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第九十二話 ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード その五

◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その五◆


 既に終わらせられた命が二つ。

 血溜まりの中で真っ二つに目を見開いて果てる村人の前で、生と死が衝突する。


「……」


 泰然と歩み出すシラノと、向かい合う獣人の黒死風。

 互いの、死の制空権が重なり合う。

 無造作に中段に斜めに構えられた〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉と、鞘に収まりし触手野太刀。

 闇を割く白銀と、闇に滲む極紫。

 撃発は一瞬であった。

 踏み込み、放つは薬丸自顕流の“抜き”――


「ッ――――!?」


 ――否。多段に鞘内で弾け飛んだ刃が抑えられる。

 いや、抑えたのだ。シラノが。

 みしり、右腕が音を立てる。虚空に浮いた触手鋼板と、炸裂する触手野太刀の推力に挟まれて異音を漏らした。

 しかし、真に恐るべきはそれにあらじ。

 闇を裂く白銀の()()――――何の兆候もなく〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉から生じし一条の線が、抜刀の腕の軌道を遮るように、視界を斜めに貫きシラノの奥足へと接続していた。

 何をと、思う間もなし。

 輝く糸に猛烈に左足が引き寄せられる――巻き取られる剣糸に片足立ちに崩された。

 そこへ迫るは、〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉。

 白刃が、煌めく。

 足を、断たれる。


「イアーッ!」


 ――否。咄嗟、生んだ鋼板を踏み締め――掴み向けるは鞘口。

 獣の五指へと照準。叫びに応じ、加速の増幅器(ブースター)に使われた鞘内の刃がいざ弾け飛ぶ。

 だが、シラノは今一度の驚愕を味わった。

 空気の悲鳴を残響させ、猛烈に加速する極超音速の死翔が闇に消える。確かに狙い放ちし飛来刃は、しかし獣人を避けて暗闇へと沈んだ。

 ……いや、違う。止められ、そして逸らされたのだ。

 宙に静止する刃、そして糸の巻取りによる()()――その一瞬を、シラノの赫眼は確かに見竦めた。


「……」


 互いに流れる冷や汗と、荒い息。

 呼吸を絞り、奥足に繋がった剣糸を静かに野太刀で断たんとし……シラノの顔は驚愕に止まる。

 ごとりと音を立て、断たれたのは野太刀の切っ先。力を込めた野太刀の方がバターのように簡単に切り落とされていた。

 この糸は断てない――いや、()()()()()()()()()()()()()()()()


「ハッ、カスの癖に生意気な技を使いやがるな……」


 嘲るような獣笑いを前に、赤きマフラーの奥でシラノの呼吸は静かに脅威を刻み込む。

 異様な切れ味を持つ破壊不能の剣糸。

 そして、赤き右眼の――触手刀を握ることにより精神と肉体の境界を再定義し光を取り戻す右眼の、その動体視力と光感度増幅機能でも見抜けぬ展開速度。

 唯一捉えられたのは、放った刃が停止させられた一瞬だけ。気付けば既に能力は発現されていた。

 即ち、


(刀身に像を映した時点で、既に刀身に接触しているものと“見なして”いる……のか)


 その能力の発現は光の速度に等しい――……。


「イアーッ!」


 確かめるべく、三段突きを放つ――闇へと消える。

 再度、三段突き――逸らされる。

 再び、撃つ。当たらない。無数に連続する轟音はしかし、空しく闇夜に溶けていくだけだ。

 獣人……獣特有の嗅覚にてシラノの筋肉から漂う乳酸を嗅ぎ分け、行動を察知していた。魔剣ではない遠隔攻撃は、この間合いでは通用しない。


(……これは)


 遠距離攻撃を無効化し、使い手は光速で展開される破壊不能の剣糸により場を支配する……戦の運び次第では、本領を発揮した〈風鬼の猟剣(モルドデュール)〉を持つイリスさえ討ち取れるだろう。

 にわかに冷や汗が頬を伝い――


「いい気で叫んでるんじゃねえぞ、カスが!」


 獣人の魔剣から、銀糸が伸びる。

 その数、実に八。

 頭頂、左肩口、右肩口、左脇、右脇、左膝、右膝、股下――……それらを跨ぐようにその奥の闇へと線を伸ばした剣糸。八方を抑えた蜘蛛の糸。

 即ちは、必殺の檻。

 そして――〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉の鍔元から真横へと一直線に銀糸が放たれた。

 急加速を始める獣人とその魔剣。そして何より剣糸に繋がれたシラノの身体は、勢いのままに檻にぶつかり微塵に切り刻まれる。それが尋常なる運命である。

 だが、


「イアーッ!」


 発声(シャウト)と共に仰け反った――否、触手に()()()()()()()シラノの身体は赤外線センサーを潜るスパイめいて死線を回避。

 直後、動いた右手。一発の破裂音と共に――握る野太刀の刃が一つ、跳ね飛んだ。

 しかし、それも見飽きた曲芸だと獣人は淀みなく剣糸により後方へと受け流し、


「イアーッ!」


 ――起きるは爆裂。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、背後から獣人の肩を穿ち抉った。

 舞う鮮血。

 その毛皮を貫き、石畳を砕いて止まる。地下空洞へと繋がる地面へ、紫の刀身が突き立った。

 シラノは息を整え、膝をつく黒死風を睨んだ。

 発現する能力を避けられぬというなら、初めから発現を封じてしまえば良い。

 剣に映ったものが捕らわれるならば、映らぬ角度から攻撃する。使い手自身の肉体を、照準の障害物として使用する。

 その理屈に誤りはなかった。

 敢えて()()()()と制限して飛ばした刃は、三段突きの二発を温存した刃は、一時の支配を受けてなお撃発の機会を捨ててはいなかったのだ。


「武器を捨てろ。……次はねえ」


 片膝立ちとなった黒死風の肩の流血が、石畳に水音を立てる。それでも致命傷を回避したのは、咄嗟に嗅覚にて意図を読んだとでもいうのか。

 獣人の身体能力と知覚能力が可能とする後の先。戦いの支配。

 ……左足にはまだ、剣糸が付けられたままである。

 だがシラノが目を細め、睨みつけるその先で、


「あぁー……やめるか。……ああ、そうだな。やめだ、やめ。ここで戦っても得がねえよな」

「……なに?」

「一々聞き返すんじゃねえよ。やめだ、って言ってるんだよ。……これ以上戦ったってオレはなにも得るものもねえだろう? クソナメたカスの侮辱を水に流して、言われたとおりにやめにしてやる――って言ってるんだよ、クソボケ」

