第一○三話 お姉ちゃん黙示録
冒険者の成り立ちは、魔剣の王の災厄の後の時代に――――つまり人の生存圏が“穢れ”に圧迫された【暗黒時代】に成立したというのは、広く知られるところだろう。
ならば現代の冒険者が何をするか、だ。
まず一つは成立にも深く関わる“魔物”の退治依頼。
もう一つは古代遺跡の探索依頼――これも【暗黒時代】に田畑も持てぬものや騎士になれぬもの、追放刑を行われた者が遺跡に潜り魔剣や魔道具を探したことに由来する。
他には公の機関が動かぬ荒事。
つまり警備員のような仕事であったり、何らかの事情で自領の兵を動員できない都市貴族の私兵としての戦闘であったり……。
他には学者の護衛や、税務官や警衛騎士の下働き……風変わりなものだとなんと絵画のモデルというものもある。
そんな冒険者の仕事……今回は帝国時代の遺跡の検分調査を引き受け帰還した“骸拾い”のバルドゥルは、肩を鳴らした。
心なしか、魔物が強力になっている。
魔剣や魔術、或いは魔道具のような決め手なく徒手空拳で戦う淫紋拳士である彼だからこそ、その違和感に気付いた。
確かにかの〈墓守と冥府の女神〉や〈戦と死と門の女神〉、或いは彼の信奉する呪術の神〈|霊魂と岐路と浄めの女神〉に関わる祭りのあるこの時節は、死霊や魔物なども力を増す。
だが、今年のそれは例年を上回っている。
己も事件に関わった例の伝承の怪魔――――淫魔によるものかと思案しているときであった。
両脇を囲む茶色の断崖めいて聳え立つ混凝土と煉瓦造りの集合住宅に囲まれた石畳で、特徴的にはためく流血の如き赤い風除け布。
「バルドゥル先輩……」
「あ、シラノさん! いったいどうしました? いえ、まさか――――例の……」
「……ああいや、その件じゃなくて」
ボリと狼の毛のような焦げ茶色の後頭部を掻きながら、その険の強い顔で困惑を増し、
「うす、その……女性の機嫌ってどうやってとればいいんでしょうか」
彼はそんな言葉を口にした。
バルドゥルはしばし、言葉の意味が判らずに硬直していた。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という言葉もある。
元より優れた人間に教えを乞うこと、己の無知を言葉にすることにこだわりのないシラノにとってはあまり縁のない言葉だろう。
その――――優れた人間。
まさに男としての先達としか言えない、黒布を幾重にも巻いた銀髪のバルドゥルは、
「念のために聞きたいんですが……その、女性の機嫌っていうのは敵の大将の首級に名付けられたアダ名ではありませんよね?」
「うす」
「……参ったな。そっちのほうがまだ納得できたのに」
シラノの言葉に思いっきり困っていた。
そんなに意外な問いかけだったのかと首をひねるシラノの前で、やや考えたバルドゥルは柔和な笑みを浮かべた。流石の優しさだ。
「そうですね、シラノさん……まず機嫌をとるという発想はやめましょう。真摯に相手の言っていること……いや、言いたいことを汲み取って受け止めるんです。女性に限らず、人付き合いは真心ですよ」
「なるほど……流石バルドゥル先輩……」
「怒るということは、何かしら傷付けてしまうようなことがあった裏返しですからね。……心当たりはありますか?」
「……山ほど」
「どうして改めないんですか!? 正気ですか!? 触手使いは正気を失ってるって本当だったんですね!?」
優しくなかった。手厳しかった。
「いえ、その……難しいというかその……実現不可能というか……」
「というと?」
「は、その……戦うと未熟だからかどうしたって死にかけてしまうんですが……そういう死にかけるような真似をやめろと……」
「それはやめた方がいいと思いますよ、僕も」
「うす。いえ、俺も死にたくはないんですけど……敵は待ってくれなくて……。いきなり瀕死になるぐらい不意打ちしてきたり……俺が逃げたら他の人が大勢死んだり……どうしたっていつもギリギリの戦いになっちまって……」
「なるほど……あーなるほど……」
特に心当たりがあったのだろう。彼の家に引き取られることになったイリスには、エルマリカもかくやという致命傷をシラノに負わせたのだ。
幼女というのは危険生物なのかもしれない。
この竜の大地においては、幼女は油断させた隙に相手を捕食するというふうに進化したのか。ある意味では理にかなっている。
バルドゥルが腕を組んで唸りだした。
やはり難しい問いかけだったのだろうか。自分で答えを出すべき問題だったのだろうか――――そう思案するシラノへ、思わぬ声が割り込んだ。
銅鑼の如き声。そして、大岩から削り出したような無数に傷を持つ黒肌の偉丈夫。
