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第一○○話 決着。柳生新陰流


 枝を踏み折る音が響く。

 根に足を取られぬように緑深き山中を進むエルキウスたち騎士は十人一組で個々に円盾を構えながら、手には魔術により縮小させた槍を握る。

 そのまま集団は、あたかも一つの有機生命体の如く、岩を避ける川流めいて木々を躱しながら進んでいた。

 エルキウスの持つ〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉を源流に突き立てることで魔剣と同化させて汚染を浄化する――――それだけの単純な作戦。


 問題は二つ。

 山中に限らず水源のどこに刺しても――街でも――効果を発揮するが、汚染を行う大本の邪術士を倒ぬ限り剣を抜けばまた汚染を受けること。

 その状態では、同じ水源のものを飲料水として用いることも不可能となる。すべてが『一繋がりの剣』と見做されるためだ。

 また、無論ながら能力発揮中は突き立てた〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉を引き抜くことができなくなる。つまり戦闘での利用が極端に難しくなる。

 そうして時間をかける間に、敵が水源の範囲に入らずとも攻撃が可能を魔剣を持ってきてしまえば――――あとはなすすべもなく全てを奪われるだけだ。

 故に、討たなくてはならないのだ。

 山中に潜まれていつ狙われるかと怯え暮らすのではなく、敵が攻勢に出てきている今このときに。


「……」


 獣人族(デンス)――“亜人類(デミトス)”由来であるとか、古森人(エルフ)語の“噛み砕くもの(オドンス)”由来とも語られる獣の特徴を持った亜人類。

 その総称の由来の一つとして語られる牙――犬や狼の特徴を持つ種族は、とりわけ亜人の中でも最上位に位置する存在だった。

 生物の行動の兆候はおろか、その感情すらも見抜く鼻。優れた聴覚。しなやかな運動力と持久力に溢れた四肢。矢傷程度では動じぬ生命力――……。

 “魔剣の王”の災厄以後に魔術の後退により生息圏を移さざるを得なくなったヒトが直面した脅威――“鬼人族(オルカス)”・“巨人族(トロールス)”と異なり、魔術全盛と呼ばれた帝国期ですらも“脅威”として謳われた種族である。

 故に、


「が、ッ……!?」


 一人が声を上げられたのは幸運だろう。

 小隊の隊長が各々に号令を発する。にわかに浮足立った集団は、それでも木々を盾に飛ぶ影へと油断なく戦闘行動に移った。

 二十個の瞳で索敵し、そして個々の集団が掛け声の元に有機的に作用して敵を追い立てる。

 弓矢の如く一瞬だけ伸縮する槍と、亀の甲羅の如く守りを固める盾の前に――かの黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)といえど次々に屍を晒していくことは避けられない。

 しかし、


「邂逅が早い……!」


 騎士の一人が叫んだ。

 エルキウスの手に握られた〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉――――水に刃や斬撃を溶かして切れ味を与え、或いは自在に刃を生み出す権能を持つ魔剣。その射程……つまり山の水脈の範囲に敵は立ち入らないと想定されていた。

 だが、関係なく仕掛けて来たのだ。魔剣の権能に磨り潰されても構わぬ、と。

 そして……


「エルキウス様ッ!」

「まだだ……ここでは使えん。あちらの“作業”の邪魔になる」


 黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)は預かり知らぬことだが、頼みのその〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉は、起死回生の一手のために封じられていた。

 故に、騎士たちは盾と槍で立ち向かうしかない。

 刻印魔術〈加重〉仕込みの円盾に獣の身体が衝突し、蒼き盾の力場と火花を散らす。既に理性を外されたのか、傷を負いながら襲いくる獣の牙が騎士一人の腕を捉えた。

 そのまま――引き千切られる。

 鮮血が巻い、絶叫と悲鳴と怒号が上がる。それでも彼らは立ち向かっていた。


「エルキウス様……ならばもうこの場所で秘策を……!」

「できぬ。ここでは街を“巻き込む”……それにまだ魔剣使いの一人も現れておらぬ」


 物見か。威力偵察としてぶつけて来られた犬の雑兵と魔物の混成部隊。

 敵は本命を繰り出して来ておらぬ。それでは、一度きりの秘策などただ不発に終わるだけだ。

 故に――――視点確保のために馬に乗っていたエルキウスは飛び降り、そして紅き〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉を抜き放った。

 一閃。密集陣に飛びかからんとする獣人の頸を刎ね飛ばす。

 更にもう一体の胸を貫き、その身体を蹴り飛ばし――


「爆ぜよ」


 その死体を乗り越えようとしていた獣人が、()()()()()()()()()()()に貫かれて絶命する。

 その血しぶきに――一つ繋がりの血しぶきに触れた獣人の頭部が、また刎ね飛んだ。

 流血がさらなる流血を呼び、血の湖を作る。


「……魔剣の王とやらは、よほど性格が悪かったらしい。まさか私にここまで馴染むとはな」


 殺戮を果たした魔剣が、死体から一筋垂れた血の跡から飛び出しエルキウスの手に収まった。

 緊張感に耐えかねたのだろうか。

 思わず笑いを零してしまった騎士へと、エルキウスもまた鉄面皮を崩して不器用な笑みで返した。


「貴様はジルムントだったか? ……すまぬな、苦労をかける。我々のうちの何人が死ぬかも判らぬ。いや、何人が生き残れるというべきか……それとも皆揃ってここで果てることもあり得る」