「……」

「……そうだよなあ。やめだ、やめ。なんの得にもならねえことは忘れるしかねえ」


 そう言って獣人は剣を放り、本気で闘争心が失せたとばかりに煩わしそうに手を振った。

 シラノの左足からも、剣糸が解除される。

 傲岸不遜なその様からは想像もできぬ降伏に内心の困惑を覚えつつ、それでも静かに魔剣へと野太刀の切っ先を向ける。

 これが、黒死風か。

 世に語られる恐ろしい魔剣使いなのか。

 深まる疑念の中、魔剣を砕かんとし――……


「なあ……うさぎを、どう捌くか知ってるか?」

「……?」

「まずは内臓を捨ててから、足を折ってそのまま皮を剥ぐんだ。そうすりゃ肉が一つ完成さ。あとは香草でも詰めて焼けばいい。お手軽だよなあ……」

「……それがどうした?」

「ハハ、アイツらは! 足をへし折ってやったら情けなく泣き叫びながら必死に命乞いをしてたぞ! 腹から糞を漏らして喚き散らしてくたばるまで必死にな! 『進むも止まるも足がなければ死ぬ』……全くその通りだったなぁ! がはははははは! どうした! 笑えよクソボケ! 笑う余裕もねえってのか!」


 下卑た笑い声。黒死風は、腹を抱えんばかりに笑い飛ばした。

 挑発――……乗るべきではない。速やかに魔剣を砕かんと、三段突きを放ち、


「きゃっ!?」


 同時、背後で上がるアンセラの悲鳴。その足に接続したるは――白銀の剣糸。

 彼女を引き倒し、そして巻き取る糸の大元……〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉もまた、剣糸により黒死風の手に収まった。

 三段突きは宙に止められている。

 そして、無常にも大きく側方へ振り飛ばされた。再射出の隙は、ない。


(刀身に映るものを触れてると“見なす”なら……刀身に映っている限り、まだ“手放してねえ”……そういうことか)


 ギリ、と奥歯を噛んだ。

 セレーネの如く使いこなしていると言えぬ使い手であっても――……権能によるなら、その限りではない。

 それが魔剣であった。


「ああ……判ってねえよなあ、おめー……。そのクソふざけた目で未練がましくオレを見て……判ってねえ。ああ、クソが。判ってねえな」

「……」

「おめーはもう終わってんだよ……。ああ、終わってんだ……おめーら全員がまとめてなぁ!」

「イアーッ!」


 咄嗟、早撃ちめいて触手鋼板で間を遮る。

 だが――伸びる剣糸はシラノを狙ったものではない。触手盾を大きく左右に躱したそれらはアンセラの更に先、闇の中に接続し――破壊音を響かせた。

 構うか――。

 鋼板から足止めの触手を放ち、即座に後方へのアンセラへと駆け出す。

 まさに彼女を抱き上げたそこで――……シラノは驚愕した。


「惨めに潰れて死にな! ミミズ以下の触手使いが!」


 破片を撒き散らし、迫るは――――()

 剣糸に巻き取られた石造りの家屋が、質量弾として二人へ襲いかかった。



 ◇ ◆ ◇



 ぴちょんと、水滴の音が響く廃坑道。

 魔導灯が押し分けた暗闇の中に荒い息を溶かしながら、ふとアルケルは口を開いた。


「……なあ」

「ん、どうしたでありますか? あー、まさか腹減ったとか……いやあ、生憎でありますが自分のは渡せないでありますよ。貧しい人から貰うなんて実に意地汚い野郎であります……軽蔑以外浮かばないであります」

「違うよ!? キミと一緒にしないでくれないかな!? いや……その、なんでキミは……こんなところまで付き合ってくれてるんだ、って……そう思ってさ……」


 ポツリと漏らすアルケルの前で、ユーゴは整った黒髪を揺らして首を傾けた。

 ……口から零したそれは、ただ気を紛らわせるための言葉だったのかもしれない。あまり身体を動かしたこともないアルケルにとって、この旅の疲労は無視できないほど積もっている。

 そんなアルケルへ、ユーゴは曖昧な笑みで返した。


「んー……本音言うなら帰りたいでありますが、ここで帰るのもなんか薄情な気がするものでありますからな。なら付き合うのも一興かと思っただけであります」

「……それだけ、かい?」

「それだけでありますよ。人間、死んだら終わりでありますからな……あんまり深刻に生きてもしょうがねーであります。こんなのは適度に肩の力を抜くのが一番いいもんでありますよ」

「……」


 その言葉に、アルケルは暗に自分の行動を咎められている気がした。


「……つまりさ、キミは僕がバカげたことをしてるって言いたいのかい?」

「いいや、まったく? 生憎と当方はこんな性格で……おまけに父も母もいない神官見習いとして生きてきたもので、まぁ――正直アルケル殿の考えていることは何とも想像もつかない話でありますな」

