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第一○四話 お姉ちゃん独占禁止法


 豪風吹き荒れる暗夜、草原にて二つの影が対峙する。

 一人――狼の如き焦げ茶色の髪。隻眼。

 野太刀を片手に、鮮血めいたマフラーを棚引かせたシラノ・ア・ロー。


「……どうしても、抜かずに済ますことはできねえっスか」


 視線の先に対するは、もう一人――――否、一体。

 それは、美貌。

 一列に切り揃えられたる錆白の前髪の下、戦乙女の如き瞳は真紅の硝子玉。まさしく刃物の如き――瞬きひとつすらも揺るがぬ硬質の、石造りの美貌の少女である。


「できぬな。できぬ相談だ……今更ここで退けぬとは、貴公にも理解できよう。いや、貴公だからこそ汲んでくれよう。……抜くがいい」

「……」

「貴公が抜かねば、我はあの簒奪者たちを殺し続ける。我が主無きあとその財を手にしたすべての者を――……たとえあのような無垢にして無謬の、善良なる少年であってもだ。我はそう定めた。……この八つの剣で、殺すと」


 赤二つが灯りし闇の中、吹き付ける風に――踏み荒らされた雪の如き穴だらけの白外套が膨らんだ。

 そして、飛び出したるは四対八本の灰色の石腕――――古代帝国が開発した魔導絡繰/剣術指南人形。朽ちたる筈のとこしえの守護者。あらゆるものを取り零した役立たずの石塊。

 その石造りの少女が、血の通わぬ朱瞳で言い表す――――()()()、と。


「立ちはだかるなら剣士として斬る。逃げるならば、その背を斬る。……如何にしろ貴公をまず討つ。肩を並べて賊を払おうと、幼子を守ろうと、我が刃を留める理はなし」

「……」

「剣士として死にたくば剣を抜け。匹夫として討たれたくば背を見せよ。――――貴公の答えは如何に! その名、この世に如何に名乗りたまうのか!」


 八つの殺意が、見慣れぬ構えを取る。堅牢たる剣の檻めいた八重の囲い。

 彼女が宣言したるは己の必勝。即ち、相対するシラノの必敗である。

 ならば、


「……白神一刀流のシラノ・ア・ロー」


 もはや、互いに言葉は不要。

 取るは蜻蛉の剣位。宵風が哭く。真紅のマフラーが波打ち、込み上がる機を知らせる。

 決するは百刃の果て。千刃の彼方。万刃の向こう。

 まさにこれを剣理と呼び――――いざやこの死地、斬り結ぶほかに術はなし。


「我が師の名にかけて、白神一刀流に“敗北”の二字はねえ……!」


 意気を衝き、息を吐く。右の赫眼が見開かれる。

 握るは柄。掲げるは野太刀。いざ左で地を踏み押し、その躰は嚆矢(こうし)と化す。

 (ひょう)刃金(はがね)がわななき――……残響ひとつ、刃鳴(はな)が咲き、刃音(はね)が舞った。



 ◇ ◆ ◇



 天地の始まりとなった原初の炉の、その女神から炎剣を騙し取った〈剣と水面の神(バトラズ)〉は地上を炎に包み込んだ。

 炎の七日間。

 神々の終末戦争。

 三神と四振りの天地創世の魔剣を前にしながらも世を焼き続ける〈剣と水面の神(バトラズ)〉を討ち取らんと――――やがて声を上げたのは、神ではなく人の勇者であった。

 全ての魔剣に勝つとされる〈赫血の妖剣(スクレップ)〉。

 その担い手に名乗り上げたる勇者には、七つの難行が課せられた。



 ◇ ◆ ◇



 図書館の起源は古い。

 人類史に刻まれるおそらく最古最大の図書館はメソポタミア――――実に紀元前七世紀。かのローマの神祖が建国を果たすときには、中東のアッシリアには大図書館ができていた。

