表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/121

第九十五話 燃える黒馬


 ざあ、と風に靡く草原で不釣り合いな毒々しい妖艶さが咲き誇る。

 赤と黒を基調とした扇情的な軍服風ブレザーとしか言えない――服飾が中世に比べて抜きん出ていると言えるこの世界にあってもなお――特異と呼べるその風貌。

 血を固めたような挑発的な赤き眼。闇を集めたような妖しき黒髪。

 吐息を零し、蠱惑的に嗤う――――女。


「お前は……!」


 知らず、シラノは獅子丸の柄に手を伸ばしていた。

 リープアルテ――……リープアルテ・ア・ミルド。

 邂逅は一度。路地裏での一度だ。その一度で、危険と知れた――そんな奇縁が再び、シラノの前に現れていた。

 風に首の赤きマフラーがたなびく。

 声を低く、シラノは探るように切り出した。


「どうして、ここに。……俺に、何の用スか」

「ふふ……あら、用がなくちゃ会ってはいけないのかしら? 違うでしょう? 会いたいと思ったときに会える――それが大事なのでなくて?」

「……」


 たわごとを、と思う気持ちが視線に滲み出たのか。しかしそれでもリープアルテは態度を崩そうとはしなかった。

 微笑の中に込められた消しきれない兵法者の気配。

 睨みつけるシラノを前に、リープアルテが悠々と口を開く。


「ふふ、相変わらず……抜き放たれれば世の全てを切りそうな目ね。怖いわ……抉り出して飴玉代わりに舐めたいぐらいに。きっと――……ええ、きっと甘美なのでしょうね」

「……」

「ふふ、そうね……偶然、街から出てくるところを見かけたのよ。ええ、あの石の竜に話しかけている貴方が。これからまた冒険なのだと、竜相手に話している貴方が。……一人旅を決める貴方が」


 一人旅、と言い切ったその途端に――リープアルテの笑みがゾッとするほど深まった。


「いいわ……やはり貴方はいい……。ええ、そうよ……貴方の旅に道行きなんて必要ない……だって貴方は、たった一人で世の全てに対するものですもの……それでなくては貴方とは言えない……!」

「………」

「ええ――そうでしょう、そうでしょう。それでこそよ……それでこそ、貴方よ」


 お前が一体、シラノ・ア・ローの何を知るのか――――。

 思わずそう漏らしたくなったシラノの前で、しかしリープアルテの表情に軽蔑的な翳りが差した。


「でも、そうね――……いただけないわ。冒険などというの自体が貴方には似合わない。そうして日銭を稼ぐなんて、貴方からは最も遠くて……狂おしいほど愛おしくて腹立たしいわ。駄目よ……そんなちっぽけな生き方は、違うでしょう?」

「……」

「……お返事くらいしてくださらない? ええ、無駄に聞かせる言葉もないというのも――……それもまた良い考えだけれど」


 肩を竦めるリープアルテを前に、やはりシラノは無言だった。

 向かい合い、思う。全細胞が警鐘を鳴らす。

 あのときの如き不覚は取らない――その意気で左の親指で鯉口を斬ろうとも、焦燥を伴う不吉の気配は消えなかった。

 リープアルテまでは、五歩。シラノの間合いには遠い。リープアルテの間合いにはもっと遠い。

 だというのに、死域を潜った勝負勘が――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、奇妙な錯覚を告げる。