「ふむ。ならばいっそこう言えばどうだ? 『たとえ死人になってもお前の下に戻ってくるから治してくれ』と――我はそうしたぞ」
「グントラムさん! なるほどそれが戦士流……というかその、あの……お相手が?」
「ここの冒険者ギルド長の秘書を務める半森人族の女だ。近頃は随分と仕事が忙しいとボヤいていたので酒に誘ってそのままな」
「すげえ……知らない人だけど……すげえ……」
なんて大人なのだ。やはり紳士的で理知的な鬼人族の戦士は違う――そう感動を覚えたときだった。
「ならばこう言っては如何でありますか? 戦の傷も忘れるくらい寝室で癒やしてくれ――と」
「ユーゴさん!?」
「あ、そこの方々とはこないだ知り合ったであります。こう見えてすぐに仲良くなることが取り柄なので。………あ、今日はアルケル殿は医者にかかって不在であります」
大正時代の書生の如き出で立ちの、白い肌のユーゴ。
思わぬ道端で勢揃いである。
雑踏の中にあってもひと目で目立つ特徴的な集団。そんな面々を眺めて、シラノは改めて息を漏らした。
「……というか、皆さんおモテになるんスね」
「いえシラノさんが言うことじゃないです」
「女ばかり連れているのではないのか?」
「えっそうなんでありますか!? 取り巻きに高身長デカケツ貧乳未亡人がいらっしゃるか聞きたいであります!!! 寝取るであります!!!」
容赦なく全員から若干の批難を込めた目を向けられた。
なお約一名は俗だった。俗を通り越した奸賊だった。
しかし、改めて見回してみれば三者三様――――バルドゥル、グントラム、ユーゴ……誰を見ても女性経験に長けていそうな男たちだ。
これならば安心だろうと頷くシラノの視界に、あるものが映り込む。
渋い緑色の髪。常にニヤついた細目の、草臥れた野犬のような雰囲気。そして布に包まれた長剣を担いだ――……
「わからないねぇ。そもそも女ウケってのを考えたことがないからな。剣の足しにもならねえだろう?」
“剣鬼”リウドルフ。
シラノは即座に野太刀を掴み抜いていた。
「まだこの街にいたのか手前ぇは……消えろ。何にしても、この世から今すぐに」
「嬉しいねえ……お兄さんがおれで殺人童貞を捨ててくれるってか? 童貞奪うってのは中々に素敵なお誘いだが……おいおいやめてくれよ、場が整っちゃいないぜ?」
「お前向きに整った場は監獄と法廷だけだ。……これからすぐに送ってやる」
静かに蜻蛉をとれば、群衆がざわめいた。
しかし喧嘩が珍しいのかそれとも娯楽なのか、彼らは逃げることなくすぐに人垣を作ってしまう。
「ははっ、刺激的な誘惑だが……どうする狼のお兄さん? この分じゃ、観客たちを巻き込んじまうねえ。そうなったらおれも剣を抜かないとな……暴力ってのは良くないからなぁ」
「それが手前ぇの遺言だな。言い直しはもう聞かねえ」
爪先に力を込めるそのときに――――パァンと、軽快にして盛大な拍手の音が空気を震わせた。
両手を打ち合わせて、発砲音めいた轟音を響かせたバルドゥルが、
「あの……ひとまず場所を変えましょう」
「なるほど酒場! ははあ、もちろん奢りでありますな!」
「ははは、ご自分で払ってください」
そんな提案をしたことでひとまずシラノも剣を収めた。
群衆たちも散っていく。すぐに興味をなくしたようだった。
◇ ◆ ◇
あの後、リルケスタックをあとにしたシラノたちはミシリウスとは顔を合わせなかった。
どうやら先に出立したようで――……エルキウスからは、いずれ機会があればまた出会うだろうと言われていた。
……確かにそのことは残念であったが、得たことは多い。
そんな情報の整理を行った翌日――――冒険者宿からぼんやりと店の外を眺めていたときだった。
「お姉ちゃん黙示録です」
「お姉ちゃん黙示録」
また何か始まった。
シラノの目の前で陶器の水を飲み下したフローは、黒いサイドの三つ編みを思いっきり振り付けて、宝石めいた紫の瞳を見開いた。
クワッと音が出そうなほど、彼女は大きく手を動かしながら言う。
「シラノくんはなんだい!? また死にかけて……もういったいキミは何回言われれば気が済むんだい!? 死にかけたら強くなるのかい!? キミだけそんな特殊能力があるってのかい!? それともそんなに冥府の女神様に会いたいのかい!?」
「……面目次第もねえです」
「う……ボクもさあ! ボクもこんなこと言いたくはないんだけど! ないんだけどね! シラノくんのせいじゃないとわかってるんだけどね! いくらなんでも怪我しすぎだよ! このままだと早死にするよ!」
「……確かにもう一度はしてますもんね、早死に」
「そんなに『ああ前に歯が抜けましたね』みたいに言うことじゃないだろう!? 人の命をなんだと思ってるんだいキミは! ボクの大切なシラノくんの命をなんだと思ってるんだいシラノくん!?」