「エルキウス様……」

「しかし、だ。私は誓おう。私を含めて皆がこの場に倒れたとしても――――我らがリルケスタックは明日も続く。そして、つまり我らも明日に続くのだ、と」


 死体を一瞥し目を閉じ、エルキウスは皆に呼びかけるように続けた。


「心して聞いて欲しい、我が勇敢な騎士たちよ。今倒れたアストン、ミルバイン、ドミテウス、アストラアス……いずれ私たちも彼らと同じところに向かう。倒れるのは私かもしれないし、貴様かもしれない。次の一歩でかもしれない。その次かもしれない」

「……」

「だが、それでも我らは進まねばならないのだ。何故か? それは我らが槍を持つからだ。我らが剣を下げ、盾を構えると決めた日から我らはこうして死ぬ定めなのだ! それは意味あることか? それとも無意味か?」


 呼びかけられた兵たちは答えない。

 ただ神妙に――神妙に戦の混乱を忘れ、エルキウスの言葉を待っていた。

 故に、エルキウスは静かに剣を持ち上げ、

 

「我と轡を並べる勇者よ……それを決めるのは明日の人間だ。そして我らは、その明日を作るために戦うのだ。我々は今日に生きよ! 今日に生きて、今日のために死ぬのだ! 明日を任せるために!」


 掲げるとともに、兵たちが力強く声を上げた。

 もう一度彼が見回した全員の顔に、もはや戦の混乱はなかった。

 また、騎士たちは進む。

 再び騎乗しようとするエルキウスの元で、副官が耳打ちをした。


「エルキウス様……これは……」

「ああ、魔剣使いは一人もいない。戦うと決めてからこれまで使って来ぬ以上、遠間で使える魔剣は存在せぬだろうが……なんとしてもこちらの土台に引き込まなくては」

「も、もし……入れ違いに魔剣使いが我が庄を……“彼ら”を襲いに向かっていたなら……」


 不安を声に出した副官へ、エルキウスは苦く目を瞑った。


「その時は、この場の我らも敗れる。……我が庄は必ず敗れる」

「で、でしたらせめてエルキウス様があの場に残れば、魔剣使いの対処が……」

「そのときはこの森の騎士たちが魔剣使いに喰われ、そして我が庄は遠からず穢れに堕ちるのみ。……いずれにせよ、我らがこの場でできることは進むことだけだ」


 どちらにしても博打にしかならず、エルキウスは勝ち目のない長期戦ではなく短期決戦を選んだ。

 それだけの話だ。

 そしてその鍵を握るのは、酒蔵に詰めた若い騎士たちだった。


「征くぞ。……我らは我らがなすべきことをするしかない」


 エルキウスはふと、魔剣を斬る剣豪の姿を思い浮かべ――――掻き消すように足を踏み出した。



 ◇ ◆ ◇



 夕暮の中、向かい合うは二人の剣士。

 対する日本人形めいた少女――カムダンプは下段に剣を下ろし、赤きマフラーをたなびかせるシラノは鞘を握りしめる。

 前世の折に母方の祖父から多少手解きを受けただけの薬丸自顕流――――持つ技は“抜き”と“蜻蜓(とんぼ)”のその二つ。

 鞘内から刀を放つか、袈裟に打ち下ろすか。ただそれのみの純化された剣。

 緩やかに下段に構えたカムダンプの流派は知れない。

 元より書での知識しかないシラノでは、知ったところでなんの甲斐もなし。

 故に、


「――――」


 奥歯を噛み締め、いざ地を押すは足。

 握る鞘の角度を変える――――狙いは逆・唐竹割。股ぐらから胴への斬り上げ。不殺ゆえに対人では決して使わぬ、殺しのための真の“抜き”。

 今まで一度とて敵に見せたことのない“抜き”を使うのは、相手が手練ゆえ。

 この一刀にて縦に分かつ。その意気で、いざ撃発するは触手抜刀。

 ――――白神一刀流・零ノ太刀“唯能(ユイノウ)(ヒシギ)”。

 極超音速の衝撃波が耳朶を打つ。大気を抉じ開ける神速の一閃である。

 だが――――


(躱、した――――!?)


