第78話 9
この夏休みは、みぞれにとって人生で最も短い夏休みだった。全国大会までは部活漬けであっという間に過ぎ、それ以降は宿題に追われてあっという間に終わってしまった。
始業式でみぞれは、伊緒菜とともに表彰された。陸上部やバスケ部などの運動部が続々と表彰され、次いで美術部や書道部などの芸術系の部活が表彰されたあとで、大トリを務めたのがみぞれ達だった。
全校生徒が集まった集会ホールは、なおざりな拍手で満たされた。みんな、長い表彰ラリーに飽きているのだ。大会での拍手との違いに拍子抜けしたが、みぞれも去年まではこんな拍手をしていただろう。
教室に戻ると、津々実がクラスメイトに囲まれていた。「この間教えてくれた服買ったよー」などと話している。家庭科部の裁縫班である津々実は、クラスのファッションリーダーとしての地位を確立していた。
津々実より少し後ろの席で、みぞれはその様子を見るともなしに見ていた。
みぞれは、津々実とは仲が良いが、他のクラスメイトとは未だに打ち解けていなかった。もしも津々実のようになれたら、みぞれもあんな風に、クラスのみんなに囲まれたりするのだろうか。
みぞれがぼんやりと考えていると、
「ねーねー、古井丸さん」
と、横から声をかけられた。みぞれは肩を震わせて振り返る。隣の席に向きあって座っていた二人が、こちらを見ていた。二人は同じリップグロスをつけ、髪型も似ている。半袖のセーラー服から伸びる腕は、夏が過ぎようというのに真っ白だった。二人はみぞれの返事も待たず聞いてきた。
「さっき、表彰されてたよね?」
「なんで表彰されてたの?」
やはりみんな、あまり聞いていなかったらしい。みぞれは困ったように笑ってから、
「QKの大会で、三位だったんだ」
と答えた。
「三位!?」
「へー、すごいじゃん!」
「あれ? でもキューケーってなに?」
「ええと、素数大富豪っていうトランプゲームのことなんだけど……」
「素数大富豪?」
二人は同時に聞き返した。
「うん、ええと、素数を使った大富豪なんだけど……」
「素数って、数学の?」
「頭痛くなりそう」
「ううん、やると面白いんだけど……」
どう説明したものか。
みぞれが口ごもったとき、ちょうど担任の教師が教室に入ってきて、話はそれまでとなった。
今日は始業式だけで、授業はない。担任からの注意事項や提出物の回収が終わると、午前中で下校となった。
「みぞれ、部活行こ」
帰り支度をしていると、津々実が肩を叩いた。みぞれは振り返ると、笑顔で、
「うんっ」
と頷いた。
数日前、伊緒菜からメッセージが届いた。夏休み後半は休みとしたが、二学期は始業式から部活を再開するという。家庭科部は休みだったので、今日は津々実も一緒に部活に出ることになった。
「みんな、あんまり日焼けしてなかったね」
第二校舎へ向かう途中、みぞれは少し焼けた自分や津々実の腕を見ながら言った。
「あたしもちゃんと対策したんだけどなぁ」
津々実は腕を前に伸ばした。すらりと引き締まった腕は、小麦色に焼けている。
「毎日ランニングしたり、ベランダでガーデニングしたりしてたのが悪かったか」
「でも、それでそのくらいならすごいよ」
「そうかな?」
日焼け止めクリームの厚みを確かめるように腕をなぞった津々実は、そういえば、と指を立てた。
「谷さんと仁村さんは、真っ白だったね」
みぞれに話しかけてきた二人だ。
「あの二人、一歩も外に出てないんじゃない?」
「よく見てるね、つーちゃん」
「さっきみぞれと話してたからさ。なに話してたの?」
「そうだ、聞いてよぉ。二人とも、わたしが表彰されてた理由、聞いてなかったんだよ」
「あー、うん、あの空気じゃね……」
生徒側の席にいた津々実は、始業式後半の飽き飽きした雰囲気を感じ取っていた。QK部どころか、たぶん美術部辺りからほとんどの生徒が話を聞いていなかっただろう。
