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QK -1213-  作者: 黄黒真直
第6章 地区予選
61/61

第56話 ×2

 萌葱高校第二校舎三階の隅、QK部の部室。

「やっぱり、ダメですよ……」慧が息を弾ませながら、か弱く抗議した。「教室で、こんな……」

「平気平気」伊緒菜はいつものにやりと笑った顔で答えた。「このくらい、みんなやってるでしょ?」

 二人の会話を聞きながら、みぞれも興奮していた。こういうことを、一度やってみたかったのだ。初体験を前に、みぞれはドキドキが収まらなかった。


 地区予選の翌日は月曜日だった。みぞれは眠い頭で授業を終えると、いつも通り部活へ向かった。今日は津々実も一緒だ。伊緒菜に呼ばれたのである。

 部室には、既に伊緒菜がいた。みぞれ達に気付くと、こんにちは、と笑顔を見せた。

「疲れはない?」

 と伊緒菜。みぞれは困ったように笑うと、恥ずかしそうに言った。

「今日の授業は眠かったです」

 遅れて慧もやってきた。

「こんにちは」

「こんにちは。……疲れはなさそうね?」

 慧は目を丸くして、

「ええ、まあ。昨日は、帰ってからすぐ寝ちゃいましたけど」

 四人揃うと、伊緒菜は教卓の前に立って後輩たちを見下ろした。

「さて、みんな。昨日はお疲れ様でした。……でも、あまり気を抜いている暇はないわ」

 後輩たちが真面目な顔で伊緒菜を見ている。伊緒菜は振り返ると、チョークを持った。

「今日が六月二十六日。全国大会は八月十一日。なので、私達に残された時間は、あと七週間。この間に、私達は全国で戦える力を付けないといけません」

 七週間。夏休みほどの期間である。長いようで短いな、とみぞれは思った。その間にテスト期間もあるし、夏休み中は毎日部活をするわけではないだろう。練習できる時間は、もっと短い。

 みぞれ達が険しい顔になったのを見ると、伊緒菜はパン、と手を鳴らした。

「とはいえ、今日一日ぐらいは気を抜きましょう!」

 伊緒菜は教卓の中からコンビニのビニール袋を出した。呆気に取られる後輩たちに、伊緒菜はにやりと笑って言った。

「今日は、パーティよ!」


 ビニール袋には、お菓子やジュースが入っていた。それを机の上に並べていく。

「ちょっと狭いわね。机下ろしましょうか」

 と伊緒菜が言い、教室の後ろに積まれている机をいくつか下ろした。非力な慧は、それだけで少し息が上がった。

「やっぱり、ダメですよ……」廊下側の窓をチラチラ見ながら、慧が訴えた。「教室で、こんな……」

「平気平気」と伊緒菜は飄々と答える。「このくらい、みんなやってるでしょ?」

 たしかに、たまにお菓子を持ってきている同級生はいる。そもそも萌葱高校では、ラウンジやカフェでお菓子類が売っているのだ。授業中でなければ、お菓子を食べていても咎められることはない。

「それに、仮にダメだとしても」伊緒菜は津々実にウィンクした。「家庭科部員がいるから平気でしょ」

「そのためにあたし呼んだんですか」

「冗談よ」

 紙コップにオレンジジュースを注ぎながら、みぞれは初めての体験にドキドキしていた。柳高校では、QK部でティーパーティをしていると聞いてから、自分もやってみたいと思っていたのだ。

「全員、持ったわね?」ジュースが行きわたったことを確認して、伊緒菜はコップを掲げた。「ではみんな。改めて、お疲れ様でした。萌葱高校QK部、全国進出を祝して……そして、全国での優勝を祈って、かんぱーい!」

