第一○六話 ウェイ・トゥ・スター・プラチナム その二
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆
◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」その二◆
戦争だ、と。
フロランスは――体験したことはないが、これが、かつてシラノが語っていたそれなのだと思った。
怒鳴り声や足音が響く。
街の殆どに聳える崖めいた高層住宅のどこからも物音や悲鳴が聞こえる。
慌ただしく走る完全武装の兵士たちや冒険者たち、街頭で呼びかける衛士へ罵声を上げて詰め寄る市民など、ノリコネリアの街は完全に混乱に包まれていた。
かの“黒天宮衆”と思しき魔剣使いの獣人たちによる襲撃――――住人にとっては完全に青天の霹靂であり、それは兵士や冒険者にとっても同じであった。
魔術仕掛けの竜を内に住まわせた城壁に、最新鋭の魔術研究を活かした防衛兵器が武装する都市。
少なくともそんな街を狙うこと自体が、たとえ魔剣使いといえども正気の沙汰ではないのだ――――彼らはそう思い、そしてそんな常識を打ち砕かれた。
喧騒を前にしたフロランスは、隣のセレーネに呼びかける。
「セレーネさん……! ボクのことはいいから、外に……! セレーネさんなら……!」
「……いけませんわ、フロー様。これが淫魔の襲撃ならば、貴女様が狙っている可能性もあります。無論、折角の戦ゆえ馳せ参じたいのは私とて同じですが……しかし乱戦ともなると、守りきれるとも言い難いのも事実」
「そんな……」
宥めようとする眼帯のセレーネは、流石の冷静さなのだろう。
素人同然のフロランスはそれに従うほかなく――……一度拳を握り、すぐに顔をあげた。
「そ、そうだね……エルマリカちゃんもシラノくんと一緒にいるんだから……。ええと、ともかく……ボクらにも何か手伝えることがないか聞いてみよう……!」
とは言っても、彼女が話しかけられそうな人間はいない。
錯綜する情報に兵士たちも浮足立ち、市街での戦いに備えるべきか城塞での水際防衛にすべきなのかさえ統一が図れていないのだ。
シラノの姿は辺りに見えず駆け付ける気配もないが……フローは確信していた。
こんなときに、間違いなくシラノは矢面に立つ。それは前の城塞都市の頃から同じだった。
「でも……どうして急にこんなこと……」
「急に、ではないのかもしれませんね。これまでの行動は、すべてがこのためにあった――……そう考えた方が自然かと思えます。事実、以前の騒動もそうでしたのでしょう?」
「それは……」
以前の事件は、城塞都市の流通の圧迫から始まり――魔物の肉を配給することで都市を支配下に置きながら汚染を進めつつ、並周辺の村落を魔物の巣に変えることで執行騎士を釣り上げ、迎え撃とうとしていた。
目的は、執行騎士――エルマリカの持つ魔剣〈竜魔の邪剣〉。
そうなればこの度もまた、天地創世の魔剣を狙っていると考えるべきかもしれないが……。
「でも……そんなに天地創世の魔剣なんて、そのあたりにあるのかな……? エルマリカちゃんは使わないようにしてたから相手にわかる筈ないし……他の剣だってこの竜の大地に七本しかないから……どこにでもあるわけじゃないし……」
「……」
「この国の王子様が一つ、別の国に二つ、あとはエルマリカちゃんと、行方不明が二つに…………――あ!」
「……そうですね、まさしくフロー様のお考えの通り。“魔剣の王”の臣下であった黒天宮衆などという因縁まで用意しているとならば、おそらくは確実に……」
