第九十九話 剣客、二人
ガサ、と茂みにかかった赤いマフラーを優しく外す。
数時間ぶり、と言っていいか。シラノはミシリウスの小屋を目指し、獣道といって差し障りない山道を引き返していた。
エルキウスが立つ理由も、ミシリウスが立つ理由も聞いた。
シラノの中の針は、エルキウスの言い分の方が正しいものかもしれない――というふうに傾いている。これから求めるのはさらなる裏付け程度にすぎない。
(前の領主が神殿と揉めてたこと……それは多分確かだ。間に黒天宮衆が噛んでるってのも間違いはねえ……壊滅しかけの奴らがここに手を伸ばしてるのも――多分、本当だ)
ミシリウスの口ぶりではエルキウスの父ルキウスは育てた馬を取り上げられる――という領主への反感から山岳に逃げ出したとのことだ。
それを信じるならば、黒天宮衆と結んでいたとはまるで言えない。
少なくとも嘘を吐いているとは思えなかったが、何かしら信条に関わる部分からミシリウスが情報を秘匿している可能性も捨てきれず……。
更に黒天宮衆からエルキウスへされた『かつての約定に従え』という申告もある。
正直なところ、背後関係についての決定打がない。
いずれにせよ確かなのは、ルキウスという男がこの庄に戻ってきていないということのみであった。
そうなると、黒天宮衆から香料の情報を伝え聞けるのはミシリウスとなるが……。
(まあ、後日改めて別の人に取引ってこともあり得るか。……それにしてもミシリウスさんのあの扱いを見るに、あの人はこの庄でも広く裏切り者として捉えられてる……誰かが取引の内容をバラしたのか? それとも単なる憶測や噂としてか?)
常識的に考えるならそんな取引は表沙汰にするはずもないが――――……そう思案するシラノは、ふと足を止めた。
(いや――……待て。違う。寝惚けんな。大事なのはそこじゃあない)
この件には淫魔が絡んでいる。
ならば、判る筈だ。かつてバルドゥルと共に解決したあの一件で、如何に他人からの情報というのが改竄されてしまうのかを。
それを体感した筈だ。あの千年帝国と名付けられたおぞましき養殖場で。
黒天宮衆の裏に淫魔がいるならば――――何をしたときに奴らの利益が最大になるのか。考えるべきはそこであった。
土地が欲しいのか? 特産品が欲しいのか? 怪馬を倒したいのか?
――――違う。今この庄には、魔剣の王の魔剣がある。
魔剣の王の従者たちの末裔である黒天宮衆の残党を倒すべく、アルケルから魔剣の王の魔剣を購入したのだ。エルキウスは。
(クソ、裏を洗ってる場合じゃねえ……!)
引き換えさんと、足に力を込める。
人の営みを、暮らす言葉を信じて受け取れないという最悪の淫魔の罠。あまりにおぞましく冒涜的で、吐き気を伴った怒りが込み上がるのをシラノは感じた。
当たり前に暮らす人々の生き様を、すべてが嘘ではないかと疑わせる社会に対する毒――――信頼への陵辱。生活への冒涜。歴史への侮辱。
沸々と湧き上がる何かに茂みを掻き分け、元来た道を駆け戻っているそのときだった。
「……おや、アンタ。冒険者の旦那かい? 一体また、どうしてここに?」
朗らかな笑みで現れた日焼け肌の金髪の男。
狩りの後だろうか? 兎の耳を掴み、初めて邂逅した際と同じ簡素な弓を持つミシリウスがそこにいた。
彼の笑みから敵意は感じられない。……そも予兆や殺意を感じさせぬ手練。元よりシラノが警戒しても仕方のない相手ではあるのだが、
「……ああ。旦那、そちらはお連れさんかい? こないだより随分と増えちゃいねえか?」
片眉を上げたミシリウスに釣られて見た背後には、大小不揃いな四つの黒き外套姿――――おぞましい気配が肌を打つ。
腐臭がする。視覚で捉えただけだというのに、どうしようもない腐臭を感じた。
地に付きそうなほどに異様に長く太い毛深い灰褐色の両腕を垂らしたモノ。
外套からはみ出た大蛇のような灰褐色の尾を引きずるモノ。
外套から飛び出した案山子のような華奢な手足と共に、絵画の餓鬼の如く腹が膨れたモノ。
そして――一切外部に露出せぬほどの矮躯ながら、ぐにゃぐにゃと連続して黒布を内側からナニカで押し上げるもの。
「――――」
たまらず、抜いた。触手野太刀を抜いた。
もしリープアルテがこの場に現れ、見咎められたら――――などという懸念は頭のどこかへ吹き飛んだ。
これは、死だ。
四つの、死だ。
「冒険者の旦那……助太刀はいるかね?」
変わらぬ声で問いかけるミシリウスは、既に矢を三つ弓に番えている。
彼とて知っているのだ。気付いているのだ。
目の前の生命体は、世にあまねく生物の害にしかならないと――――。
だが。
意外にも口火を切ったのは、シラノでもミシリウスでもその四つの外套姿でもなく、
(半死霊馬……!?)