 下段の剣位のまま、カムダンプは揺るがない。

 宙を舞うは前髪数本。それも、衝撃波に散ったにすぎない。

 見切ったのか。

 見切り、最小限の動きで回避したというのか。

 極超音速を躱すというのか。

 だが驚愕より先に――――シラノの身体は蜻蛉をとった。

 引いた敵とその矮躯。そして少女が手にするは打刀。 

 対するシラノ、握るは野太刀。両膝には触手抜刀の勢いが乗り、未だ、間合いの有利はシラノの剣。


「イアーッ!」


 猿叫一つ、天から地へと袈裟がけに刃の雷が落ちる。

 しかし――――シラノは見た。

 振り下ろさんとしたまさにその最中、淫魔の剣が、輝くその切っ先がシラノの瞳を照準した。上段の清眼。敵は構えを変えた。

 そして半身――左偏身への転身。

 ()()()()()()()()()。踏み出す彼女の左足が、前に出る左肩が、一重に重なるその体が、打ち合わせたかの如くにシラノの野太刀の右に躱した。

 不味いと思う頃には――――遅い。


「薬丸流には、拳が遠い」


 未熟を咎める酷薄な声と共に――――少女の頭上を回旋したその打刀が、振り下ろされた白刃が、野太刀を握るシラノの右手首を切り落としていた。


 ――――柳生新陰流“斬釘截鉄(ざんていせってつ)”。


 灼熱の痛みに仰け反り、反射的に身体が引く――――だが奥歯を噛み締め残る左手で遮二無二に剣を振るわんとし、()()()()()()()()()()()()()()()()

 次いで踏み出されしは少女の右足。

 これも型の内。痛みに仰け反る敵を討つと――それでも刃を振り上げる敵を討つと、確実な止めを刺してこその“剣術”だと。


(柳生、新陰流――――)


 ス、と。

 下段から天へと返された刃が、跳ねる剣がシラノの左手首を切り飛ばした。

 野太刀を握った拳が飛ぶ。

 両手喪失。嘆く暇もなく、無慈悲に進む。触手で身を後ろに引くも、間に合わぬ。逃げ切れぬ。

 更なる少女の踏み出しが――――腕を目一杯に伸ばした片手が握るその刀の切っ先が、シラノの胸の中心にトンと刺さり、


「柳生七郎を騙るは笑止。……来世では、似合いの偽称を名乗るが良いわ」


 老人のような口調で、それにて()()()と少女が嗤う。

 引き抜かれる刃に鮮血が舞い、しかし彼女には返り血一つかからず――――勝者と敗者は、誰の目にも明らかに決されていた。

 なんの声も上げられず……いや、胸を貫かれてどうして上げられようか。触手も失せて、糸の切れた人形のように無慈悲にシラノの身体は崩れ落ちた。

 見下ろす少女はしばし残心し、そしてもう一度嗤った。



 ◇ ◆ ◇



 三度目の邂逅では、ついに魔剣が現れた。

 槍を繰り出そうとした騎士が倒れる。繰り出した騎士も倒れる。そこだけが神がくり抜いたかのように、輪が広がるように密集陣形の騎士たちが斬り伏せられていく。

 盾を構えていた騎士だけは血飛沫の惨劇を免れた。

 ただ振り付けるだけ――――それだけで風を斬る()が刃と化す。

 斬撃を音に乗せる、殺戮の魔剣だった。


「貴様らは下がれ。すまぬ、遅くなった……ここからは例の地点を目指してひた走り、街への合図をあげよ」

「しかしエルキウス様……お一人では……!」

「先程のでこの手の魔剣の使い勝手も知れた。……貴様らの将として、無様に破れはすまいよ」


 紅き刃の魔剣を構えたエルキウスと、先端が斧めいて膨らんだ錆色の魔剣を構える獣人。

 兵たちは名残り惜しげに眺めて――それでもすぐに斜面を駆け上がっていく。

 獣人は追わなかった。狙いはエルキウスの持つ魔剣か。

 ……内心でエルキウスも頷いた。〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉を取り上げさえすれば、水源伝いで兵をすべて倒せる。

 故に……最悪は葬られなければならないのだ。策により――エルキウスごと、この剣を。


「……さても、あちらに何事もなければよいが。考えても栓なきことよな」


 口角が上がり、小さく呟く。

 すぐに彼の気持ちは切り替わった。

 明日が欲しいと――昨日を誇りたいと。そう願う領民たちのために、戦うのだと。


「ルキウスの子、エルキウス。貴様ら黒犬に名乗る名ではないが……せめて手向けに黄泉路へ迎うがいい」

「よくぞ名乗ったヒトの小童。……我が名、聞き出したくば三手は耐えよ!」

「なるほど、貴様の名は永遠に聞けぬとみた。――――三手も要らず貴様を討とう」

「よくぞ吼えたわ! その意気やよし!」

 