「……」

「二十年余り生きてきましたが……ま、当方から含蓄ある言葉を聞こうというのは無理難題――大切なのは、アルケル殿の中に何があるかではありませんか?」


 浮かべられた薄い笑いは、そうと言いながらも年長者の哲学からアルケルの何かを見透かしているようで――……。

 そんな意図はないのかもしれないが、面白くなくて、早足で話を打ち切った。

 ……いや、足を早めたつもりだったが、鍛えている彼からしたら児戯に等しいのか。柔和な笑みのままユーゴは追従してくる。

 それにアルケルは、義姉を――アルスメリアを回想する。

 自分のものよりも幾分か薄まった長い金髪。猫のように爛々とした琥珀色の瞳と、高くも低くもない鼻。

 そして、いつの間にか追い越してしまった女にしては高かった身長。


「……」


 ああ――多分きっとそれは、憎悪と呼んでも差し支えのないものだ。

 目指す先で影が悪魔のように踊る。明かりから逃げながら、アルケルを嘲笑うかの如く揺れ動く。

 そうだ。あれはきっと、名前をつけるなら憎悪という感情だった。

 憎んでいるのだ。

 アルケル・ア・ボンドーは、アルスメリア・ア・ボンドーという女を憎んでいる。

 あの()()()を、憎んでいる。


「……アルケル殿?」


 伺うユーゴヘ首を振り返し、アルケルは膝を叩いた。

 痛みに歯を食い縛り、壁を押す。

 そうだ。殺すために生きてきたのだ。今までずっと、殺したくて殺したくて――……どう殺してやろうかと考えなかった日はない女を、殺すためにここに来たのだ。


 ――〈ふぅん? 暗いのが怖いんだ〉〈あれ、ああか。ケリーってひょっとして意気地なし?〉〈そんなんじゃあの子を踊りにも誘えないよ?〉。


 闇に、彼女の得意気な声が残響する。僅かに籠もったような低音の響きを持つ、あの声がする。

 大人の目を逃れ、何度も行った坑道探索。村を出てはならぬと伝えられている村から脱出するための、子供の絵空事のための、くだらない事前準備。

 今は、その道を逆に進んでいる。

 あれだけ逃げようと思っていた場所へ、ただ、戻っている。


「……」


 煩わしい汗に濡れた金髪を掻き分ける。

 女の笑い声が幻として耳の中で響き渡る。その顔は、見えなかった。



 ◇ ◆ ◇



 びし、と音がする。

 罅割れる音がする。


「シ、シラノ……」


 胸の下で、アンセラが不安そうに見上げてくる。

 背に伸し掛かる重さ。背にぶつかる鋼板。支えを為す触手柱。両腕を具足が固め、そして加えられる圧力に瞬く間に罅割れていく。罅割れながらも、加重へと拮抗を試みる。

 伸し掛かる家が軋んだ。

 霞が闇に立ち込める中、視線の先の獣人は得意げに片頬を上げた。

 

「よく判ったか? 剣士未満のクソが……。その気になれば、山一つ……流星一つ……いいや、あの月だってここに叩き落すことができるんだぜ?」

「……ご丁寧に、権能の解説か。懺悔のつもりスか」

「いいや、おめーが判ってねえから説教してやってるんだよ。おめえは何も判ってねえ……おめーらは微塵も判ってねえ。許せるか? 許せねえよなあ。……ナメやがってクソが。クソどもが」


 また、黒死風の表情が移り変わる。

 犬面に浮かんだのは憎悪――……異様なまでに冷酷な黄色の瞳を細め、この世全てを恨んでいるとでも言いたげな表情でシラノたちを睨み上げる。

 まさしく、暴風めいて激しい感情の主だった。


「身の程ってのを分かれよ、カスどもが。どうしておめーら間抜けとオレが釣り合うと思った? 戦いになると思った? 間抜けの自殺にオレを付き合わせるんじゃねえよ。一人で首吊って死んでろ。ゴミカスどもがナメやがって……」

「……」

「村のため? 誇りのため? 死人のため? ……判ってねえな、間抜けのクソどもが。()()()()()()()()……死にやすいおめーらなんて初めから終わってんだよ。何かも終わりしかねえカスだ! 全部が無駄のクソ間抜けの一生にオレを巻き込むな!」

「――」

「がははははは、何が産まれてくる子供に伝えるためだ! 何が父と母のためだ! おめえらカスには初めから終わりしかねえ! そんなことも判らねえ惨め臭いゴミどもの、しみったれた終わりを見せられるオレの気にもなりな! クズ山で首括って死にやがれ! そのクソまみれになった腹のガキと一緒に勝手にな!」


 ぷつん、と。

 何かが切れる音を、アンセラは聞いた。

 錯覚ではない。確かに、何かが切れているのだ。物理的に。

 そして、動いた。動いて、いるのだ。


「言いたいことは、それだけか」


 ぎし、と関節が軋む音が響く。

 一歩、石の重荷を背負う足が踏み出される。


「間抜けはお前だ。お前だけだ。……()()()()()()()? それを知りながら人を殺せる奴が間抜けだ。お前は性根の底まで腐り果てた間抜けのクズだ」


 ぶつん、と重さを担う触手が千切れ、みし、と骨が音を立てる。

 一歩、更に石畳に歩を刻む。


「人の死を笑うんじゃねえ……。人の生を笑うんじゃねえ……。お前は、ここでその報いを受けろ。そうしてきたことへの然るべき報いを、今、ここで」


 立ち上る白き霞が、紫の鎧が闇を断つ。

 怒りの蒸気が、夜を塗り替えていく。


「報いだと? がはははははは! 死体を前に笑いもできねえ剣士気取りがよくもほざくな、クソの触手使いが! 笑う余裕もねえんだろうが!」

「笑わねえ。人の死を笑うやつは報いを受ける。……お前にも、必ず報いを与えてやる」

「……剣士気取りでほざくな、って言ってるのが判らねえのか? クソの触手使い風情が笑わせるんじゃあねえぞ。判ってねえよなぁ、おめーは……。判ってねえ……。……………あぁ、いや――……」


