第一○一話 死者は眠る/生者は誓う
ある男の話をしよう。
騎士の家に生まれた男だ。
父である騎士は、暗愚な領主に剣を捧げていた。
子供心に――――思った。それは、果たして正しいことなのだろうかと。素晴らしいことなのだろうか、と。
父の説く騎士の尊さも判る。
母の言う父の偉大さも判る。
ただいずれにしても幼いながらも聡明なその男は、どちらも理屈として理解できても――――感情としては理解できなかったということだ。
早熟であることと引き換えに、彼は感情の一部が欠落していた。
だから男は、無音だった。
納得はできても理解しきれない。
彼という器の内の、感情という水を揺らさない。
やがてその冷ややかなる瞳は、どれほどの偉業をなせるだろうか。
しかしその偉業がどう称賛されても男には響かない。そんな未来しか待ち受けていない――――その筈だった。
ある日のことだった。
父が山から、少年を連れてきた。
その男は初めてその日――――その男が弓を引く姿に。
“感動”というものを覚えていた。
◇ ◆ ◇
野太刀を構えるシラノの口腔から、ぼたぼたと血が垂れる。
本当に意識を喪失しかねなかった心臓ズラしと内臓への損傷。更に出血を防ぐためであり偽死のための鼓動封じは、少なからずシラノの肉体に負担をかけた。
頭痛も酷い。
イリスとの戦いで二度目の“深淵ノ火”を使用してからの後遺症――――精神と肉体のバランスが崩れ、“移植された触手”が肉体であると定義しきれなくなる障害。
故にもう、シラノは右手の変形を行えない。例えば触手の如く伸ばせば間合い外しが容易いとしても、人の形を超えた形には変えられない。
故にこの心臓反らしは、精神・肉体共に負荷の高い技であった。
「だ、大丈夫なのかい剣士くん……? その、手当てとか……」
「うす、ありがとうございますボンドーさん。……ですが、まだ近付かないでください」
垂れる血を拭うこともできず、頭痛に眩むままシラノは剣を構えた。
魔剣を取り落とし、目を見開いて事切れたカムダンプ。
完全に心臓を貫き、胸のあたりには大きな風穴が空いている。完全な失血死である。
だが、
「イアーッ!」
シラノが三段突きを放つと同時に、その死体は跳び上がりバックフリップを決めた。
バク宙三回転。
ボタボタと血液と内臓をこぼしながら、ニンマリと老獪な笑みを浮かべる少女――――。
「ははは、気付くかの! 念入りに魔剣まで手放してやったというのに! 騙し返しとは芸があるかと思ったが……いかんな、ああ、いかんな。貴様、とりわけその目は優れておったのだ」
「……」
「天性のものか? ……いいや我にも覚えがあるわ。一度死ぬとな、どうにも死の気配……生の気配を真っ直ぐに見れるのよ。まさに“水月”の真理にも届きうるものだが……同じ転生者までそうなのはいただけんな」
柄だけに変えた魔剣を手の内でもてあそびながら、カムダンプは軽快に肩を竦めた。
「三本勝負、一対一の引き分けだ。ひとまず此度は負けということにしておいてやろうかな。……さてさてさて、この庄での遊びはこれまで。いやあ、次の戦の折には……我が真なる力を見せようかの」
「逃がすと……思うのか」
「ふむ。……アレクサンドと言ったかの? はは、ほう、どうやら貴様の知己に見える。ははは、奴の場所を知りたくはないか?」
「手足を詰めてお前から聞き出す」
シラノは静かに爪先に力を込める。
カムダンプは、呆れたように口を尖らせた。
「……鎌倉の世の生まれか、貴様は? 戦国の世でももちっと聞き分けはあったろうに……とんだ坂東武者よな。とはいえその胸の傷、浅いものではあるまいて」
「お前を斬ったあとに塞がせてもらう」
「…………………………………………凄まじい師よな。現代人をこうも仕立てあげるとは。先祖返りにもほどがある。どんな手管だ……?」
遠き地で黒髪を揺らしながら、思いっきりくしゃみした少女がいたことはともかく――――。