「かんぱーーい!」

 津々実が元気に紙コップをぶつける。みぞれと慧も、遠慮がちにコップを掲げた。伊緒菜はぐいっと飲むと、コップを置いてぱちぱちと拍手した。

「ごめん、ちょっとぬるかったわね」とコメントする。「一応、保冷材で包んでたんだけど」

「あ、家庭科室に氷がありますよ」と津々実。

「でかした! 持ってきて!」

「イエスマム!」

 津々実は敬礼すると、部室を飛び出した。息ぴったりの二人だった。

「伊緒菜先輩、つーちゃんと気が合いますよね?」

 みぞれが指摘する。伊緒菜はにやりとして、

「あら、やきもち?」

「そ、そういうわけじゃ……」

 恥ずかしがるみぞれを楽しげに見ながら、伊緒菜はお菓子の袋を次々開けた。といっても、数は多くない。チョコ菓子とスナック菓子が二袋ずつと、クッキーが一袋あるだけだ。

「すぐなくなっちゃいそうですね」と言いながら、慧がチョコ菓子の個包装を解く。

「そう?」と伊緒菜が首を傾げる。「四人しかいないし、多いくらいかと思ったけど……」

「でもお菓子ですから」みぞれもクッキーを一枚取って、慧に同意した。「お菓子なら、どんどん食べられちゃいます」

「そう。私があまりお菓子食べないだけかしら」

 数分後、津々実が戻ってきた。ロックアイスの入った小さいクーラーボックスを持っていた。

「これにペットボトルを入れておけば、少し冷えると思います」

「ありがとう」

 氷水にジュースのボトルを浮かべると、津々実も席に座った。

「家庭科室の冷凍庫が、いま氷だらけなんですよ」と津々実はスナックを一枚食べて言った。「そろそろ暑くなるからって、先週部長が持ってきたんです」

「ロックアイスを?」

 津々実は頷いた。

「冷やしラーメンとか冷やしカツ丼とか、そのうち作るそうです」

「冷やしカツ丼?」聞いたことのない組み合わせに、伊緒菜が反応した。「氷をカツ丼に入れるの?」

「はい。美味しいらしいですよ。薬味と合うそうです」

 冷しゃぶみたいなものだろうか、と伊緒菜は思った。

 慧がチョコをひとつ取りながら、

「普通の氷じゃダメなの?」

「なんか、ロックアイスの方が見た目に綺麗だし、臭いもないから料理に合うんだって」

「ロックアイスって、お酒に入れるものだと思ってた」

「あたしもそう思ってたんだけど、普通に料理に使えるらしいよ」

 津々実は家庭科部の「裁縫班」だったはずだが、最近はすっかり「調理班」になってしまっているなあ、とみぞれは思った。


 パーティは和やかに盛り上がり、話題はころころと転がった。料理の話や雨の話、海の話や数学の話。そして、地区予選で戦ったライバルたちの話。

 しかしやがて、四人は避けて通れない話題にぶつかった。

 お菓子の袋がひとつまたひとつと空になり、ついにチョコ菓子がひとつ残るだけになったのだ。

 この手の物がひとつだけ余ると、奇妙な空気が生まれる。食べたいと思っている者も思っていない者も、どうしてもそのひとつを意識し、目を逸らそうとする。うっかり目を向けてしまうと、「食べたいならどうぞ」と――まるで自分が食い意地の張った人間であるかのような烙印を押されてしまうからだ。

 とはいえ、余らせても仕方がない。話題が途切れた瞬間に、伊緒菜は声を上げた。

「ところで、お菓子がひとつ余ったのだけど、誰か食べたい人はいる?」

 個包装をつまんで、顔の横に掲げて見せる。後輩たちは目配せをするだけで、誰も答えなかった。

「仕方ないわね。じゃあ――」

 伊緒菜は、にやりと笑った。

「ゲームをしましょう」

 後輩たちは呆気に取られた。津々実が代表して質問する。

「ゲームって、QKですか?」

「それでもいいけど、もうちょっと手軽な……それでいて素数を使ったゲームにしましょう。QKの訓練にもなるし」

 何がいいかしら、と伊緒菜は自分に向けて呟いた。それからすぐに、有名なパーティゲームのアレンジを思いついた。

「こんなゲームはどうかしら? 名付けて、『二倍素数チャレンジ』」

 伊緒菜は眼鏡を押し上げて、ルールを説明した。

「一人が何か素数を言い、次の人がその素数より大きく、二倍より小さな素数を言う、というゲームよ」

 例えば、誰かが1213と言ったら、次の人は1213より大きく、二倍の2426より小さい素数を言わなくてはいけない。ただ大きい素数を言えばいいのではなく、制限が加わることで、幅広い素数の記憶が必要になる。