 そして、二つの影は揃って地を蹴った。

 いずれに切り分かたれるにせよ――――エルキウスの死は肉体の死ではなく、策が完全に死したそのときであろう。

 そう、彼はただ剣に身を任せた。



 ◇ ◆ ◇



 酒蔵の前の裸道に倒れ伏す一人の男。

 その首からの流血のごとく、巻かれた赤いマフラーが地に広がる。

 いや、それがなくとも出血は多い。両手首から、胸の中心から漏れ出た血が地面を黒く染めていく。


「剣豪など名乗ろうとて、喰らうてみればこんなものか。……駄菓子代わりにはなったがの」


 蚊の鳴くような声はそこにはない。

 少女の姿ながら――如何にも老練、如何にも老巧。まさに手練の笑みを浮かべたカムダンプは、それでもその手を休めず剣を構えた。

 狙うは倒れしシラノ・ア・ローの首級。

 与えたるは胸への一撃。両手の喪失。しかし彼女は抜かりなく、その首を睨んで刃を上げる。確実なる止めを狙う。

 いざ刃が振り下ろされんとしたそのときであった。


「な……剣士くん!? それにキミは……!?」


 駆けつけたのは、癖のある金髪を汗で額に張り付けたアルケル。

 彼とカムダンプとは、既に魔剣売買のときに顔を合わせていた。

 水を差されたものであるが、あまりにもその狼狽が面白く――カムダンプは白い歯を見せた。


「応、あのときの小僧っ子か。なに気にするでない……女人言葉は不慣れでの。いざ口を開けばこのようなものよ。……いや、それほどまでに昂ぶらされたというべきか」

「な、な……!?」

「今のは冗談よ冗談。はは、そうも顔を青くも白くもするではないわ。好みにはチと遠いが、戯れ代わりに抱きたくもなろうて。……貴様も悦楽を味わうてみるか? 尻の快楽、男こそ忘れられぬようだぞ? 娘子のように啼かせてやろうか?」


 肛虐を連想してか、その言葉に余計に顔を青褪めさせて彼は引いた。

 カムダンプは笑い飛ばす。笑い飛ばし、もう一人へと黒紫の瞳を向けた――――……向けてから、一度意外そうに目を開いた。

 黄昏に広がる闇の如き黒長髪。

 爛々と灯る紅の瞳は、カムダンプの肌を強く打つ殺気は、切り結ぶには十分な憤怒。

 知らず肌が粟立ち、笑みが漏れた。一合のち、己が立つ姿が想像できないのはカムダンプも初めてであった。


「ほう。死合うか、小娘」

「……いいえ、期待が外れただけよ。こんな……こんなところで倒れるなんて。こんな……ふざけた……どうしてこんな……。何してるのよ……ふざけないで頂戴……」

「ははは、そう責めてやるなよ小娘。この剣豪小僧、技こそ未熟なれど、気概と眼は非凡の域よ。並々ならぬ死線をくぐったと見える……。……惜しむらくは年若さか。よほど早世したのだろう。口惜しかろうなあ」


 倒れたシラノには身動き脈動一つなく、流れる血すらももう鈍い。

 目の前で穢してみたらどう怒るかと――挑発で送ったカムダンプの嘲弄の目線に彼女は紅き瞳を歪め、しかし歯を食いしばって踵を返した。


「……邪魔したわね」

「なに、気にするな。……その身の渇き、我ならば埋められるかも知れぬぞ?」

「生憎だけど気分じゃないの。……そこまで安くもないわ」

「応、そうかね。ま、こちらからいずれ伺うであろうがの」


 面白いものが見れたとカムダンプは手を振った。呼び止める金髪には構わず、黒髪を靡かせて彼女はそのままに去っていく。

 ふう、と内心で息を吐いた。目を逸らせばその瞬間に死ぬほどの使い手――――否、魔剣使いは初めてだった。

 故に、肩の力を抜くように、


「さて――……小僧っ子、貴様はどうする? 頼みの綱の剣豪小僧は倒れ臥し、貴様は徒手空拳の手負いの身……大人しく頭を垂れれば、七日七晩は可愛がってやるものだが?」

「あ、う……キミたちは……なんで……なんでこんな……!」


 冷や汗を浮かべながら言われたカムダンプは、ふむ……と首を傾げた。

 異世界転生(いせかいてんしょう)――。

 かつての地球にて生まれた死者の魂を淫魔の魂と混ぜ合わせ、この竜の大地(ドラカガルド)に再発現させる死者返しの淫法。

 今は()()――となったカムダンプとて、この世界とはまた別の人生があり、想いがあった。前世という過去にして今の自分とも言うべきものが。

 確かに一度とて打ち明けたことがなかった。そう思えば、誰かに聞かせたくもなるか。


「いや、そうだな。我は養父に襲われかけてな、それでチと剣を磨いたのよ。……まぁ、鍛えこそすれ生涯ついぞ抜く機会はなし。我が歯を食い縛っていた間の時間はまるで無駄さね」

「……」

「わかるかな……安穏と暮らす貴様らを見てると腹が立ってしようがないのだ。備えるものも備えずに生き、いざ死に瀕すれば泣き叫び誰かに助けを乞う。……くだらぬなあ、そこで立ち向かえぬのは日頃の差よ。生き残れぬのは生の極致よ。己が選択の果てよ」


 見せつけるように白く歯を剥く。

 童女の皮を被った獰猛なカムダンプの笑みに、アルケルは頬を凍らせた。


「くだらぬのよ貴様らは。ほれ、そのときに言うてやろう――自己責任とな。……我が剣を磨く間も安穏と生きたツケよ。平然と暮らしたすべてのツケよ。貴様ら好みの論法を、そのままに言い返してやろうとも」