突如とも言うべき、妖しき蒼き火。
厚き巌の如き漆黒の馬体が、巨体が中空からまろびいでる。見上げねばならぬ大柄の――その長太き首の先で灯るは赤と青の〈彼岸と此岸を見る瞳〉。
一行を見下ろす半死霊馬が竿立ちになり、そして、外套の怪人めがけて一直線に疾走が開始された。
◇ ◆ ◇
鎧姿の男たちが慌ただしく走り去っていくのを眺めながら、路地裏の三人は険悪さを隠せぬまま顔を突き合わせた。
絶世の美女というべき新雪のような肌に闇の如き漆黒の長髪を垂らしたリープアルテは、普段は蠱惑的であろうその紅の瞳に少なからぬ怒りを灯す。
大気を静かに焼き焦がさぬばかりの彼女の憤りを感じながら、アルケルは『伝承の魔剣の王の寵姫によく似ているな』――とどこか呆然と意識を飛ばしていた。
そんな憤怒を向けられた先の、リープアルテに負けぬほどの白い肌と黒髪を持つ中性的容貌のユーゴは、
「いやあ、この庄の人が誰も気付いていないとは……。ははあ、それとも知っていて放置されていたのでありますかな? どちらにしてもキナ臭いもので……」
「ハッキリと言いなさい。燃やすわよ?」
相も変わらず、胡散臭い微笑を崩さない。
そのまま彼はチラリとアルケルを眺め、肩を竦めた。
「いやいや、アルケル殿から話を聞いて確信したんでありますよ。ここに来た初日――逃げるときは実体のままでしたそうですが、戦いの最中にあの半死霊馬が消えたというではありませんか」
「……それが?」
「それが、とは……ははぁ、アルテ殿は冒険の経験があまりお有りにならないと見える。いや、麗しいおなごのことを知れるとは何とも胸が高鳴るものでありますな!」
この空気の中ではユーゴのトチ狂った世辞も空々しい。
それを理解しながらも崩さない彼は、人差し指を一つ立ててニッコリと笑った。
彼が何故、この庄を捨てて去るべきと主張したか。その答えは……
「半死霊馬は、幽世と現世……幽体と生身を持つ怪物。生身を持つが故に〈浄化の塔〉も無視し、突破する。同時に二つの要素を持ち合わせるなら、確かに生と死の状態を自在に切り替えるのは道理と呼ぶべきかと思われますが――――」
「……」
「死霊使いがそうであるように、幽霊とは……幽体とは即ち“卑”。そのときは“卑”そのもの。清浄なる流れを受けるとされるこの街で、どのような理屈で卑が罷り通ると言うのでしょうか?」
そう、つまりは、現れていることが既に異常。
魔物や穢れを寄せ付けぬとされたこの庄の、その根幹の危機を知らせるものだった。
◇ ◆ ◇
突撃する巨馬の攻勢は、まさしく重機や戦車めいていた。
地響きを伴う四つの足の回転が、草木を巻き込み引き倒す。蹄の形に土をえぐりながら全力で駆ける黒馬の巨躯が、ついに外套の集団を捉えた。
上体を起こし、振り下ろされた馬の前足。
攻城鎚の如きその一撃は、人間を瞬く間に挽き肉めいた肉塊に変貌させるであろう。
だが――……その黒き蹄の一撃を、容易く受け止める巨腕。
「ァ……“四肢”………ァァ…………」
名を呟いたのか。亡者めいた呻き声と共にめくれ上がった黒布に、シラノとミシリウスは息を飲んだ。
常人の胴すらも超える異様に太い四肢。灰褐色の身体に飛び飛びに生えた黒き剛毛が剥がれ、所々から光る鱗が露わになっているが――驚くべきはそこではない。
胴がないのだ。
肩から真下にそのまま足が生えているかの如く、生命維持に必要な胴体というのが完全に失せている。両腕、胸板、両足――――以上終わり。頭部さえも胸に埋まり、虚ろな目だけが二つある。
果たしてこれが生物か。そう驚愕する時間すら許さず、隣の異形の外套が弾け飛んだ。
「い……いいいいいぃぃ……いいいいいいい……“背骨”……いいいいいいいいいい!」
ブンと振り付けられる棍棒めいた尾――――いや、全身。
横合いから半死霊馬を叩きつけ跳ね飛ばすその尻尾は、尾というには異常だった。
胴が尾そのものである。
貝殻を背負うヤドカリの如く尾を背負っていると言うべきか――――背面そのものからひと繋がりに異様な太さの尻尾が生じ、干からびたミイラの如き手足が添え物のように前へと伸びた変則的四つん這い。
