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第一○五話 ウェイ・トゥ・スター・プラチナム その一

◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆

◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」その一◆


 ガタガタと馬車の車輪が揺れる。

 濃い桃紫色の長髪が午後の風に膨らむ。白い幌に包まれた荷台から身をいっぱいに乗り出して涼風を浴びながら、初夏の空気にその自信げな灰色の瞳を細める少女――ジゼルへ、馬車の内から呼びかける声があった。


「ジゼルぅ……次の街ってぇ……?」

「んー、ノリコネリアっていう街よ。竜と温泉の街……そう、湯につかれるような形式の温泉! そしてなんか近くに研究院があるから、研究結果が使われた最新魔導具がいっぱいの街!」

「わー、いいですねジゼル先輩! 温泉とかめっちゃ良さそうですですー! あとなんか、“魔剣の王”の魔剣を隠してるって噂も聞いたことあるようなー!」

「……あはは、そこでこの内容の上演って大丈夫なんでしょうか。あの辺りは“魔剣の王”の隠れ信者も多いって聞きますけど……」


 自信なさげな最年少の黒髪赤目のシグネに、劇団の華たる勝ち気なジゼル。ふわふわ金髪ひよこ頭のイングリッドと、困った笑みを浮かべた若木めいたリアーネ。

 いつもの四人組はかしましく、四人で独占した馬車の荷台で会話をしていた。

 次の公演地。公演内容は“調停者”ガルボルクの勇者と“黒衣の災厄”魔剣の王。どこでも好評を得られている演目だ。


「ふふん、安心なさいな! 私たちは演技の度に死んで蘇る! つまりいつだって死地よ! そこが死地なのよ! ほら、そう思えば身体から勇気が湧いてくるわ! 問題ないわね!」