「はあ……」
バンバンと机を叩かれて怪我について言われてしまうと、立つ瀬がないとしかシラノには言えない。
例えばかの有名な武将――――徳川四天王の一人、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平」と謳われた本多忠勝を思い出して欲しい。
彼はまさにその生涯の五十七度の戦にて手傷一つ負わなかった。魔剣や触手など持ち得ぬのに、だ。
もしその逸話に言われるように小刀で傷を作ったが故に死期を悟ったというのならば、もう何度シラノは死期を悟らされているのか。実際は死期どころか何度も三途の川まで腰ぐらいまで浸かってるような気持ちはあった。
「でも俺も……一応ちゃんと考えてて……」
「うんうん、師匠に打ち明けてみなさい。お姉ちゃんだからね。師匠だからね。先輩だからね。優しく聞いてあげるよ」
「人間いつ死ぬかわからねえから、生きてるうちにやれるだけのことをやっとこうと……」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? だからそれで死にかけてどうするのさぁ! 残された人のことを考えなよキミは! キミ自身のことも考えなよキミはさあ!」
「だから……その、残された人が少しでも楽できるようにやることやっとこうと思ったんですが……」
これがどこぞの家臣だったら遺族にはそれなりの待遇が約束されるのになあ……と嘆いてしまうのが冒険者という浪人人生の辛いところだ。
ズズ、と虚しく香草の茶を啜った。
いっそめちゃくちゃ偉い王様に仕えて――……というかまさに次代の王と噂される〈雷桜の輝剣〉の使い手であるエルマリカの兄に忠を尽くしたらなんとかならないか。
もう何度も命懸けの殿を勤めているし、本当に淫魔さえいなければなぁ……いやいてもなんとかしてくれないかな……とわりと本気で考えてしまうのが悲しい話である。
また机をバンバン叩かれた。
「飲んでる場合じゃないよシラノくん! お姉ちゃん黙示録だよお姉ちゃん黙示録! わかっているのかい!?」
「いや全く初耳の単語なんで何にも」
それともこの世界には本当に存在してるのか。
淫魔とか淫紋とか触手とか魔剣とかあるあたり否定できんな……と目を細めたときだった。
「セレーネさん、どう思う?」
「せめて私の手で斬りたいですわ」
「……うんキミに聞いたボクがすごい馬鹿だったよごめんね。アタマ悪い人の気持ちわからなくてごめんね」
シラノは驚愕した。
普段のフローから飛び出さない辛辣さだ。
「エルマリカちゃん、どう思う?」
「えっ、ええと……その……シラノさんが誰かのために死んでしまうなんて……きっと……その人以外を殺して世界を滅ぼして死んでしまうかも……」
「うぇぇぇぇぇ……うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……世界滅ぼしたら結局みんな死んじゃうよぉ……」
シラノは恐怖した。
護衛対象以外を意地でも殺すと思われるぐらい悪感情を持たれているとは知らなかった。護衛対象だけ残すのが特に執拗な恨みという感じがあって怖い。
「ご、ごほん。えっと……メアリさんはどう思うんだい?」
「いえまぁ……こればっかは剣士さんが動かねえとどうにもなりやがらねえもんですから……。むしろ任せっきりの上、お師匠さんにここまで言わせることになってこっちからもごめんなさいと言いますか……本当に申し訳ねえというか……」
「……き、気にしないで。悪いのは淫魔だから」
シラノは安心した。
二人ともこのパーティの良心だった。流石は現・師匠と師匠がいなかったら師匠になってた人だった。
ひとまず全員を見回してフローが大きく頷いた。頷きながら、身を乗り出して人差し指を突きつけてきた。
「わかったかい、シラノくん。……キミが死んだらこんなにも悲しむ人がいるんだよ? 特にエルマリカちゃんなんて……エルマリカちゃんなんて……うぇぇぇぇぇぇぇ……何なのさぁ……いったい……」
「……」
「ええと、その、それに……これだけは言いたくなかったけど……ボクが軽々しく言ったらいけないことだなって思うけど……キミが前死んだときにも、その……悲しかった人だっているだろう……? きっといたよね……?」
「……うす」
「だからその……わかるよね、ボクの言いたいことが……」
確かに――――その話をされてしまうと耳が痛い。
二度あることは三度あるというか……いやそれは違うかもしれないが、つまりシラノには前科がある。身近な人間に自分の死を既に味わわせているのである。
過ちを二度行うことが、果たして仮にも剣士の所業だろうか。