「あたし、疑問だったんだよね。伊緒菜先輩、去年準優勝したんだから、学校でもっとQK部が知られててもよさそうなものなのに、って」
「あ、たしかに」
「でも、今日わかったよ。校長先生の話は長いし、授賞式も長いから、後半はあんまり聞かないんだね」
みぞれは残念そうに唇を尖らせ、指で触った。
「バレー部とか陸上部とかで優勝してたら、わたしも人気になれたのかな」
「どうかな。目立つだろうけど、そこから人気者になれるかどうかは……ってか、みぞれ……」
「何?」
「……いや、別に」
人気者になりたいの、という疑問を津々実は飲み込んだ。「津々実みたいになりたい」ということは、人気者にもなりたいってことに違いないだろう。しかし自分で自分を人気者と評するのは、なんだか自意識過剰に感じられた。
話しているうちに、部室に着いた。ドアを開けると、何かを話していた伊緒菜と慧が、同時にこちらを向いた。
「あら、やっと来たわね。久しぶり」
「お久しぶりです」
挨拶しながら、津々実が中に入る。みぞれもあとに続いた。
「慧ちゃん、久しぶり」
「うん、久しぶり」
慧がにこりと微笑む。機嫌が良さそうだ。
「なんだか和むわね」
と、伊緒菜が独り言を言った。
みぞれは定位置となっている、慧の対面の席に座った。津々実も、用意されていた席に座る。
「二人とも、一緒に遊びに行ったりしなかったの?」
伊緒菜の質問に、みぞれと慧は目を合わせた。夏休みの間、遊びに行くどころか、部のグループメッセージ以外での連絡は一切取っていなかった。
「そう。ま、いいわ」
仲が悪いわけではなく、二人はこういう距離感なのだ。伊緒菜はそう結論して、本題に入ることにした。
「さて、みんな。今更だけど、全国大会、お疲れ様。色々あったけど、二学期はまた、先を見据えてやっていきましょう」
「でも、何をやるんですか? 二学期にも、何か大会があるんですか?」
慧が聞く。みぞれも同じことを思っていた。
「大人がメインの大会はいくつかあるけれど、高校生向けのものはないのよね。ほとんどが深夜開催で、十八歳未満は参加不可だし」
「どうして深夜に?」
当然の疑問を、慧が口にする。
「私もよく知らないけど、なんか伝統的にそうなってるのよ。史上初の全国大会が深夜0時開始だったからとかなんとか」
「どうして当時の人たちは、そんなことを……」
「さぁ?」
伊緒菜は首を傾げた。みぞれ達も首を傾げる。
ぱん、と手を叩いて、伊緒菜は話を戻した。
「とにかく、そういうわけだから、私達が次に出れる大会は来年の夏休みになるわ。それまでずっと実戦練習をし続けても、モチベーションは下がるだけだから……二学期の間は、練習もするけど、他のことをメインにやりましょう」
「他のこと?」
ええ、と頷いて、伊緒菜は眼鏡を押し上げた。
「ずばり、素数表の更新よ」
「素数表の更新?」
伊緒菜は机の引き出しから、クリアファイルを取り出した。見慣れたファイルだ。中には、歴代のQK部員達が作ってきた素数表が入っている。
「みんなも知っての通り、この素数表は過去の先輩たちが代々受け継ぎ、洗練させてきたものよ。今まで、これは閲覧するだけでほぼノータッチだったけど、二学期はこれを編集していきます」
「え、でも、それすごく上手にまとまってて、もう変えるところないと思うんですけど……」
「甘いわ、みぞれ。この手のものが『完成する』ということは、ないのよ」
「え、ええと、そうなんですか?」
「そうよ」
と伊緒菜は力強く頷いた。
「今回の全国大会、結果的に私達は、超好成績を残したわ。でも! その途中経過は、決して楽勝ではなかったはず。一歩間違えば凡退していた場面も少なくなかったはずよ」
その通りだと、みぞれは思った。運や勘で勝てたと感じる試合は多い。実力で勝てたと胸を張って言える勝負は、数えるほどだ。