「制限時間は一ターン十秒。答えられなかったり合成数を答えた人から脱落していき、最後に残った一人がこのお菓子を食べられる。どう?」

 伊緒菜は楽しそうに笑っている。彼女の目的がお菓子ではなく、ゲームそのものであるのは明白だった。

 津々実が小さく手を挙げた。

「やるのは良いですけど、それ、ゲームとして成立するんですか?」

「どういうこと?」

「だって、ある素数からその二倍までの間に、ひとつも素数がないってこともあり得るじゃないですか」

 伊緒菜が答える前に、慧が「いえ、それはないわ」と答えた。

「pを素数とするとき、次の素数は必ず2p以下に存在することが証明されてるわ」

「そうなの?」

 みぞれが目を丸くし、興味深そうに聞いた。慧は長い髪をいじりながら、照れ臭そうに話した。

「うん、ベルトラン・チェビシェフの定理っていうのがあって……nを自然数とするとき、nと2nの間には、少なくともひとつ素数があるの。このnを素数pに置き換えれば、pと2pの間に少なくともひとつの素数があることになるでしょ?」

 津々実がまた小さく手を挙げた。

「素数ってランダムに並んでるって聞いたことあるんだけど、そんな規則的に出てくるもんなの?」

「うーん……」慧は髪を引っ張り、悩む仕草を見せた。「何をもって規則的と呼ぶかによるけど……この定理は『2p以下に少なくともひとつある』としか言っていないから、どこにあるかも、結局いくつあるのかも言っていないのよ」

 みぞれは、不思議な話だなあ、と思った。どこにあるかも、いくつあるかもわからないのに、「ある」ということだけはわかるのだ。いったい、どうやって調べたのだろう。

 しかしみぞれが質問する前に、伊緒菜が胸を張って言った。

「とにかく、それならゲームとして成立するわね。それじゃ、早速やりましょうか」


 ゲームは、伊緒菜の「2」から始まった。そこから時計回りに、素数をコールしていく。

「3」と津々実。

「5」とみぞれ。

「7」と慧。

 ここまでは、誰がやっても同じ展開になる。pより大きい2p以下の素数が、ひとつしかないからだ。

「13」と、伊緒菜は答えた。初めて素数をひとつ飛ばした。

 伊緒菜は、ここにいる誰よりも素数を覚えている自信がある。少しでも早く値を大きくする方が、伊緒菜にとって有利だ。

「17」と津々実は13の次の素数を答えた。素数をあまり覚えていない津々実や慧は、なるべく小さな素数を言っていく方が有利だ。あまり大きくなる前に、誰かがうっかり合成数をコールすることに賭けるのだ。

「19」と、みぞれ。伊緒菜も津々実も、既に戦略を立ててゲームに挑んでいるが、みぞれはどうすれば有利なのか、まだ何もわかっていなかった。そもそも、このゲームに有利な戦略があるとも思っていなかった。単なる反射神経ゲームだと考えていたのだ。

「23」慧も似たようなものであったが、小さい素数を上げた方が良いだろうことは、直感的に気付いていた。

「意外と展開が遅いわね。43」

「そうですか?」と津々実はとぼけた。「47」

「53」「59」みぞれと慧は、二人のやり取りに戸惑いながら続ける。

「113」

「もう三桁ですか。127」

「ええと」みぞれは咄嗟に127を二倍できなかった。200以下の素数を言えばいいかな、と考えた。「151」

「157」

「314以下だから……313」

「あー……」津々実の素数力はそろそろ限界だった。「6(13)!」

「二枚出し素数ね」伊緒菜はにやりと笑った。「そろそろ苦しくなってきたみたいね。はい、みぞれの番」

 613の二倍は、千二百……いくつかだ。みぞれは、深く考えずに数を上げた。

「1213」

「あぐっ」

 津々実がうめく。二枚出し素数をやっとこさ覚えている程度の津々実にとって、ここから先は勘に頼るしかない。

 慧もまた、ここで初めて悩んだ。二枚出し最強素数が出てしまったので、これ以降は三枚出し以上になる。1213の二倍は2426だから、三枚四桁で二千以下の素数をコールすればいい。だが三枚四桁なんて中途半端なものは、まだほとんど覚えていなかった。