 他に有名なものといえばアレクサンドリア図書館であろう。

 あのアレキサンダー大王の側近であったプトレマイオス一世が、大王無きあとの後継者争いの後にエジプトでファラオとして身を立て、そしてその息子の治世に建立されたという大図書館である。

 道行く旅人の書をも呼び止め写本して蔵書にしていたというのだから、もう凄まじいという他ない。

 ……もっとも後年に火災を受けているが、その火の主が「かのアレキサンダー大王の歳となってもまだ何も為せていない」と嘆いたユリウス・カエサルであるというのは奇妙な縁であろう。


 閑話休題。

 つまりこの竜と温泉の街ノリコネリア――近くに魔術研究院を有するこの最先端の都市の図書館ともなれば、その蔵書量は推して知るべしであった。

 ノリコネリア学術研究館。

 利用者で賑わう長机が無数に並べられた円形の大ホールの奥には受付があり、その先の閉架書庫には膨大な蔵書を収めた多数の本棚が聳えている。

 貸出は禁じられているため、全てこの建物内で確認するしかないのだが……。


「……」


 高層ビル群めいて長机に積み上げられた背表紙の前、向かい合うこと何時間だろうか。

 重厚な装丁のされた歯車切り替え式の魔術砂版書籍を閉じて、シラノは固く瞳を閉じた。

 与えられた最後の難題――――「全ての試練を踏まえ、汝の為すべき難行を為せ」――――という指令。

 その手がかり、そしてアンセラの唱えた『魔剣の王と淫魔の首魁』という仮説の裏付け――そのために資料を探しに来たところまでは良かったのだが……。


(……アテにならねえ)


 ……何の成果も得られていない。そも、文献によって最後の難題があるとするものとないとするものがあるのだ。何ならその前六つの内容にも違いがある。

 読書は趣味だ。趣味だった。多分まだ趣味だと思う。この世界では一度もしていないが。

 そんなブランクのせいだろうか?

 目の前には積み上げられた〈剣と水面の神(バトラズ)〉を討った難題の勇者、そして魔剣の王に関する書籍……その起立する荘厳な背表紙に威圧感を感じてしまうのは。

 正直、いくら趣味としても――……こう、流石に延々と似たような内容の文献を読み漁り続けるのは、いくら文学少年だったシラノであっても痛苦を通り越して拷問に近かった。

 妙に表現が違う。

 あるいは唱えられている説の引用元(ソース)が不明。

 もしくは途中から謎の論の飛躍を見せたり、馴染みのない別の逸話や表現を当然知ってることのように引用してくる。


(……文系とかで大学に進んでたら、こういうことも多かったのか?)


 その前に頭を轢き潰されて死んでしまったからシラノには何とも判らん話である。

 ……時の流れが同じならば、弟妹はもうとっくに大学は出ているだろう。そも進学したのだろうか。結婚の予定はどうだろうか。幸せにしているだろうか。……兄の突然死に妙なトラウマを抱いていないのだろうか。

 急にグツグツに煮詰めたコーヒーでもかっ喰らいたいような気分になったが、この世界にはそもそもコーヒーがない。なんとも悲しい話であった。


「うん? どうしたんだいシラノくん? ほら、新しいの借りてきたよ?」

「……うす。その、ありがとうございます……先輩」

「ふっふっふ、もっと感謝してもいいんだよ? もっと声に出しちゃってもいいんだよ? キミは朝からずっとお姉ちゃんを独占してるからね! そう、これはもうお姉ちゃん独占禁止法違反と言っちゃってもいいんじゃないかな!」

「お姉ちゃん独占禁止法」


 緩みかけた涙腺を破壊するかの如く、腰に手を当ててドヤァとコートに包まれた胸を張って言われると……知らないだけでこの世にはあるのかもしれないと思わなくもなかった。


「……そうですね。いや、ともかく、すみません。先輩には迷惑をかけてばかりだ。申し開きもねえ」

「え。どうしたの。……その、なにか悪いものでも食べたの? それともまだ傷が痛むとか……?」

「…………………………………………………………………………もういいです。この大うつけ」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇ!? なんなのさ一体!? 冷たくないかい!? 心配してる先輩に酷くないかい!? 献身的に手伝ってる師匠に対してあんまりじゃないかい!? お姉ちゃんに家庭内暴力!? 言葉の暴力ってやつかな!?」