ならば命に関わる怪我をしないことが肝心であり、
「……修行、スか。それかまず素振り」
「だ! か! ら! どうして安静にしないんだいキミは! どうして怪我が治りたてでまだ動こうとするんだいキミは! 流石のお姉ちゃんも怒るよ! 怒るっていうかもう怒ってるよ! お姉ちゃん黙示録ですお姉ちゃん黙示録! ボクだって怒るんだからね! ちゃんといっぱい怒るんだからね!」
「お姉ちゃん黙示録」
「だから修行とかには付き合いません! 付き合わないからねボクは! 知りません! それに今日はお仕事です!」
いいね、と念押しするようにもう一度白く細い人差し指を突きつけられた。眉間に当たりそうなほど、もっと容赦なく身を乗り出されてだ。
そして、『ぷんむく』という効果音でもつけるかのような様子で椅子から立ち上がられてしまうと……流石にシラノも返せる言葉はなかった。
「うす。……安静にします」
「うん、そうするのがいいと思う。でも安静に素振りとか言い出したら流石のボクもほんとに怒るからね?」
「…………………………………………うす」
「今の間はなにかなシラノくん?」
ずい、と日焼けの少ない小顔を寄せられた。笑顔だった。
でも目が全く笑ってなかったし、なんか触手で今にも縛り上げてきそうなオーラがあった。
つまり怖かった。
確かにこれはお姉ちゃん黙示録かもしれない。
◇ ◆ ◇
そして舞台は、ガヤガヤとした賑わいの酒場の中で男たち五人で囲むテーブルに戻り……
「……ということがありまして」
「うわ」
「うわって言わねえでくださいバルドゥル先輩」
「うわぁ」
「やめてくださいバルドゥル先輩」
バルドゥルには、信じられない発掘されたての観光名物兼天然記念物の原始人ヒップホップ集団の氷漬けを見たような顔をされた。
確かにシラノとて判っている。対応が悪かったのは判っている。
だが現実問題、備えて技を磨く以外――一体どんな方法をとればいいのだろうか。
異世界では流石の仏陀も悟りを授けてはくれない。かつての世界で観た、あの穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって金髪姿に目覚めた系の地球育ちの宇宙人しか答えになる答えはくれない。
ううむ、と太い首を捻ったグントラムが呟いた。
「ふむ……死ぬ前に子を残せとかそういう話ではないか?」
「俺と先輩をそういう目で見ないでください。先輩をそういう目で見ないでください。いくらグントラムさんでも許されねえです」
「む、それは大変すまなんだ」
傷だらけの禿頭をボリボリと掻かれた。流石に言い過ぎたかもしれない。
そう思っていれば、ニヤニヤと鼻につく笑いの男が……
「お兄さんは狼だもんなあ……死ぬなって方が無理だぜ。死にかけで一番輝くんだもんなあ」
「手前ぇはここで死ね。今死ね。なに会話に混ざってんだ腹切れ、腹を。首切り落としてやるからそこに直れ今すぐに死ね腹を切れ」
こんな奴がいるから戦争はなくならないのだ。また戦争をしたいのかコイツは。この戦争を根絶しないと。
静かに野太刀を抜きかければ、上を向いていたユーゴが緩い口調で割り込んだ。
「んー…………思うにシラノ殿には誠意が足りてないでありますな。そう文句言われたら態度だけでも大人しくしちまうのが一番であります。あとはテキトーなこと言って謝っとけばいいんですよ。どうせそのうち収まるであります」
「誠意の欠片もない意見がでてきた」
すごい。すごい男だ。
この深い黒髪と対照的なまでに真っ白で女性にも見える肌をした中性的な容貌のどこからそんな下衆な言葉が出てくるのだろう。
驚きだった。個人的にはエルマリカがこの星を簡単に宇宙の藻屑に変えられる力の持ち主だったときぐらい驚きだった。
「という訳で、バルドゥル先輩に相談したいんですが……」
「無理では?」
「無理」
「いや、無理では?」
匙を投げられた。あまりに早かった。
それでも持ち前の善良さで悩み込んだバルドゥルは、必死に何かを絞り出そうとしていた。なおユーゴは一人だけ五杯目に手を付けた。
「ええと……その、シラノさんはどうしたいんですか?」
「触手使いが……もう涙を隠しながら暮らすようなことにならないように……少しでも役に立てたら……」
「ええと、そのために長生きしようとは?」
「俺がどう思ってても、したくてもできねえってことがあるんで……生きてるうちになるべく早いとこやることやってなんとかして……その、余生があったら好きに生きようとは思いますけど」
「余生……」
言われたバルドゥルが、心底困ったと眉間に皺を寄せた。
「独特の死生観というか、なんというか……シラノさんは冒険者以上に死について身近に考えてますね」
「……うす」