「剣の一族の、〈赫血の妖剣〉……?」
「……思えば、シラノ様が最初に戦ったレイパイプなる淫魔の所業……より強き使い手を作るための人の交配や品種改良など……剣の一族たちの幾年も行ってきたことにも似ております」
「じゃあ……」
“世に過ぎたる魔剣を討つ”――――そんな調停者たる剣の一族が有する〈赫血の妖剣〉は、“あらゆる魔剣に勝利し得る”と囁かれる。
それが、もしも淫魔の手に渡ったなら……。
いや、それ以上に今のフローの心配を占めていたのは……
「冒険者のシラノ・ア・ローが交戦に入った! 今確認できるのは“魔剣の王”の魔剣を持つ獣人が四人! 触手使いの、しかも一人きりなんかじゃどうせ長くはもたない! 外はいい! 今のうちに市街で迎え撃つ準備を整えろ!」
兵士が〈遠見の水晶玉〉で仲間に伝えたその言葉に、市民たちから悲鳴が上がった。
かつてはこの街も“浄化”の力を持つ温泉を巡って争いの舞台にされたのかもしれないが……しかし現在の王国が〈浄化の塔〉を世に広めてから約百年、平和だったのだろう。
だがそんな市民たちの衝撃よりも、フロランスの衝撃はより深かった。
「どうしてエルマリカちゃんが一緒じゃないの……? どうしてシラノくんが……そんなのと……たった一人で……?」
「何らかの理由で二手に別れた……ということでしょうか。さて……困りましたね。ここで死なれては、私としてもやりきれませんし……そんな訃報をフロー様にお届けするのも……」
「〈赫血の妖剣〉を呼ぶぐらいの魔剣相手に……四本相手に一人なんて……」
指先から悪寒がこみ上げる。フローの喉を焦燥が覆った。
せめて、セレーネさえその場にいれたなら――……自分なんかについていなければ……。
絶望的な気持ちで辺りを見回して――そして何かに目を見開いたフローは、黒髪を揺らして一直線に駆け出した。
◇ ◆ ◇
結論から言うなら――――シラノは死んだ。
そう思えるほど、敵の攻撃は苛烈を極めた。触手外骨格を纏わずに戦いに臨んでいれば、十度は死していただろう。
野太刀を握り、敵へと向ける。しかしその瞬間にシラノは舌打ちを噛み殺して地を蹴った。
無数の死体から流れた血。足元の――血溜まりから刃が生じて襲いくる。
「イアーッ!」
退避のために咄嗟に蹴りつけた“甲王・劔”の触手鋼板が一瞬のちに貫かれた。流石は魔剣か、その刃は研ぎ澄まされている。
いや――攻撃は終わらない。
その獣人が柄を振るうに合わせて、今度は血溜まりが呼応して津波めいて跳ねた。新たに盾代わりに生み出した触手鋼板が呑み込まれ、狂ったような斬撃音が響く。
赤き刃の〈血湖の兵剣〉。その刀身を液体に溶かしたそのときに――液体は刃そのものとなり、切れ味を持ち合わせている。
「――――ッ」
そして身を躱したシラノへと襲いかかる影。大柄の獣人のその手に握られた黒曜色の禍々しい両刃剣――――〈無門の奇剣〉。
さながら死肉を漁るカラスの羽ばたきか。弧を描き、横薙ぎに黒き刃が迫る。
これも咄嗟に召喚した鋼板で受け止め――否、盾にしたその鋼板の裏で触手によってシラノは弓なりに仰け反った。甲高い音が響くと同時に触手鋼板は燃え上がり、千切れ飛ぶ。
体勢を立て直さんとするも、更に一歩詰めた魔剣使いの獣人。黒き刃が、上段から再度迫る。
「イアーッ!」
妨害に向かわせた触手は刃に触れると同時、食い千切られたかの如くズタズタに崩れ落ちた。
舌打ち一つ、咄嗟に外骨格の膂力で後方へ宙返りを敢行する。
(効果が……安定してねえ……ッ! ただ、全部殺されている――それだけは判る……!)