蛇の頭をもいでカエルの手足と交換したような、蝉の抜け殻の背にペットボトルが生まれたという例えが相応しいような狂ったバランス。シラノでさえも、目眩がするクリーチャー。
「ゥ……臓……………………腑……………………ゥゥゥ…………」
続いて現れた異形は、それまで二つと比べるならば人だった。
手足が痩せ細り、飢餓児童のように下腹が弛んでいる以外に外見的な特徴はない。黒い毛皮が所々剥げ落ちた餓鬼めいた腹をした獣人。
……いや、否だ。これも狂った異形だ。悪夢めいた化物だ。
顔がなくただ穴が空いている。
顔面の中心にあるのは皺だらけの大穴。そしてその穴から黒き体液が吹き出して、半死霊馬めがけて襲いかかった。
「ッ……イアーッ!」
それを見過ごすシラノではない。咄嗟に地を蹴り、天に生じた鋼板――六ノ太刀“甲王・劔”――触手の盾で庇い入った。
ぶすぶすと黒液が燻り煙を上げる。そして――……なんたることか。地に垂れた黒液からは半液状の芋虫が、煙からは蚊柱が生じるではないか。
咄嗟に奥歯を噛み締め、触手鋼板から刃を放った。その衝撃波と刀身で蟲を蹴散らし、シラノは背後へ跳ぶ。
そこで――――気付いた。
舐めるように地を這い追撃する最後の外套姿。
同時、巨腕で地面を殴りつけ跳ぶ怪腕の異形。それらが目指すは、シラノやミシリウスではなく半死霊馬。
(――――――)
何故だとか、どうしてと考える必要はない。
戦闘に際しそんな知恵を捨てたシラノは反射的に奥歯を噛み締め――射程距離に収まった敵二体の周囲を、死角を無数の召喚陣で埋め尽くす。
これこそは、殺しの技。通常まずもって使用されない撃滅の多方位触手抜刀。
即ち――
「イアーッ!」
――――白神一刀流・九ノ太刀“陰矛・裏”。
重機同士の衝突音のような甲高い破壊音が響き、土煙が上がる。背後のミシリウスが口笛を吹いた。
……だが、シラノが覚えたのは驚愕であった。
晴れた土煙の先にいたのは、傷一つない二体の異形。
身を固めた怪腕怪脚の化物は皮膚が僅かに削れただけであり、もう一体の異形は上に引き伸ばされた針金細工のように歪んで伸びて全弾を回避していた。
「えええ、ええええっえええっえっえっえっ! ええええええ“皮膚”――――――――――!」
そして奇声を上げて、グネグネとしたその身体が渦を巻く。びちゃっと、地面にへばり落ちる。
気味が悪いのは、かろうじて五体を有すると理解できる程度に鱗で覆われた体表があること。その着ぐるみめいた体表が弛んで皺を作っていること。
中身すべてを溶かしたかの如き異形。
………否、姿形などはどうでもいい。どうせ斬りさえすれば同じ。
それより――魔剣をも砕く触手抜刀が、通じない。
(淫魔の身体じゃ――――……ないのか……?)
頬を冷や汗が伝う。これまで邂逅した生物の中に記憶のない異形異類の怪物。
触手抜刀は魔術仕掛けの石像すらも出力で上回り破壊したのだ。ならばこの怪人たちは、それ以上の力を元にして作られたということか。
しかし、“卑”の存在は“貴”のものに比べて出力が劣る。魔術すらも超えるものを――作れるのか?
(……)
いずれにせよ思索を投げ捨て、シラノは剣を構え直した。
斬れぬというなら、斬れるまで斬ればいい。元よりそれしかこの手にはないのだ。
そして――――突き出した刀身が弾け飛ぶ。触手三段突き。
だが、剛健にして怪奇なる“四肢”の身体はそれすら弾き逸らし、シラノめがけて巨腕を振りかぶった。
触手盾で受けるべきか、否か――――逡巡は一瞬。
むしろ好機だと前進し、その胴めがけて蜻蛉から袈裟がけに振り下ろす。
そこに加えるは多重斬撃。刃を割って放つ“唯能・颪”にて、異形の身体を両断せんと意気を込めたが、
「えええっえっえええ“皮膚”――――――――――!」
更に割り込んだ軟体の怪人に激突し、それで終わり。甲高い音で奴を弾き飛ばすも鱗に傷一つなく、同時にシラノも無防備を晒した。
そこに降りかかるは巨腕。
咄嗟に触手でその腕を縛り付けるも――――あろうことか引きちぎり、シラノを横薙ぎに弾き飛ばした。
猛烈な加速度に骨が軋み、脳が揺れる。なんとか宙に生じさせた触手のリングロープで己を受け止め、撹拌されそうな衝撃を殺した。
(ッ、セレーネやエルマリカのようには……いかねえ……!)
