第38話 3359
烏羽高校の稲葉皐月が出したA729を前に、慧はもう一度手札を確認していた。
残り手札は九枚。A、3、3、5、5、7、8、9、Jだ。
慧の様子を、皐月はほくそ笑みながら見つめていた。皐月の手札は、2、3、5、7、Jの五枚。カウンターされようがされまいが、対応しきれる自信があった。
慧は口の中で、何やらぶつぶつ言っていた。
「大丈夫、これで合っているはず。もしこれに返されたら終わりだけど……」
どうやらカウンターしてくるつもりのようだ。いったい何を出してくるのか、そしてそのあと何枚出しをしてくるのか。
「では、えっと、合成数出しします」
慧は宣言して、場と素因数場にカードを出した。
「A375=5^3×Jです」
「は!?」
皐月はフリーズした。なんだその合成数出しは。
烏羽高校の部員たちは、自分たちが革命することが多いせいで、革命カウンター素数はあまり覚えていなかった。革命カウンター合成数に至っては、ただの一つも知らない。こんな方法があるのかと、皐月も、後ろの部員たちも、みんな固まっていた。
「合っています、合成数出し、成功です」
素数判定員が宣言した。手番が皐月に移る。
タイマーが切り替わる音で、皐月はハッとした。すぐに自分の手札を確認する。
皐月の手札では、これより小さい素数は作れない。だが、何が何でもいま、これより小さい素数を作らないといけない。今の合成数出しで、慧は七枚も消費した。残り手札は二枚だ。あれが素数でないなんてこと、あり得ない。
皐月は乱暴にドローした。Aが出てくれば、まだチャンスがある。だが、出てきたのは10だった。
「パ、パスします……」
判定員が場を流す。タイマーが切り替わると、慧は安堵のため息とともにカードを出した。
「89です」
「89は素数、よってこの試合、剣持選手の勝利です!」
「慧ちゃんおめでとう!」
戻ってきた慧を、みぞれは笑顔で迎え入れた。伊緒菜もにこにこしながら、
「まずは一本、よくやったわ」
「さっきのカウンター、すごかったな」と津々実が興奮気味に言う。「どうやってあんなの思いついたんだ?」
「手札に5が二枚あったでしょ? そういうときは、5を使った合成数出しを考えることにしてるの。それにJもあったけど、11の倍数も簡単に作れるから、なんとか5と11の倍数ができないかなって探したら……」
11の倍数を作るには、奇数桁の数の和と偶数桁の数の和が一致するような数を作ればよい。また、一の位を5にすれば5の倍数になる。慧はこの二つの条件を満たす数を探したのだ。
「見事に作戦が決まったわね。向こうは完全にビビってるわよ」
伊緒菜がテーブルの対岸を指差す。黒いポロシャツの集団は、円陣を組んでいた。
「一本取られたがまだいける!」「むしろ宝崎伊緒菜を引きずり出すには一本取られないといけなかった!」「次は勝つぞー!」
「……あれはビビってるんですか?」
みぞれが見上げると、伊緒菜は自信満々に「もちろん」と答えた。
「それで次の作戦だけど、もしビビって革命してこなかったら、いつも通り戦えばいいわ。でも、もし初手で革命してきたら――」
素数判定員が、両チームの中堅を呼んだ。伊緒菜がみぞれの背中を叩く。
「勝っても負けても、チームの勝敗に影響はないわ。私は確実に勝てるからね。だから、気楽にいきなさい」
「は、はい」
向こうの中堅は、伊緒菜の予想通り三年の太田陽向だった。大きな猫目で、体格も大きい。溌溂とした雰囲気があり、運動部だと言われたら信じてしまいそうだ。
「烏羽高校QK部副部長の太田陽向だ。よろしく。君は一年生か?」
「は、はい。古井丸みぞれです。よろしくお願いします」
陽向はテーブルの向こうの伊緒菜を見た。
「やはり宝崎伊緒菜は大将か?」
「はい」
「なるほど、『先へ進みたければ私を倒してけ』ということだな!」
「ええと……」
みぞれは答える代わりに、苦笑いを返した。この人は一番大声を出していた人だ、とようやく気付く。部の中心にいるのは彼女のようだ。
「ではこれより、萌葱高校と烏羽高校の中堅戦を始めます」
素数判定員が動じずに言って、カードを十一枚ずつ配った。
「先攻は烏羽高校です。これより、一分間のシンキングタイムを始めます」