「……いや家庭じゃないです。何度も言いますけど」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 マフラーを引き上げ、シラノは吐息を漏らした。

 それに傷が引き攣って生まれた痛みをなんとか噛み殺す。……六つ目の難行によるものだ。

 八つの名剣を操る機械仕掛けの剣士。遥か昔の帝国由来のそれが、ある魔剣に対する()()()――――所有者に降りかかる呪いと呼ばれる事件を起こしていたとは、思いもよらなかった。

 とはいえ、今回は致命傷に繋がるような傷でもない。


(……バルドゥル先輩から身体の動かし方を習ったおかげだな。まぁ、まだまだ至らねえ。もっと精進しねえと)


 如何に天地創世の一振りを断とうとも、人の身は容易く傷付く。簡単に破壊される。故にこそ生きて帰るために鍛錬というのは大切だ。

 呪術拳士――南派塞印拳(なんぱさいいんけん)の初歩の手ほどきである足運びや身体操縦は、かつての薬丸自顕流を記憶を手繰ってなんとか再現しようとしていただけのシラノにとって大いなる助けになっていた。


「シラノくん、今日も午後からはバルドゥルさんのところにいくの?」

「うす。予定を空けて貰ったんで。もっと修行して強くならねえと。……そうだ、先輩はお手隙っスか?」

「うん。今日はお仕事おやすみだよ? なら一緒に行こっか。誰かに教わってるシラノくんを見るのも初めて――――……ハッ!?」

「……先輩?」


 紫色の宝石の如き美しい目を見開き、彼女は珍妙な顔で停止した。

 そして、


「シシシシシシ、シラノくん! シラノくん!」

「うす。……なんスか?」

「キミの目の前にいるのはかわいいかわいいお姉ちゃんだね? とっても頼りになる先輩だね? そして――――し、師匠だね? ボクが師匠だね? だよね? ボクこそが師匠だよね?」

「……?」

「ええと――――こう、そうだよ! うん、ボクがこそシラノくんの師匠だからね! 一番の師匠だからね! ボクこそがね! だからこう……頼りになる……こう、師匠だから! シラノくんに完全に独占されちゃってるシラノくんのためのシラノくんだけの師匠だからね!」


 いったい何が彼女にあったのだろうか。

 胸の前で握り拳を作って、やけに「師匠」を強調しながら身を乗り出してくる。

 どうしてしまったのだろう。

 それともこの世界には「突発性師匠主張症候群」なる病気でもあるのだろうかと、シラノは内心首を傾げた。

 しかしそんな様子にも気付かぬまま、彼女は何か必死そうな顔から名案が思いついたという明るい表情になって、


「あ、そうか! そっかそっか! そうかぁ〜〜〜〜〜〜! なるほどね! うん、わかったよ! なるほどこれだ!」


 ぽん、と手のひらを打ち合わせる音が響いた。

 ぴょん、とその頭の片側のもみあげで作られている三つ編みが揺れた。

 相変わらず感情を動作に反映するタイプであった。


「……いきなりなんスか先輩。図書館ではお静かに」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……うんごめんなさい。そこはごめんなさい。でも……こう、閃いたよ! 頼りになる師匠だからね! シラノくんの一番の……いや唯一にして絶対不可侵の師匠だからね!」

「……」


 本当にどうしたのだろう。頭の病気か何かだろうか。触手使いは正気を失っていると言うし。

 いたたまれない気持ちになったシラノの前で、彼女は気にせず腕を組んで大いに頷きだした。


「いやぁ、わかるよ……わかるわかる。そうだね、シラノくんは読書とかが苦手なんだね? 座って勉強するのがきっと苦手なんだね? うん、いやシラノくんは見るからにそんな感じだよね? だからきっと今もものすごく苦しんでるよね!」