内臓からこみ上げてくる吐き気を奥歯で抑え、刀身を再発現。
彼女たちのような防御無効の剣ならば容易かろう。その程度の動きでしかない。生物を大きく超えてはいない。
シラノとて己が持つ剣を十全に使わば断てるとの自信はあるが――――生身のままなら、反動で死に至る。
……全身鎧を、触手外骨格を用いるか。
しかし万一その切り札を切った際、そして何らかの要因にて両目を封じられたときに――――待ち受けるのはシラノ・ア・ローという存在の残弾制限。そう思えば、軽率に出せない札。
「――――ッ、ちょっと待て!? こいつはヤバいってもんだ冒険者の旦那!」
弓矢だけで餓鬼腹と巨大尾を引きつけていたミシリウスが、冷や汗を上げて叫んだ。
半死霊馬は幽体として逃れたらしい。四体の怪人の標的は、ミシリウスとシラノだ。
足止めか。刺客か。
異形異類の怪物への持久戦は悪手――――即座に野太刀を鞘に収め、向けるは右肩。
生身で放てる最大・最速の一閃。“唯能・砕”――鞘内で三段突きを放つ極超音速抜刀に備え、シラノは奥歯を噛み締めた。
(これで斬れない……かもしれねえ)
だが、斬るのだ――と意気を込める。
虚空から触手刀の突きを射出し、まず軟体の怪人を弾き飛ばす。
反発し宙を舞う触手刃。切れずとも、巨腕との一対一に相成った。
そして迎える射程距離。巨人の棍棒めいた異常な肉体。
毛と鱗に覆われた灰褐色の剛腕が一直線に突き出され、だがそれを潜るようにシラノは身を低め――――奥歯を噛み締め、撃発。
シラノの身体が風になる。音を超える。
赤き瞳を見開き、捉えるは鱗と剛毛に満ちた怪腕のその関節。
「イアーッ!」
――――一閃。
白神一刀流・零ノ太刀“唯能・砕”。
だが――戦闘速度に対応した視界の中で、シラノは見る。
刃が立たぬ。削られる。毛を剥ごうともその下の輝く鱗に阻まれて、極超音速の斬撃は敵を断てない。
僅かに食い込み、それで終わり。あとは刃が滑るだけ。
「――――」
――――故に、その斬撃は相成った。
反りの浅い野太刀の刀身が輝き、同時にその巨腕の向こう――宙を舞う触手刃が輝いた。
発生する引力。触手合一のための引力。その引き寄せに更に刃が力を増し、異形の巨腕に喰いかかる。
これこそは五ノ太刀“矢重”。
触手合一の技が、その引き合う力が、挟み込む刃が……全てが抜刀の威力を上昇させ、
「――――合ノ太刀“月刃挟み”」
ずばん、と。
かつてシラノの抜刀を破りしセレーネの如く、巨木の如き怪腕を両断した。
激しい衝撃に腕が弾け飛ぶ。それを待たず、剣を流して蜻蛉をとったシラノは更に踏み込んだ。
いざ脳天を叩き割らんと袈裟に下ろす。だが、薄く伸びた灰褐色の軟体の怪物に防がれた。
この巨腕と同様に――――異様な硬さを持つ鱗が体表を覆っているのだ。
舌打ち一つ、背後に引く。斬れぬわけではないが、二体を同時には切り裂けぬであろう。
「アァァァァ……ァ……アアアアアアアアアアア――――――!」
そして、奇声を上げた巨腕の怪人は入れ替わるように背後に引いた。そのまま茂みの向こうまで消えていく。
しばらく野太刀を掲げ続けたが――……追撃はない。どうやら、うさぎの如く一直線に逃げたらしい。
血振りを一つ。野太刀を鞘に仕舞い込む。
明らかに淫魔の関与を示す存在。ふと、思案に移ろうとしたその時であった。
「旦那、違うんだ。ヤバいってのは今の奴らを指す言葉じゃねえ……いいか、半死霊馬なんだ。半分は死霊でできてるから消えられる。死霊ってのは“卑”だ。つまり、消えられるってことは――――」
ミシリウスが言い終わる前に、シラノは跳んだ。
背後から彼の声がかかるが、振り切るようにただ茂みを駆け抜ける。脳をある閃きが巡っていた。
ふと、彼の言葉で点と点が結ばれたのだ。
思い出すのは、一つの記憶。違和感を感じながらも無意識へ追いやったもの――――。
ボンドーを伴ったあの妖犬の街が真っ二つに折り畳まれた難行の際に、確認できなかったもの。街がひしゃげながらも落下して来なかったもの。
それ以前に雇われ仕損じたという魔剣使いの魔剣が一つも残っていなかった。
(淫魔の狙いは、初めから――――)
奴らは、魔剣の使い手を育成している。
使い手があれば、得物もいる。
ならばそれを如何にして執行騎士たちから気取られず表沙汰にならぬように集めるかと言えば――――。
◇ ◆ ◇
領主の屋敷は、にわかな興奮と不安に包まれていた。
石造りの建物の中を、鎧を纏った騎士たちが、従者に装具を抱えさせた騎士たちが慌ただしく動き回る。
その昂揚と入り混じった決意――即ちは戦支度だ。
そして荒い息を整えるシラノたちの前で、
「頃合いや良しと言うべきか、間が悪いと言うべきか。……見張りの任につかせていた騎士たちから報告が途絶えた。そして穢れが広がっている。見ての通り、程なく戦いとなるだろう」
小脇に兜を抱えた黒鉄のようなエルキウスが、憮然と言い放った。