判定員がタイマーをスタートさせると同時に、陽向はカードを手に取った。そして心の中でガッツポーズを決める。手札はA、2、3、3、5、6、7、9、9、Q、K。絵札は少ないが、A729がある。革命を起こしてしまえば、絵札の少なさなど気にもならない。
「シンキングタイム終了です。ここから太田選手の持ち時間になります」
時間など必要ない、とばかりに陽向はいきなりカードを四枚出した。
「A729!」
「1729はラマヌジャン革命です」
判定員が宣言して、タイマーを切り替える。みぞれの手番になった。
「また革命ですか」
「ふふん、さすがの萌葱でも、一年生では革命対策までは手が回っていないだろう?」
そもそもこの子は強いのだろうか。ぽやっとした雰囲気で、勝負ごとに向いてなさそうな少女なのだが。
みぞれは手札を並べ替え悩んでいる。カウンターできる素数を探しているようだ。山札からドローして、また並べ替える。
「パスします」
「よし」
思わず口から喜びが漏れる。判定員が場を流し、陽向の手番となった。
陽向の手札は3、3、5、6、9、Q、K。本来ならば強い手札ではないが、今この状況に限ってはかなり強い。革命中だから、ではない。みぞれがカウンターして来なかったからだ。
カウンターしなかったということは、みぞれは1729以下の四枚出し素数を持っていないということだ。つまり、こちらが四桁の小さい素数を出せば、みぞれは手札を出せない可能性が高い。
四枚出し四桁の、それも小さい素数なんて、初心者が覚えるようなものではない。覚えるのが大変な割に、革命対策くらいにしか使えないからだ。せいぜい四つ子素数を覚える程度だろう。
陽向の手札で作れる最も小さい四枚出し素数は、3359だ。これより小さい四枚出し素数は大量にあるが、みぞれがそれを覚えていて、しかも持っている可能性は低い。1729以上3359以下の四つ子素数は1870台、2080台、3250台だが、このうち2080台はジョーカーがないと作れないし、3250台に必要な3は陽向の手札に二枚もある。
3359を出した後、陽向の手札には6、Q、Kが残る。Q6Kは素数なので、これで陽向が勝つ。しかも、ワンサイドキルだ。
陽向は去年の団体戦決勝戦を思い出した。大将戦での、前部長と宝崎伊緒菜の試合。どうして大将に一年生が、と疑問を抱く陽向達を尻目に、伊緒菜はワンサイドキルで前部長を倒してしまった。五年ぶりに全国進出かと盛り上がっていた彼女らの夢が、手も足も出せずに潰えたのである。
いまこそ去年の雪辱を果たすときだ。陽向は手札から力強く四枚だした。
「3359!」
みぞれの出方を窺う。普通の相手なら、八割方パスをする。一割が勘で出し、残り一割は2000台の素数をたまたま覚えていて出してくる。萌葱高校の一年生は、どれに該当する?
「ビックリしました」とみぞれが言った。「伊緒菜先輩の言った通りです」
「何がだ?」
キョトンとして聞く。みぞれは答えずに、手札から四枚だした。
「A667」
判定員がタブレットを操作する。
「1667は素数です」
タイマーが切り替わる。陽向は現状認識に時間を要した。
「な、なんだそれは!」立ち上がりそうな勢いで、陽向が叫んだ。「革命カウンター素数じゃないか!」
「そうです」
みぞれは頷いた。どこまでも伊緒菜の読み通りだ。
『もし初手で革命してきたら、カウンターできそうでもしないことね』
試合前、伊緒菜はみぞれにそう告げた。
『どうしてですか?』
『陽向さんは、革命にカウンターが来なかったときは、だいたい次に四枚四桁の素数を出すのよ。たぶん、カウンターしないなら1729以下の素数は持っていない、と判断しているんでしょうね。そこを革命カウンター素数で迎え撃ちなさい』
カウンター素数が手札に来るかどうかは賭けだった。みぞれは初期手札ではカウンター素数を持っていなかったが、ドローで運良く手に入れたのだ。
陽向は山札から一枚引いて、パスをした。場が流され、みぞれの手番になる。
猫騙しのような攻撃には成功したが、まだ勝ったわけではない。みぞれは陽向の手札を数えた。あと四枚。こちらはまだ八枚もある。
みぞれの手札は、4、7、8、T、T、Q、J、Kだった。二桁カードが多いので、革命中の今は若干不利だ。
向こうの四枚は素数だろうか。山札から引く前の三枚は、素数だった可能性が高い。一枚引いたのは、1667に返そうとしたから? それとも、みぞれの次の手に対抗しやすくするため?