「死ぬ気がないのは本気でしょうし、死にたくないから今までだって勝ってこられたんでしょうし……それに簡単に誰かに任せることもできないことでしょうから……うーん……」
腕を深く組んで悩む。
正直、シラノとしても申し訳ない気持ちが強くなってきた。ここまで他人様に迷惑をかけた相談などしていいのだろうか。
それから数分バルドゥルは悩み、口を開いた。
「……その、相手の方が同じこと言ってきたらどう思いますか?」
「あの人は……あの人は多分そういうことを言う人なんで、だからこそ余計に俺がなんとかしねえとと思って……。命懸けで戦おうとしちまうから……本当は他にやりたいことも多いはずなのに……」
――――〈大丈夫、ここはボクが何とかするから……シラノくんは早く、助けに行ってあげて!〉。
――――〈ごめんね……。これまでずっと備えて来たのに、駄目だったんだ……ごめんねシラノくん……頼りないお姉ちゃんでごめんね……?〉。
――――〈ボクだって本当はね、こんな力なんて欲しくはなかった……こんな技なんて覚えたくなかった……ボクだって人並みに友達とか欲しかったし、幸せにお嫁さんとかになりたかった……〉。
自然と拳に力が入る。
罪もない人々の死に傷付き、戦いの恐怖に震えながらも己を奮い立たせて、これまで報われもしていなかったのに――報われたいと心から幸福を願っているのに、誰かのために血を流して戦える。
そんな人間は死んではならぬのだ。
幸運にも二度目の生を得たシラノとは違う。
漫然と生きていただけのかつての己とも、二度目の十数年を無為に過ごしていた自分とも違う一度っきりの人生をそう使おうとする人間は――――だからこそ、報われねばならないのだ。
「俺は納得しています。……これが俺のやりたいことで、やるべきことと言えます。悔いはないです。だけど……」
「なるほど……ううん、そうなると相手もシラノさんに対して同じ気持ちだろうと言うのも野暮になりますか……」
「……うす。先輩が俺のことをそう思っていたとしても、駄目です。あの人は、人のために祈れる人だ。そして、自分も幸せになりたいと……本当は思ってる人なんだから……」
「ううん……」
これはやはり相談というより――――己の強情を口に出しているだけなのではないか。
そう思うとひたすらに申し訳なくなった。武士ならここで切腹していたかもしれない。シラノは触手剣豪なので踏みとどまった。
実際のところ深刻な人生相談ではなく、本当にこう……なんとか怒らせるつもりはなかったと謝りたいのだが……それもやはり難しいのだろうか。
そう、シラノが考えていたときだった。
バルドゥルが手のひらを拳で叩く。思いついたらしい。流石は頼りになる既婚者である。なおユーゴは八杯目に手をつけている。
「よし、名案が閃きました!」
「流石バルドゥル先輩! どうすればいいんスか!」
「そう……ここはやはり論理的に考えて、何よりも知性的にも修行しかないですね! 死なないようにするしかないかと!」
「なるほどやはり修行……! では……!」
「はい、空いた時間に僕の流派を手ほどきしましょう! 今日は勿論駄目ですが……触手使いとしての素質に欠けるというなら、逆に上手く行けば淫紋使いになれるかもしれません! 二人で淫紋を使いこなしましょう!」
やはり――――修行であった。
彼ほどの男が言うのだから、もう間違いはないだろう。
己の意見に胸を張れるのだ。シラノは確信した。
「この人も武術家で脳筋でありますな」
「思うに……淫紋触手使いとは余計に不味い肩書になるのでは?」
「へえ……狼のお兄さんがもっと強くなるとはいいことだねえ……!」
なお、残る三人の呟きは酒場の喧騒に呑まれていった。ユーゴに十杯目も飲まれていった。
◇ ◆ ◇
フードを目深にかぶるフロランスは、鼻歌を歌いながら書棚の整理をしていた。
裁縫などの小さな仕事を重ねたからだろうか。また前のように、ギルド内部での受付の手伝いを任されるようになっていた。
ただ残念なのは人が多く、更に忙しいためか……あまり特定の人と話す時間がないこと。それと、触手魔法を使おうとしたら一度で悲鳴が出たことだろうか。
だから、今は手作業だ。
ただ触手使いがこういうのもおかしいが――……それはそれで悪くないかな、とも思えていた。
同僚との会話はあまり多いとは言えないが……それでも例の“難行”のおかげか、興味を持って話しかけてくれる人もいる。
人間関係も仕事も順調だった。触手のことが受け入れられたらもっといいな――と思う。
(お金溜まったらエルマリカちゃんに本を贈ってあげようかなぁ……セレーネさんはまた一緒に本の市場に行く約束もしたし、うーん……メアリさんは何がいいかな?)