 唐突に、向かい合う黒死風の獣顔に喜色めいた笑みが浮かんだ。

 

「いや、そうだな……確かに恐れいったよ。大した奴だ。触手使いだなんて馬鹿にして悪かったな。そこんとこは反省が必要だった……ああ、おめーは大した奴だ。口だけは本当に立派だよ……他にはいねえ言葉を放つ見事なクソの山だ。そこだけは見所がある」

「そうか。……お前は見るに堪えない下衆だ。必ず報いを与えてやる」

「黙れよ、無駄に生き汚いクソ触手が……。ああ、だが、まぁ――……関係ない殺し方を思いついた」


 天へと剣をかざすと共に、獣人の身体が浮かび上がる。

 剣糸――地獄に垂らされた蜘蛛の糸の如く、遠き星に接続したその白銀の救いが黒死風を引き上げたのだ。

 そう、まさしく救いだ。

 そして、起きるのはまさしく――地獄であった。


「触手なんて芋虫もどきのカス共に似合いの終わりだ。……潰れて死にな! りんごに挟まったまま擦り潰される幼虫みてぇによォ――――――――ッ!」


 地が、揺らぐ。盛大な破壊音と共に、地盤が揺らいだ。

 左右に伸びた剣の糸が釣り上げるは――――()()

 地に齎されし神の権能。まさしく人智を超えし究極の力たる魔剣は、〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉は、()()()()()()()()()()()()()


「ぐ、う……! アンセラ……ッ!」


 咄嗟に全身を覆った触手装甲が音を立て、左右から迫る極大の石の壁を受け止める。

 歯車に絡んだ小石めいて抑えつける触手外骨格は、しかし圧力の前には蟻に等しい。固定した関節も、装甲をひび割れさせられながら押し込まれる。

 頭上の家が砕けた。押し込まれて破片を散らし、その度にシラノにかかる圧力が増す。

 そして、


「……ごめん、シラノ。少し齧られちゃった。今の……影を作ることを狙って、あいつは……」

「……ッ」


 月すらも覆われた影の中、現れた〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉に牙をつきたてられたアンセラがへたり込む。

 流れる血と、骨を剥き出しにした右足。

 脱出不能。

 まさに絶対絶命のその境地に、シラノとアンセラは叩き込まれた。



 ◇ ◆ ◇



 べきと、凄まじい音がした。

 地響きが、聞こえた。丁度、街の高所に位置する神殿前へと坑道を抜け出したところだった。

 轟音と振動。思わずふらついたその時、影から飛び出してきた黒妖犬にアルケルは喉を食い千切られた。

 ……いや、顔の前を長く黒鞘が横切っている。ユーゴが、迎撃したのだ。

 そして彼は、あたかも神の手のひらの如く街にそそり立った――否、街そのものである二枚の岩壁を見下ろし、


「……ふむ。中々に洒落にならない権能でありますな。それなりの序列の魔剣、でありますか。……四十、三十か。それ以上か」

「な……なんだよアレ……!」

「何――……と言われましても。あれが魔剣で、あれが戦いでありますよ。……アルケル殿が足を踏み入れようとしている世界だと言っていい。……で、どうしますか?」


 肩を崩して、ユーゴは神殿へと顎を向けた。

 円柱の向こう、竜の口めいて明かり一つなく闇を孕んだ神殿の入り口。

 頬を冷や汗が伝い、だからこそそれを振り切るように首を振った。


「……行くよ。行くしかない……行くしか、ないんだ。……僕が、やらなきゃいけない」

「ふむ。……では、ご武運を。生憎でありますが、当方はシラノ殿と違って死地にまで付き合うつもりはありませんからなあ」

「判ってるよ。……判ってる。でも、その、キミはこれからどうするんだ……?」

「『逃げてからのことは逃げてから決めろ』……“宮守徒(ガーディアン)”マース・ア・シーンの言葉にもありますな。これでも健脚なので、逃げるのは得意であります」

「……『狼を見てから逃げることを決めるのは愚か』って言葉もあるけどね」


 そう返すと意外そうに眼を見開いて、またユーゴは普段通りの表情に戻った。

 この旅を決めてから出会っただけだが、もう数か月近く共に行動しているような奇妙な錯覚を抱く相手だ。どんな背景を背負っているのか、どんな生き方をしてきたのかも分からない。笑顔の仮面の向こうに隠されている。

 それなのに不快感はない、風のような青年だった。


「ああ、一つ助言を。戦いというのは、『如何に自分が血を流してしまったか』よりも『如何に相手の血を流すか』――……そしてそれ以上に、『如何に自分が血を流せるか』にかかっています」

「……?」

「つまり、“踏ん張りどころ”ということでありますよ。血を流してどうしたいかの答えを持っていた方がいい。……ということで、それでは当方は退散であります」


 それきり、手をひらひらと振ってユーゴは闇に消えた。

 ごくりと喉を鳴らし、アルケルはポケットの中の武器を握り締める。金属板に刻印が施された使い捨ての魔道具。残り少ない貯蓄を切り詰めて購入したノリコネリア謹製の魔術武装だ。