「キ、キミは……誰に向けて言っているんだい……?」

「応、そうともすまなんだ……これはただの恨み言よ。竜の大地(ドラカガルド)には関わらぬわ。……ま、我には気に食わんのよ。得意げに生きたる馬鹿者が、平時に幅を聞かせてこちらに『自己責任』だとふざけて宣う。笑わせるわ」


 転生者(てんしょうしゃ)が大元の淫魔の魂と入り混じりしとき――――その多くは人格が変わる。世を犯す呪いに心を歪められ、真なる淫魔として覚醒する。

 だが、カムダンプは確信していた。記憶を探っても一致している。これこそが我、この怒りこそが我なのだと。


「何が弱者? 何が弱さ? いいやこれは我と貴様らの行いの差よ! 狙われるのも殺されるのも、刀を取らずに生きれる貴様らが強さが故よ! くだらぬ剣に時間も使わぬで済む幸せ者が、上から()()()()とほざくでないわ!」

「ひっ………」

「喜ぶがいい! 叫ぶがいい! 貴様ら強者に応報の摂理を与えてやるのよ! 自己責任! 弱者! すべておのれらの摂理のとおりよ! 死ぬが良いわ戯け者ども! 一切合切奪ってやるわ! 貴様らがこちらを見捨てたとおりにな! すべてはツケよ!」


 打ち明けると――胸の溶鉱炉の扉を開くと、ただ爽快で笑みが深まる。

 怒り、怒り、怒りだ。初めから世を覆う怒りを持っていたからこそ、カムダンプはかつての人格のままいられるのだ。


「トンネル・パトロールは……心優しき彼奴(きゃつ)はいざ知らず、我はその応報を奪うた者を憎んでおってのう……あと一歩で大層な数を殺し尽くせたというのに、よりにもよって決行のその日に命が尽きるとは……。お前ら竜の大地(ドラカガルド)の民は関わりないが、これも縁だと死んでくれ」


 そしてカムダンプは緩やかに剣を握る。

 剣を握り、跳んだ。そして飛びながら振り上げた剣で一太刀に刎ね飛ばした。

 着地に揺れる一直線に揃えた前髪の下、黒紫の瞳が爛々と嬉色を露わにする。

 彼女が切り落とせしは――触手。

 そして視線の先には、宙の触手を巻き付け立ち上がる隻眼の男。


「話は………………よく、わかった………………」


 口角から血を垂らし、失った両手では拭うこともできず――――胸に穴を空けたまま、それでも眼光だけは炯々と手負いの獣めいて光っている。

 ふはっと、彼女は思わず笑顔を零していた。


「ほう。心の臓にしてはいささか感触が異なると思ったが……いかなる技か、身の内で急所をズラしおったな?」

「…………あぁ、あの人が俺を生かそうとしてくれた……その、おかげだ……」

「ふむ。ならば首を刎ねて念入りに殺すとするかの。……さて、その不具で薬丸流の野太刀を放てるかな?」


 嘲笑へめがけて、彼は――――シラノは決断的に首を振った。


「俺の……流派は、白神一刀流…………そして――――」


 両手首に巻き付いた触手。その紫の蔦が落ちた手首を拾い上げ、切断面を合せて両腕を巻き締める。

 しゅうううと、白く蒸気が吹き上がった。

 そして白靄と共に――露わになるは宇宙色の手甲。

 両腕を覆う触手外骨格が、即席の戦篭手が、精神が形をなした両腕が――――いざ掴むは紫の柄。

 宙から野太刀を掴み抜き、シラノは吼えた。


「白神一刀流に……敗北の二字は、ねえ…………ッ!」


 狼めいた髪の下、見開かれしは右の隻眼。

 灯りし真紅と琥珀の瞳。彼岸と此岸を睨む瞳。

 先程の再現のごとく天を衝く蜻蛉をとったシラノが、鮮血じみたマフラーをなびかせ地を蹴った。



 ◇ ◆ ◇



 エルキウスは考える――――先ほど兵へ向けた演説を。

 そして今も己が剣を振るい、未だ立つ理由を。

 何が己をそうさせるのか、その理由を。

 敵が振りかぶるのに合わせて、己が身体に〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉を刺し入れる。

 そして音として襲いかかる敵の斬撃が肌を破くのに合わせて、体内から紅き刃を発現する。

 そうして相殺――――しかし繰り返すこと何度か。

 少なくとも肌は斬れる。集中の糸もやがて切れる。

 一手を仕損じたその時に、エルキウスは物言わぬ死体となろう。


(――――なにが、おかしいのだ。私は)


 木を盾にし、跳びのこうとする敵への接近を図りながらエルキウスは己が笑っていることに気付いた。

 そんな気になるのは二度目だ。いや、笑うのは初めてかもしれない。

 迫りくる斬撃にまた剣を合わせた。

 皮膚と肉を裂き、甲高い音が響く。

 痛みが走り――――それも愉快だった。まるで笑えないのに笑っていた。


(なにが、おかしいのだ。私は)


