第74話 4×2=8
「お見事!」決勝一本目の試合が終わり、実況室は熱気に包まれていた。「馬場選手、長考の末に一本勝ち取りました!」
「すごい読みでしたね」と小西。
「はい、もはや読むことそれ自体が目的になっていたと言っても、過言ではありません!」
「ですが、それが宝崎選手へのプレッシャーともなっていたことでしょう」
小西はそう分析した。日頃心理戦は仕掛けない小西だが、成田がそれを好むので、自然と見る目は養われていた。
成田がモニターを見て、実況を続ける。
「素数判定員がカードを配り始めました。二本目の試合も宝崎選手の先攻です。このまま馬場選手がストレート勝ちするのか、それとも宝崎選手が一矢報いるのか!?」
『ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます』
判定員がタイマーを動かすと同時に、肇と伊緒菜は手札を取った。次の瞬間、二人は目を合わせた。
「おや、両者睨み合いました」
「おそらく、お互いに相手の表情を読もうとしたんでしょう」小西は苦笑いと共に言った。「自分の手札を見る前に、相手の手札を探ろうとしたんでしょうね」
伊緒菜と目が合ったので、肇は口角を上げて笑みを作った。伊緒菜もにやりと笑う。
意外とやりにくいな、と肇は感じた。やはり伊緒菜は、これまでの対戦相手とは違う。
仕方なく手札に目を落とす。素早く昇順に並べ替えた。
A、2、3、3、4、5、7、8、J、Q、K。さっきの手札より多少マシ、といったところか。3が四枚あるよりは戦いやすい。
伊緒菜のことだ、どうせ初手は三枚か四枚だろう。どちらで来られても、この手札だと厳しい。
また伊緒菜の顔を見る。良い札が揃った、という雰囲気ではない。こちらと同じような内訳なのかもしれない。
シンキングタイムが終わると、伊緒菜はすぐに一枚ドローした。それから、長考に入る。その間、肇はずっと伊緒菜の表情や仕草を観察していた。
やはり、良い手が来た雰囲気ではない。一敗して後がない伊緒菜は、勝てるか勝てないかぎりぎりの手札で、どう最善を尽くすか考えているのだ。
二分ほどして、ようやく伊緒菜はカードを出した。
「9857」
「9857は素数です」
「ふぅん……伊緒菜にしては強気だな」
「そう? どこが?」
「伊緒菜なら、もっと小さい素数を出してラリーを続けたがるはずだ」
「四枚出しなんだから、ここからでもラリーは続くでしょ?」
「たしかにな」
と言いながら、肇は一枚ドローした。Jだ。ツイている。これで、四枚出し最強のKJQJが出せる。
伊緒菜の9857に返すためには、ほぼ確実に絵札が必要だ。つまり伊緒菜は、絵札を使わせようとしているに違いない。肇はそう推理した。
では、なんのために使わせようとしているのか。伊緒菜に絵札が少ないから、早めにこちらの絵札を放出させて互角にしようとしているのか? あるいは逆に、伊緒菜が絵札を大量に持っているから、こちらの絵札を減らすことで、より確実に勝てるようにしているのか?
表情からは、前者のように思える。しかし、もし肇が9857に返したら、伊緒菜も絵札を使わないといけない。伊緒菜の絵札が少ないとしたら、そんな危険な手を使うだろうか。
するとやはり、伊緒菜の絵札は多いのだろう。一方、肇の絵札は四枚。ここは、伊緒菜がKJQJを持っていないことを祈りつつ、パスするしかない。
「演技がうまくなったじゃないか」
と肇がからかうように言うと、伊緒菜はツンとして答えた。
「そう?」
「ああ」肇は頷いてから宣言した。「パス」
判定員が場を流す。すると伊緒菜は、悩まずに四枚、場に出した。
「6ATJ」
「611011は素数です」
どうやら、読みは当たった。肇は内心でほくそ笑んだ。伊緒菜はやはり、絵札を大量に持っている。おそらく残り四枚も絵札だろう。全部で六枚も持っていたのだ。
「いまJを使ったな?」
と、肇が確認するように言った。伊緒菜は白々しく答えた。
「そうだね。それが?」
「わかっているはずだ。四枚八桁の素数は、すべてJを使う。だから、伊緒菜はあと一枚Jを持っている。だが、QとKはどちらかしか持っていない。なぜなら、両方持っているなら、いまKJQJを出せたからだ」
「Jはあと一枚?」伊緒菜は首を傾げた。「二枚以上持ってるかもよ?」
「それはない。あたしが二枚持ってるからな」
伊緒菜がイラッとしたように眉をひそめた。
「お姉ちゃん、また自分からバラすんだ」
「このターンで出す素数は、もう決まってるからな。あとはジョーカーだが……」
肇は伊緒菜を見ながら、頭の中で組み合わせを考えた。
「……まあ、ジョーカーについてはあまり警戒しなくて良さそうだな」
「どうして?」