何よりも感覚で理解する。理解してしまう。
あの〈無門の奇剣〉に破壊された触手はそこからの再利用ができない。完全に、いわば、死んでいるのだ。
死を齎す黒き刃――――そうとしか呼べない。
「イアーッ!」
地を蹴り、大柄の獣人目掛けて放つ一閃。
刃に触れられぬならその本体を伊達にする――と打ち放った触手抜刀は、しかし間に割り込んだ死体に受け止められた。
……死体だ。
さきほどまさに獣人たちに命を奪われた悲しき死者が、シラノと黒き刃の使い手の間に盾として割り込んでいた。
否――――これは死体であって死体ではない。
無念に目を見開いたその様は真実、無辜なる死者であったが……激突したシラノの触手刀の切っ先の方が断たれ落ちた。
「……ッ」
これは、切れ味を有している。
黒刃のその遥か向こうからシラノへ切っ先を向けてくる無垢なる真珠色の刃――――〈深慮の神剣〉。
その刀身に映された風景は加工され、幻影として投射される。
幻影にして実体を持ち、切れ味……斬撃めいた破壊力を持つ“刃の一部”として現世に顕現するのだ。
そして、改めて七体――――人壁めいて現れる切れ味を持つ死者の幻影が、シラノめがけて飛びかかった。
「イアーッ!」
ワイヤーアクションじみて触手で空中へ己を釣り上げたシラノは――しかし驚愕に目を見開き、奥歯を噛み締めた。
瞬時に足裏で鋼板を撃発――五度制限のうちの二度目の反動移動“唯能・虚”。
宇宙色の装甲が轟音と共に宙で弾ける。
まさしくシラノ自身を砲弾めいて撃ち出す超常的な緊急回避であったが……しかし、その胸部装甲は切り裂かれていた。
陽光を反射する鋼色の刀身。豪速で虚空を穿ったどこまでも果てしなく長い両刃――――〈涅槃の輪剣〉。
血溜まりの大地で四人目の獣人が構えた樹肌めいた色の魔剣は、音に百倍近い差をつけてその刃を伸長させていた。紙一重遅れれば、シラノの胸をその刃は貫いていただろう。
そして、それ以上の驚愕があった。
(触手が……“解除”される……! 刃に触れただけで、数万年経過したみたいに風化して維持できねえ……!)
触れる物体の時を操作しているとしか呼べない刃。それも一分一秒ではなく、触手を通して、数千年数万年と判る規模の時間操作。
戦いに直接関わらずとも時間制限のある触手では防御できない。いや、この世に防御できるものなどない。数万年もの時を背負わされて、どれほどのものが無事でいられるというのだ。
無論、受ければ即死。
更に異常な速度で迫る剣を相手に、回避は至難。数十キロもの伸長をひと呼吸で行っているのだ。
「……っ」
シラノの頬を汗が伝った。
この四体を相手に、生き残れるヴィジョンは何も浮かばない。エルマリカの到着まで、持ちこたえられるかすらも判らない。
どれも狂った魔剣だ。狂いすぎている魔剣だ。
魔剣序列ノ第三十九位。
突きこめば血流を辿って心臓に刃を発現し、即死させる――――赤き刃の〈血湖の兵剣〉。
魔剣序列ノ第三十五位。
刀身に触れた万物に“あらゆる死”を投影し、否応なく即死させる――――防御無効の黒き刃の〈無門の奇剣〉。
魔剣序列ノ第二十九位。
刀身に映った風景を、実体と切れ味を持ち合わせた超攻撃的にして防御的な幻影として無数に投射する――――真珠色の刃の〈深慮の神剣〉。
魔剣序列ノ第二十二位。
ひと呼吸の間に数十キロもを伸縮し、貫いたものへ数万年規模の時間経過を押し付け即死させる――――回避困難・防御無効の〈涅槃の輪剣〉。
いずれもが一騎当千。
いずれもが蓋世不抜の選りすぐりの魔剣。
まさに神の権能を示す魔剣とは、人智を超えた超常現象であった。
◇ ◆ ◇
そして、街からそう遠く離れてはいないある場所。
血と、煙と、死の匂いが立ち込めるその場所。
畑の近くで横倒しにされた馬車の影に隠れながら、シグネとイングリッドは必死に声を上げていた。
「ジゼルぅ……! 返事してよジゼルぅ……!」