 木の根に足を取られそうになりながら、ただ敵へと肉薄する。

 いつの間にか鎧は捨てた。内側から〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉で剥ぎ落とした。

 余計な重さは不要だった。元より、不要だったのだ。

 己を縛る祖先の血も。

 己に伸し掛かる父の罪も。

 仕える領主も、民も、この土地さえも――何もかも不要なのだ。


 ――――〈ルキウスだ。……よろしく、小さな勇者くん〉。


 あの父にそうとまで言わせた男がいることも、そんな男が静かに腐っていくのもどうでもいい。

 くだらぬ騎士道、くだらぬ出世もどうでもいい。

 ただ――一人の雄として、人間として、己の先を走るものを許せぬのだ。

 ただ早くなりたかった。今はこの高揚に包まれて、一つの風になりたかった。

 だから、走って、走って、走って、そして――――


「エルキウスッ!」


 あと一歩のところで、腰にまとわりつく何かに倒された。

 猛烈な風切り音を立て、その真上を異様な巨腕が抉っていた。

 気付けば周囲には、魔剣使いの他に四体の異形。

 怪腕・巨大尾・餓鬼腹・軟体――――完全に取り囲まれていた。


「秘策ってのはどうした! こうなったら、おれでもどうにもならねえぞ!」


 冷や汗を流しながら弓を構えるミシリウスを眺め――そこでようやくエルキウスは笑みを消した。

 いや……より深い安堵の微笑を浮かべていた。


「貴様でもどうにもならんか。……その言葉を聞きたかったのだ」

「何?」

「我々の勝利だ……貴様ではなく他でもない我々の、誰でもない私たちの勝利だ。我らは、勇者に成し遂げられぬことを成した」


 全身から流れる汗すらも愉快であると、エルキウスは静かに口角を上げ、


「酒蔵のステファノスたちには伝えてある――――時がくれば魔術にて『麦芽酒(エール)』と源流を同調させ……この山ごと押し流せ、とな」


 酒蔵が破られぬ限りは――――勝利が決まるのだ。



 ◇ ◆ ◇



 アルケルの碧眼が見守る前で、剣の花が咲く。

 縦横無尽に疾走る触手の槍を、下段に構えたカムダンプは――地を滑り、斬り上げ、また見切る。

 散るは刃響。咲くは刃鳴。吠ゆるは刃閃。

 シラノが距離と手数に勝ることで敵を制圧しようとしているのだと、素人目ながらもアルケルには理解できた。だが……


「間合いで勝れば戦に勝る。なるほどそれも道理だとて……しかしなあ、ならば何故そも貴様は刀を構えたのか? 剣豪と名乗ったのか? 触手に剣を握らせて、踏ん反り返ればよいではないか」

「……」

「言い当ててやろうか。……そのような紛いの技では敵を斬れぬからよ。石火の一瞬、己が手足でないものなど役に立たぬ。如何に手足の如く使えようと、如何な達人たろうとも……触手に剣を任せる者はただそれだけで“弱い”。そんなものに斬られるのは、剣の道理も知らぬただの塵芥よ」

「……何が言いたい」

「いや――……今の貴様の剣はその弱者の剣。理解しているのだろう? そんなくだらぬ剣で刻を稼ぐ程度に、我に勝てぬとな」


 カムダンプの言葉に、シラノは眉間に皺を寄せた。

 剣術として見るなら――――これまでで最上級の手合い。押し寄せる触手の槍をものともせずに淀みなき刃を繰り出すのは、まさしく謳われた無念無想の境地であろう。

 かの柳生但馬守が唱えた言葉のごとく、カムダンプの剣技、そして間合いの掌握は群を抜いている。おそらく、この竜の大地(ドラカガルド)一と言ってもなんら過言ではない。

 それだけに説明のつかぬものもあり――……シラノは静かに思案する。

 そこへ、老人の如き少女の語りが割り込んだ。


「小僧っ子。……貴様、我らが同士にならぬか」

「ならねえ」

「取り付く島もなしか。……かかか、善き小僧よ。故に惜しい……斬るには惜しい。技を磨いた貴様ならば判るのではないか? 我の論理が……我が怒りが……。腹が立たぬか? 彼奴(きゃつ)らは命の危機もない幸せ者の強き暮らしで安穏と生き、いざ何かあれば弱者ぶる」

「……」

「見捨てたツケよ。奴らの望む通りの論法で、お返しに斬り殺して何が悪い? 我が落ちぶれたのは自己責任! ならば己が身も守れぬのは、貴様らの生き方故ではないか!」


 喜色を伴っているとも見える獰猛な笑みは、真実カムダンプの本心なのであろう。

 故に、


「……あなたの人生に何があったのかは判らねえ。俺の短い一生じゃ、あなたの怒りは理解できない」

「そうほざいたら殺していたわ。……だが貴様には貴様の怒りがある。先のあの黒髪女にも怒りがある。どうかね? 世にやり返したいとは思わぬか? 確かに怒りはあるであろう?」