「えぇ……ぼく、ジゼルに死んでほしくないよぉ……」

「そんな前のめりの人、ジゼル先輩だけだと思いますけど……」

「もしいらっしゃったらジゼルちゃんとこの上なく気が合うでしょうね……」

「む。なによ、甘いわね! 私たちはこの世界へ恋をさせるために全力なのよ! ならいつもそういう心意気こそが――」


 また、賑やかな会話に戻る。

 しばらくそうしていたときだった。


「ねぇ、ジゼルぅ……あれ、なにかなぁ……?」


 シグネが顔だけを幌から出して、両脇を囲んだ森の向こうを指差す。

 黒き煙が、立ち昇っていた。



 ◇ ◆ ◇



 白銀めいた星の瞬きを目指す者よ。

 汝の名は難行の勇者。

 汝は退けるはずの獅子を友とし、火炎の洞窟から黄金の指輪を拾い、大蛇へと姿を返し毒の魔女イブルフィーナを葬りし者なり。


 白銀めいた星の瞬きを目指す者よ。

 汝の名は難行の勇者。

 汝は暗闇の大穴に指輪を捧げ彷徨える死霊を癒やし、善き村に病を広めし魔の柳を斬り、千剣を集めし盗賊を討ちし者なり。


 汝、進む道は血と泥の河。

 されど汝、白銀めいた星の輝きを目指す者なり。


 ――――戯曲“炎の魔剣”と“希望の剣士”より。



 ◇ ◆ ◇



 一方、賑やかな酒場にて意気消沈という有様を全身から漂わせる一角があった。

 魂が抜けたようにテーブルに金髪を広げて突っ伏したアルケルと、空の酒杯の領土を次々にテーブル上で広げる黒衣のユーゴである。


「ほら、アルケル殿。例の祭りで今日明日で有名な劇団来るって人も集まってるんで、それでも見て気分転換したらどーでありますか?」

「うぅ……いいよそんなの……僕は……」

「面倒くせーでありますね……さっさと元気出すであります。売っちまったモンはしょうがねーでありますよ。気にすんなであります」

「でもさぁ……だけどさぁ……山津波に呑まれたって言われたらさぁ……そりゃ売ったけどさぁ……形見なんだしさぁ……」

「ははは、なに! そのうち誰かが掘り返すでありますよ! それにほら、我らの飲み代になったと思えば!」

「飲んでるのキミだけだろう!? というかキミ飲み過ぎじゃないの!? またちっともお金払う気ないんだろう!?」

「てへぺろであります! この美しい顔に免じて許してほしいであります!」

「てへぺろじゃないよ、てへぺろじゃ! 顔がいいだけの俗物! この駄目人間!」


 肩を何度も上下させるくらい声を張り上げていたら、なんだかアルケルにもやる気が出てきた。というか好き勝手に飲まれてるのに一杯も頼まないのが馬鹿らしくなってきた。

 ひょっとしてそのつもりもあったのかな、とまた杯を煽っているユーゴを見ながら思ったが……すぐに取り消した。

 いくら何でも飲み過ぎである。遠慮というものがない。どうしたらこんな寄生生物になれるのだろうか。完全俗物究極生命体だ。

 結局ユーゴは魔剣の代金を残った村人へ送ったあと、特に元の村に戻るわけでもなくこうして無気力に過ごしていた。ユーゴはそれに乗じて勝手に奢らせてるだけだ。

 二杯目にとりかかったところで、アルケルはユーゴへとふと問いかけた。 


「……ところでキミの腰のその魔剣って、どんな魔剣なんだい?」

「んー? なんか偉そうに祭壇に飾ってあった魔剣でありますよ。あんまりにも固っ苦しく神官のジジイどもが崇めてたんで、ちょっくらかっぱらって駄賃代わりに神殿もブッ壊してやったであります!」

「……キミって本当に色々と謎な奴だよね。あと危ない」


 腰の鞘を叩きながら笑うユーゴの言葉は、冗談に聞こえるが本気なのだろう。

 得体が知れず嘘や欺瞞も多い軽薄な青年だが、なんとなくそれくらいはアルケルにも察せるようになっていた。

 ……しかしこの先、どうするべきか。

 彼の人生の目標の大半だった問題は既に解決した。そのために日銭を稼いでいた生活も、ひたすら切り詰めて貯蓄していた日常もどこか遠く感じる。

 そう、思案しながら酒を口に含んでいるときだった。


「ボンドーさん……その、ちょっと(ツラ)ァ貸して貰ってもいいっスか?」


 思わず吹き出す。

 刃物みたいに鋭い隻眼を向けて、殺気すら感じる赤マフラーの男が仏頂面で見下ろしてきていた。



 ◇ ◆ ◇



 ノリコネリアの大図書館。

 長机と人で賑わう円形ホールのその奥の受付に、シラノたち四人はいた。

 古文書を読めるユーゴ、王族の権威と執行騎士の身分を明かして開示を求めたエルマリカ、そして代々受け継がれていた“鍵”を持つアルケル。

 そんな三人ならば問題ないであろうな……と黙考するシラノへ、アルケルが情けない声を漏らした。


「殺されるかと思ったよ……」

「……いや、俺をなんだと思ってるんスか」

「キミ、自分の顔を見てから言った方がいいよ……」

「そんな顔してると女にモテねーでありますよ?」

「…………………………………………」


 ユーゴの一言は地味に致命傷だった。

 涙がこみ上げてくるのを噛み殺せば、アルケルがまた悲鳴をあげた。そんなになのか。

 助けを求めるようにシラノの後ろに隠れて裾を握ったエルマリカに目を向ければ、


「あ、よろしくであります! ユーゴ・ア・ヴァルーと申します、麗しいお嬢さん! いやあ、お会いできて光栄であります! 十年して未亡人になったらさぞお綺麗になられるでしょうな! シラノ殿のような勇者にはお似合いでありますよ!」


 顔のいい俗物にインターセプトされた。


「シラノさん、この人いい人ね! わたしのことを綺麗ですって! ふふ、嬉しいわ!」

「…………あァうん。なんか俺が褒めたときと対応違うけどうん」


 指を絡めて満面の笑みを浮かべるエルマリカの前で、ただ何とも言えない気持ちになった。

 何が悪いのか。顔が悪いのか。

 やっぱり女性は顔がいい男から褒められた方が嬉しいのか。どうだろう。そこら編はシラノにはよく分からなかった。

 司書が責任者を呼びにいってしばらく……。

 研究談義や雑談で盛り上がる図書館の空気を壊したのは、汗を浮かべた荒い息の兵士風の出で立ちの男だった。


「シラノ殿! 〈義刃〉にして〈破城〉のシラノ殿は居らせられるか!」


 急ぎ駆けつけたような尋常ではない様子の伝令の姿に、背後でボンドーとエルマリカが身を凍らせる。

 そして告げられたのは、獣人と魔物による襲撃という話だった。

 一体なんの利があったのか、突如としてノリコネリアの郊外に現れた混成軍が襲撃を開始。そのまま付近の農地の襲撃や街を目指していた民間人や商人を殺戮し、地図に放たれた炎の如く都市目指して進撃を行っている。