「……」

「だったら仕方ないなぁ! ここに頼りになる師匠がいるじゃないか! とっても頼りになる先輩がいるじゃないか! 理想のお姉ちゃんが! ふっふっふ、わかるかい? ボクが何を言いたいかわかるかな?」

「……いや難行を手伝わせちゃいけないんで」

「む、むぅ……。だけど別に答えを教えるわけじゃないし……それにほら、こう、一番の師匠としてね? 唯一の師匠としてね? そう、誰がシラノくんに何を教えようとも不動である最高の師匠として、そこまでシラノくんが読書が苦手というなら――」

「いや得意……いや、読書好きっスから」

「…………………………………………………………………………ウソだぁ。絶対ウソ。それはウソだよ。すごいウソ」


 嘘のわけがあるか。なんだと思ってるのかこのスカポンタンばか女。

 まさか大図書館に放火した上で叫びだす狂信者や蛮族だと思われてるのか。クソイカれてるときのキリスト教徒でもあるまいし。

 解せないと思いつつ、歯車で頁を切り替えた。

 また似たような逸話が出てきた。若干うんざりして丸ごと焼きたくなった。



 ◇ ◆ ◇



 初夏の草原を吹き抜ける風は、実に爽快な心地である。

 未だ熱線と呼ぶには大人しい陽光を、それでも全身に浴びようとする若草色の植物が覆う丘の上で踊るように二つの影は組み合っていた。

 片や、孤狼の如く距離を詰めながらも我流極まりない拳や蹴りを放つ茶髪のシラノ。

 片や、回る風車の如くそれを的確に捌きながら拳を放ち寸止めする銀髪のバルドゥル。

 若獅子の手合わせめいた組み手は、やがて地に転がされたシラノへバルドゥルが手を差し伸べたことで終わりを告げた。


「うす。……ありがとうございます。流石ですね、バルドゥル先輩」

「いえ、シラノさんこそ」


 まずは身体を温めてから……と準備運動を終えた二人は、日焼け防止に目深にフードをかぶるフローの前で教練を開始した。

 実にこれで四度目ともなるバルドゥルの講義。柔和な笑みの彼が説明するのは、ついに彼の流派についてであった。


「さて――――では、淫紋……いや呪術についての説明に入りたいと思います。わからなければ何度でも説明しますので、楽に聞いてください。あ、質問はいつでも受け付けますよ」

「うす」

「まず呪い……というのには障害が三つあります。精神的肉体的な抵抗力の高さと、“貴”の力による浄化、そして同じく“卑”の力による相殺です。ええと……簡単には植物だと思えばいいかな?」

「植物……ですか?」

「はい。まず、つるつるの大理石の上のような根をはる『とっかかり』がない場所では育つことができません。そして火で焼き払われたらどうしようもない。最後に、より強い植物に栄養を吸われていても咲きません……あくまでも一例ですが」


 身振り手振りを交えながらの説明に、シラノもなんとなく頷いた。

 

「なので、この三つをどうするか――この場合二番目と三番目は置いておくとして、どうしたらいいと思いますか?」

「とっかかりを……作る?」

「そのとおりです、シラノさん! 例えば意識や注意をそらす、身体を弱らせる、心を追い詰めるなどで呪術の隙を作るんです!」

「それが……打撃なんスね」


 打撃を受ければどうしてもその衝撃と痛苦に気を取られる。

 そこを穿つことが、この武術の肝であるようだった。


「一撃を打ち込むことで肉体的精神的な隙を作り、そこに呪術を使う。――これが刻印呪帯拳(こくいんじゅたいけん)。そして更にこれが南派と北派によって変わります」

「はい、師父(せんせい)。どのような違いが?」

「南は船の上の戦闘が多いため元より手数の多い武術が多く、北では大地を踏んで足の力を込める打撃が多いです。結果として元にした武術の威力の違いから、南派は『己の身体に呪術を使うように』……北派は『敵の身体に呪術を使うように』変化しました」