「ジゼル先輩! しっかりしてくださいよ、ジゼル先輩!」
目の前には熱病に浮かされたように汗を浮かべながら、意識を朦朧とさせたジゼル・ア・ルフセーネ。
先ほどまで彼女たちを叱咤しながら走っていた姿はそこにはない。もはや返事をすることもできず、ただ苦しそうに息を漏らすだけだ。
黒髪と金髪を振り乱しながら呼びかけるシグネとイングリッドには応じない。いくら普段から身体を動かしていようと、彼女たちの細腕では抱えて逃げることだって出来やしないのだ。
「これは……まさか……」
リアーネだけが、ただ小さく呟いた。
劇団の皆とはぐれ、それでも面々を励ましながら駈けていたジゼルが倒れたのは街に近付いてから。リアーネには、この現象に心当たりがあった。
遠くから響く甲高い破裂音。かつてある城塞都市で公演したときにも起きたそれは……
「アン、タたち……私はいいから……逃げ、なさい……この先に行けば、きっと……あいつ、が…………最後の、味方が…………希望、が……ある、から……」
「やだよぉ……! ジゼルを置いてなんていけないよぉ……!」
「そうですよ先輩! こ、こういうときこそ……ここが死地ですよ! せめて掴まってください! 逃げましょうよ! ね!」
同じく気付いたのか、痛苦に顔を歪めながらもどこか安堵の笑みを浮かべるジゼル。
だが……懐のうちで魔術絵札を握り締めたリアーネは、なだらかな丘のその向こうを見た。そこで繰り広げられているだろう剣戟を思った。
それはつまり、望む希望がこの場に訪れるはずもないことの証明であり――――また同時に彼女たちの存在は、あることの証明であった。
「ここにもまだ四匹いるじゃねえか。バラ肉になっちまったお仲間に会いてえか? 初めましてだなブタ共……泣き喚くなんて脳みその中身置いてきたか? のこのこ戦場に転がり出てきてコンニチワだ」
唐突に聞こえた、嘲るような獣唸り。
「ふ、えっ」
「ひっ……」
馬車の影を覗き込むように現れた狼の獣人。
手にするのは、血を滴らせた剣。歪んだ枝の如きいびつな刀身から無数の棘がはみ出させた片手剣――魔剣。
リアーネは魔術符を掴み抜いた。だが同時に理解していた。
魔剣なくして魔剣に勝てる者は、一人しかいない。
そしてそんな希望が、ここに辿り着くことはない。
彼女たちの歌劇は証明だ。あることの証明だ。
……世界に再び恋をさせるということは、そもそも世界とは愛想を尽かされるものだと……どこまでも残酷であることの反証だ。
たとえ幾年も魔術を磨いた執行騎士のリアーネだとて、魔剣には及ばない。
そして、シラノ・ア・ローは届かない。
彼がジゼルの前に姿を表すことは、二度とない。
「ハハッ、オレがいるって分かればノコノコこんな場所にいなかっただろうに……オレの魔剣の味、確かめさせてやるよ」
故に、この問題に与えられる解は――――――ひとつしか存在しなかった。
◇ ◆ ◇
火花が散り、剣戟の音が響く。砲弾めいた音が響く。
襲いかかる“切れ味を持った風景の幻影”――それは死体であり樹木であり城壁である――を連続させた三段突きで何とか押し止めつつ、地から襲いかかる血の刃を躱す。
圧力として常に存在しつづける伸縮自在の刃に気を配りながら、幻影にまぎれて振るわれる黒き刃へも応対しつつ――――瞬時に紫の切っ先を撃発。
地に刻まれた“線”を超えんとする新たな獣人が、シラノの後方で片足を撃ち抜かれて地に崩れた。
「ふゥー…………あァ…………」
斬り結ぶこと、どれほど時が経っただろうか。それでもまだ、“線”のあちらに民間人が多数残る。
城門へ詰め寄せた大人数に収容は遅々として進まず、或いは怪我故にそんな雑踏を厭った人間たちが未だに戦場に取り残されているのだ。
彼らは固唾を飲み、或いは呆然とへたり込み、或いは耳を塞いで蹲っていた。
……増援が来る気配は、ない。
「……」
……戦いで望みを捨てたことはシラノにはない。