 衛士らはすぐさまに呼応し、既に展開を開始しているようだが……


「……“四海終焉”の七振り?」

「は、少なくとも〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉〈無門の奇剣(オグマオルナ)〉〈深慮の神剣(エルキィン)〉〈涅槃の輪剣(スヴィガレヴィアン)〉の四振り……どうやら他にも魔剣を多数有しているようでして……」


 〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉――背後でボンドーが声をあげた中、シラノは眉を寄せる。

 魔剣すらを含めた大攻勢。

 実質的に処分中に等しいシラノにまで声をかけるとは――手が足りないということは、伝令の顔色からも推察できた。


「……状況は?」

「現在、王都のエセルリック殿下へ火急の馬を走らせております! 更に付近の魔剣を持つ領主にも援軍を求めています! しかし防衛線を敷こうにも、商人などまだ城壁の外に多く……逃げ遅れる者も未だに多数……!」

「……他の冒険者の方は?」

「ハッ、その、依頼にて出払ってしまって……今はこの近辺には魔剣使いはおりませんが故に――……その……対応可能なのが……」


 シラノも聞いてはいた。近頃は依頼の内容が激化している。魔剣使いには優先的に回され、特に〈浄化の塔〉も及ばぬ郊外への派遣が多いと。

 魔物や盗賊による騒乱の激化。

 おそらくそれも、相手の作戦の内であった。突発的な偶然ではなく――――計画的な虐殺なのだ。

 故に、


「防衛線の構築と民間人の収容までの殿(しんがり)っスね。……承知しました。師と流派の名において、可能な限り時間を稼ぎます」


 一度目を閉じ、喉を込み上がった焦燥を抑えるようになんとか呼吸を整える。

 複数の魔剣使い――――……今までの経験は一度だ。ただ、そのときは自分一人ではなかった。

 震えそうになる指で拳を作り、努めて心を落ち着けながらシラノは背後へ目線をやった。


「……エルマリカ。一つ頼んでいいか? ボンドーさんたちと、呪本の確認をしてくれるか?」

「駄目よシラノさん……そんなの駄目……! わたしは無敵なの……わたしは無敵の竜なのよ……! こういうのは、シラノさんじゃなくてわたしの方が行くべきよ……!」

「エルマリカじゃねえと、多分まず読ませて貰えねえ。騒ぎに便乗した賊だと思われるかもしれない。……ひょっとしたら、相手の目的に関わっている可能性もある」


 そう告げればエルマリカは青い目を見開き――……やがて俯きながら力なく首を縦に振った。

 彼女もかつては執行騎士だった。優先順位というのは、幼いながらも存分に理解をしているのだろう。

 フロランスにはセレーネがついている。メアリは別件だが、彼女ほどの使い手ならば心配は無用。

 あとは可及的速やかに敵に向かうだけ――。

 そう発現した野太刀を握り締めたシラノの背の向こうで、しかし、涙をこらえた少女の声が漏らされていた。


「どうして……? 難行じゃないなら、わたしはあなたの力になれるわ……やっとあの日の御恩が返せるのに……こんなわたしが、ただ一つだけあなたに返せるものなのに……」

「……」


 答えずに、出口へ向かう。

 騒動へ集まって来ていた人だかりが割れた。望む、望まずとてシラノの道を開いた。開けていた。

 奥歯を噛み締め、人々から向けられる目線を振り切るように足を早める――――そんなシラノへ、


「す、すぐに駆けつけるから……! シラノさんのことは絶対わたしが助けるから……! 絶対に助けに向かいますから……! お願いだから……お願いだからどうか無理だけはしないでくださいな……!」