そうこうしているうちに一日の作業も終わり、お金の使いみちを考えながら裏口の木戸を押して外に出る。
初夏とはいえ夜は肌寒い空気に少し体を縮こまらせながら、フローは辺りを見回した。
普段はメアリにしろエルマリカにしろ、誰かが護衛としてそばにいてくれる。今日はセレーネの日で――驚くことにもう回復した――先ほどまでは近くにいたのだが……。
「……うす、先輩」
代わりに、建物に寄りかかりながら赤マフラーを引き上げるシラノがいた。
今まで読んだ、こちらではもう読めぬ本のことを反芻していると待つ時間も苦にならない。
先日の柳生新陰流の使い手のようなこともある以上、これまで得た知識の確認は必要だろう――と思いつつもわりとフローのことを考えて待っていたシラノに向けられたのは、
「うぇぇぇぇぇ!? どうしたのシラノくん!? まさかもう次の難題でもするつもりかい!?」
「いえ……その、先輩の迎えでも……その……」
「………………………………え。頭でも打ったの? それともまだ治ってなかった?」
「…………」
辛辣な言葉だった。
なんでそんなひでえこと言うんだろうか。先輩はちょっと冷たすぎやしねえだろうか。
言いたくなったけど飲み込んだ。剣豪の……いや触手剣豪の……いや日本男子の意地だった。
きゅむきゅむと隣でフローの靴が音を立てる中、歩幅を合わせるシラノは息を吐く。
石畳の夜道は、建物から漏れる明かりを反射して濡れたように光っている。
知識の中での中世の夜はあまり明るくないという話であったが、やはり魔術がある世界は違った。より正確に言うなら、魔術研究院が近くにあるこのノリコネリアという街は違った。
まるで光の抜け道のある崖のようだ。
両脇に高く並んだ集合住宅から明かりが漏れる光景は、中世どころかシラノの知る現代のローマともあまり違いが見られない。
そんな中を歩きながら、測るようにゆっくりと口を開いた。
「今日言われたことを……色々と俺なりに考えてみて……」
「あ……。そっか……ごめんね、ボクも言い過ぎちゃって……シラノくんだって別に好きで怪我してるわけじゃないもんね」
「いえ……怪我のたびに先輩の手を煩わせてるんで、道理かと」
フローの言っていることは正しい。逆の立場なら、シラノだって何か言うだろう。
そう思っていれば、彼女は若干むくれたような……それ以上に寂しそうな顔をしていた。
「シラノくんあのね、その『煩わせてる』っていうのは……ボクのことを気にしてそう言ってくれてるんだと思うんだけど……」
「……うす」
「もうここまで来たらそう言うよりも、『先輩のことを信じて任せます』って言ってくれた方が嬉しいよ。どれだけ怪我をしたって、生きて帰ってくるって約束してくれた方が……」
「……うす。そうですね」
静かにシラノは残る左目を閉じた。
己に二言はないということは――誓うと言うことだ。それがどれほど難しくても、命の限り全力で果たせということだ。
容易くいかないかもしれないし、破ってしまうかもしれない。
だけれども――――とシラノは大きく息を吸い、隣のフローの紫色の瞳を真っ直ぐに見た。
「どんなになっても、必ず帰ってきます。たとえ首を刎ねられることになっても、はらわたを大地にブチ撒けられることになっても……必ずあなたの元に戻ります」
「うぇぇぇぇぇ!? なんで具体例が物騒なのさぁ……!? そんな気持ち悪い感じに戻って来られたくないよぉぉぉ……」
「気持ち悪い」
なんでこの人はこんなにひどいことを言うんだろうか。冷たすぎやしないだろうか。
一番ありえるかもしれないものを前もって伝えたのに……せっかくグントラムが伝授してくれた戦士式でも駄目だったらしい。
となれば――リウドルフなんかの言葉は論外として、ユーゴ式か、それともバルドゥル式か……。
眉間に皺を寄せ、黙った。そして立ち止まった。
「シラノくん? どうしたの? ……あっ、ま、まだどこか傷が痛むっていうの!? 大丈夫!?」
「いえ……」
心配そうに覗きあげてくるフローの瞳を眺めながら、マフラーを引きあげて何度か息を吸う。
色々と人に相談に乗ってもらったが――やはりこれしかないと、シラノは結論付けていた。
「ええと、その、先輩はよく俺のことを冷たいとか言われますけど……その、ひょっとして誤解があったらあれなんスけど……俺はあの、先輩のことを軽んじてるから忠告を無視してるとかではなくてですね……」
