優しさはんぶんこ
朝の通学時、電車の中でよく見かける女の子。彼女は必ずどこかの席に座っている。ただ。お年寄りや妊婦さん、優先席に座るべき人が車内に現れると。彼女は立ち上がり、席を譲るのだ。
優先席に悪びれもせず座っている若者たちよ、それを見て何も思わないかい? 心は痛まないかい? 良い行いは見習うものだ、なんて。自分のことのように心の中でいつも唱える。僕はただ、そんな様子を遠くから見ているだけなのに。
彼女にとっては、自分よりも他人なのだろう。誰かのために行動する、それが当たり前のことだって。 信念みたいなものがあるんだろう。尊敬する、素晴らしい考え。周りがよく見えている。僕のように、無駄に視力が良いやつとは大違いだ。宝の持ち腐れとでも言えるでしょう。
見ず知らずの人に優しくするって意外と難しいと思うんだ。警戒されるだろうし、深く考える人は見返りとか求められるかも、とまで考たりする。人間って面倒だ、悪い意味で頭がいいからなんだろうけど。百パーセントの善意を受け入れる方が難しいなんて。疑わなくていい、信じてください。そんな言葉が余計に不安を募らせることもある。僕が思うに、善人ってひどく損をしている気がする。ただ、良いことをしようと思っているだけなのにさ。受け取る側に警戒されて、身構えられて、酷い時は疑われて。正直者が馬鹿を見るなんて言葉はあるけどさ。それじゃあ彼女が、とてもかわいそうじゃないか。
♦︎
駅までの帰り道。予報ハズレの雨雲が傘を持たぬ僕を容赦無く濡らしてくれた。…… 雨に善悪はあるのかな? あるとしたら…… これは絶対悪い雨。
途中。雨宿りも兼ねてコンビニに寄って、透明なビニール傘を手に取った。傘なんて、家に帰ればいくらでもあるのだけれど。適材適所? 使い方、あってるかな…… 自信はないけどとりあえず。 傘は手元にあってこそ、役目を果たすのだ。
自動ドアを通り抜け、空を見上げる。どんよりとした空模様、雨音は当然鳴り止まない。
「………… 」
なんとなく右を見て。話したこともないけれど、名前も知らないんだけれど。 見覚えのある人が、僕と同じように空を見上げていた。
見知らぬ人に声をかけられたら、警戒するのが普通なんだ。疑い深いのは悪いことではない、当然だと思う。僕だって、そうだから。
買ったばかりのビニール傘を開く。一歩踏み出せば、雨が傘を叩く音。 誰でも自分を大事にする、優先順位の一番上は自分以外にありえない。正直者は馬鹿を見る、良い行いが全て自分の望む結果になるとは限らない。
僕は今日、このまま駅まで歩いて。家に帰って、風邪を引かないように身体をしっかり温めて。それから、その後にーー
きっと、後悔するんだろう。
♦︎
…… しまったなぁ。天気予報は毎朝必ず見てるけど、予報ハズレは考えてなかった。駅までは歩いても10分くらい、走れば…… 5分くらいでつけるかな? でも私、足遅いしなぁ…… どうしよう。 こんな時に、優しい誰かが傘を、なんてのはないよね。
世の中そんなに優しくない、優しくないから。私だけでも、誰かに優しくしなさいって。おばあちゃんとの大事な約束だもんね。 優しくしたら、相手も優しくしてくれるってのはただの甘えだ。頼るより、頼られる人になるんだ!
「よーし!」
雨なんかに負けないぞ! ポジティブに考えよう、逆にこういう状況でこそ速く走れるかもしれないしーー
「…… あの! 傘、使ってください」
「…… え?」
走り出そうと意気込んだのに、隣から聞こえた声に高まった気持ちはまた落ち着いて。見れば、知らない男の子がビニール傘をこちらに差し出している。
「…… 雨、まだしばらく降りそうですし」
「え、ああ、そうですね」
…… 同じ学校、ではない。制服が違う。知ってる人、でもない。顔を見ても思い当たる人はいないし。
「あの、とても嬉しいんですけど。大丈夫ですよ? 君が濡れちゃいますし」
「え…… いや、僕は大丈夫です! 駅まで走りますから!」
「いえ、だったら私が走りますから! どうぞどうぞ!」
「いえ、どうぞどうぞ‼︎」
断ったことを断られてる。…… もしかして、私と同じ考えを持ってる人なのかな? 他人に優しくって心がけの人? …… おばあちゃん、こういう人にはどうすればいいのかな?
「…… ありがとう。でも、本当に大丈夫なので。これくらいの雨、なんてことないですから!」
「いやでも…… 雨、強くなってますし」
……確かに。なんだか黒い雲が増えてきた気がする。本降りってやつかな。 あれ? なんかゴロゴロ鳴ってる気もする。これは…… 甘えてもいいかな? いやでも…… たった一回の甘えで人はダメになってしまうこともあるわけだし。 …… うーん。
「あの…… それなら」
「はい?」
「半分ずつ、使いませんか?」
♦︎
どうしよう、緊張する。
…… 男の子と一緒の傘に入るのは、初めてだなぁ。
肩とか濡れてないかな? 彼女の方に傾けているから大丈夫だとは思うけど。
…… 傘、こっちに傾けてくれてるよね? 良い人だなぁ、この人。
会話…… 会話…… いつも席を譲ってますよね、とか。いやでもそれだと、いつも見てるみたいで気持ち悪いよな。
…… なんか、悩んでる? あ、もしかして彼女がいる? だったら見られたらまずいよね?まさか、それで?
話したいこととか、言いたいこととかいっぱいあるはずなのに! あー、もう!
迷惑かけたくないなぁ。こんな風に助けてもらったのに、恩を仇で返すとはこのことでしょ。…… よーし!
「「………… あの」」
「付き合ってる人いますか!」
「彼女とかいますか!」
終