 青いワンピースドレスの裾をくしゃりと握り締めたエルマリカが、金髪を揺らしながら声を張り上げた。

 無言で応じ、そうして、静かに扉が閉まる。

 一度だけ視線を落としたエルマリカは、涙を拭い、改めて職員に向かい合った。



 ◇ ◆ ◇



 若者は、赤き炎を見た。

 かの剣神、火の七日間を起こせし大災厄の写し身か。野山は神の詩の景色だった。


 若者は、黒き男を見た。

 かの黒衣の王は民草の屍を山めいて詰み、大河めいて血を流させ、篝火めいて村落を灰に変えし男だった。


 若者は、錆びた剣を見た。

 かの寡黙なる若者は誰よりも心優しく、誰よりも誠実で、誰よりも死を悼む男だった。


 ――――詩文“黒衣の王”と“最後の光”より。



 ◇ ◆ ◇



 半獣人の商人――赤髪のカーラがそれに気付けたのは、生まれ持った幸運としか言えなかった。

 顔も見たこともない父親から半分だけ受け継いだ獣の血。

 だから、血の匂いに気付いた。血と煙の匂いに気付けた。そうして今、走っていた。

 持ち上げるスカートの裾が重い。揺れる胸も服から飛び出しそうだ。旅人向けの酒場の給仕の如き、コルセットを巻いて胸元を強調した女性服。客寄せに着込んだ服は、逃げるのには向いていなかった。

 非常に特徴的な野狐の如く尖った大きな耳。それは完全に伏せられていた。


「なんなんですかーぁ……やめてくださいよぉ……なんなんですかーぁ……なんでこうなるんですかーぁ……お金溜まってきたのにぃぃぃ……お店持とうと思ってたのにぃ……」


 どれほど泣き言を漏らしても、どんな神様も答えてくれない。

 人々は我先にと逃げ出していて、カーラとてそれは例外ではない。ただ、そんな人々は末期の悲鳴と共に一人また一人と消えていく。死神が指で摘むように、姿を消していく。

 まさに駆り立てられる狐だった。

 どんなに涙を流したところで祖神たる〈白狼と流星の神(デーングゥ)〉は応えてくれず、商売の神も薄情だ。もうここは、とうに〈戦と死と門の女神(ネーメイン)〉の管轄になっているのかもしれない。

 有名な女優のいる歌劇の舞台が開かれると聞き、それに集まった近隣の住民やカーラのような商人の命は稲穂の如く収穫されていた。

 そして、ついに。

 疾走も虚しく小石と血溜まりの泥濘に足を取られてしまった彼女にも、その死の神の指先が迫っていた。


「ひぃぃぃ……アタシも同じ獣人ですからぁ……半分は獣人ですからぁ……許してくださいよーぉ……お嫁さんとかはヤだけど、許してくださいよーぉ……お金なら言い値で払いますからぁ……」