「うん?」
「……いや、そのですね。だからその……俺は、こう、その、最初に先輩に誓った言葉を嘘にしたくねえというか……ええと、その……いや最初だけじゃなくて基本的に二言はねえつもりというか……だから巻いてくれたマフラーのこととかもその……いや、あのですね、その……」
「う、うん……?」
やや困惑を滲ませながら、フローは紫色の瞳でじっと見つめてくる。
そのことに何とも言えない居心地の悪さというか、奇妙な気恥ずかしさを感じるせいで目が逃げたくなるが――――ぐう、と腹から絞り出す。
「ええと、あの……いや、あの、本当の本当に全く他意はない純粋な気持ちでしかないんですけど、その、ええと……なんというかその、あの……」
「う、うん……」
「いやその、決して俺ァその……先輩のことを軽んじてるというか……そういうのではなく……いや……あのですね、その、いや……その……ずっと俺が思っているのは……」
「うん……」
「………………………………白神一刀流に敗北の二字はないです」
「うぇぇぇぇぇっ、その宣言する場面だったの今!? それを言い淀んでたの!? 言い淀むことなのそれ!? それを!? 勿体ぶって!?」
黒髪を乱しながら大振りに手を振り上げられて驚かれると、もうどうしようもなく俯くしかない。
どんなアドバイスを受けようが最初に言われた通りに……結局は真摯に己の言葉を伝えるのだ。それしかないと、シラノも腹を据えたつもりであったが……。
(あなたがこの世で一番幸せになってほしいとか――――そんな小っ恥ずかしいこたァ言えねえ。無理だ。腹ァ切る。変な風に聞こえる。絶対変な風に聞こえる。そんなん駄目だ日本男子のすることじゃねえ駄目だ俺ァ間違ってねえ)
それを告げている己を想像しただけで顔から火が吹き出そうであり、何とも言えずに口を抑えざるを得ない。
そのままグギギと指に力を込めた。
このままだと危うく出かかる。いや出ても問題はないんだろうがこの空気で出したくない。
いや変な誤解を生まないための高度に適切な状況判断でありこれはなんの誤解も間違いもない行為だ。それだけだ。
何故だかこの世界に来てから妙にあの、穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって金髪姿に目覚めた系の地球育ちの宇宙人のライバルの王子様の行動への理解が深まった気がするがきっと気のせいだろう。
困ったような、拍子抜けしたようなフローの隣を歩く。
そろそろ宿が見えてくる。またこれから一緒に夕飯囲み、一日の話をするんだな――――と思いながらふとシラノは言った。
「あと、それでなんですけど先輩」
「うん?」
「淫紋を習います。先輩のために」
「………………………………………………………………なんで?」
◇ ◆ ◇
火花が散る。金属が火花を散らす。
廃墟と化した古城跡に疾風が吹き荒れる。傷だらけの漆黒の鎧騎士が振り付ける斧槍は、黒紫髪の少女の剣に往なされた。
しかしその小柄故か少女――カムダンプは受け止め切れない。如何なる剣術といえども、重さと間合いを前には有利を奪えない。
打ち合うこと幾合か。
剣術に限っての上手はカムダンプであるが、戦闘全てにおいての上手は黒き鎧のアレクサンド。
そして暴風と柳が衝突しするような、火花を咲かせる流水の如き戦闘は終わりを告げた。
両腕を刎ね飛ばし、矮躯の少女淫魔の胸を貫く槍の一撃。
アレクサンドはそれでも油断せず、しかし、
『かかか、奥の手は一度のみ切ってこそ奥の手よ』
胸を槍に穿たれ、口腔から血を吹き出しながらの勝利宣言。
直後、背後から跳ね跳んできた右腕が――反動移動を行った魔剣を握る腕が、その手に握られた魔剣から刃が失せる。
刀身を失った柄が鎧に激突し――……アレクサンドが感じたのは灼熱の痛みだった。
再発現する刃に胸を貫かれた。
いや、何よりの危機は鎧の破損――
『声帯を戻した――如何な腕とて我が声を聞けば仕舞いよ! くだらぬ武術に拘る暗愚、頭を垂れて這いつくばるがいいわ!』
異形と合一した老獪な少女の声に全身が金縛りめいた硬直に襲われつつ――――アレクサンドは、身の内の人造魔剣に呼びかけた。
切り替わる。肉体の操縦が切り替わる。