「……俺に、何の用スか」

「ふふ、用がなくちゃ会ってはいけないのかしらと……言わなかった?」

「……用がねえなら、これで」

「え?」


 柄から手を離し、吐息を一つ。

 意表を突かれたのか目を見開いたリープアルテを躱すようにシラノは駆け出した。

 不審者は相手にしない。

 臭いものには蓋。

 可愛い子には旅をさせよ……は関係ないが、露出狂は無視するのが一番いいとかなんか前世でそんな話を聞いたなと思いつつ、ただ足と手を動かした。



「…………………………え?」


 残されたリープアルテはしばし呆然として、目を何度もしばたたかせていた。



 ◇ ◆ ◇



 貴族の条件に、魔剣の所持はない。

 魔剣の王によって汚染し蹂躙しつくされた後の竜の大地(ドラカガルド)において、最も多かった戦いは人間同士の生存可能領域の奪い合い――。

 魔剣は強力な武器ではあるが、殺傷ということに着眼をおけば魔剣でなくとも人は三寸斬り込めば死に至る。

 何より大半の魔剣の隠された土地が穢れに汚染されてしまっていた以上、魔剣を手にできるというその条件にこそ魔剣が求められた。

 そんな堂々巡りにも等しい取得条件をくぐり抜ける者はそう多くなく、故に今日でもその風習の名残か在野の者が魔剣を手にしている――ということが多く見られた。


「……」


 シラノが向かった先も、そんな魔剣を持たぬ領主が治める土地であった。

 山岳から流れ込む急流が幾本も連なった中洲の土地リルケスタック。

 かつて沼地であったその土地を干拓し、そして運良く川の一本が“貴”の輝石を含有した鉱山を源流としていたために魔物や穢れに対する天然の要害となったという街であった。

 帝国時代には特に顧みられることもなかったが故、その幹線街道が届いていない街。

 辺り一面で黄色く穂を揺らす大麦畑。

 簡素な舗装のみされた道を、出会う魔物を獅子丸で蹴散らして進んだシラノは……改めてその領地近くを鬱蒼と覆う森を眺めて吐息を漏らした。


(……山岳にも近く、それなりに栄えているので『黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)と関わりがあるかもしれない』か)


 メアリから聞いたそんな話を反芻しつつ、マフラーを引き上げる。

 同じく山岳を主体とする伏撃猟兵(ヒドゥンレイダー)と同様に――しかし違う形で“奴隷”を有する獣人による武装神官集団。

 人の世に対する寄生者の淫魔の新たな依代の可能性は高い。

 ……洗脳という驚異的な力を持つにしろ、彼女らは表立って体制側に取り入る形で行動する気はないらしい。非人道的な所業を積み重ねる彼女らは、以前の邪教徒の如き社会の主流を外れた勢力との繋がりに重きを置くようだ。

 反社会的勢力。

 それはかつて都市を荒らし社会を崩壊に近付けたが絶滅まで追い込まれた反省なのか、それとも何かの計画――新たな異変の前触れなのかはシラノにはわからない。

 触手使いが持つ淫魔に関する記録や伝承を洗えば何らかの手がかりを得られたかもしれないが……奴らが強力な魔剣使いを手駒に置いている可能性も踏まえた結果、余計な犠牲を生みかねない――と触手使いの里には知らせぬということで一党は合意していた。

 つまりは現状、ほかに頼ることができないということだ。


「……」


 まぁ、何にせよ、ほとんどテロリスト同然の敵であるというのに間違いはない。

 非対称戦争――シラノのいた前世でも国際社会に多量の流血を強いたその戦いは、結局シラノが早世するまでも解決の糸口も見えないものだった。

 いや、そも、古くはかの偉大なるローマ帝国の崩壊の機ともなった蛮族との戦いも非対称戦争といえば非対称戦争であるし、あるいは日本においても多くの戦国大名が手を焼いた一向一揆なども分類にしたら非対称戦争か。

 無論のことすさまじい歴史を持つ中華文明にとっては夷敵という名で太古から存在しており、世界の最強国であるアメリカはあまり言及したくはないが建国当初当初から非対称戦争ばかりの国だ。