彼の指示を受けた騎士たちが中庭で槍と盾を整える。整然と整列した彼らの顔はどこか強張り、来たるべき戦に武者震いを隠していない。
そしてシラノの推論と報告を受けたエルキウスは、
「あの怪馬の様子から、鉱山床に何らかの細工はされていると見たが……経歴の洗浄か。なるほど、考えたな女狐めらが。穢れに汚染された場所で魔剣が失せても、誰も確かめることはできない……それならば目撃者もなく魔剣を集められよう」
瞼を閉じた彼へ頷き返す。それが、シラノの辿りついた答えだった。
売買の記録や或いは簒奪ではどうしたって足がつく。
不審な魔剣収集者の情報には、いずれメアリらのような執行騎士たちが行き着くであろう。
ならばどうするか。
誰も目にしない場所へ魔剣使いを追いやって、魔剣を奪えばいい。つまりこの場合は――――このリルケスタックまでは魔剣の売買がなされたと記録を残し、あとは庄ごと穢れの底に沈めてから奪うのだ。
「初めから我が庄は眼中になく、恐れるのは殿下や執行騎士のみか。ふ……そのつもりで我が庄に魔剣の購入を迫っていたとはな。存外に面白いことをしてくれる」
「……なあエルキウス。お前さん、こうなることも読んでいたんじゃないのか?」
「黒天宮衆と仲介商人の奴らが共謀している……とまでは確かに考えたことはある。だが、それなら初めからあちらに売りつければいい……とも思えた。あの犬どもが素直に払うか判らぬ分、こちらに渡したのかと思っていたが……」
どこか愉快そうに、そしてそれ以上に不快そうにエルキウスは片頬を上げた。
「ふ。庄そのものを穢れに沈めるなど――……ここを住処として要求してきた者たちがそう出るとは、今でもにわかには信じられぬものだな。よくできた目くらましだ」
「それほどに……人格を無視して完全に配下にしているとお考えください。手足が折れた程度では、止まらねえと」
「承知した、シラノよ。……あれほどまでに魔剣を集めた黒犬どもを手玉に取るとは……魔剣を超える力がこの世にあるとは信じがたいが、そのことはしかと気に止めよう」
そう。淫魔とは常識を外れた存在だ。シラノ同様、この世界の異物なのだ。
故にシラノが心配するのは一点。
竜の大地の理を外れた外法者の行動に、理に従うエルキウスたちが対応できるのかということであったが……
「案ずるな。確かに意表を突かれたが、大筋は変わらん。奴らがこの庄に執着するのは元より輝石絡み……遠からず掘り返されるやも、と思ってはいたところだ。こちらが時間を稼いでいたのと同様、奴らにも時が利するから膠着していたものとな。……その点で動じることはない」
「やっぱりお前さん……読んでいたんじゃないか?」
「それならば、共に轡を並べた騎士たちを無為に犠牲にはせぬわ。……想定の一つ、有り得なくもないと思っただけだ」
そして、彼は台に広げられた精緻な地図へと目を落とした。
どれだけ時間をかけたのだろうか。山の地形が、事細かに記されている。
ところどころ打たれた赤い印が彼のいう策なのか――シラノがそう思案していたときだった。
「貴様は必要ない、ミシリウス」
「……何?」
「必要ない、と言ったのだ。この役に求められるものはまずこの魔剣――――どれだけ汚染されようとも、この剣を流れに突き立てれば戦は終わる。それだけの力を持った剣だ……そして、我が麾下の精鋭たちはこの戦に備えている。繰り返すが、貴様などは不要なのだ」
揺るがぬエルキウスの物言いに、身体をそむけたミシリウスは金髪を掻きながら、
「エルキウス……お前さん、この庄を守るつもりはないな?」
「……」
「相手が齎した魔剣に頼りきり? そんなものは作戦とは呼べねえだろう。それに頭のいいお前さんが、おれを戦力に組み込まねえなんてことはねえ。意地だなんだ、そういうものは抜きにできる男だろう。なのに使わねえってのは――……一体どうした? 何を企んでやがる?」
入れ墨の踊る褐色の肌のうち、赤き瞳が真っ直ぐにエルキウスへと向けられる。
どれほどそうしていただろうか。
揺るがぬ鉄のような黒髪のエルキウスが、ふと小さな笑いを零した。
「その意地……意地と言ったらどうする、ミシリウス」
「……なに?」
「私がどれだけ貴様に憤っているか判るか、ミシリウス。……父が貴様を拾ってから、私はまず挫折を味わった。生まれて初めてだったよ……天地が逆さになろうとも勝てぬ相手がいると知るのは。私の胸に怒りが燃えたのは」
「……」
「そんな貴様がこの庄を守る英傑と讃えられて……あまつさえそれを捨てるような愚行をし、それでもまだこの庄に縋りついているのを見たとき……余計に惨めな気になったことが、貴様に判るか?」
隣に立つシラノですらも威圧感を覚える刃のような瞳に、しかし向けられた当人であるミシリウスは軽く肩を崩した。
肩を崩し、言った。
「――嘘をつくなよ、エルキウス。こんな程度の嘘が見抜けないと思ったか?」
