第46話 25
ロビーの隅で、泣いている双子を発見した。テジャヴだ、と史は思った。
美衣は烏羽の瑠奈に負けた。
美沙も、鳥の子高校の相馬梨乃という選手に負けていた。聞いたことのない高校だったし、聞いたことのない選手だった。ぽっと出の高校に、美沙が負けた? にわかには信じられなかった。
「二人とも、何があったんだ?」
かける言葉が見つからなかった史は、頭を掻きながら事情を聴くこしかできなかった。
「鳥の子高校なんて聞いたこともないんだけど……強かったのか?」
「あんなの強くない!」美沙が喚いた。「一枚出しと二枚出しばっかりしやがって……たまたまうまくいっただけだ!」
そういうタイプか、と史は理解した。おそらく相手は初心者だ。QKに慣れてきたプレイヤーが初心者と戦うと、惨敗してしまうことがある。慣れたプレイヤーは相手が三枚出しや四枚出しをする前提で手札を組むが、初心者は二枚出しばかりするからだ。それで調子を崩されて、大敗するのだ。
「美衣は?」
「わけわかんなかったっ!」美衣も地団太を踏んだ。「全然強いカードじゃなかったのに……いつの間にか負けてた!」
瑠奈はそういう選手だ。伊緒菜に似ている。相手の戦力を読み、子供が小動物をいじめて楽しむような戦い方をする。美衣たちも相手を煽ったりして盤外戦闘を楽しむ向きがあるが、あの二人は違う。盤内できっちりと楽しみ、そして勝つ。
「二人とも、その……」
なんとか慰めようと史は言葉を探したが、何も思い浮かばなかった。そうこうしているうちに、史はスタッフに声をかけられた。試合の時間だ。
「それじゃ、二人とも。あたしは行くから……」
聞こえているのかいないのか、二人はただ泣くだけで無反応だった。史は二人を置いて、体育ホールへ戻った。
「よ、よろしくお願いします」
みぞれは緊張しているようだった。まだ大会の空気に慣れていないのだろうか。それとも、見知った年上が相手だからだろうか。
「こちらこそよろしく」史も頭を下げた。「古井丸さんと戦うのは、初めてだね」
「は、はい」みぞれはこちらを窺うように、「吉井さんは、強いんですか?」
「え? あー……どうだろ。宝崎よりは弱いよ」
基本的に、QKは経験者ほど強い。何度もプレイするうちに、色んな素数に出会うからだ。史もみぞれも高校入学後からQKを始めたので、プレイ歴で考えれば史の方が強いはずである。みぞれは、それで緊張しているのかもしれない。でも、あたしは……と自虐的な思考が、史の頭をめぐる。
カードドローの結果、先攻はみぞれとなった。十一枚のカードが配られる。
「ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」
二人同時にカードを取った。史は自分のカードを一瞥すると、みぞれの様子を観察した。真剣にカードを見て、並べ替えている。
シンキングタイムが終わると、みぞれはすぐ一枚ドローした。それから、またカードを見て考えている。
真剣だなぁ、と史は他人事のように思った。みぞれも、もし負けたら、美衣と美沙のように泣くのだろうか。
あたしはここで負けたとして、泣くだろうか。たぶん泣かないだろう。去年も一昨年も、残念に思うだけで、泣いたり悔しがったりはしなかった。QKにそこまで真剣じゃなかったからだ。
「88Q9」
みぞれがカードを出した。もちろん素数だ。
「T2TA」
「102101は素数です」
判定を聞いて、史はホッとため息を吐いた。みぞれは、また真剣に考えている。
あたしのせいかもしれない、と史は双子が負けたことに責任を感じた。美衣と美沙は、史にとって初めてできた後輩だった。二人が優秀なことはすぐに気付いたが、どう育てれば良いか史にはわからなかった。先輩たちがしたように、素数表と札譜を渡して覚えさせたが、それでは駄目だったのかもしれない。
「AJQJ」
柳高校は、前からさほど強くなかった。そもそも大会優勝を目指すような部でもなかった。どちらかと言えば、お菓子を食べたりQKをやったりしながら、だらだらと過ごす部活だったのだ。史が一、二年のときは。
ところが、美衣と美沙が入ってきて、状況が変わった。部員の三人中二人が、真剣に勝利を目指してQKを始めたのだ。