 そう、つまり、人類史に根深く刻まれる戦いであるのだ。非対称戦争というのは。

 それと単なるどこにでもいる一般人であっただけの自分が異世界にて向かい合うことになるとは――なんともどうしたものか、という思いが強く湧いてくる。

 ……ちなみにそういう話をしたとき、


『…………どこにでも? 竜と戦い合う苦行を課される冥府とかの出身であったんでやがりますか?』


 とか、


『はあ。なるほど……シラノ様が平凡に見えるぐらい血で血を洗う争いが耐えない世界だったのですね』


 とか、


『シラノさんの子供の頃の話聞きた――いえっ、そうではなくて、あくまでもシラノさんがどうしてこんな力強くかかかか格好い――いえ乱暴で野蛮で暴力的になってしまったのか知りたいだけであって別にわたしはちっちゃい頃のシラノさんを――』


 とか言われたのは、こう、やるせない気持ちになるものであった。なおフローは『うぇぇぇぇぇ……』とうめいていた。

 暴力的。

 魔剣なんて超兵器・超暴力がゴロゴロ野に放たれてるこの世界にだけは言われたくないと思う。単身で月やら地球やら破壊する道具をその辺にバラ撒くなという話である。アメコミもびっくりだ。

 ともあれ、


(……それでも魔剣には限りがある、か)


 淫魔やそれを擁する集団はさておいても、怪物による被害があるなら見過ごしてはおけぬ話。

 早々に依頼人と顔を合わせるべき、或いは冒険者宿やその受付支部があるならばそこに顔でも出すべきかと思案したシラノのその前を――……馬車が通り過ぎた。

 いや、


「ふふ、するべきは助け合いよね?」


 通り過ぎろ。心の底からそう思った。

 短いスカートの裾を翻しながら優美に荷台から降り立ったリープアルテを前に、自然と顔が顰められていく。

 絶対お前そんなこと思ってないだろう。助けを奪う側だろう。見ろあの手を振られてもなんとも言えない愛想笑いで返す御者の顔を――……とシラノも考えこそすれ口には出さず、今度は迷わず鯉口を切った。

 道中で追撃がないために油断していたが、まさかこんな市街地近くにまで追跡を行ってくるなど、どれほどの執着と呼べばいいのか。

 あのリウドルフを連想するほどのそれに、いよいよシラノの心は鋼めいて凍りついていった。


「……俺に何の用スか。事と次第によっては……」

「あら、用がなければ会ってはならないと何度も――――……あら、ふふ、凄い目をするのね。いい目よ……そんなに女を昂ぶらせてどうするの? 罪な男よね……ふふ、ええ、本当に……」


 恍惚と笑みを浮かべるリープアルテは変わらない。

 眉間に皺が寄った。

 自分の世界で完結し、自分の理屈でしか動いていない女――対話の甲斐さえ存在しないと言うのか。

 如何にして対処すべきかと苦々しい思いで思案し――……ふとシラノの内、閃くものがあった。


「……恥ずかしくないんスか。何度も何度も出てきて」

「え?」

「何度も出て来ては無視される趣味なんスか。そういう趣味なんスか。この世で最低に恥ずかしい趣味ですね。脳が沸いてる。……俺ならそんな恥辱的で屈辱的な趣味には耐えられない。便所の虫よりも恥ずかしい趣味だ。脳に虫でも湧いてるんスか」

「なっ」

「腹切るならあっちの木陰ででもやってください。そんな趣味なんて俺なら恥ずかしくて生きていられねえ。早く腹切って世の中に詫びてください。呼吸してることが人類の損だ。この世の恥です。……この恥知らず」