「……俺で最後になってくれと、そうは思う」


 口腔の血の味を食いしばるシラノの脳裏に――――いくつもの顔が浮かぶ。

 父母は嘆いたろう。弟妹は嘆いたろう。友もまた嘆いたろう。己が無念よりもなお――彼らが嘆き苦しんだそのことを、それを思えば刃がただ鋭さを増す。

 それはこの地にても変わらぬ。

 父を失い重責を背負ったエルキウス、恩人を弑逆(しいぎゃく)し苦しむミシリウス――――酷薄な運命から生み出されたイリスに、世を砕くほど呪ったエルマリカに、そして何よりも人に報いる心根を踏みにじられる()()を見れば……。

 世に蔓延るは多くの残酷。

 だからこそ、シラノ・ア・ローはこう唱えるのだ。


「辛いことや苦しいことが、これ以上この世にあることが許せねえ。存在そのものが許せねえ。それに人が巻き込まれるのが許せねえ。……俺で最後になるべきだ。俺で終わりになるべきだ。俺の怒りは――――ただそれだけだ」


 唸る怒気を腹の底に押し込める。その炎熱を以て、鍛え上げるは己という剣ただ一振り――――。

 故に敗れてはならぬ。

 シラノがここで倒れ伏したるそのときには、エルキウスたちの策の崩壊を――――人々の明日の死を意味しているのだ。

 こここそ我が一命、これぞまさに死地。

 ならば――――雑念・諦念・観念ことごとく斬り捨てるべし。


「たははは、ははははははは! 見誤ったか! なるほど貴様のその憤怒! 妄念! 義憤! 不動明王もかくやというもの! 世は世でも……世の民ではなく、世の摂理に怒りを向けるか! 呪いすらも焼き尽くすと申すか!」

「……まずは、お前からだ」

「たはははは! 愉快、愉快よ! まさかこの異世界で、明王の化身を斬れるとは思わなんだぞ! このくだらぬ剣にも存外の箔がつく! 好いぞ剣豪小僧よ! 貴様は斬るに値する!」


 さも愉快だと身体を震わせたカムダンプの表情が、氷でしめられたように険を増した。

 笑み一つなく、細められる黒紫の童女の瞳。

 びり、と頬が凍る。紛れもない死地だろう。見守るアルケルが喉を鳴らした。


「――――柳生新陰流、三笠木(みかさぎ)夏生(なつお)

「――――白神一刀流、シラノ・ア・ロー」


 互いに、これが最後と叫んでいた。

 シラノは首を隠すような左蜻蛉に、カムダンプ――改め夏生は緩やかな下段に。

 あれこそは柳生新陰流“活人剣(かつにんけん)”の構えか。

 いや、構えですらない。

 敵に攻めさせ、その出鼻を挫く。意気を呑み、撃を無意味にし、勝利を得る――――。

 凍る脳裏で想起し、否だと内心でシラノは首を振る。いくら淫魔と言えども、いくら新陰流と言えども、戦車砲を超える極超音速の剣を前にそれだけでは立ち行かぬ。

 いや、もしも、それが立ち行くと言うのであれば――


()()()()()()()()なら――――何故、()()()()()()()()()()()()()()?)


 胸を突かれたその代償。

 肺や腹部を触手寄生で置き換えたからこその“急所外し”――それでも無理筋で動かした心臓は動転し、稼働させた内部組織のために腹の内での体内出血も酷い。

 だが、その傷こそが勝機の道筋だった。

 あのとき、斬釘截鉄(ざんていせってつ)の直後にシラノの左手を切り上げた剣。

 その時に振り上げられた剣を、その後に回避と同じ速さの踏み込みのままに振り下ろされれば、シラノは確実に果てていた。文句なく両断されていたであろう。

 しかしカムダンプがそれをしなかった。

 あまつさえ、あのとき彼女がとった攻撃。腕を思いきり伸ばせる“片手での直突”としたのは――――触手にて後退するシラノに離されんと懸命に距離を埋めるためでしかない。


(触手抜刀を回避するその速度は、後退にしか使えない。……淫魔の身体能力に由来する速さじゃあ、ねえ)


 そしてもう一つ。

 そもそもの斬釘截鉄(ざんていせってつ)

 如何な新陰流の技と言えども、あんな少女の矮躯で――――野太刀も合わせて明確に距離に勝るシラノの、その右手首を切り落とせるのか。

 その瞬間に腕が伸びたのであれば合点が行くが、それが可能ならば“片手での直突”には至らない。

 その疑問へ浮かんだ答えに――――与えられるのは『有り得るのか』という問いかけと、『それしかない』という確信。


(そうだ。この淫魔は――――()()()使()()()()()