どちらにせよ、三枚出しは危険だろう。すると二枚か、あるいは四枚か。
手札を睨んでいたみぞれは、そんなに難しく考える必要はない、と気が付いた。手札を素早く並べ替えると、そこから一気に五枚も出した。
「74TQJです」
陽向が馬鹿みたいに口を開けた。判定員がタブレットを操作して、宣言する。
「74101211は素数です」
よかった、とみぞれは胸を撫で下ろした。さすがに五枚ともなると、記憶に自信がない。本当なら六枚出しをしたかったのだが、より記憶があやふやになるので冒険は控えた。
みぞれの残り手札は8、T、K。これは8TKが素数なので、ここで陽向がパスすればみぞれの勝ちだ。陽向にもそれがわかるだろうから、パスはしないだろう。だが陽向の手札は残り四枚。五枚出しするためには、山札から一枚引かねばならない。引いた五枚が素数になるだろうか。
陽向がドローした。そしてがっくりとうな垂れる。
「パス」
一瞬で判断し、勘出しすらしなかった。おそらく三の倍数だったのだろう。
場が流された。ホッとため息を吐きながら、最後の三枚を出した。
「8TKです」
「81013は素数。よってこの試合、古井丸選手の勝利です。また、これで萌葱高校は二本先取となるため、萌葱高校の勝利となります!」
「あああ」と、烏羽高校の生徒達が嘆いた。陽向も肩を落としたままだ。
「今年も萌葱に敗れたか」
みぞれはなんだか、申し訳ない気分になった。
「あ、あの、なんだかごめんなさい……」
「いや、同情はやめてくれ。私が弱かったのがいけないのだ」
陽向は顔を上げると、
「君は、個人戦にも出るのか?」
「はい」
「なら、もし個人戦で当たったら、そのときこそ勝ってみせる!」
涙を拭うような仕草をしたあと、陽向は部員達のところへ戻っていった。みぞれも判定員に会釈して、伊緒菜たちのところへ戻る。
伊緒菜たちは、歓声とともにみぞれを褒め称えた。
「みぞれ、よくやったわ」
「やったね、みぞれ」
「あんな素数、よく覚えてたね」
「う、うん、でも……」みぞれは落ち込んでいる烏羽高校の生徒達を見た。「なんか、悪いことした気分……」
「甘いわね」伊緒菜がみぞれの肩を叩き、厳しい口調で言った。「さっきも言ったけど、これは勝負の世界よ。向こうだって、弱ければ負けることは承知の上で、この場に来ている。それでも、どうしても気になるって言うのなら……」
伊緒菜はみぞれの目を見た。
「勝ち続けることよ。彼女らを倒したあなたが勝つことが、彼女たちへの贖罪になるわ」
埼玉県立千草高校の長江恵は、油断した自分たちを呪っていた。
団体戦準決勝の相手は、千葉県立柳高校。決して強豪ではない。個別に見れば数年に一度強い選手が現れるが、全体の成績はそこまでよくない。その証拠に、団体戦で全国へ行ったことはほとんどなかった。一方で自分たちは、去年は萌葱に負けたが、その前は萌葱を制して地区優勝を果たしている。
だから油断した。今年の柳は一年二人に三年一人だから、自分たちなら余裕で勝てると思ってしまった。
先鋒戦のときから、不思議な戦い方をする選手だとは思った。積極的に素数を覚えている様子がない。並べ替えれば強くなるのに、弱い素数を出すことがあった。語呂合わせで覚えている弊害かと思ったが、そうでもなさそうだ。しきりに指を動かしているところを見ると、どうやらその場で計算しているらしい。
妙に思いながらも、先鋒は軽く制すことができた。ところが中堅戦では、思わぬ大逆転を食らい、負けてしまったのだ。
そして迎えた大将戦、恵は吉井史と戦っていた。
史のことは知っている。同じ三年生で、過去に対戦したこともある。以前に戦ったときは、簡単に圧勝してしまった。あまりに弱かったので、ほとんど記憶にも残っていなかった。
だから今回も大丈夫だろう。一年の双子は強かったが、この人はそんなに強くない……。
その油断が命取りだった。史は最後の四枚を、すべて場に出した。
「44Q3です」
恵は、この数は知らなかった。判定を待つ。判定員はタブレットを操作すると、宣言した。
「44123は素数。よってこの試合、吉井選手の勝利です。また、これで柳高校が二本先取となったので、柳高校の勝利となります!」
恵は油断した自分たちを呪った。
史を見ると、「へへへ……」と締まりなく笑っていた。勝てて喜んでいる感じではない。苦手な教科のテストで、悪い点を取ったのを誤魔化すような笑い方だ。試合の結果に興味がないかのような、もしくは「予想より悪くなくてよかった」と安心しているかのような。
「ありがとうございました」
と史が頭を下げたので、恵も「ありがとうございました」と頭を下げた。
不思議な相手だった。納得はいかないが、負けは負けだ。柳高校は、たまに強い選手が現れる。それが今年だっただけのことだ。
これで柳高校は、決勝戦進出だ。テーブルを離れた史の周りに、一年の双子が駆け寄り、飛び跳ねている。
「やりましたね、史先輩! 次は決勝です!」
「これに勝てば全国ですよ、全国!」
「うち、団体戦では全然全国に行けてないんですよね?」
「行きますよー、全国!」
騒がしい二人の首根っこを、史が掴んで黙らせている。
柳高校の相手は誰だろう、と恵はトーナメント表を見に行った。だが見るまでもなかった。対戦相手は、予想通りだ。
決勝戦は、柳高校と萌葱高校の同県対決だった。