「さてもさて……何をそんなに怒っておる? ははあ……この庄のことを『遊び』と呼んだことか? トンネル・パトロールの奴はいざ知れず、こんなものは児戯よなあ? 童遊びに等しき細工、それを笑い飛ばさずしてなんとする?」
「……」
「して、我が不死の理屈に見当はついたかな? 我が魔剣を使える理由、見抜けたかな? できぬなら、あの王子のように無様に我が剣の錆となる……それでもまだ挑むと言うか?」
答えは――撃発だった。
「イアーッ!」
放たれた三段突きはカムダンプの脇腹を掠めただけだ。
また、その手の魔剣の権能――――地に押し当てた反動移動で回避したのだ。
突きの反動で、ごふりと口から血が漏れる。
しかし拭わず、目を逸らさず、宙から野太刀を引き抜いた。
「手前ぇは……逃さねえ……ここで斬る……!」
「ははは……本当に坂東武者とは恐れ入った。おい、金髪小僧。お前からも止めてくれんか? コヤツ、話が通じぬ……様式美も理解しとらんぞ」
「人の命を……不幸をかけて、何が様式美だ……何が児戯だ……手前ぇはいったい何が面白い……。なおさらお前を見逃す理由はねえ……!」
鋭い殺気と静かな剣気。
その双方が肌を打つ中、何も答えられずアルケルは立ち尽くした。
「かか、是非もなしか。……しかし、このとおりの不死……貴様では我が不死を破ることはできまいよ」
「……いいや、お前は不死身じゃあない」
「ほう? さてはご自慢の眼力とやらでそう見抜いたか? それとも、そう願っているだけか? はてさて何かの話術か? だとしたら底が知れるというものだが……」
ニヤニヤと手を広げるカムダンプを前に、シラノはゆっくりと言葉を発した。
「最初の話だが、お前が不死身かどうかじゃない……俺はどちらにしても攻撃した」
「……何?」
「この庄を守っていた清流をお前たちは穢れで汚染させた……人や死体が魔物になる穢れで染めようとした。つまり……」
シラノの睨んだ先の、カムダンプの手足が黒ずんでいた。首から下だけが黒ずんでいた。
それは魔物化の兆候。
魔剣を握り直した今は瘴気も薄れていこうとしているが、それ以前、シラノは確かに見た。
秘剣“明王剣”による決着のその瞬間、魔剣を手放したカムダンプの胸から黒き煙が上がったことを。
つまり――――カムダンプのその身体は、
「……お前は魔剣を使うために、他人の身体を使っていたんだな。淫魔では使いこなせないから、首から下を人間の身体と入れ替えたんだ」
「ははは……ははははは! なるほど! 運か! 運が足りなかったか! 我が念入りに魔剣を手放したから! その差か! ただの運か! なんとくだらん! いやはや前世から運がないとは思っていたが、それが貴様と我を分かちおったか!」
何が愉快なのか――――高らかに笑いあげるカムダンプを、シラノは静かに赫眼で見据える。
見据えて、言った。
「いいや、運じゃねえ。……お前は油断したんだ。ボンドーさんが魔物化していなかったから、ここまで汚染が及んでねえと油断した。その油断から、俺を陥れることに拘って魔剣を手放した……」
「……」
「お前たちの狙ったこの庄は……『瘴気避けのための麦芽酒』を作っている。だからボンドーさんは汚染されなかったんだ。他の誰もそうだ。だから皆、まだこの村の中にいられる」
「ぬ……」
「そして……汚染がここまで広がったのは――エルキウスさんがすぐに魔剣で水源を浄化できなかったのは、彼の技を封じるために……お前たちが自分の兵を水源に入れないようにしたせいだ。お前たちの企みが故の結果だ」
「まさか……」
都合がいいからとリルケスタックを舞台としたことも。
魔剣の取得の隠蔽のために穢れを使おうとしたことも。
策士気取りでエルキウスの魔剣を封じようとしたことも。
武器も持たぬ死体を演出して油断を誘おうとしたことも。
それらすべての行動が、この、あまりにも無様な結末を導き出した。逃げ切れるはずの不死身を完全に不意にし、全力も使えなかった。