 如何なる理屈で淫魔のその身で使えぬはずの魔剣を使うか。

 だが、今は、その議論は必要ない。

 己より上手を――――シラノが無理筋ではなく起死回生を見込んだ上で挑んでいると判断できるだけの上手を相手に、勝ちを収める。

 触手の技を児戯と嘲笑う相手に勝利を掴む。

 それ以外は不要。この死地に、余分は不要。

 いざ、


「――――」


 繰り出す一歩が死線を超えた。

 近づくカムダンプの姿。敵の剣は下段から揺るがず。

 輝くは紫の腕甲。奥歯を噛み締め――――構えた野太刀の上方への召喚。

 宙に浮かべた触手にて己の剣先を抑え、その分、ひたと力を込める。

 更に歯を食いしばった。持てる全力。出せる死力。剣先を押し留め阻む触手へ抗わんと力を込めながら、シラノは一直線に走る。

 自分を座標に共に移動する召喚陣。野太刀の切っ先を抑える宙からの触手。

 制動と同時に加重を行う。ひたすらに溜める。その全力と死力を以て、一瞬のみの加速に使う“見世(みせ)”の技。

 敵は下段。シラノは上段。いざや収めたこの射程、放つは秘剣――――


「イィィィィィィィィィアアアアアァァァ――――――――――――ッ!」


 パン、と解き放たれた刃が疾走する。首輪を外された猟犬の如く、紫の刃が空を裂く。

 更に緩めた手の内の圧力。振りつけられる遠心力に柄が滑り――――“秘剣・金蜻蛉(またたき)”。片手握り。間合い外しの大一番。

 だが、それをカムダンプは読む。姿勢の変わらぬ下段のまま、彼女の矮躯は後ろに退いた。

 だが、シラノはその一瞬を見逃さなかった。


(銀色の――――魔剣ッ)


 地に姿を表したのは銀色の切っ先――――魔剣。

 伸ばしたか。それとも一部喪失させた本来の刀身を“()()()()()”か。

 いずれにせよ、地を押す魔剣の反動で彼女は回避を図っていたのだ。

 空を斬ったシラノの野太刀。

 直後、少女が踏み出す。同時、シラノの関節が光る。

 触手合一の引力を肉体に反映し、踏み込む隙を斬り上げる秘剣――“待曲ノ月(いまちのつき)”。

 狙うは魔剣のその刀身。

 だが、だがしかし――――。

 少女の手の刀から、まさしく刀のその刀身が失せた。昼の陽光に霞む月の如く、完全に喪失した。


(――――――)


 直後、再発現。

 瞬く間に生まれた剣が、射線の重なるシラノの野太刀を断ち切った。再発現の邪魔と言わんばかりに、野太刀を割って発現しなおした。

 読んだのだ。シラノの秘剣を。

 見抜いたのだ。シラノの秘策を。

 最早この手に刃は無し。そして剣を引き上げるような姿勢では、どんな攻撃も避けられぬ。

 繰り出されれば即ち負ける。繰り出す敵は即ち勝つ。シラノ・ア・ロー――――絶対の死に体。

 ニヤリと、カムダンプ。

 シラノの脇腹目掛けて白刃が煌めき、


「イィアァァァ――――――ッ」


 ――――――故にこそ、()()()()()()()()()


 爆音と共に、突きを放たんとした少女の胸を貫く紫の光線。宙から放たれた触手刀の音速突き。

 その大元はシラノの後上方。シラノの肩口の向こう。()()()()()()()()()()()()()野太刀の切っ先の断面からだ。

 少女の矮躯が“くの字”に曲がり、仰向けに崩れ落ちる。

 飛び散る飛沫にシラノは目を細め、


「――――――秘剣・“明王剣(みょうおうけん)”」


 ただ一言。

 断ち切られた野太刀を作り直し、少女を見下ろしそう言った。



 ごぼりと吹き出た血を拭えもせず、魔剣を手放し大の字に倒れたカムダンプは口を開いた。

 油断なく剣を構えるシラノを見やり、嗤う。


「そうか……貴様のあの構え…………あんな力任せの剣では、物を切れぬ……と思ったが…………野太刀が欠けたと……悟らせぬ、ための……勢いづけ…………」

「……白神一刀流・二ノ太刀“刀糸(トウシ)”。()()()()()()()()()。そして攻撃した……一拍後にな」

「は、はは……なんたる詐術…………なんという騙しの技……下段の剣を断てば宙の突きから……突きを防げば下段から…………いずれにせよ殺すなど、ひとつの剣に留まらぬ……なんとも驕った殺しの剣理…………」

「……」

「いや、蒙昧なる反撃のそこを断つ……これはまさしく……(とん)(じん)()を断つ……明王の剣……という訳か…………確かに勝利は……剣に留まらぬとは、新陰流の祖も謳いしその通り……戦においてひとところに心を留める……愚かと言う他……あるまいな」


 再生は行われない。そして、赤錆にも変わらない。ただ貫かれた胸は大穴を空け、黒き煙をあげる。

 そんなカムダンプの身体を眺め、


「……俺は、触手剣豪だ」


 シラノはただ、そう呟いた。


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