「そうした危険な試合を少しでも減らすために、私達は素数表を更新し続ける必要があるの。より多くの素数をより効率よく覚える工夫を凝らし、あらゆる場面に臨機応変に対応できるようにするのよ」
「意義はわかりましたけど」津々実が小さく手を挙げた。「具体的に、どうやるんですか?」
「そのための札譜よ」
伊緒菜は今度は、自分のカバンからノートを一冊取り出した。これもまた、見慣れたものだった。
「津々実と慧には、全国大会で可能な限り札譜を取ってもらったでしょ? これを分析して、相手の戦略を読み解き、それに必要な素数と、それを打ち破る素数を見出していくのよ」
みぞれは、その作業を想像した。相手の戦略は、相手の頭の中にしかない。それを、手札と出した札から推測しないといけない。ほんの数行しかない記録から、そこにない情報を読み取らないといけないのだ。それに加え、相手が出そうとしていた素数を推理したり、それに勝つための素数を、無数にある素数の中から見つけないといけない。さらにそれらを整理して、覚えやすい形で表にまとめ、実際に覚える……。
「た、大変そうな作業ですね……」
みぞれがやる前から意気消沈していると、伊緒菜は、ふん、と鼻を鳴らした。
「当然よ。強くなるには、それ相応の努力が必要なんだから」
それから、後輩を励ますように、優しく言った。
「だけど意外と大変な作業じゃないわ。時間はたっぷりあるし、みんなで議論し合いながら進めるから」
「議論、ですか」
「そ。ここの戦術はこうじゃないか、これを手札に残したのはこういう意図じゃないか、ってね」
みぞれは慧の横顔をちらりと見た。それなら、ちょっと楽しそうな作業だと思った。
「さてと。あともう一つ、話しておかないといけないことがあるんだけど……」
伊緒菜はスマホの時計を見た。もうすぐ正午だ。今日は、生徒は正午には完全下校するように言われている。
「せっかくだし、ファミレスにでも行きましょうか」
みぞれは目を輝かせた。
駅ビルには案の定、みぞれ達と同じ制服を着た高校生がたくさんいた。かといって仲間意識などは無く、ただの通行人として互いにすれ違う。そのよそよそしさが、みぞれにはなんだか面白かった。
正午過ぎのファミレスは、高校生や老夫婦などでほぼ満席だった。スーツを着た二人組の男性客と入れ替わりに、みぞれ達は中に入った。
「四名様ですね、こちらへどうぞ」
と席に案内される。混んでいるが、ちょうどよく空いていたようだ。
みぞれはファミレスに馴染みがなかった。家族で出かけたとき、帰りがけについでに寄る場所という認識でいた。それ以外は津々実と二人で何回か来た程度だ。こうして友達と数人で来るのは初めてだった。そわそわしながら、みぞれはソファ席に座った。
四人でメニューを開く。「つーちゃんはどれにする?」とみぞれは聞いた。
「んー、あたしはこれ」
津々実はイカスミのパスタを指差した。
「え、決めるの早い」
と慧がメニューを睨みながら言う。
「じゃあ私はパエリアで」
伊緒菜も次のページを開くと、すぐに決めた。
「なんでそんなに早いんですか」
「人生は決断の連続よ」
伊緒菜はカッコつけて答えた。
慧とみぞれはメニューを何度か行ったり来たりして、カルボナーラとドリアを頼むことにした。
店員を呼んで、四人の料理とドリンクバーを注文する。店員が下がると、四人はすぐに近くのドリンクバーコーナーでジュースやお茶を取ってきた。
烏龍茶を一口飲むと、「さて」と伊緒菜が切り出した。
「さっきの続きを話しましょうか」
「話しておかないといけないことがあるんですよね?」
オレンジジュースを目の前にしたまま、みぞれが居住まいを正した。
「そう、私たちはこの二学期に、とても重要な課題をこなさなくてはならないわ」
「課題……?」
「ええ。とても重要な課題」
伊緒菜は人差し指を一本立てた。
「ずばり、文化祭よ」