「ええと……隙を作るための大本の武術の技の威力が、違ったから……スか?」

「はい、そのとおりです! 流石はシラノさんですね! ……と、ここまで刻印呪帯拳の説明をしましたが、僕の流派は南派塞印拳なのでシラノさんは相手でなく己に使う形のものを行います」


 南派と北派では、同じ呪術を元にしていても使い方が異なる。

 バルドゥルのように性に関わる淫紋の呪術拳士は――北派ならば北派印媒拳(ぼくはいんばいけん)、南派なら南派塞印拳。

 老化や幼化などの年齢に及ぶ呪術は北派印歪拳(ぼくはいんわいけん)南派印蘭拳(なんぱいんらんけん)。樹化や石化の北派印夫拳(ぼくはいんぷけん)南派印鋼拳(なんぱいんこうけん)など……同じ呪いでも違いがある。

 背筋を伸ばして聴き入るシラノの前で、バルドゥルが意気強く拳を握った。

 

「さて! 本来ならば意味ある呪術の形の呪印の書き取りから始まり、そして戦闘時にも動じず呪印を思い浮かべられるような肉体鍛錬……それを行えたのちに呪力の使い方となりますが……今回は実際に淫紋を体験していただきましょう!」

「うす。服を脱げばいいですか?」

「はい、あ、力を抜いてくださいね。これからシラノさんに淫紋を使いますから……大丈夫ですよ、僕に身を委ねてくれれば」

「うす。その……初めてだから優しくお願いします」

「ふふ、僕は何度も経験があるのでご安心ください。痛くしませんから」


 野外で上を肌けるのは少し恥ずかしいなと思うシラノと、任せてくれと頷くバルドゥル。


「うぇぇぇぇぇぇぇ……その会話は誤解生むよぉぉぉ……」


 なお、フローは呻き声を漏らした。風に散っていった。



 ◇ ◆ ◇



 そして、実に十数分後。

 彫刻に手当たり次第にノミを打ち込んだような赤い傷跡だらけの上半身を晒したシラノは、正座をし、


「おいは恥ずかしか。腹ば詰めっぞ」

「……シ、シラノくん元気出して? ね? ほら、ボクも一緒にやり方考えてあげるから……ね? 大丈夫だよ? ボクがついてるから……だから安心して? ね?」


 心の奥底からいたたまれない気持ちになっていた。フローの優しい態度が余計に心の傷口に染みるのだ。

 額に銀髪が汗で張り付くまで熱心に行ったバルドゥルは、思案顔から、


「そうか……触手使いは精神的な影響を受けつけないんだった……てっきり他の“卑”の術者に同じく、相手に受け入れて貰えばいけるかと思ったんだけど……」

「うーん、自分自身の触手の分泌液ならともかく……やっぱり外からだとそういうのも完全に通じないんだろうねぇ……その辺の隙があったら淫魔と戦えないし……」

「ええ……思った以上に耐性がありすぎましたね。しかも毒や麻痺などの身体的な状態異常もほぼ受けないというと……とにかく淫紋との相性が悪過ぎる……。系統が似ているから呪力を使うのは上手くいったのですが……」


 水が染み渡るように、火が広がるように、根が張るように、そして風が生まれるように――――という呪力による印字までは行えたが、そこまで。

 完全に難航というより座礁したのだ。船底という名のシラノの心には大穴が空いた。

 それでも、いつの間にかフードをおろして黒髪を露わにしたフロランスと顎に手を当てる銀髪のバルドゥルは、まだ真剣に議論していた。


「……その、フロランスさん。でしたらシラノさん自身が……彼自身に行うなら正常に作用させられませんか? 自分自身で身体に淫紋を使うなら……」

「うーん。ボクはともかくシラノくん、身体も触手に寄生させてるから……多分そのあたりもあってもっと効きづらいのかなあ、って」

「なるほど……これは困ったな……」


 今度は入れ替わりにフローが提案をする。


「あ、そうだよ! ええと……なら例えば触手にその紋を作って同時に身体にも刻むことはできるかい? 心と身体を一致させての二重がけなら、それならひょっとしたらシラノくん自身でやるなら通用するかも……」