 果たして、通じるのか。

 不安を押し殺すように痛む腕を抑え、アルケルは神殿へと足を踏み入れた。


「……」


 アルケル・ア・ボンドーとアルスメリア・ア・ボンドーが出会ったのは、アルケルが七つでアルスメリアが九つのときだった。

 初めから、生意気な女だった。

 本宅でアルケルを迎え入れたそのときは、おとなしい女だと思った。妙に癖のある金髪で目元を隠して、肩身を狭めていたのだ。

 これが、嘘だった。騙された、と言っていい。


 ――〈ようこそ、お坊っちゃん〉〈あ、罠にかかってズボンを脱がされるのは初めてだった?〉〈そんなんじゃ跡取り息子にはなれないよー?〉。


 いつも、鷹揚な笑みを浮かべる女だった。

 そのことを知っているのはアルケルだけだった。彼以外のあらゆる人間は、彼女のことを物分かりが良く、誰よりも村を継ぐのに相応しい人間だと思っていた。

 そうだ。

 アルスメリアは、アルケル・ア・ボンドーにしかその顔を見せなかった。

 大抵、連れ回された。村人の前では粛々としているが、誰よりも一番悪巧みを好んでいたのは彼女だったのだ。

 二人の秘密だ、と言われる度に髪を掻き毟りたくなった。


 ――〈いや、堅苦しいの実は苦手でさ〉〈こっちの方が枕の質がいいねー〉〈照れてるの? 姉弟じゃんかよー、もう〉。


 ()()()なのだ。アルケルから父と、家と、血筋を奪った()()()なのだ。

 殺したいほど憎んでいたのだ。突き落としてやろうだとか、後ろから首を絞めてやろうと思ったことだって、何度もある。ずっと、憎んでいる。憎んでいた。

 別宅で暮らす六年の間、ずっと殺してやろうと思っていた。

 全てを奪った偽物を――……妾腹である筈であった身分をアルケルへと押し付け、本宅へと引き取られたあの女を憎んでいた。代わりに己を別宅へと送った父を、母を、義母を、何よりも義姉を恨んでいた。

 そんな相手から、なんでもないように……この世で一番信頼している相手のように扱われる度に、言いようのない気持ちが襲いかかった。


「……」


 魔導灯で闇を押し退けながら、進む。柱の向こうには赤き瞳が連なっており、襲いかかられたら、アルケルは瞬く間に骸となるだろう。

 圧迫感に呼吸を詰まらせながら、歩いた。ポケットの中の魔道具が酷く頼りなく感じる。

 そして、水路を辿ることどれほどだろうか。


 ――〈もう少し勉強したほうがいいと思うよ〉〈ほら、教えてあげるからさ〉〈ここにはいっぱい、大事なものがあるんだ――〉。


 魔人像に施された仕掛けを解除し、神殿の中央の浮島にせりあがる〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉も目に入らない。

 荒れ果てることなくあの日と変わらぬ神殿も、数百を超える魔犬の血眼も、破り捨てられた父母の服も目に入らない。

 黒き衣装で魔剣の台座に腰かける女がいる。

 足元までの黒髪に瞳を閉ざし、その代わりに数十数百の〈黒妖魔犬(モール・ダ・ドゥー)〉の赤き瞳を服に纏った女がいる。

 変わり果てながらも、あの日アルケルが作ってしまった傷はその女の二の腕に残っていて――


「……義姉さん」


 ただ茫然と、喉から声が漏れた。

 アルスメリア・ア・ボンドー――〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉が、そこに居た。

 女はただ髪を掻き上げ、そして腰を上げる。

 それだけで――数百を超える魔犬の群れが、アルケルへと襲いかかった。



 ◇ ◆ ◇



 地獄の歯車機械に絡めとられたものは、そのまま無情にも砕かれる――。

 シラノはふと、そんな言葉を思い出した。

 頭上で街が砕ける。かつての人々の営みが破壊され、そして破片が降り注ぐ。

 限界まで両腕に集中させた触手の容量。噴き出る蒸気と共に凄まじい頭痛が襲いかかり、残りは剣の数本分だと感覚が知らせてくる。


「……冒険者してるから、こんなの覚悟の上よ。アンタ一人ならなんとかなるでしょ? 手負いの魔術師(あたし)じゃ魔剣使い(アイツ)に勝てない……押し付けるみたいで悪いけど、あとお願いできる?」

「……ッ」

「……せめて恋人ぐらい欲しかったなぁ、なんて言ってみたりして。……って、いや、冗談なんだから笑いなさいよ。こっちはこっちでなんとかできないか考えてみるから……とりあえずアイツの方は、任せていい?」


 言葉とは裏腹に既に覚悟を決めたと言わんばかりのアンセラが、胸の下から見上げてくる。

 ギリ、と歯を食い縛る。事実としてシラノ一人ならばここから脱出できる。そして、あの男を上下に斬り分けられる。

 だがそうなれば、一人死ぬ。

 ()()()()()()()()――――その観念を持つシラノが、仲間を一人、死に追いやることとなる。


「……ま、もしなんとかならなくても……この人たちに、アンタが必ず仇を討ってくれるってことは伝えたげる。このあたしが伝言人代わりなんて、相当貴重よ? いい思い出になるでしょ?」


 アンセラが手を伸ばし、苦しみの表情を浮かべる二人の目を閉じた。

 何かの儀式めいていた。それだけで彼女は、この世で行うことは全て終わったと言わんばかりに清々しい笑みを浮かべる。


「聞こえてるかクソガキが! おめーは泳がせておいただけだ! あのボケ共が魔剣の肝心の場所を知らねえなんて言うから、おめーを生かしておいただけだ! これからブチ殺してやるからな!」