 ひとしきり言い放ち、シラノは静かに呼吸を絞った。

 如何なる目論見を持ちこそすれ、ここまで虚仮にされてはその面目などなく――心あるもので害意のあるものなら、確実にこの場で抜き放つ筈だ。

 戦いは望ましくないが、致命の機に戦いを挑まれるよりもまだ町に入らぬこの機にこそ仕掛けるのが最上だと――――強く睨みつければ、


「…………………………………………」


 ものすごく打ち拉がれた目を向けられた。

 目が潤んでいた。涙目だった。

 …………ひょっとしてこれはやりすぎてしまったのでは。ミー・トゥー案件なのでは。婦女子相手の言動ではないのでは。士道不覚悟(ハラキリ案件)では。

 そんな後悔がシラノの胸の内を去就すると同時、


「ふふふ、ふふ……いいわシチ。いいわ……ふふ、その不遜な態度……ええ、とてもいい……そんな貴方がいずれ私に縋り付いて呻くと思うと――とても、とてもいいわ……! ふふ……あはは……!」


 リープアルテは恍惚と息を漏らしていた。

 変態だった。逃げろ。



 リルケスタックの領主の館は平たく、その建物を覆うように魔術仕掛けの石塀が周囲をぐるりと取り囲んでいる。

 その街というのも街というよりは町、町というより村に近い始末であり“竜の温泉の街”ノリコネリアなどの大都市には及ばない。

 かつてはその清浄なる水を大いに利用した穢れ避けの大麦酒(エール)――銅色の神封酒(クスィー)の生産で賑わっていたと聞くが、それももう遥か昔……〈浄化の塔〉の建立などを境に需要は減らしている。

 そんな故郷の町を眺め、金髪の年若き騎士――ステファノスとしよう――は吐息を漏らした。

 父の伝手により学んだ魔術研究院やノリコネリアとは比ぶるべくもない街並みも、しかし己が故郷。うらぶれてなおも愛着があり、愛着があればこそこの光景に何とも忸怩たる思いを抱く。

 半死霊馬ヘルメイアー。

 命あらばすぐにでも死地に赴く気概はあれど、領主からの沙汰はなし。

 故に冒険者を待たねばならず、そしてその冒険者たちとやらもこれまで幾度と仕事を投げ出してはまた帰っていくという始末で、何ともやるせないものであった。


「……」


 鼻から吐息を漏らす。

 一体なんの故があって怪物を見過ごすのか。一体なんの騎士団か。

 理屈の上で魔物ではなく怪物や賊等と戦うのが騎士とは知りこそすれ、半死霊馬など“卑”に属する魔物同然とはいえ怪物の範疇。

 ならば討つこそ騎士たるものの定め――そう思う彼の前に、風を掻き分けるようにそれは来た。

 赤いマフラーを靡かせた茶髪に、右目を塞いだ海賊傷。

 シラノである。


「……ふむ。アナタが冒険者の方、でしょうか。一人と聞いていましたか、そちらの方は……」

「追い剥ぎです」

「追い剥ぎ」

「失礼ね、シチ。それに追い剥ぎは、追いかけて剥ぐものじゃないでしょう? まぁ、これから貴方の服を剥いでもいいのだけれど……」

「ええと、その方は……」

「……追い剥ぎです。性犯罪者です。……その、人払いをしますか?」


 伺うシラノは、むしろ「してくれ」と言ってほしいものだったが、


「いえ、お聞かせしても問題ないことですので。……早速話に移らせて頂いてもよろしいでしょうか」


 むべもなく、どこか呆れ果てているようなステファノスが冷たく口を開いた。



 ◇ ◆ ◇



 頭を下げるシラノを一瞥し、村人が踵を返す。


「……こんなところかな。悪いけどお兄さん……あとは他の奴に聞いてくれよ」

「うす。……ありがとうございました」


 半死霊馬ヘルメイアー。

 母馬が死したのちにその腹から生まれた仔馬は、生まれながらにして生と死/現と夢の境に存在する怪物となる。

 実体と幽体を切り替え、鬼火の如き幽炎を纒い、日に千里を駆ける超常の脚力を持つとされていた。

 それが郊外の森に現れ、或いは夜間にリルケスタックの街に現れ、或いは誰かの夢の中で暴れ回る――――というのがステファノスから聞いた依頼のおおよそであった。


(……今のところ死者はなし、か)