「いえ、今度は呪術の方が難しいんです。……例えば時間差を作るとか、あとは全くの同時でも別の種類となら訓練すれば可能ですが……同時に複数のものに対して同じ種類のものとなると……」

「そっか……時間差でやろうとしても消えちゃったから無理かぁ……」


 その後もしばらく二人が、ああでもないこうでもないと親身に話を続けてくれる。フローなんて人見知りを放り出してまでだ。

 いたたまれなかった。

 泣きたかった。

 これほどまでに善良な人々の手を煩わせているのが、もう心底悔しくてしょうがなかった。

 恵まれた立場にいることの喜ばしさと、それ以上に申し訳なさが募っていた。


「とりあえず、基本的な四つの紋については教えておきます。でも……《参式》超我開門(ちょうがかいもん)――感度上昇というのは、本来もっと時間をかけて慣らした上で使いこなすものです。これは経験との整合や調整も必要な技ですので」

「……」

「……シラノさんの様々な経験を加味した上で、それでももし使えても“二千倍”――……そこまでにしておくべきでしょう。それが戦闘に役立てられて、精神が耐えられる限度です」

「うす……」


 感度を引き上げることで、敵の血流や筋繊維の収縮音まで感知可能な《参式》超我開門。他の紋を合わせることで精神統一や精神耐性の会得もするが、言うまでもなく受ける痛苦や己の筋収縮音・駆動音・筋繊維の破断の痛みも拾ってしまう。

 ある種の予知にも等しい域に至れる状況把握――その意味では感度を上昇させるだけ戦闘も巧みとなるが、諸刃の剣でもあった。

 それから一時間ほど……一通りの紋の描き方を鍛錬し終えた頃であった。


「そういえば難行の方は如何ですか?」

「いや、最後のものがどうしたものかと……いっそ全ての依頼をやろうかとも思っていたんですが……」

「それは無茶ですね……」

「流石に俺もそこまで自殺行為はやめようと思いまして……」


 おそらく最も手っ取り早い上に、短絡的かつ直線的な解決ではあるが――――命がいくつあっても足りない。

 そも冒険者は依頼で動くというのに、その依頼をノーヒントで見付けろというのは……なるほどこれは難行だろう。

 また厄介なものもあるな、とマフラーを引き上げたときだった。


「そういえばグントラムさんから耳にしたんですが、このノリコネリアの図書館に――――“魔剣の王”由来の古き呪本があるようですよ?」

「呪本……? 古文書スか……?」

「ええ、なんでも特殊な呪術が使われていて……その“鍵”がないために中身の確認がされたことがないようですが……魔剣の王自らが記したとも言われているものが」

「なるほど……呪術なら通じねえし抉じ開ければ……いや、内容が消えることもあるか」


 壊すならともかく、他に仕掛けがあるとシラノには難しい。

 とはいえ、そんな数百年も解決していないものは難行には関わるものでもあるまい。そうシラノは頷いた。逆説的にこれまで課題達成者が存在しないことになる。

 ともあれ歴史的な発見に繋がるなら立ち会ってみたくもあるが、しかし難しいだろうなと腕を組んだところで、


「その魔剣の王が生まれたとされる村も、もう穢れで滅んでいますからね……生き残りがいるなら、鍵なども伝えられているかもしれませんが……」

「生き残り――――………あ」


 ……いた。該当者が。



 ◇ ◆ ◇



 石畳で床や壁全てを覆った洞窟めいた、仄かに温かい色の明かりが灯る室内。

 天井に向けて半円を描いていく壁と不揃いな床をしたこの一室は、一見すれば埃っぽく黴臭い地下墓地の一画を改造した風にも見えるが……実際は清掃が行き届いている。

 冒険者酒場ではない酒場――というよりは隠れ家(レストルーム)のような場所。そこに酒を持ち込んだだけだ。

 露骨に溜め息をついて、若草色の髪の知的な淑女が長机に細身の身体を預けた。癖のない緑髪から覗いた長き耳は、彼女が森人族(エルフ)――――既に一人を除いて純血は竜の大地(ドラカガルド)には存在しないため半森人族(ハーフエルフ)と知らせるには十分だ。