 そして頭上からは、がなり立てる黒死風の声が聞こえる。

 魔剣の王――……知ってはいた。以前、フロランスから聞いた。今も触手使いが嫌われるのは、家を残す為に魔剣の王の配下になったものも居たからだと。

 そして穢れの影響を受けにくい触手使いは、魔剣の王が死したるのちの世で、穢れに侵された土地へと放逐されたのだとも。

 その再来を冠するものがいる。

 触手使いの父祖の、仇がいる。

 いいや――いいや、そんなことはどうでもいい。そんなことは何だっていい。


「……ッ」


 両腕に力が籠もる。

 踏みにじられたのだ。命が、踏みにじられたのだ。生が、死が、願いが踏みにじられたのだ。

 二つに分かたれた死体。砕かれる人々の生活の残骸。

 今なお奴は人の尊厳を笑い、侮辱を吐き散らし、死をばら撒く。いや、これからもそうする。そうし続ける。

 歯を食い縛った。両手に力を込める。蒸気が、吹き出した。

 装甲を弾き飛ばし、迫る石壁を砕く。砕き、そして即座に装甲を内から作り上げる。触手の内側に召喚陣を刻み、顕現のままに合一し強化――――頭痛が警鐘を鳴らす。行うべきでない召喚だと、目眩が襲いかかる。

 だが、噛み締めた。力を込める。奥歯が割れた。それでも、噛んだ。気を奮わせた。奮い立たせた。


(あァ……許せねえよな……。こんなことは、許せねえよな……。これ以上、許せねえよなァ……!)


 そうだ。死んだら終わりだ。死んでしまったら、何もかもが終わってしまう。

 ならばシラノ・ア・ローは、まだ生きている者は――。

 終わってない。

 終わらせて、なるものか。

 終わらせてはならない。立たねばならない。抗わねばならない。

 心が燃えて、頭が凍る。ここが死地だと、己に言い聞かせる。


「ぐ、ぅ……! う、ぐぁぁぁぁぁあ……!」

「シラノ……あんた、何してんのよ! さっさと――」

「ボンドーさんの邪魔はさせねえ……! 別れが言えねえままになんてさせねえ……! あの人たちの死を、笑われたままにはしねえ……! お前とも、これで別れにするつもりはねえ……! それに何より――」


 そうだ。立つのだ。負けぬと決めたなら、立つのだ。立って戦うのだ。

 そして何より、そうだとも。

 己が決めた、この世の指標はただ一つ。


「――白神一刀流に、敗北の二字はねえ……!」


 なににも負けぬなら――つまり、この身が砕けても戦えということだ。

 絶望(てき)を斬れ。悪鬼(てき)を斬れ。無常(てき)を斬り、悲嘆(てき)を斬れ。

 斬り伏せろ。許せぬと吼えるならば、我が身の価値はただの一刀。一刀の果てにこそ、闇を切り裂く道理がある。


「シラノ……」


 見上げるアンセラの足元へ、転がりくるものがあった。

 死した二人が持っていた宝石。穢れのない宝石が、破壊の振動を受けてシラノの足元まで達する。

 その瞬間、ふと言葉を発していた。


「……なあ。この村、どうして滅んだと思う?」

「え?」

「念仏は後にしろ……手ェ貸してくれ。ケリを着ける」


 その赫き目線は、折れ立つ地の真ん中に突き立った触手野太刀――――かつて獣人の背後から再射出した刃を捉える。

 シラノの脳裏をよぎるものが一つ。

 ――応報の、時間であった。




 無慈悲なる神の手の如く、真っ二つに起立しそそり立った岩盤。

 山間の崖を切り開いたガルドヴァレイの街は、今や、黒死風の配下だった。

 すん、と鼻を鳴らす。新しい血の匂いはない。死の匂いはない。即ちまだ離脱するには早く、簒奪するにも早いということであった。

 お前は異常だ、とかつて行動を共にしていた女が叫ぶのを改めて聞いた。耳の奥から聞こえた。

 顔は思い出せない。斬った相手は、カスばかり。斬る時点で覚える価値はなく、そしてこの世全てがそれであるのだ。価値をただ戻しているだけだ。

 頭の中に、狂気と冷静の蜈蚣(むかで)が這い回る。ある意味で彼は、油断とは最も遠いところにいる男であった。

 そして嗅ぎつけたるは、起死回生を望むその匂い――


「イアーッ!」


 もうもうと立ち込めだした黒煙の向こうから迫る殺気。

 煙を盾に使うか。――しかし無意味だ。高速で迫る刀身は容易く己自身の煙幕という防具を振り落とし、そして魔剣の権能はそれよりもなお速い。

 上段に構える〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉。剣糸が極紫の刀身に接続し、支配する。

 ――否。刀身に無数に浮かぶ召喚陣が、装甲が撃発した。蛇が脱皮をするかの如く、剣糸のついた部位を脱ぎ捨てる。剥ぎ落とす。

 再飛翔。

 再び開始された攻勢と防御は、それはさながら獣と猟師――否、狼と戦列銃兵に等しかった。

 光速で発現する剣糸の権能。闇夜を裂く銀の一閃――絶対的に絡めとる蜘蛛神の糸。

 対するは刀身そのものを削り、砕き、それでもなおも一直線に飛来する紫の刃。

 止める。剥がれる。止める。剥がれる。止める。剥がれる――――手負いの獣の如く疾駆する極紫色の先端が、迫る。


「――」


 しかし、黒死風はほくそ笑んだ。

 距離がある。あまりに遠い。そして削られた牙の如く、或いは風化した石器の如く、ただ黒死風へと撃ち込まれんとするその鋭き刃はあまりにも脆い。

 繰り出される戦列歩兵の槍に突き殺される獣めいて、その身を削り翔けたところで届く道理もなし。

 果たして、その全てを注ぎ込み削ぎ落そうとも――……最後の抵抗は届かない。

 宙に破片が散る。攻撃という力を失った残骸が、重力に捕らわれ失墜する。最後の抵抗のように蒼電を弾けさせようとも、彼の元には届かない。


「ハッ、カスが……」


 笑い飛ばす黒死風。

 ――故にこそ、()()()()()()()()()