「3KJK」
「……パス」
みぞれがパスし、場が流れた。史の残り手札は2、3、7。史はため息を吐いた。一枚引いてから、カードを出す。
「これは負けたかな……23」
残りのカードは7と9。みぞれが二桁の素数を出せば勝てるが……。
「57。グロタンカット」
「なんだ、持ってるのか」
史はカードをテーブルに伏せた。判定員が場を流すと、みぞれは最後の二枚を場に出した。
「89」
「89は素数。よってこの勝負、古井丸選手の勝利です!」
史は頭を掻いて、
「やっぱり強いね」
「いえ、そんな……ギリギリでしたし」
あとがなくなってしまった。やはりこのまま負けるのか。史が戦意を失っていると、みぞれが上目使いで聞いてきた。
「あの、さっき誰かが話しているのを聞いたんですけど……柳高校は何年かに一度強い人が出てくるって、本当ですか?」
史は自嘲気味に笑った。
「煽るね」
「い、いえ、そういうつもりでは」
顔の前で手を降るみぞれを見ながら、史はため息とともに説明した。
「あたしもその噂の存在は知ってる。でも、それはデマだよ」
「え、嘘なんですか?」
「ああ。元々うちは、萌葱みたいに優勝を目指すような熱血系の部じゃないんだ。みんなでお茶しながら、なんとなくQKをやるような部なんだよ」
「あ、そういえば、部室にティーセットがありましたね」
「よく覚えてるね」史は苦笑した。「そう、だから本来うちは強くないんだ。そのせいで、たまに普通レベルの人がいると、すごく強く見える。おまけに、うちが萌葱と仲が良いせいで、萌葱と肩を並べる強さだと尾ひれがついた……それが噂の真相だよ」
判定員がカードを配った。次の先攻は史だ。
カードを見ながら、史が考えたのはまた双子のことだった。瑠奈と、ぽっと出の初心者に負けた二人だが、自分なら事前にアドバイスができたんじゃないだろうか。瑠奈の戦法とか、初心者と戦うときの落とし穴とか……。そうすれば、結果は変わっていたかもしれない。
でも、あたしに適切なアドバイスができるだろうか。自信がない。あたしはそんなに強いプレイヤーじゃない。
さっきの試合だってそうだ。最後の手札は2、3、7で、これはどう並べ替えても3の倍数だから、一枚引いたのだ。だが、ここは何も引かずに、2を出すのが最善手だったのでは? あの時点で、みぞれは絵札を四枚使用していた。だからあのとき、みぞれの手札に絵札がない可能性が高かった。運が良ければ、7で親を取れた可能性があるのだ。結果的にみぞれも7を持っていたので、実際には取れなかっただろうが、取るべき手は一枚出しだったのではないか。
もしくは、一枚引いた後、97を先に出すべきだった。みぞれが絵札を持っていなければ、97で親が取れた。結果的にも、これが正解の手順だった。23を出したのは明らかな失敗だ。
史が自虐的な思考を巡らせていると、判定員が宣言した。
「シンキングタイム終了です。これより、吉井選手の持ち時間となります」
「え、ああ、あたしか」
自分が先攻だと忘れていた。試合に集中できていない。
「どうしたんですか? ボーっとして……」
みぞれに心配されてしまった。
「ああ、いや……」史は口ごもったが、結局話した。「双子が負けたのが、ちょっとね……」
「えっ」みそれが目を丸くした。「負けたんですか?」
「なんだ、知らなかったのか。二人とも、さっきの試合で負けたんだ。それでかなり悔しがっててね」
「それで吉井さんも、落ち込んでるんですか?」
「まあ、ね……」と答えてから、頭を掻いた。「どうかな。落ち込むというより、後悔してるのかな。もっとちゃんと訓練するべきだったって」
みぞれは同情するような目でこちらを見た。感受性の強い子だな、と史は思った。こっちの話なのだから、みぞれが気に病む必要はない。史がカードに目を落とすと、みぞれがまた話しかけてきた。
「あ、あの」
「なに? そろそろ考えたいんだけど」
「あ、ええと……」
みぞれは史を励ますように、一生懸命に笑顔を作って言った。
「なら、吉井さんは勝ち続ければいいんです」
「え?」