 その隣で静かに杯を傾けていた傷だらけの浅黒肌の鬼人族(オーク)の巨漢――グントラムは、その厳しい顔から僅かに眉を上げた。


「む、どうした?」

「いえ……依頼の失敗が多くて……。このところ冒険者の犠牲ばかり出ていますから……魔剣使いですらも戻らないことも多くて……」

「そうか。無事に冥府の女神に拾われればよいがな。……よほどの勇士ならば我らが〈狂乱と雷霆の神(タラニス)〉が横から近衛に取り立てるかもしれないが」


 グントラムがにわかに口角を上げれば、長机に突っ伏したまま頭だけ動かした女性は何か言いたげに目を細めた。


「……貴方もそうなることを望むの?」

「まさか。言っただろう? 死ぬほどの傷でさえここに戻る、と。……しかし、我らが〈狂乱と雷霆の神(タラニス)〉も奪うのが流儀のため、ともするとお前のもとに戻れんかもしれんな」

「まあ。……でしたらその時は、私が貴方の神から奪い返すとしますわ。それが鬼人族(オーク)の流儀なのでしょう? 森人族(エルフ)の誇りなんて、捨てても構いませんのよ?」

「ははは、なんとも愛されたものだ。剛毅な女よな。惚れるわ」

「……今までは、惚れていませんものでして?」

「馬鹿を言うな。惚れ直した、ということだ。惚れた女だからこそ、柄にもなく口説きにかかったのだから」

「ふふ、本当にかわいい人。貴方のそういう飾り気のないところ、本当に魅力的……恥ずかしいから言わないのだけれど知っていて? 私、いつも貴方に惚れ直しているのよ?」


 身体を起こした女性が、グントラムの逞しい腕の中に収まる。

 そして両手を彼の岩の如き胸板に当て、静かに顔を近付ける――そのときだった。

 猛烈に階段を駆け下りる音が、静かなる室内にこだました。


「お休みのところ失礼いたします! じ、実は早急にお耳に入れたいことが……」

「……あら。そう。……ちょっと待っていてくださいね」


 勢いよく現れた半武装の兵士風の青年へ、彼女はとても穏やかな笑みを浮かべた。

 そして、つかつかと部屋の奥に引っ込んでいく。

 直後、凄惨な打撃音が響いた。

 それも一つではない。複数。岩がより強固な何かに叩きのめされて虐げられる音が狭い一室に響いているのだ。酷い虐待だった。


「……あの、申し訳ありません、お邪魔してしまって。いえそれにしても、その、あの方……忙しすぎて二百年恋人ができていなかったと仰っておりましたが……」

「……ちょっと剛毅すぎるやもしれん。そこもまた()いところだが」

「ははは。いやあ、グントラムさんほどの男性ならばあの方も幸福でしょうな……」


 そんな雑談を交わす男二人のところに、冒険者ギルドの秘書はローブを羽織り直して如何にも瀟洒という笑みを浮かべながら戻ってきた。

 あまりにも高貴かつ静かな凄味を持つ微笑に気圧されながら、青年は改めて声を張り上げる。


「魔剣が――――“魔剣の王”の魔剣を使う賊が出ました! その中には〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉〈無門の奇剣(オグマオルナ)〉〈深慮の神剣(エルキィン)〉〈涅槃の輪剣(スヴィガレヴィアン)〉……“四海終焉の七振り”も確認されています!」


 秘書女性とグントラムは静かに顔を見合わせる。

 戦の――――それも大戦(おおいくさ)の気配であった。



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