彼の意思に関わりなく、身体は動く。槍ごと淫魔を投げ捨て、近くに崖へ目掛けて飛び込んだ。
待ち受けるは水面。待ち受けるは川。
そこで、アレクサンドの意識は失われた――……
「……む」
そして金の瞳を見開き、金髪混じりの黒髪を揺らして再び身体を起こしたその時、彼が目にしたのは自分を覗き込む無表情の少女だった。
毛先に連れて褐色を帯びていく錆銀色の二つ括りの長髪と、廃棄処分を受けかけた際の傷を隠す漆黒のマフラー。
彼の相棒にして共犯者――――人造魔剣〈擬人聖剣・義製の偽剣〉。
「サシャ。……起きましたか」
「ノエル……ここは? それと……私は、アレクサンドだ」
ぐう、と口から漏れる違和感を噛み殺す。
人体を操縦するというノエルの権能の応用により、傷は既に塞がれていたようだが……それでも寝込んでいたためか、手足の硬直が激しい。
およそ三日ほどかと経験則であたりをつける、その時だった。
見知らぬ民家のシーツを被せられた麦わらの上。隣にはノエル。部屋の隅には棺桶に似た武器箱があり――
「それと、お客さんです。……僕は応対したくないのでサシャに任せます」
素知らぬ顔でノエルはアレクサンドの隣に座り込んだ。
やがて光に慣れてくる目で彼が確認したのは、武器箱の隣の壁に背を預けた茶髪の少女剣士。
野暮ったい意匠に身を包み、二つに結って垂らした濃い茶髪を揺らしながら気怠げに手を振っている。
その手に剣を収めた鞘を握っていることに僅かな危機感を覚えたが、
「やーやーお目覚めー? 気分はどうー? いやー、まあ嬉しいよねー。永眠するよりかはさー」
あまりに覇気のないその声に、少し警戒を緩ませた。
……いやそも、アレクサンドを害する気なら眠っている間に済ませただろう。
「見苦しいものを見せたなら、失礼した。……貴殿が私を助けてくださったのだろうか」
「いやいやまさかー。箸より重いもの持ちたくないからねー。見ての通りか弱いしー……なんて冗談も面倒くさいよねー。……ま、助けたのはあたしじゃないってのは本当だけどさ」
「……む、では貴殿は? それと、ならば御助力頂いた方に礼を述べたいのだが……」
不景気そうな表情のアレクサンドへゆっくりと肩を竦めた少女の動きには、どこか底知れぬものがある。
そして直後、アレクサンドは己が直感の正しさを確認した。
「“剣の一族”って言えば……分かるよねぇ?」
「貴殿が……? ならば、ここはその里の……?」
「あ、それは違うから安心してよー。そのへんの農家さんだからさー。いやー、敵地に王子様ひとりって落ち着かないでしょ?」
敵地という言葉に、アレクサンドは俄に口を結んだ。
この竜の大地における――最終安全装置。調停者の異名を持つ一族は、無論のこと王国に帰順していない。
“世に過ぎたる魔剣あるとき”――――“その魔剣を討つ”。
そう唱えられた彼らの規範故に、決して誰かに仕えることはない。事実、もしも王が誤った道を歩むそのときには……何処か知れぬ里から現れ、そして王をも討つだろう。
だからこそ、その名はただ不穏を意味した。
「……一体、何の用だ。我が弟か……それとも我が末妹か? 彼らがどれほど誤ろうとて、剣を向けるならば……長兄として穏やかには済ませまい」
「え、やだなそんなの。面倒だからねー……別に斬らなくて済むのに抜くつもりないし。それにあたしは、別件だからね」
「別件?」
不機嫌そうに見える顔で眉を上げたアレクサンドへ、彼女は軽薄に笑い返した。
「そうそう。……あ、あたしのことはクドランカって呼んでよ。特別な相手以外には名前教えてあげられないからさー。とりあえずはねー」
「……。……許されるなら問いたい。私に何用だ」
「キミ、せっかちだねー。言われない? まぁいいけどさー。どうせ話すつもりだったし」
「……」
無言を保つアレクサンドを前に、少女は覇気や意気とは無縁の表情を崩さない。
いくら殺気を浴びせても何の反応もなく、そして緩やかに笑いかける。
「いや、実は少し協力して欲しいことがあってね。執行騎士とかあるんでしょ、王国。王子様ならコネとかあるかなーって……いやあさぁ……」
一度言葉を区切り、少女は笑った。
近所に買い物でもするような口調で、
「あたしさ、アルテ……リープアルテって娘を――――――〈炎獄の覇剣〉の持ち主を殺そうと思うんだよね」
殺人への協力要請を、アレクサンドに気軽に投げかけた。