 それがせめてもの幸いといえど、見回す街に活気はない。

 随分と依頼を損ねた冒険者に対しても失望しているのか、村人に比べて風変わりで目立つ風体のシラノたちに向けられる目線も冷ややかであった。

 ……そう。シラノ()()だ。

 海賊傷の逆、無事な左目で睨みつけたシラノの視線の意味を過分なく理解したようにリープアルテは肩を崩した。


「偶然、同じ方に用があっただけよ?」

「……」

「……どうして道を戻ろうとするの、シチ?」

「偶然、そっちに用があったんで」

「あらそう。……ふーん? なら私も用がそっちにあるような気がしてきたわ」


 なんというか。

 ついてきた。ついてきていた。


「……」

「……」


 痴女を連れた冒険者。しかし彼女が痴女であることはシラノしか知らない。

 結果として、女に付け回されているというより――見目麗しい女を乱暴かつ粗雑に連れ回す顔に傷がある男、という嬉しくもない印象が刻まれたのか、街の人々からの視線は冷たい。

 幾人も幾人も聞き込みを行おうとするも避けられていたのは、冒険者に対する失望だけではなかったのであろう。

 なんか悲しくなった。なんで。世の中おかしい。被害者なのに。わかんない。



 そうして、しばらくしたのちであった。

 かつて領主の館を囲っていた大柵を支えとするように作られていった居住地――その路地裏で、シラノは物々しい雰囲気の男と向かい合っていた。


(……)


 その全身から滲み出される氷のような気配。

 傍らに不本意ながらリープアルテを伴ったシラノが対峙する黒髪の男は、腰に剣を下げた地味な刺繍外套姿――――エルキウスと名乗った騎士であった。

 半ば強引に路地裏へと呼び立てた男が、鋭利な刃物の如き双眸を突きつける男が、やおら口を開く。


「何もしないで帰っていただきたい。……失敗したと。打ち損じたと。手に負える相手ではなかった、と」

「……それは一体」

「一から十まで説かねばならぬか? ここで貴様は仕事に失敗して帰れと――……そう言っているだけだが」

「……」

「なんだ、その目は。……金か? 望むなら、必要な分の手切れ金は払ってやる。とにかくただ……手出しをせずに消えろと言っているんだ」


 有無を言わさぬその態度は、彼の生き様を物語るようであった。

 たかが冒険者風情――と言いたげな瞳。否、軽んじる必要すらなく事実として己の存在の方が重いという目線。

 何某かの剣術を修めるか、腰に剣を下げたシラノを一顧だに値しないという目を前に、


「へえ」


 それが剣士としての興味や琴線に触れたのか、舌を舐めずるように隣のリープアルテが凄惨な笑みを浮かべた。

 一方、シラノは考えた。

 エルキウスからは何の感情も伝わってこない。胸の内に深く秘めているのか、ただ感慨もない仕事と思っているのか、傲慢そうな態度とは裏腹に彼には驚くほど情動がない。

 半死霊馬(ヘルメイアー)に対しても、それ以上に黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)に対しても十分な情報すら集められぬこの手札において……