「仮に持っていても、伊緒菜が出せる素数があまり変わらないからだ。ジョーカーをJにしてKJTKを出すか、QQQJを出すかの、どちらかしかない」
「Jとジョーカーを持っているかもよ?」
「だとしても同じだ。どのみちKJQJが出せるならいま出している。そうしなかったということは、ジョーカーをTとしてKJTKを出すか、QとしてQQQJを出すかのどちらかだ」
伊緒菜は反論しようと口を開きかけたが、思い直して閉じた。あまり喋ると、肇に手札を悟られかねないと判断したのだろう。肇はその様子を観察してから、手札を取った。
「だが、伊緒菜が何を持っていても、いま出す手はこれしかない。KJQJ」
「13111211は素数です」
肇が四枚出し最強素数を出すと、伊緒菜は考える間もなく「パス」と宣言した。
場が流される。肇は伊緒菜の仕草を見ながら、どうしたものかと考えていた。
残り手札は、A、2、3、3、4、5、7、8の八枚。絵札が一枚もない。
伊緒菜がQQQJを持っているなら、57、82A、433と出せば勝てるだろう。Qを二枚使う三枚出し素数は存在しないし、QJと組み合わせて素数になる数は2、3、5、6、9、Jの六つで、もうJはない。伊緒菜が82Aに返せる確率は低いし、返せたとしても後が続かないだろう。
問題はKJTKを持っていた場合だ。この場合は二枚出しでも三枚出しでも、カウンターされてしまう。
さらにジョーカーがあった場合は、話が変わってくる。
とにかく、肇の手札は悪すぎる。ここはグロタンチェンジすべきだ、と肇は考えた。一枚ドローしたあとでグロタンカットし、また一枚ドローする。これで手札の5と7を別のカードに置き換えられる。
肇は早速山札から一枚引き、ポーカーフェイスのままカードを確認した。なんと、ジョーカーだった。運が良い。伊緒菜に悟られないよう、表情を変えないまま57を場に出した。
「57はグロタンカットです」
判定員が場を流すと、肇はすぐにドローした。そして、さすがの肇も驚いた。
また、ジョーカーが引けた。
ジョーカーが手札に二枚。ごくまれにあるが、まさかこの局面で起こるとは。単純に強い上に、伊緒菜の手札にジョーカーがないことも確定した。
伊緒菜がQQQJだろうがKJTKだろうが、二枚出しでほぼ勝てる。適当な二枚を出した後、ジョーカー二枚をQとKにして、QKを出せばよい。残った四枚で四枚出しして、肇の勝ちだ。負けるのは、伊緒菜が運良くKかQをドローし、こちらの二枚出しにカウンターしたときだけだ。
いや、仮にカウンターしても、肇が負ける公算は低い。
QQQJにKを引いてQKを出したとしても、残り手札はQ二枚とJ。これで素数は作れないから、もう一度ドローするしかない。しかも、そうして得た四枚が素数にならない限り、伊緒菜は勝てない。Q二枚とJに組み合わせて素数になる数は5、6、8、9、Qの五つで、もうQはない。伊緒菜が勝てる確率は低い。
ただし、KJTKだとすると分が悪い。肇の二枚出しに対し、Qを引いてQKを出してきた場合、残る手札はKTJで、これは素数。このパターンでは負ける。
だが逆に言えば、このパターンくらいでしか負ける恐れはない。
これは、勝てる。伊緒菜はまさか、こちらがジョーカーを二枚持っているとは夢にも思わないだろう。強運で勝ってしまうのはいささか後ろめたいが、QKとはそういうゲームだ。
「どうやら、あたしの勝ちみたいだな」
手札をひょいひょいと並べ替えながら、肇は堂々と言った。
「へぇ? まだわからないんじゃない?」
「強がっても無駄だ。伊緒菜の手札がQQQJだろうがKJTKだろうが、あたしが負ける筋道はもう、ほとんどない。悪いけど、あたしの完全勝利だ。4A」
「41は素数です」
判定員が宣言する。これで肇の残り手札は、2、3、3、8とジョーカー二枚。伊緒菜がTKでも出して来たら、ジョーカー二枚でQKを出して親を取り、8233を出せば勝ち。
もし万が一QKを出されても、伊緒菜の手がQQQJなら、いくらでも対応できる。一枚出しならジョーカー一枚で親が取れるし、二枚出しならQKを返せるし、三枚出しならジョーカーを使って8TKでも返せばいい。
「ほら伊緒菜、早くドローしろ。運良くQかKを引ければ、勝てるかもしれないぞ」
伊緒菜はゆっくりと山札に手を伸ばした。
だがその手を途中で止めた。
そして肇の目をまっすぐ見て、にやりと笑った。
「やっぱりお姉ちゃんは、そうやって読んだんだね」
「……え」
伊緒菜が伸ばした手を引っ込める。あれは勝ちを確信した笑みだ、と肇は直感した。
「私が親で四枚出しをしたあと、手札に四枚残してたら、当然その四枚は全部絵札。うん、その可能性は高い。ほぼ確実にそうだと思うし、いつもの私ならそうしてる」
その言葉で、肇は察した。
「まさか!」