 血と泥に汚れて、涙ながらに耳を伏せた彼女の命乞いも意に介さない。

 薄笑いを浮かべる獣人は刃を構え直し、へたり込んで失禁するカーラ目掛けて剣を振り下ろさんとし――――その腕が、紫色の触手に抑えられた。


「イアーッ!」


 号令に合わせて、いびつな音を立てて関節が逆に折り砕かれる。

 更に全身に巻き付いた触手の縄が、獣人を再起不能に折り畳む。子供が乱暴した人形の如き醜悪なオブジェめいた姿で、想像を絶する痛みに獣人が気を失った。

 二人の間に割り込んだシラノは、


「向こうの城門まで。……走れますね」


 振り向かず、ただ指差す。

 涙目で頷き、手を伸ばそうとしたカーラに構わず――すぐに地を蹴り、赤いマフラーを靡かせながら次を目指して疾走した。


《雄獅子を伴いし者よ。かくも慈悲なる者よ。定命にして不屈の勇者よ。……我は街を護らねばならぬ。貴君にも武運を。どうか、その善なる心に血を流さないでくれ》


 市外に向き合おうと壁の中で姿勢を変えていた石竜の言葉を思い返しながら――混乱と焦燥が渦巻き悲鳴と罵声が上がる戦場を進む中、シラノは見た。

 血を纏い爪を振るう敵たちを斬り下しながら、シラノは見た。


 幼子を抱きしめて息絶える母。

 妻と手を握り合いながら事切れた老人。

 弟を庇ったまま諸共に貫かれて絶命した姉。

 血塗れの誰もがただ無念そうに目を見開き――――命を奪われていた。当たり前の一日を、想いを奪われていた。

 明日は来ると思ったはずだ。

 やりたいことだってあったはずだ。

 なりたいものだって、大切にしてたものだって、楽しんでいたことだって――――それなのに……。

 彼らの日常の笑顔を思い浮かべた途端、胸に沁みる涙にも似た熱痛を覚えていた。

 ツンと鼻の奥が痛む。

 胸のどこかで、頭のどこかで、荒涼と風が吹いている気がした。


「この人たちは……この人たちが……手前(てめ)ぇらは……」


 カタカタと、刃が震える。


手前(てめ)ぇらは、どうして踏みにじる……この人たちの命を……罪もねえ人々の命を……いったいなんだと思ってやがるんだ……」


 答えは返らない。

 雄叫びとともに飛びかかり来た獣人の腕を刎ねた。返す一太刀、鼻を削ぐ。

 更に一体。組みかからんとしてきたその顔面を殴り砕く。もう一体。真横から伸びきた腕を握り潰し、踵で膝を蹴り折った。

 振るう一刃――さらなる獣を斜めに撫でて、爪先で地を押した。

 風が吹いている。心は凪いでいる。

 唸る剣風――――手を取り合った兄妹に追い縋る獣人の足を串刺しにした。

 放つ一閃――――父を庇う娘を引き裂かんとする魔物の頭を輪切りにした。

 吼える一撃――――泣き叫ぶ童へ牙を立てんとする人狼の胴を鯖折りにした。

 誰も答えを返さない。シラノ自身すら言葉を発することなく、ただ刃だけが唸りをあげた。手応えを発していた。

 風が吹いている。心は凪いでいる。

 逃げる人の流れに逆らい、大海を分かつようにシラノは進む。虚空の召喚陣から生じた破裂音に獣人たちは血煙を発し、呻きながら地に崩れていく。


 一歩、一太刀。もう一歩。

 豪風が炸裂する。爆音が号列する。刃閃が破裂する。

 射出する触手刃が敵を穿ち止め、抜き打つ触手刀が足を斬り落とし、繰り出す野太刀が鼻先を削ぎ断つ。

 怒号や悲鳴を背負い、保護に来た騎士の吶喊を背に受け、へたり込んだ市民の安堵の涙を背後にした。

 やがて視界が開けた血塗られた草原には――剣を構えて佇む獣人たち。その毛むくじゃらの身体の向こうに、さらなる追撃を行わんとする獣人と魔物の混成軍が見える。

 爛々と目を輝かせ、眼前で獣笑いを浮かべる漆黒の犬の獣人――四人。

 ただならぬ圧力から察するに、おそらくは魔剣使い。


「……」


 握る野太刀を鞘に収めた。そしてシラノの腕を、足を、胴を――――極紫色の触手が巻き締めていく。

 そのまま、押し殺した声で静かに告げた。


「引き返せば、命までは取らねえ。おとなしく剣を捨てるなら、減刑の嘆願もする」


 はためく赤いマフラー。土煙と血風の中、それだけが鮮烈に風に尾を広げる。

 目の前の獣人たちは笑みのまま言葉を返さない。

 波のごとく迫る敵の大軍は、まるで勢いを落とさない。


「それでも進みたいなら――――」


 奥歯を噛みしめると同時、超高音域の破裂音とともにシラノの背後に土煙が上がった。

 横一文字――――剥き出しにされた土の線を背に、鬼めいた外骨格のシラノは寂寥と言葉を放つ。


「この線は命の線だ……ここで暮らす人々と、平穏を願う人々の……越えちゃならねえ命の線だ……」


 尖る視線のその先には、禍々しい刃と使い手たる獣人。

 その剣の向こうで上がるは土埃。

 醜悪なる黒き炎めいた軍勢が、蒼き鬼火の魔物と黄白き牙を向いた獣人が、どちらも黒色のその身体を揺らしながらに草原へ放たれた火の如く迫ってくる。

 己の隣に、誰もなし。

 己の背後に、人はあり。

 待ち受けるは、数多の魔剣と数多の死――――……。


「誰も死にたくはねえ……殺されたくはねえ……」


 刃が震える。腕も震え、足も震えた。だが、噛みしめる奥歯だけは揺るがなかった。

 そうだ。

 奪われてはならぬ。奪わせてはならぬ。止めねばならぬ。守らねばならぬ。彼らが理不尽に殺されていい理由など――この世のどこにもあるはずがない。

 死の道理など、涙の道理など、そんな呪いを許していいはずがない。


「これは、当たり前の幸せを望む……人の命のその線だ」


 故に――――


「踏み込めば、俺が斬る」


 ここが死地だと――鬼の面頬のその奥で、赤き瞳が炎をあげた。





◆「ブレイド:カタナ・ヘル」 第一幕◆

◆「ウェイ・トゥ・スター・プラチナム」その二へ続く◆

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