「……うす。わかりました」

「ほう?」

「シチ?」


 頷けば、エルキウスは意外そうに――リープアルテは怪訝そうに。路地裏で触れ合うほどの距離の二人が眉を上げた。

 吐息とともに、シラノは静かに切り出した。


「あなたが事情を話せないなら、わかりました。無理強いはしません。……ただ、あなたからそのような話をされたと依頼人に打ち明けて事情を聞きます」

「ほう、貴様……脅す気か? この私を?」

「……これが脅しになるということは、あなたに後ろ暗いことがあるということになる。……そういう話でいいんスかね? なおさら見過ごせる理由が、なくなるもんっスけど」


 単なる退治の依頼かと思えば、何か裏があるのか。

 少なくとも読めぬが――住人の歓迎的でないあの立ち振る舞いにも理由があるとしたら、エルキウスのこれは何よりの手がかりであった。

 しばし、視線が混じり合う。

 鋼鉄の如きエルキウスの瞳は崩れない。侮蔑的な態度とは不釣り合いなほどに熱を感じさせない。

 そして、


「……武辺者かと思えば、存外に口が立つ。後悔するぞ?」

「それは……あなたがする分より、多いスか?」

「ふ。……減らぬな、口が。今際(いまわ)の際にもそう言えるなら、大した武骨者だがな」


 敢えて立会の最中の如く突きつけた言葉の刃にも、反応はない。土台に乗ってこない。

 そのまま、揺るがぬ鉄の男は路地をあとにした。やり込めたともやり過ごしたとも思えない、隙のない男であった。

 腕を組み、シラノも黙する。その隣で、


「は、は――――。いいわねシチ……いいわ……! やはり貴方は己という刃の道を譲らない男……世界全てを切り分けられるだけの価値のある男よ。それほどまでに、揺らがない自分というものがある男ね」

「……そんな趣味はねえスから」

「力はあるわ。そして力があるなら、()()()()()()()()ということよ」


 妖艶に笑みを深めるリープアルテを前にマフラーを引き上げた。

 この街には何かがある――……それだけが這い寄る不吉の如く、シラノの周りを取り囲んでいた。



 ◇ ◆ ◇



 ……これは、旅立つ前の話だ。

 負傷から寝込んだセレーネを囲むように冒険者宿の一室で顔を突き合わせる六人。

 七つの難行という長き足止めを受けた中に見つけた淫魔の手がかり、すなわち、


『考えてみたんですがね、おそらく淫魔ってのは個体ごとに能力の差がありやがる……いや、他への余力を削って魔剣みてーに何かに特化させてるのかもしれねーです』

『特化……』

『ええ、ですので――くだんのレイパイプとやらを討たれて計画に支障が出た。ほかの奴はそいつと同じ仕事ができなかった。確実に行動を阻害された……だから、でしょうかね。黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)を利用し始めたとしたら』


 利用――――。

 橙色の髪を揺らして肩を竦める半眼のメアリを前に、シラノは片眉を上げた。

 代わりにセレーネが補うように口を開く。


黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)は奴隷を集めて神官見習いとして選別に近いのことを行っていると聞きます。……淫魔が、ここと手を組んだということはつまり……わかりますね?』

『……あの街のように、優れた魔剣使いを作ることスか?』

『ええ。よほど、必要なのでしょう。……かつて魔剣使いを用いて触手使いに打撃を与えつつ、遂には封印された――そのことを思えば無理もないかと思いますが』

『……』


 それ以外にも何らかの意図や方向性があると言外に示すようなセレーネの言葉に、シラノは黙した。

 魔剣蔓延るこの世界において、優れた魔剣使いを生み出すことにはそれだけの意義があると言える。そこは判る。

 それと並行して魔剣の収集を行うことも考えれば、淫魔のその方針が自明的であるのは明らかではあるが……しかし……。


『……うす。でも、変に育成するよりも天地創世の魔剣を手にした方が話が早いんじゃ……。前に王都に入られたと聞きましたけど、そっちで攻めてくるのはないんスか?』

『ええと、シラノさん……その……きっとその心配はないわ。エセルリックお兄様なら……きっと、大丈夫だから……』

『大丈夫……?』


 防御に特化したエルマリカですらもやり込められたというのに――というシラノの目線へ、エルマリカはやや躊躇いがちに頷いた。

 そして、彼女が告げた言葉に、


『……何十もの街や村を含めて王都の周囲全てを精密に把握して、魔剣の射程距離にしてる?』

『ええ、その……お兄様の魔剣の〈雷桜の輝剣(シグルリオーマ)〉は……その探知能力に優れた剣なの。そしてお兄様は、きっと今まででも最高の担い手だから……きっと、王都に近付くこともできなくてこんな風に……』