すなわち――
「お前たちが選んだすべてが敗北に繋がったんだ」
「な……ッ」
――――これもすべて、因果応報であった。
「一対一の三本勝負……だったか?」
「……ッ」
「不死身のタネは割れたみてえだが。……剣士を名乗るつもりなら、構えな。どっちが早いか勝負しようぜ」
初太刀の再現のように、シラノは野太刀を鞘に収めた。
静かに呼吸を巡らせ、己が不調を自覚する。
目が霞む。致命傷は――――避けた。だがやはりそもそもの技に無理があったのか……意識の維持が、難しくなっていた。
それでも……
「剣豪気取りの小僧が……! 我に敵うと思っているのか……!」
「俺は、ただ手前ぇを――――邪悪を斬るだけだ」
身体の底からこみ上げる臨死の震えを掻き消すように、吐息を一つ。
静かに鞘を握り、赫き瞳を真っ直ぐに向けた。
◇ ◆ ◇
……これは、二度目の“感動”なのだろう。
己でも不審に思うほどの爽快な笑みを浮かべ敵に斬りかかろうと疾走するエルキウスは、
「エルキウスッ!」
あと一歩のところで、腰にまとわりつく何かに倒された。
猛烈な風切り音を立て、その真上を異様な巨腕が抉っていた。
気付けば周囲には、魔剣使いの他に四体の異形。
怪腕・巨大尾・餓鬼腹・軟体――――完全に取り囲まれていた。
「秘策ってのはどうした! こうなったら、おれでもどうにもならねえぞ!」
冷や汗を流しながら弓を構えるミシリウスを眺め――そこでようやくエルキウスは笑みを消した。
いや……より深い安堵の微笑を浮かべていた。
「貴様でもどうにもならんか。……その言葉を聞きたかったのだ」
「何?」
「我々の勝利だ……貴様ではなく他でもない我々の、誰でもない私たちの勝利だ。我らは、勇者に成し遂げられぬことを成した」
口を開く彼の内にあるのは、二度目の感動だ。
「酒蔵のステファノスたちには伝えてある――――時がくれば魔術にて『麦芽酒』と源流を同調させ……この山ごと押し流せ、とな」
大本は清き流れから生まれたものである『麦芽酒』。
そこに、魔術研究院に学びに出していた若き騎士たちが行う二種類の魔術。
一つ、ある賢者が言った――『あるものから生じたものは、その大元と同じものなのではないか』――感応魔術。
一つ、ある賢者が言った――『真を模した虚像を、真として使うことはできないか』――形意魔術。
「……貴様のような異常な弓を使われたら、奴らをここまで引き寄せることが叶わぬ。殲滅もな。だが、これでようやく――場が整った」
上がる狼煙に、酒蔵の中では若き魔術士たちが一心に魔力を注ぎ込む。
酒杯に注いだ麦芽酒を『山のある箇所の源流』と見なし、また別の杯の麦芽酒に同様に魔術を使い、山の『別部分に流れる源流』を感応させる。
そして――――彼らはそれらを『混ぜ合わせた』。
一人では到底足らぬ魔力を以て、『異なる場所を流れる源流』の――その『流れを合一させる』という荒業を、源流目掛けて転写する。
大本の流れなど関係ない。
特定の流れ目掛けて――――『混ぜ合わされるのだ』と、『それを再現するのだ』と、魔力が圧力に変化して強制させる。
「……あとはその流れにこの魔剣を投じれば、すべてを切り裂き浄化する刃となる。それにて終わりだ。私は――――私たちリルケスタックの民は、『勇者』と謳われた貴様にはできぬ偉業を成し遂げる。誇りを持てる」
「おまえ……だが、それは……お前さんは……」
「構わぬ。いい気分だ。……これで判っただろう? もうこの庄に貴様は必要ないのだ。私やこの庄に囚われることなく、父が言った『勇者』の行いだけをできる……その証明に随分かかってしまった」
……上がった狼煙に、すぐさまに振動が応じた。
その振動が増大する。地響きが、地揺れとなって膨れ上がる。
「だから貴様は必要ないと……近付くなと言っていたのだよ。……“遠手”のミシリウスよ」
そして、山が揺らぎ――――轟音が轟いた。