 いや違う、と慧は首を振った。四枚四桁を考えた方が思いつきやすいに違いない。タイマーが残り一秒を切ったところで、慧は慌てて宣言した。

「1987」

「慧も苦しそうね」しかし伊緒菜も、一の位まで二倍するのがつらくなってきた。だいたい3900くらいだろうと予測して答える。「3923」

「四千台の素数を言えばいいんだから……」津々実はぶつぶつ言った。「4649(よろしく)

 意外と食い下がるな、と伊緒菜は思った。

「7(12)7」

 みぞれは三枚四桁の素数を答えた。そのおかげで、慧も素数を思い出せた。

「7(12)9」

「二倍すると一万四千二百くらい?」と伊緒菜。つまり、Kを頭に持つ三枚五桁の素数を言えばいい。「13127」

「一万三千台、一万三千台……」津々実は勘でコールした。「13211」

 伊緒菜がにやりと笑って、スマホをいじる。

「たぶんダウトよ。13211は……ほら」

 画面を三人に見せた。13211は11×1201だ。

「あー、脱落かー」

 津々実は額を押さえて、椅子を少しだけ下げた。伊緒菜は津々実にスマホを渡しながら、

「それじゃ、津々実は審判をお願いね。はい、次はみぞれのターン」

「ええと、13127から再開すればいいですか?」

「ええ、そうしましょう。じゃあ、ここから十秒ね」

 13127の二倍はだいたい二万六千だ。

「2TK(1013)

 慧は二倍するのをやめていた。小さい素数を言えばいいのだから、上限を気にする必要はない。

「3TK(1013)

「61813」

「ええと……JQJ(111211)

「もう三枚六桁……」慧が悔しそうに言った。「QTK(121013)

「もっと大きくしましょう。234511」

「ええと、ええと」みぞれは焦って、頭が働かなくなってきた。「345673」

 慧も焦りが大きくなってきた。頭に最初に浮かんだ六桁の数を、ぱっとコールした。

531441(GOサインよ良い)!」

「そんな語呂合わせあったかしら?」と伊緒菜が首を傾げる。津々実がスマホを叩く。

「531441は……あ、3の12乗だって」

「あっ、そうだ」慧は恥ずかしそうに顔を伏せた。「それで覚えてたんだった……」

 これで残ったのは、伊緒菜とみぞれだけだった。

「いよいよ一騎打ちね、みぞれ」伊緒菜は眼鏡を押し上げた。「688813」

「ええと、五枚六桁か七桁だから……JTQ7(1110127)

「2119123」

「2244667」

「4488101」

「6781013」

「13431113」

「13881013」

 二人のラリーを、慧と津々実は口を半分開けながら見ていた。二人とも、こんなに素数を覚えていたのか。ラリーはさらに続き、桁はさらに増えた。

「999881011」と伊緒菜が九桁の素数をコールすると、

「1065101111」とみぞれが十桁の素数をコールした。

 これの二倍は、上三桁が213になるはずだ、と伊緒菜は考えた。すると、2(13)を頭に持つ十桁の素数をコールすればいい。

「2138131213」

「あ、待ってください」慧がストップをかけた。「それ、二倍より大きいです」

「え?」

 津々実がスマホで検証した。

「あ、本当だ。みぞれが言った1065101111の二倍は、2130202222です。先輩の2138……だと、これを超えます」

「あっ……そうね、その通りだわ」

 伊緒菜は首を振った。大事を取って、2Qを頭に持つ素数をコールすべきだった。

「というわけで、優勝はみぞれね。はい、これ」

 みぞれの手に、チョコ菓子を載せた。そういえば、これを賭けた戦いだったな、とみぞれは思い出した。

「にしても、すごいね、みぞれ」と津々実が、みぞれの顔を見つめて言う。「あんなに大きな素数、よくスラスラ出て来るね」

「う、うん」みぞれは照れた。「なんか、いつの間にかに覚えてた」

 伊緒菜は腕組した。

「やっぱり、みぞれ、記憶力良いわよ」

「そう、なんでしょうか……?」

「ええ、そうよ」

 どうしてそこで自信を持てないのだろう、と伊緒菜は思った。その自信のなさは、今後不利に働きかねない。このあとは、強豪たちの集まる全国大会が控えているのだ。

 なんとかして自信を持ってもらいたい。お菓子を食べるみぞれを見ながら、伊緒菜はそのためにどうすべきか、考えていた。

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