲まれていった。
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆
◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」 終わり◆
◆第二幕「スケアリー・ヤバイ・モンスターズ」 その一へ続く◆