 シラノが覚えたのは、驚愕であった。

 周囲八百キロメートル――――その全てが射程距離である。いや、()()()()()()()である。

 精密に人間を把握して、精密に人間を判別している有効精密射程距離――故に淫魔は立ち入ることすらできないのだ、と。

 一体、何度目の驚愕となろうか。

 かつての例によるならばこの精密射程の八倍が魔剣の有効射程であり、つまり当代は六四〇〇キロメートル――これは大陸間弾道弾に等しい射程距離である。

 いわば大陸間弾道魔剣。監視システムも兼ねた大陸間弾道弾。

 それでいて射程距離に特化した魔剣ではないというのが、この世界の異常さの要であろう。


『というわけで……うちの国の天地創世の魔剣としちゃ、盗られる心配がない。不安がありやがるとしたら……』

『他国にあって権能が不明の〈水精の聖剣(カルンウェハン)〉と〈冥府の大剣(ヴィーヴォル)〉……行方知れずの〈炎獄の覇剣(ディルンウィーン)〉と〈不滅の極剣(エゼルフィング)〉。あとは里の位置も不明の〈赫血の妖剣(スクレップ)〉……』

『おや、覚えてくれてたんですね。……そーですね、そこらに関しては使い手ごと淫魔の手に落ちても不思議じゃねーもんでやがります。早々おかしなこともねーとは言えねーもんですし……』

『……天地創世の魔剣が戦に使われることはなく、天地創世の魔剣同士がぶつかることは昔から避けられてる――スか』


 かつての帝国からの()()()――経緯が不明のまま、戦に使われることもなければ天地創世の魔剣同士で戦うこともないという事実。

 考えてみれば星をも滅ぼせる力のある剣と剣のぶつかり合いを人が望む筈はないが、それを淫魔が守るとも限らなければ、そんな単純な脅威だけが禁忌の由来であるとも限らない。

 シラノの懸念を読むように、メアリが頷き――そして右手に小さく柔らかな感触がした。

 白い指だ。

 エルマリカが、シラノの手をとっていた。


『だ、大丈夫よ。きっとわたしが――もう天地創世の魔剣とシラノさんを戦わせないわ。わたし以外の誰にも、どの天地創世の魔剣にも傷付けさせない……全部、全部わたしが倒してみせるから……』

『……いや、戦っちゃいけねえんじゃ』

『…………』

『…………』


 しばし無言で向かい合ったのち、バッと手を離してエルマリカは駆け出していった。

 肘を内側に曲げたお嬢様走りで、裏切られたとか弄ばれたとか、なんかそんなことでも叫ばれてもおかしくない走り方だった。

 ……そして、追っていったメアリの足音すらも消えた静寂の中、


『だ、大丈夫だよシラノくん! ボクは味方だから! お、お姉ちゃんだから! 流石に今のはちょっと女の子相手に酷いんじゃないかなとか思ってないよ! い……いつも通りのシラノくんだよ!』

『監獄ですか? いつ出発しますか? ……ええ、勿論同行しますわ』

『……いいから寝ててください。寝てろ』


 何とも言えぬ空気で作戦会議は終了した。

 ともあれ淫魔は未だ――――魔剣の担い手を育てようという、そんな方針であろうと結論付けられていた。



 ◇ ◆ ◇



 さらに聞き込みを済ませて回るその内に、日もいよいよ傾き出した。

 目を細めて夕日を眺めるシラノの胸中で渦巻く得体の知れない予感に答えは出ない。

 黒天宮衆(オ・ヌーサ・マーフ)

 半死霊馬(ヘルメイアー)