「……嘘だと?」
「お前、何を隠してやがる。いや――……そうか。お前さんも知っていたのか? お前の親父さんが何故ああなったのか。何故、ああも不名誉を被ったのか――」
「言うなミシリウス。貴様がそれを口にしたときには、私も止まれなくなる……目が怒りで曇る。私はこの領地に使える騎士だ。少なくともその一念でここにいる。まだ、ここにいられるのだ」
威圧感が増す。周囲が喉を詰まらせる。
事情に立ち入れぬシラノを除いた二人が見つめ合っていた。声をかけようとした騎士が言葉を詰まらせるほど、エルキウスは剣呑とした雰囲気を重くしている。
だが、唐突にそれが失せた。何とか飲み干すように目を閉じ、彼は整然と言葉を告げた。
「貴様が不要というのは、その騎士としての私の言葉でもある。……貴様のような外様に頼っていては、この領地はいつまでも精神的に敗北したままだ。今日はいい……だが、明日やその先は?」
「……」
「いつか滅ぶ。遠からず滅ぶ。昨日さえ誇れぬものとなったその日、明日を得ることもできなくなるのだ」
「……明日のために昨日を誇ろうとして、今日を失ったら元も子もない話だぜ」
「その今日すら満足に生きようともしない貴様に言えた義理か?」
とにかく追い返そうという意思を崩さぬエルキウスへ、ミシリウスは敗北を認めるように両手を上げた。
「……勝算はあるんだな?」
「なくてこのような戦いをするか。……去れミシリウス。ふ……ここで去った貴様に『ともすればあの庄は滅んだかもしれない』という慚愧を植え付けられたのなら、敗れとて救われた気になるがな」
「そうかい? じゃあ精々、お前さんたちが勝ったと思って祝杯をあげるとするよ」
後ろ手を振って去っていくミシリウスへ声をかけるものはいない。
追うべきか否か。
僅かに悩んだシラノへと、改めてエルキウスが目を向け直していた。
「シラノ・ア・ローよ。貴様は……」
「うす……黒天宮衆との戦いには手を貸しません。ただ俺にも役割がある。……それは譲れません」
「役割? 半死霊馬を討つのには時を貰えるかと先ほど――――……いや、待て、そうか。貴様は触手使い……ならば、この、此度の争いの根は……まさか……」
「……そちらは俺の担当です。俺は――――触手剣豪だ」
外法を討つのは、同じく世の理を外れたシラノしかいない。
瞳に込めた意気を受け取ったのだろうか。
目を閉じたエルキウスは、ゆっくりと地図を指し示した。
「外様に頼る気はない。……だが、貴様の本分を損なうことは些かに傲慢であろう。可能性があるとすれば、ここだ」
◇ ◆ ◇
エルキウスとの軍議を済ませたシラノは、獅子丸の他に野太刀を佩いた。
普段は持続力の関係で発現したままにはしていないが、今やいつ襲撃があっても不思議ではない。
策を打ち明けられるとは存外に買われているのかと思索し、ふと屋敷の中を見回したときだった。
兵の喧騒とは別の世界のように、どこか呆然と辺りを眺めるだけのミシリウス。その背に声をかけ、二三言交わしてからシラノは問いかけた。
「その、ミシリウスさん……尋ねるのも失礼かもしれませんが、先ほどのエルキウスさんとのは……」
「ああ。……ま、今更か。そうだな……まずエルキウスの親父さん……ルキウス殿は確かにおれが殺した。領主の命に従って討った。それに間違いはねえ」
「……」
「……そんで、お前さんはもう裏の話は聞いてるかい? あいつから何か話されたかもしれねえが――……それは違う。故人の名誉にも誓うよ。あの人は黒天宮衆の元になんか行ってないんだ」
「……」
「ああ……黒天宮衆と手を結んだってのは、まったくの嘘っぱちだ。そして新たな香料は……本当は……本当にこの庄で作られたものだったんだ」
意外な言葉に、シラノは片眉を上げた。
「それは……つまり、誰かが風評を流したということスか?」
「……まあ、どこがやったのかは想像がつく。……かねてからの神殿との不仲があって、当時の領主は古来のこの庄独自の香料を復活させた。だが――時期故に、十分な量の生産は間に合わなかった。……まだ神殿と手を切るわけにはいかなかった」
「……」
「時間を稼ぐ必要があった。……少なくとも神殿への叛意はないと。新たな香料を整えるまでの間、表向きにでも奴らとまだ手を結ぶ理由を整えなきゃならなかったんだ」
故に領主たちが行ったことこそ、狂言――――。
ありもしない叛逆をでっち上げて、ありもしない叛逆を鎮圧することで神殿への恭順の態度を見せる。
「……つまり、ルキウスさんという方は……時間稼ぎの人柱になったんスか?」
「ああ。……忠誠心が高い人だった。あの人は、領主と手を結んでひと芝居を打ったんだ。……そして神殿の香料へあえて唾を吐くように黒天宮衆へ近寄ったルキウスさんを討つことで、領主は神殿に誠意を示した」
「……」