『――――――…………』


 月明かりが、消えた。

 何をと、振りむく間もない。

 星と月の明かりを塗り潰す暗黒の靄、汚泥の如き雲の塊――――否、これは〈群雲竜(ハラ)〉であった。

 穢れを受けて黒く濁りきった〈群雲竜(ハラ)〉であった。


「なっ……!?」


 そして、竜とは名ばかりの群体を成した蝗の群れの如き災厄が――黒死風のその身へと降り懸かる。

 弾ける紫電。逆立つ毛先。極小の牙を突き立てられ吸い上げられる血液……獣人の濁った悲鳴が、黒雲に呑まれて消える。

 四方八方、正に全身という全身に吸血生物は襲いかかった。

 電撃に筋肉が弛緩し、穴という穴へと〈群雲竜(ハラ)〉が(かじ)り付いた。失禁した。絶叫した。しかし、言葉が通じる筈がない。訳がない。

 穢れに肉体が変質させられながら、だが手に掴んだ“貴”なる魔剣が異形化を許さない。ズタズタに内側から変形させられながら、直後に雲散する。

 作り替えられ、戻され、また作り替えられ、無理矢理戻される――――発狂寸前の痛みの嵐に、黒死風は悲鳴を上げ……口腔が食い荒らされる。

 如何な〈無音の凱剣(ベニンカーサ)〉と言えども、刀身を包まれてしまえば新たな糸は放てない。

 かろうじて既に張った弦の一本を解除し戻した地上へ、もう一本で退避したその時だった。

 轟音。暴風。


「……ようやく辿り着けたな。手前(てめ)ぇの下に。……俺の射程距離に」


 たった今〈群雲竜(ハラ)〉を蹴散らした弓を投げ捨て、腰の野太刀の鞘を抑えたシラノ・ア・ローがそこに居た。


「が、く……う、運が良かっただけで見下してるんじゃねえぞ、クソガキが……! 偶然助かっただけで図に乗りやがって……!」


 吠える黒死風の薄汚れた体を、赫眼で見下ろすシラノ。

 見下ろし、言った。


「魔物避けの水路が機能せず、争った形跡もねえのに村一つがまとめて汚染されてる……。それだけの規模なのに――……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……なに?」

「この地に穢れは溜まってない。穢れが、この街に訪れただけだ。……穢れた〈群雲竜(ハラ)〉がな」

「……ッ」


 目を見開いた黒死風の前で、シラノは静かに柄に手を添わせた。

 村人の二人。彼らが斬られることなければこの解法に辿り着くことはなく――


「運じゃねえ。……これは、お前のような外道の辿る必然の道だ。人の命を、死を笑った今まで全ての報いだ」


 ――即ち、()()()()であった。


「痛めつける趣味はねえ。……剣士らしく、構えな。正面から斬り伏せてやる」


 狼狽する黒死風の前、三歩の距離。致死の間合い。

 顎で促し、睨み付ける。

 抜き放てば首が落ちる、そんな間合いだ。


「触手使いなんて……肥溜めのクソゴミ風情が、剣闘士の決闘のつもりか……? 見下してるんじゃねえぞ……おめーのそのふざけた剣士気取りの鼻っ柱を歪ませて粉々にすり潰して打ち砕いて、そこから縦に引き裂いてやるッ! うさぎの下拵えみてえになあッ!」

「そうか。……なら、言うことは変わらねえ。――()()()()()