 どちらに対しても、住民の口は不可思議なほどに重い。質問を投げかければ――関わりたくないという本音が透けて見えるほどに。

 前者はまだ理解できるにしろ、後者に至っては謎だ。

 少なくともこの街や領地にとっては平穏を乱す悪霊めいた怪物……であるはずなのに何故その情報すらも語りたがらないのか。

 シラノが寡聞にして知り得ぬだけで、言葉に乗せれば呪いを受けるなどの事態でもあるのか。


「……燃える馬、か」


 独りごちるも、マフラーが風にはためいて音を立てるのみ。答えは返らない。

 見回した家々は、石やレンガ造りのものと木製のものが半々。道は殆ど舗装のない土塊。

 天然の浄化の仕組みによりかつては栄えたであろう街は、しかしその仕組みが故に――水源を損ないかねないが為に山を拓き鉱物を掘り返す訳にもいかず――発展性には乏しい。

 メアリの言うところの、奴隷収集が行われているというものは……この立地ならば頷けるものであったが、しかしこれまでの探索で否定された。

 人が攫われている――……そのような危機感は村の中にはない。


(レイパイプの担当を引き継いだような魔剣の担い手の選別に、どこからか集めた奴隷……人目につかない食料供給ネットワークに、各地で増えた魔物の被害……)


 一体奴らは、何を目的としているのか。

 唸るように顎を傾け、精々思いついたのが相手が複数犯か――という事のみ。

 前世の知識を加味したところで、シラノは半可通の素人に過ぎない。事情通や専門家ならば違った形になったかもしれないが……やはり今の自分にできることは、腰に下げた刀以上でも以下でもなかった。

 いずれにせよ、斬るのみ。斬るべきを、斬るべき時に、ただ斬るのみ。

 ただの学生上がりにできる結論はそんなところだった。プロフェッショナルではない一般人にできることなど、たかが知れているのだ。


「ふぅん? 燃える馬……ね」

「……なんスか?」

「いいえ、面白いと思っただけよ? ええ……()()()()()()()()()()

「……」


 そして、黒髪を風に抑えながらも背後で口角を吊り上げるリープアルテのせいで、余計にシラノの胸中に暗雲が立ち込める。

 この女の前で触手を使うのは避けたい。自分の身上に繋がりかねない情報は秘匿したい。

 そう思えば、小太刀に等しい獅子丸一本で死霊の馬と死合うこととなる――……何とも頭の痛い話であった。


 ……であるからこそ、


「――――――!」


 絹を裂くような甲高い悲鳴を耳にしたとき、そして即座に駆け出すそのときに、土埃を立てながら風を裂く一歩ごとに冷えついていく思考とは裏腹に――胸中を覆うのは懸念や不安であった。

 馬。四足獣。

 後ろ足で身を起こせば人間を軽く蹴倒し潰せるあの馬の、しかも怪物版。

 人を相手にするのと異なる不安が湧いてくるのは――紛れもなく本音であり、


「な……」


 そしてそんな不安は、的中した。

 否――()()()()()


 その(いなな)きは、地獄の洞穴の風音にも似ていた。

 蹄鉄は火焔。(たてがみ)は鬼火。踏みしめる(わだち)は硫黄臭じみた瘴気を漂わせ、線香めいて赤く灯る眼光は、周囲全てが朧気(おぼろげ)な黄昏時の中で唯一の実体の如く鋭い軌跡を作る。

 地が、揺れた。揺らいだ。

 後ろ足で二本立ちするその巨躯は――何たる馬鹿げたことか――その前足は、建物の屋根まで届こうか。いや、追い越そうか。

 さながら、闇を固めた岩。闇色の鉱石から削り出した彫刻。

 鉄を磨き上げたような黒き肌の下――荒々しき筋肉を浮き上がらせた逞しい後肢は地を踏みしめ、前足を躍らせる巨馬は咆哮を上げる。

 人など、その頭部から股間までを抉り抜くが如くに容易く踏み潰さんばかりの前脚。


「――――」


 完全に見上げるようになった形のシラノの前、半死霊馬(ヘルメイアー)はその異形を晒していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