「おれは守れなかった……どころか恩人を、よりにもよっておれが……! おれがあの人を……! 本当は黒天宮衆はおれの方だったのに……彼処から抜け出たおれを救ってくれたのはあの人だったってのに……汚名を着せて殺しちまった」
頭を抱えるように金髪を握り潰す彼へ、シラノからかけられる言葉はなかった。
ボンドーのときと同じだ。
既に何かがあり、それは終わっている。そんな後日談の場面に――偶然シラノが居合わせているに過ぎないのだ、と。
「エルキウスがおれを嫌うのも道理だ。そうされて当然だ。あいつのことだから真相に行き着いた上で――……その上でおれを外様と言っているんだろう。……はは、外様の癖に黒天宮衆の内通者として処分される役を断られたのは皮肉でしかないがな」
吐き捨てたミシリウスに、これまでのような鷹揚な態度はない。
日焼けした褐色の顔の中、赤い瞳に灯るのは感情の渦だ。怒り、悲しみ、恨み――――……そして何よりも諦め。
己が敗北者だと、死人だと告げているのだ。彼は。
守るべき人を失ったときに――――己の手でその命を奪ったときに、“遠手”のミシリウスは死んだのだろう。
(……俺が、先輩を)
そう思えば、安い慰めの言葉は浮かばない。
無論シラノならば彼女がなんと言おうとフローにそれを命じた連中全てを蹴り倒して彼女を連れて逃げるし、そのために常に力を磨いているつもりだが――……同じような境遇にならぬとは、言い切れない。
そうなったときにどんな痛みを覚えるのかも想像がつかず……マフラーを上げながら、それでも問いかけた。
「……これから、ミシリウスさんはどうするんスか?」
「あいつの言ってることは道理だ。おれが余計に手を出したら絵図が崩れちまうのはきっと本当だ。多分、あの誇りだなんだよりも――……本当に作戦に邪魔なんだろう」
「……」
「おれも、どの面下げてって話さ。それでも……今度こそ守れねえと、なんの甲斐もねえ……。あの領主をブチ殺してやることもできず……安穏と病死なんかさせちまって……ああ――――……だけどもあの人が命を捧げようとしてたのは、領主でなくてきっと家族のためなんだ……だから……」
打ちひしがれたようなミシリウスの顔が、変わる。
なんとか喉の奥まで感情を飲み下したかの如き表情で、シラノを捉えながら声を震わせて言った。
「あいつの絵図が何から何まで崩れるようなことがあっても――――あいつの命だけは救ってみせる。絶対にどうあっても、あいつだけは死なせねえ」
「……うす。なら俺から言えるのは一つしかないです。――――どうか、ご武運を」
「はは、悪いな……祈られるほどの武運なんてもんは、もう必要ないんだよ、おれには。……でもありがとうな、冒険者のお兄さん」
そして、得物を整える――と彼は去っていく。
その背を眺めながら、シラノは静かに鞘を握りしめた。
◇ ◆ ◇
山腹の中頃。
両腕を回せばかろうじて届くかという太さの胴の木々の中、二人の淫魔はリルケスタックの街を眺めた。
「ふむ、動き出しましたわね。……どう出てくると思いますか?」
「あの魔剣は……〈血湖の兵剣〉は『液体に刀身を溶かして』『液体そのものを刃にする魔剣』…………水のあるところでは、強い。つまり、山の水源の範囲に足を踏み入れなければ…………問題は…………ないです、けど……」
「ええ。……こちらがそれを知っているということも相手も想定済みの筈。ならば別に工夫があると見るべき……でしょうね。……困りましたわ、私商人ですからこういうのは得意ではありませんのに」
「こちらの……魔剣は……?」
緑髪を揺らしてトンネル・パトロールが肩を竦めた。
ほとんどは取り上げて刀狩協会に送っている。遠隔地より村一つ焼き払うほどの魔剣は、今、存在しない。
その間も素知らぬ顔で、淫魔の視力で眺めた先では、兵団が整えられていた。
「こうなってしまうと、魅了ができない我が身を呪うしかありませんわね。魅了があればどんな軍勢も策ごと踏み潰してしまえるのに」
「その分……トンネル・パトロールさんは…………権能が……強力ですから……。ただ……」
「半死霊馬……あれとの相性がよろしいとは言えませんね。まったく……さっさと討っていただこうと思っていましたのに、黒天宮衆で脅したのが逆効果でしたでしょうか? それともこちらの目論見に気付いていたか……」
「ひょっとしたら……『街道に出ていて流通に困る』と……言ったせいかも、です……」
エルキウスという思慮深い男に魔剣を売り込むための嘘が、巡り巡って首を絞めているのか。
或いはその段階から彼は、二人のことを疑っていたのかもしれない。
倒す倒すと言い続け、冒険者で時間稼ぎを行われた。彼女たちも当の魔剣が運ばれて来るまで待たざるを得ずが故に見逃したが、
「あの触手使いのおかげで、一度はあちらに剣を預けねばなりませんでしたし……さて、絵図が異なってしまった次善の策ですがどうしましょうか」