「うん、そう。私のこの手は、絵札四枚じゃない。お姉ちゃんが私の癖を研究しているように、私もお姉ちゃんの癖を研究しているからね。お姉ちゃんの読みには癖がある――相手が、相手の力量の中で最善手を尽くしてくる、って仮定している。でも今回の私は、そうしなかった。敢えて良い手を崩した」
伊緒菜は眼鏡を押し上げた。
「お姉ちゃん。たしか今朝、ロッカールームで会ったときに言ってたよね。部活中、後輩の指導はほとんどしてなかったって」
「あ、ああ」
「それで思ったんだ。お姉ちゃんの対戦相手は、ほぼ常に最善手を取ってたんじゃないかって。あと、一人で素数表を見ながら考察してるときも、たいていは最善手を仮定する。敢えて崩すなんてことは、あまり想定しない。だから、こういうことになる」
伊緒菜が手札から二枚のカードを出した。
「57」
「57はグロタンカットです」
伊緒菜は慎重に慎重を重ねていた。良い手を崩すなんて言っておきながら、しっかり57は手札に残していた。肇がどんな二枚を用意していても、これでは返せない。
「そして私の最後の二枚はこれ。6A」
「61は素数です。よってこの試合、宝崎選手の勝利です!」
ふぅ、と伊緒菜はため息を吐いた。
「ま、そもそも絵札が二枚しかなかったから、崩すも何もなかったんだけどね」
そしてにやりと笑った。
「どう、お姉ちゃん? 私に読み負ける気分は?」
「いや、実にすごい戦いでした!」
実況室の成田のテンションは、最高潮に達していた。
「なんて熱い読みあい! 今大会のMVPですね!!」
「QKとは思えない戦い方でしたね」小西は冷静にコメントした。「おそらくこの二人、お互いに四枚出しくらいまでなら全素数覚えていることを前提に話を進めていますね」
「上級者同士の戦いだと、こうなるんですね!」
成田は会場の選手たちを見た。目を輝かせてモニターを見ている選手もいるが、大半の選手の反応はむしろ逆だった。札譜を取る手が止まっている。この試合は、出た数を単に記録したところで、何も情報を残せない。どうやって二人の思考を書き留めるか、困っているようだった。
真似の難しい強さなのだろう、と成田は思った。たしか赤毛の選手がなんとか真似しようとしていたが、結局は劣化コピーが出来上がっていただけだった。二人を倒すには、真似ではなく、全く別の戦略が必要になるのだろう。
「さあ、これで二人は一勝一敗。次の三本目が、泣いても笑っても最後の勝負、今大会の本当のラストバトルになります!」
モニターの中では、素数判定員が最後の手札を配り終わったところだった。
『先攻は馬場選手です。ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます』
カチッとタイマーが動き出す。肇も伊緒菜も、相手の顔をちらりとだけ見たあと、手札の確認を始めた。
成田たちも、画面越しに二人の手札をチェックする。小西はマーカーを取って、ホワイトボードに書き写した。
「えーと、宝崎選手の手札がA、3、3、4、6、7、7、J、J、K、K……ですね」
「同じ数が随分多いですね」
「そうですね。で、馬場選手の手札は……」
「えっと、A、3、3……」
成田が手札を読み、小西がボードに書いていく。
「4、6、7……」
急に、会場が騒めき立った。選手たちが色めき立っている。どうしたんだろう、と成田はちらちらと会場を見ながらカードを読み上げていく。読み間違えをしているわけでも、小西が書き間違えているわけでもない。
「J、K、K……ですね。……えっ」
成田と小西がそれに気が付いたのは、書き終えたときだった。
伊緒菜の手札は、A、3、3、4、6、7、7、J、J、K、K。
そして肇の手札は、A、3、3、4、6、7、7、J、J、K、K。
二人は、全く同じ手札を持っていた。
「え、な……」
「こんなことって……」
いつもオーバーリアクションな成田も、このときばかりは言葉を失っていた。
「こんなことってあるんですか、小西さん」
「まさか、ふ」
不正、と小西は言いかけたが、そんなはずはない。不正ならどちらかに有利な手札になるはずだ。これは全くの偶然だ。
「確率はゼロではないですね。現に起こりましたし……」
「そりゃそうですが……いや、しかし、これはチャンスですよ、皆さん!」
成田は気を取り直して、会場を見渡した。
「QKは昔から、『運の勝負なのか、実力の勝負なのか』と議論されてきました。結局のところ、手札が良ければ誰でも勝てるんじゃないかと。しかし、いま! この大会で最も強い二人が、そうとは知らずに同じ手札を手にしました! これは、まさに、完全無欠の実力勝負となるのです!」
確率的に考えて、おそらく二度とあり得ない状況だ。会場にいる誰もが、モニターに注目した。
前代未聞の戦いが、始まろうとしていた。