だが、仮にこの場で“真打”の限界四度の内の一度を――外骨格を纏うシラノの心技体を正しく同調させる“深淵ノ火”の精神拡張を行ったとしても……勝てまい。
そう理解はできていた。
いいや、正しく言うならば――……エルマリカを倒したときの多重合一の抜刀技を今この場で放てば、ただその剣の余波だけで周囲の民衆は死に絶えてしまう。
その剣技を使わねば“深淵ノ火”を灯した意味はなく、今と状況はさして変わらぬだけ。
「……ッ」
口腔から漏れてくる血を拭えず、シラノは清眼に野太刀を構え直した。
反動移動は、既に四度使った。残弾は一発。
それで、もう〈涅槃の輪剣〉の突きを回避することはできなくなる。待ち受ける未来はひとつ。
如何に啖呵を切ろうとも、如何に意気を込めようとも……結果は残酷だ。この世は残酷だ。人の命など簡単に脅かされ、そして奪われる。前世の己のように。
「……」
肩を上下させるシラノの視線の先には、赤き刃・黒き刃・鋼色の刃・真珠色の刃――――四本の魔剣を握る四人の獣人。
そして、丘を下ったその遥か先から迫ってくる暗黒の炎めいた黒天宮衆の本隊は勢いを増している。
遠からず死の黒津波が、街に押し寄せる。
……いつか、死ぬとは思っていた。それは果たして、今日なのかもしれなかった。
土に刻んだ線の向こうの人々が、シラノを見守る人々が、表情を絶望に染めていく。
「こわいよぉ、おにいちゃん……」
その内の少女が目を固く閉じ、兄に縋り付いた。死への恐怖に怯えていた。
故に――――奥歯を噛みしめる。
……いつか死ぬ、ではない。
今死ね。すぐに死ね。此処が死地だ。此処こそが死地だ。
思い出せ。己が名前を思い出せ。己が信念を思い出せ。死地ならば、己が信念は一つだけだ。
(そうだ。俺ァ……触手剣豪だ……!)
シラノの全身から蒸気が上がる。
装甲に無理矢理に触手を呼び出し合一。より強固に外骨格が輝きを増す。
強烈な頭痛が走るが――――構わず宙に二百を超える触手刃を生んだ。その切っ先はすべて、地の“線”にめがけて。
射出に派手な爆音が上がり、土煙の煙幕が立ち込める。
直後、野太刀を触手で覆って鞘を固めつつ――赤きマフラーを棚引かせ、シラノは地を蹴った。
(これで、幻影は封じた――――)
駆けるシラノの全身に、そして外骨格の表面に浮かぶ虹色の召喚陣。
土煙を貫き一直線に現れる鋼色の刀身に――――応じて電流が走り、シラノの筋肉を強制稼動させた。
半身で躱し、左で踏み込み――――――鞘の被さる野太刀が頭上を翻り、繰り出すは柳生新陰流“斬釘截鉄”の変則形。
鞘内での爆裂に加速する刃が、振り下ろされる刃が、紫の一閃が――魔剣を捉えた。本来の“小手”代わりに、伸び切った〈涅槃の輪剣〉の刀身を破砕する。
鋼色の破片が宙に咲く。
流した刃。続く右足、地を押した。
「――――」
脇構えのまま、シラノは跳んだ。
土煙の目隠しでは臭いを頼りにする獣人にさほど効果は与えられない。しかし、レーダーめいて電撃で知らせる“帯域”の召喚陣を持つシラノの方が索敵も反応も照準も上。
ならばこそ、唯一の勝機。
土色の煙のカーテンのその向こうに、捉えしは黒刃の魔剣の主。
地に向け、放つは三段突き。轟音を超えた斬り上げが、漂う土煙ごと両断せんと獣人へ襲いかかり――
「――――!?」
砕けたのは、シラノの刃の方だった。
何故だと僅かに思案し――――答えを得た。土煙そのものを実体ある幻影として放っていたのだ。
仕留め損なったという苦渋と共に、シラノは飛び退る。しかし、そこで更に驚愕を味わった。
爆速で迫る鋼色の刃――〈涅槃の輪剣〉の伸縮突き。咄嗟に奥歯を噛み締め反動移動で躱すも、またもや胸部装甲を引き裂かれた。
何たることか……その刀身は鋭い切っ先に至るまで、完全に修復されていた。
(そうか……伸ばせば魔剣と刃に触れているものの『時』を加速させる……縮めれば『時』を巻き戻す……伸びたところを斬っても、魔剣へのダメージにならねえ……!)