「……とりあえず、トンネル・パトロールさんは……帰ったほうが……いいと思います、です……」
「ふむ、映画のようで愉しみでしたが……そうしますわ。魔剣と戦える触手使いなんてもの、近付いても何も面白くありませんので。……あの人形連れの景気の悪そうな顔の王子様のときのように、おまかせしてもよろしいですか?」
「はい……元より斬りたくてここに来て……それに……」
ぼんやりとしていたカムダンプの瞳に、感情が宿る。
「……あの腕で柳生を騙るなど、笑止」
蚊の鳴くような声は消え、その笑みが獰猛に深まった。
◇ ◆ ◇
茜色に染まる空。昼過ぎに天蓋を覆っていた雲のほとんどは流れ、僅かに取り残されたそれらが夕日の色に燃え上がる。
それも遠からず失われるだろう。すでに山稜の向こうに太陽は潜りはじめ、辺りには薄ぼんやりとした紫色の闇が立ち込め始めている。
シラノはただ、腕を組み待った。
背後には石と木で作られた壷のようなずんぐりとした建物。醸造所。酒蔵。
エルキウスたちリルケスタックの騎士が求めた秘策――――その肝要を為す場所だ。
(淫魔の大まかな権能については伝えた。……あの人たちはそれでも秘策があると言っていた。俺は――)
瞼を閉じ、マフラーの奥で呼吸を絞る。
リープアルテたちとは出会えていない。もう既に脱出したのかもしれないし、していないのかもしれない。ただ願うのはこの場に近寄らないでくれというその一点。
ステファノスたち若き騎士らは酒蔵の中に入った。見張りもなく、村人もいない。周囲はゴーストタウンめいて人波から孤立している。
そんな中を……黄昏時の砂塵を掻き分けるかの如く、一つの小柄な影が近付いていた。
(……)
下駄ならば、カランコロンと鳴ったかもしれない。
雪駄めいたサンダルでは、砂利の擦れる音のみ。音がなければ動いているとも判らぬ足取りで、亡霊のように身体の芯を揺らさずに黒い少女が進む。
風のほか、ただ、その擦過音だけが響くのみ。
ついに七歩の向こうには――紫がかった黒目黒髪。能面じみた無表情。喪服を着せたこけし人形めいた不吉の童女が佇む。
幾重にもベルトを巻いたその腰には、剣が一本。
幽鬼の如き青白い肌が動き、小さな口が開いた。
「お待たせ……しました……です、か……?」
「約束を、していたと言うなら」
「ふふ。来世があれば、先にお目通りをしたい……もの、です…………同郷のよしみ、剣でただ断つには惜しい……」
「……」
腰に下げたる鞘は片刃の微曲剣のものか。いや、鍔からするにほとんど日本刀に似ている。
こちらに来てから拵えたのか、そんな剣の鞘を左で握った少女が呟く。
「何故、ここを……です、か………?」
「執拗で周到なら……一番リスクが少ない道を選ぶと思った。魔剣相手でなく手隙の本拠地を叩いて前線を浮かせる……ありえない話じゃねえ」
静寂が満ちる。
今度はシラノが琥珀色の左目を細めた。
「……何故ここを?」
「城内で見知った顔が…………魔術研究院に通っていたと言っていた……人たちが、前線にいなかった……ので…………」
また、無言。
それで答え合わせは済んだのだと、シラノも腰に佩いた触手野太刀の鞘を握った。
少女が親指で鍔を押し、鯉口を切った。
手慣れた動き。雫が野草を伝うかの如く、黄昏時に煌めく白刃が滑らかに鞘から外へとまろびでた。
流派は判らぬ――だがその惚れ惚れとする所作は、シラノよりも熟練者であると知らせるには十分。
『……』
異世界。竜の大地。
本来の世ならば剣士など志さぬシラノと、前の世から刀を知りたる少女。
それが、死合う。
日が地平の下に沈みきる僅かな時間。黄昏色に世界が染まるその時に、この異なる郷にて剣を交える。
「“刀狩協会”が八大座主……」
やおら、口火を切るは刀を構えしその少女。
女人にして女怪。死を振り撒くがその定め。
爛々と瞳に生気が灯り、ニィとその口角が上がる。
「作り出すは地獄絵図、世に満ちるは阿鼻叫喚……人呼んで【死界八景】が第七席――“血振り暮雪”のカムダンプ」
告げし血名。悪しきが冠する地獄の忌み名か。
黒きその髪、死害を表し――――対するシラノは静かに告げた。
「父知れず、育ての母はラウィニア・ア・ロー……師は善き心のフロランス・ア・ヴィオロン」
やおら応じ、握り締めるは我が身命。
握る野太刀は降魔調伏ただそれのみ。悪鬼滅殺と、刀傷の下の赫き右目が見開かれる。
「白神一刀流――――触手剣豪、シラノ・ア・ロー」
向かい合う二つの影。少女と少年。黒紫色と焦げ茶色。銀刃と紫鞘。
黄昏刻――――またの名を“逢魔ヶ刻”。
人と魔が出逢えば、残るは必然。
倒れるは我か。倒れるは彼か。
“誰そ彼”と古人が問うたその時刻、いざ向かい合うは二つの刃理。
流血の如き赤色のマフラーがばたりとはためき、
「――――一手、馳走する」
「――――淫魔、断つべし!」
勝者は誰か。彼は誰か。
その正体――――ただ劔にて確かめるべし。