◇ ◆ ◇
一瞬。
その、一瞬だった。
「――――――――」
地揺れの驚愕に目を見開いたカムダンプへ――――奥歯を噛み締め、いざ抜き放つは触手抜刀。
差を分けたのは情報。
エルキウスの策を聞いたシラノと、策を知らぬカムダンプ。その差が反応を分かつ。
だが、それでもカムダンプは――シラノよりも上位の剣士は、すぐさまに隙を立て直した。
「〈朧月の白刃〉――――!」
宙に半ばに構えられた柄が、半透明の刀身を再発現する。
その瞬間に巻き起こる烈風――――魔剣の顕現に弾き飛ばされた空気の塊が、豪風としてシラノに叩きつけられた。
否、それだけではない。
「これが我の逃走経路よ! 誰が貴様のような気狂い、死狂いと剣を結ぼうか! かはは、一人で果てるがよいわッ!」
その大気の反動を以て、カムダンプは強烈に後退する。
死に体のシラノでは追いつけない激烈な逃走。彼女は勝利を確信し――――しかしその歪んだ笑みも、飛翔する身体も停止した。
ピン、と。
宙に横一文字を作る触手の縄。
それがあたかもプロレスのリングロープめいて、逃走を図るカムダンプの行く手を遮っていた。
「な――――!?」
驚愕するカムダンプの視界に映るは、地に突き刺さった紫色の刀身。
先のやり取りの内、シラノが最初に撃発した触手刃――カムダンプが回避した三段突きの刀身である。
その断面が虹色に輝き、触手を発現させる。
決して逃さぬと。許しはしないと。ここで仕留めると――憤怒が形となり、楔となる。
自切した触手からの触手の発現。――――二ノ太刀“刀糸”。
そして、ザ……と。
凍るカムダンプの真後ろ。柄を握る血まみれのシラノが、歩を止めた。
「………この場合は……“剣士気取り”、か」
「待て、やめろ……! お前の妾になってもいい……! こ、この剣を役に立ててやる……! 技も教えてやる……! 死海八景という二つ名の意味も、我らの計画も――――」
「必要ない。全て斬るだけだ」
鞘の内での三連発。
光芒と化した一閃は、深紫の野太刀の切っ先は、音を遥か後方に捨て去った。
縦一文字の“自顕”の“抜き”――――そして、白神一刀流の抜刀術“唯能・砕”。
「か、ぁ……」
初太刀の再現の如き刃は、少女の形をとった邪悪を縦に分かつ。
激しい頭痛と底冷えする身体の力に維持が難しくなったのか。切っ先から崩れようとする野太刀を、シラノはそれでも握り締め……しかしすぐに掻き消した。
縦に二分割されたカムダンプの頭部が赤錆に変わる。
もう世を嘲り嘲笑うこともできぬ表情のまま、風に散るように消えていった。
「倒したの……かい……?」
「うす。……おそらく、完全に」
ゴホ、と咳き込んだ。目の前が暗くなってきているのが判る。
唇が震える。
思えば随分と血を流した。ひょっとしたら――――万一ということも頭もよぎり、そして膝から崩れた。
「ちょっ、ちょっと剣士クン!? 大丈夫かいキミ!? 僕じゃ担げないから倒れられたらどうしようもないよ!?」
「……先、輩? 先輩ですか……? その喋り方、懐かしいなァ……俺……もう、随分と……声を聞いてねえ気がして……先輩に会いたくて……」
「それ違う人のことだろう!? それ絶対僕じゃないだろう!? キミそれ絶対に僕向けじゃない顔してるだろう!? その間違い方は不味いやつだろう!? ちょっと本当に大丈夫かいキミ!? ねえ剣士クン!?」
「アルケル殿、アルケル殿……こういうときはさっさと手当するのが一番でありますよ。ちゃっちゃと運ぶであります」
「だから僕じゃ運べな――――はああああああああああ!? なんでここにいるのさ!? 薄情にも置いて逃げたよねキミさあ!? また近くで見てたってのかい!? 正気!?」
ぎゃあと喚き立てるアルケルと、笑顔で誤魔化そうとするユーゴ。
それを遠くのことのように聞きながら、薄れゆく意識の中で――――シラノはふと思った。
(……そういえば、なんで半死霊馬が……現れたんだ?)