地を削って膝で勢いを止める。
シラノが見上げたその先には、傷一つなく佇む四本の魔剣とその主。淫魔の洗脳故か口を開かない彼らは、ニヤケ目線でシラノを見下ろしている。
そして……全身が軋む痛みにシラノは脂汗を流す。
五度の反動移動は完全に使い切った。触手寄生により強化された肉体は未だに戦闘を可能とするが、体の至るところで血管は破けているだろう。関節も骨も、鋭い痛みを発している。
出せる手札は、すべて使いきらされた。
これが、“魔剣の王”の魔剣であった。
「ああ……そんな……」
避難民の誰かが呟く。
傍目にも、明らかなのだ。シラノの敗北は。彼らもそれを察しているのだ。
膝を突き、シラノはまだ体を起こせない。
そして、処刑の刃が降された。〈血湖の兵剣〉を握る獣人が柄だけになった魔剣を振るう。
片膝をついたシラノの外骨格めがけて、土中から赤き刃が出現し――――
「イアーッ!」
その更に下から放たれた触手抜刀が刃を粉砕する。
同時、シラノの脇を駆け抜け“線”を超えようとしていた獣人の爪先と足首も刎ね飛んだ。
「白神一刀流“無方”――……土煙を上げるだけじゃねえ。液状化させ、土に染み込ませた」
睨みつけ、だが……それでも砕いたはずの魔剣の破片は、また血溜まりに溶け込んでいた。液体に同化するが故か、能力の発現中の破壊は作用しないのかもしれない。
それでも――……シラノは身を起こし、新たに引き抜いた触手野太刀を構え直す。
「大丈夫だ。――――白神一刀流に、敗北の二字はねえ」
それが人々の心の支えになるか、否か。
それは判らぬが――――此処が死地だと言うことだ。
その想いで痛みを堪えて歯を食い縛るシラノへ、鋼色の〈涅槃の輪剣〉の切っ先が向けられる。
この場で最も強い魔剣……。
全身の筋肉に割り込ませるように、召喚陣を発生させた。条件は異なるが、何とか一太刀浴びせれば……少なくとも攻撃を挫くことはできる。
そんな想いで喉を鳴らした、その時だった。
「やっぱり、狼のお兄さんは粋だねえ。それに比べて歌姫の姐さん方を殺そうとするなんてのは無粋だよなぁ……歌姫なんて綺麗どころを斬るなんて、そんなのは人のすることじゃあないぜ? 死体になっても文句は言えねえよなぁ……」
嘲り笑うような、愉快そうな声。
宙に細かな刀身の足場を作って――見下ろしてくるのは、リウドルフ。
既に何者かの血に濡れた刃を握る男が、草臥れた野犬めいた風貌のリウドルフが、渋い緑髪を靡かせながらシラノの隣に降り立った。
そして、心底哀しいのだ――――と言いたげに。
どうしようもない喜悦を隠しきれぬまま、彼は凄惨に嗤う。
「ああ――……整ったねえ。整っちまったねえ。はは、暴力はよくねえってのに……ここまでヤラれちまったら、仕方なく抜くしかねえよなあ!」
周囲には、獣人たちに殺害された人々の遺体。
それに視線を向けずとも、彼は嗤うのだ。犠牲が出たと――――口実が整ったと。
「どうして、お前が……」
「いやあ、最初にお兄さんとヤりあったときに……おれは雇われ者だって言ったろう? ハハハ……いや、一度おれに殺されかけたってのに……おれに話しかけるなんてあの黒髪のお嬢さんはすごいねえ?」
「先輩……!」
フロランスが寄越した、援軍。
かつて数度もシラノと斬り結んだ剣鬼が……今はシラノの隣で、肩にその長大な石めいた色の剣を担いで笑みを浮かべている。
睨むは四体の獣人。魔剣の王の魔剣。
「というわけで恨みはねえが――――」
リウドルフは歯を剥いて、
「リウドルフ・ア・ナーデ……〈石花の杭剣〉、斬るぜ」
それらが敵だと――――高らかに宣言した。
◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆
◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」その三へ続く◆