「私、さっき伊緒菜先輩に言われたんです。相手を負かしたのが後ろめたいなら、勝ち続けなさいって。それが、ええと……しょくざい? になるって」
唐突なアドバイスに、史はきょとんとした。ため息を吐きながら言う。
「別に、あたしが負かしたわけじゃないし……」
「あ、そ、そっか、そうですよね」
みぞれは恥ずかしそうに、カードに顔を伏せた。
「それにその方法だと、古井丸さんを負かすことになるけど、いいの?」
「それは……」
みぞれは上目遣いにこちらを見た。
「大丈夫です。ここは勝負の世界ですから」
「へぇ……」
ぽやっとした童顔だが、目には決意をこもらせている。この子にこんな一面があったのか、と史は意外に思った。
みぞれのアドバイスはどこかズレていたが、全くの的外れでもない。双子が負けた原因の一部は、自分にある。なら、史が取れる責任は、ここで勝ち続けることだ。
あの子たちは全国に行きたがっていた。ここであたしが負けたら、柳高校は全滅してしまう。それだけは回避したい。あたしが勝って、あの子たちを全国へ連れて行くのだ。
敵に送られた塩を、史は素直に受け取った。悪いけど、ここは勝たせてもらう。勝負の世界なんだから。
史は十一枚のカードを睨んだ。この大会で、今まで一番真剣にカードを見た。
双子が来てから、史もそれなりにQKを頑張った。素数を覚えて、合成数出しを研究して……。だらだらするのも楽しいけど、こういうのも楽しいなと思ったところだったのだ。ここで終わるなんて、寂しいじゃないか。
「A729!」
史は場に四枚出した。1729、ラマヌジャン革命だ。
みぞれはカードと場をしばらく見比べたあと、一枚ドローした。
「ええと……パス」
みぞれの宣言を聞いて、判定員が場を流す。史は迷わず二枚出した。
「QK」
「1213は素数です」
二枚出し最強素数だが、革命中のいまは最弱の素数だ。みぞれが適当な素数を出してくれれば、史が勝てる可能性が高い。
史は手札を確認した。残りは2、3、3、9、Kの五枚。これは3×K=39と合成数出しできる。これで親が取れれば、最後に2を出して史の勝ちだ。
みぞれは何を出してくるだろうか、と視線を向けると、彼女もこちらを見ていた。みぞれは史の残り手札を数えると、目を合わせてきた。
「五枚……この展開、覚えがあります」
「え?」
「練習試合のとき、似た展開がありました。美沙さんが革命したあと、私が二枚出ししたら、グロタンカットされたんです。それで、負けた覚えがあります」
「そ、そうだっけ?」
この子は今までの試合を全部覚えているのか? そんな馬鹿な……。
というか、いまなんて言った? グロタンカットだって? まずい、その手は想定していなかった。史が焦ると同時に、みぞれはカードを二枚出した。
「57」
「うぐっ」
グロタンカット! 強いプレイヤーなら、当然これも考慮して戦略を立てるところだ。やはり自分はまだ甘い。
場が流される。みぞれは悩んだ末に、四枚のカードを出した。
「KJTK」
これも本来なら四枚出しで二番目に強いが、革命下においては二番目に弱い。
「どうしてその四枚なの?」
みぞれはこちらの顔を見て答えた。
「吉井さんがさっきグロタンカットをするつもりだったとすると、吉井さんの今の手札は、57と、三枚の素数です。なら、四枚出しをすれば安全かなって思ったんです」
史は呆気に取られた。
「宝崎みたいな考え方するね、きみ」
「そ、そうですか?」
なぜか照れている。もしかして憧れているのか。
「でも、それは買い被りすぎだよ。あたしは古井丸さんが57を出すまで、グロタンカットの存在を忘れてた。じゃなきゃ、QKなんて出さないよ」
「え……」
史はさほど迷わずに、手札から四枚出した。
「2339」
いまの手札で出せる最小の四枚出し素数だ。つまり、いま出せる最善手。これにカウンターされたら、史の負けだ。
みぞれは手札を見て、すぐに一枚ドローした。そして首を振る。
「パスします」
場が流れる。史の手札は残り一枚。史はすぐにそれを出した。
「K」
「13は素数。よってこの勝負、吉井選手の勝利です!」
勝ってしまった。いや、勝った。あの古井丸みぞれに。
これで一勝一敗。もう一回勝てば、全国だ。