音にもならぬそんな疑問は、沸き立つ騎士たちの声に掻き消された。
◇ ◆ ◇
ある男が覚えた感動は――――次第に怒りへと変わっていった。
己が及べないだけならよかった。
彼が称賛を得るならよかった。
彼が父を討ったのも許せた。
ただ――――父を言い訳に父の言葉を裏切り、その力を埋もれさせていくことだけが許せなかった。
そして今は、
◇ ◆ ◇
火も沈んだリルケスタックの町は、赤赤とした明かりに照らされている。
村の中心で焚かれた炎。
それは戦神に捧げられしものか、それとも酒精神への感謝か。
この戦で傷付いた者も多く、命を落とした者もいる。
しかしながら炎を囲み、麦芽酒を交わす彼らはどこか清々しい顔をしていた。
また庄を狙う者がいたとしても挫けるのだ、と。
怯えることなく戦えるのだ、と。
過去を、いずれ昨日となってしまう今日を誇ることができるのだと――――そして明日に負けずに進んでいけるのだと、笑っていた。
……その戦勝会を、遠巻きに眺める二人の男がいた。
「まさか、のうのうと生き残ることになるとはな……」
「ああ、半死霊馬が拾ってくれなきゃヤバかったな。後で飼い葉でも贈ってやったらどうだ?」
「……。そもそもあれが何故、我らが庄を荒らし回っていたのかが分からん。黒天宮衆の手の内でないのに、何故だ?」
「んー……いくら怪物みたいな馬だってったって……言葉は話せないだろう? だから、態度で『危ない空気だしこの庄から出ていけ』ってしてたんじゃないのか?」
「……」
相変わらず脳天気な男だ、とエルキウスは眉間に皺を寄せた。
何故こんな男にかかり患っていたのかを思えば余計に頭が痛くなるし、そもこんな男が己より年上だというのにも腹が立ってくる。
入れ墨を刻んだ褐色肌に、金髪を後ろで括った男はどう見ても青年……二十歳そこらにしか見えない。
純なる森人族は一人を除いて死ぬか立ち去るかしたこの竜の大地において、他に弓で並ぶものがないという凄腕というのも合わさり――――ひょっとしたら半森人族ではないのか、とエルキウスも考えているのだが……完全な純人間だ。
「そも、黒天宮衆絡みでないなら……何故あの馬はこの庄に訪れたのだ? それもこの時期に……」
「さてな。……ただ、半死霊馬ってのは幽世と現世に通じてるんだろう? だったら――――ひょっとしたら、ルキウスの旦那が呼びかけてくれたんじゃあないのか?」
その言葉にエルキウスは僅かに目を見開き、そして頬を崩しながら静かに呟いた。
「ならば父も言っているだろうよ。“遠手”のミシリウスよ――勇者になるのはどうしたのだ、と」
「そいつぁ、おれも耳が痛いね。今回は全くと言っていいほど役に立たなかったからな……その辺も合わせて、世におれの腕を知らしめに行きたいところではあるが……」
改めて、二人の男が向かい合う。
これが遠回りだったのか。
今までは停滞だったのか。
それはわからなかったし――――関係なかった。
佇まいを正し、正面からお互いを見据えて口を開いた。
「“遠手”のミシリウスよ。……我が庄の騎士たちは、まさに勇者たる者に劣らぬつわものと知れたろうか」
「“冷眼”のエルキウスよ。……確かに貴殿らの力を拝見した。この私が、ひとときでもこの庄に居られたことを誇りに思う」
半ば宴会のようになっている中心部の光には、しかし参加できない者もいる。
エルキウスの打った博打に――――否、そんな誰が故に無思慮に命を捧げたという傲慢な理由ではなく……。
己が信念に従った者……家族や故郷を想って戦い、果てた者がいる。その家族がいる。
どう言葉を並べようと、死は死でしかない。それは損失でしかない。
それらに償うすべはない。人の命は取り返しがつかない。
ただ、報いようとする他ないのだ。
エルキウスにはエルキウスの――――ミシリウスにはミシリウスの方法で。
「……これからどうする気だ?」
「そうだな。……まあ、冒険者ってのを目指してみようと思う。難行の勇者みたいに、少しでも人助けをできるようにな」
「なるほど。……ならば叙任式で抜刀だけはするな。如何に剛毅なれど、余計な苦労を背負い込むことになる」
「そうするさ。……そうできるとも、思わんしな」
人々の騒乱とは無関係に月は町を照らす。
死者は眠り、生者は誓う。
怪馬の騒動は――――こうして静かに幕を閉じた。