 どちらの汗が、垂れたか。

 火蓋は一瞬だった。

 光の速さで切っ先から展開される剣糸がシラノの八方を固め、更に駄目押し。その穢れた刃は、後方のアンセラにまで伸びる。

 都合、十六――否、三十二の剣糸の檻。

 これなるは、如何にシラノが躱そうとて確実にその心を切り裂く魔の太刀。天上神へと侮辱を働いた蜘蛛神の如く、人の心を抉る剣。

 その残虐にして悪辣な一手の勝ちを確信し、黒死風は剣を振り下ろす――


「……ッ」


 ――だが、動かない。動く筈がないのだ。

 穢れた邪悪のその手元に生じた触手召喚陣。巻き絞める紫色の触手――白神一刀流・壱ノ太刀“身卜(シンボク)”。

 そうだ。ここは死地。ここは間合い。ここは、シラノ・ア・ローの()()()()――――。


「……これが、剣士のやることか」

「てめえは……ッ!」

「俺は、触手剣豪だ」


 そして睨み付け、その鼻先目掛けて向けるは柄尻。そこに刻まれしは無数の召喚陣。

 応報の刃が、いざ撃発する――。


「ッ、〈無音の凱(ベニンカー)――――」

「――――――――――――――触手、抜刀」


 電光石火。

 ごきりと、獣の大顎を砕きつくす破砕音。

 剣糸の接続の度に陣から放たれる僅かな撃発は、柄を捉える邪悪なる蜘蛛糸をその装甲ごと振り落とし――その柄尻を獣の鼻に突き立てた。

 これぞ、白神一刀流“帯域(タイイキ)(オロシ)”――条件罠の爆発反応装甲である。


「が、ぐ、ぎいぃぃぃぃぃぃぃ……ぎ、がぁ……!」

「……確かに打ち砕かれたみたいだな。剣士気取りの歪んだ鼻っ柱が……文字通り粉々って具合に」

「やめろ……もう、やめろ……! 武器は捨てる……! 諦める……! もうやめる……!」

「……さっき、それは聞いた。お前はどうした? うさぎは足から……だったスか?」


 解除された剣糸の前――瞳を細め、取るは蜻蛉。刃引きをした野太刀が、月光に冴えた切っ先を輝かせる。

 天へと一直線に突き立ち、応報を告げる極紫の刀身。

 いざや、


「う、ぐ……〈無音の(ベニン)――――」

「イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ!」

「が――――」

「イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ!」

「ご――――」

「イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ! イアーッ!」


 打ち据え、流し、横構えに切っ先を寝かせた。そして、宙に立てた鋼板目掛けての撃発。

 放つは一閃。極超音速の変則抜刀術――“唯能(ユイノウ)(ヒシギ)”。


「イイイイイイィィィィィィィィィアァァ――――――――――――――――――――――ッ!」


 めり込む刃のそのままに、()()()()()()()()を砕かれた黒死風は腹を出して闇の中に吹き飛んでいった。

 血振りと共に、納刀を一つ。

 踵を返し、砕かれきった静寂な街を眺めたシラノは、


「……」


 両手を合わせ、瞳を閉じた。

 静かな月が、墓標めいた街を見下ろしていた。



 ◇ ◆ ◇



 憎んでいた。

 ――嫌える筈がなかった。


 殺したかった。

 ――死んでほしくなかった。


 また会いたかった。

 ――こんな彼女を見たくなかった。


「……あ、ぁ」


 牙を突き立てられた手足を引きずって、血塗れのアルケルは芋虫めいて蹲っていた。

 これは、難業。

 荒事に慣れた冒険者の、更に一握りの〈銀の竪琴級〉の、その複数人で行わなければならない難題。

 精神が肉体を凌駕するなどということが、あるものか。

 気合いが実力の壁を超えるなどということが、あるものか。

 いざというときにのみ奮い立てる人間など、普段から心を奮い立たせている人間に勝てる筈がない。精神は、意気は、意気地はそんな都合の良い魔法ではない。

 これは残酷にして、何よりも正しいこの世の真理だ。

 世の中、そう都合がいい話はない――――死とは生の積み重ねの果てであり、自己全てを燃やし尽くす()の帰結の()である。

 故に、アルケルが〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉に勝てる道理は微塵も存在しなかった。


「う……」


 身体を丸めたアルケルの元に寄りし、黒衣の女。

 血の宝珠めいて無数に灯る赤眼で埋め尽くしたドレスのその妖艶さが、彼我の絶対的な隔たりを思い知らせる。

 人であったときの思考が、どの程度残されているのか――。

 或いは残されているからこそアルケルを打ち据えたのかはしれぬが、女は膝を折った。


「……っ」


 頬に手を伸ばされた。

 アルケルの身体を起こすように、アルスメリアは……アルスメリアだった女は、顔を近づけた。

 三日月めいて口腔が広がる。びっしりと並べられた牙を以ってアルケルの頭を食いちぎるのか、否か。

 まるで口付けでもするかの如く、白いアルケルの首筋へ顔が寄せられ、


()()()()()()()()()()()……か」


 呟く、言葉。

 大量に流した血液が一条、つぅ……と水路へと零れ――――直後、アルケルの()()()()()()()が、〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉の心臓を貫いた。

 べしゃりと、〈魔犬の郎君(マルヴルシェン)〉が力を失う。アルケルへとその身体を崩れ任せる。

 水路に血を繋げば魔剣の影響を受けられると見込んだ――それ以上であった〈血湖の兵剣(スルススナウト)〉の権能は、一撃で魔物への必殺を為していた。

 あまりにも、あっけない結末。


「……あの日だって、こうだった。本当にキミにさ……キミに言いたいこと、色々あったんだよ。ずっと……ずっと憎んでた。気に食わなかった。許せなかった……なのにさ、簡単に……」


 死は、別れは唐突だ。そしてもう終わってしまった彼女からアルケルへと伝えられるものなど、何もない。

 崩れかけのその躰を抱きしめ、アルケルは言った。


「本当はさ、僕は……キミにも怒って欲しかったんだよ。あんな薄ら寒い笑顔なんじゃなくて、怒って欲しかったんだ。『なんで私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけない』って、そう言って欲しかった……ただ一言、それだけを言ってほしかった」


 その声が、届くのか。届かぬのか。

 魔物となった彼女は、もう人と交わす言葉を失っている。

 アルケルは目を細め、神殿の外へと鼻を向けた。


「……見えるかい? あれだけ僕らを縛ってた街一つを叩き付けられて、それでも折れないヤツっているんだよ。……笑っちゃうよね。比喩でも何でもなくて、本当に街一つだよ? ハハ……なんだいあれ。どうしようもないと思ってた檻は、こんなものなんだよ。……こんな、ものだったんだ」


 呟けど、返事はされない。言葉は返らない。

 だから、こんなものはただの感傷だと――……初めからこの依頼自体が感傷でしかないのだと、アルケルは声を滲ませた。


「ああ――……僕はキミに、怒って……それ以上に笑って欲しかったんだ」


 それでも、別れを告げなければならない。

 いや、その為にここに来たのだと……もうこれ以上、村に捕らわれる必要はないのだと手を伸ばす。

 憎んでいた。アルケル自身に与えられた境遇を。アルケルから奪い取ったアルスメリアを。そうさせてしまった全てのものを。そして何よりも泣き言一つ漏らさない彼女を。

 何より――不甲斐ない自分自身を。

 淡雪のように、黒衣が散っていく。黒髪も色を失い、金髪へと戻っていく。

 世界と己への隔たりを与えようとしていた彼女の前髪を掻き上げ、


「……おやすみ、アルスメリア。……もう悪夢は、見ないでいいんだ」


 その瞳を閉じる。

 それきり、終わりだ。全てが終わった。これでようやく、終わったのだ。

 今ここに、あの日の別れは……遂げられた。


「ああ――――」


 神殿の柱の向こう。何事もないような、雲一つない夜空。

 ただ静かな月が、墓標めいた街を見下ろしていた。

◆「ワンス・アポン・ア・タイム・ホエン・ブレードランナーズ・ラン・ブレード」その六へ続く◆

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