6:喧嘩
変な夢を見ていた気がする。
目覚めの気分は万全といわないが、眠る前と比べてかなり改善されたのを感じる。
食事を摂り軽く身体を拭くと、HMDを付けて再び神経接続で巨人の肉体に没入する。
軽く体操すると、さて第七区画だ。
第七区画への扉は、第六区画中央の立方形状の巨大なブロックの表面にあった。扉の表面には、第一区画の扉にあったのと同じ、二本の棒が突き出している。それを握り、捻って倒す。扉が開き、奥へと進む。
扉の奥は赤外光の明かりのある細い通廊で、そして突き当りには何も無かった。
そんな筈はない。いや、ここが目的地か。突き当たりの壁に触れる。変わらぬ壁材の手触りだ。幻ではない。困惑しながら周囲に横道でも探すがそんなものは見当たらない。
そこで、奥の壁全体が動き始めた。奥へと動いていく。壁を透かして光が見えてきた。赤外光だから壁はかなり薄い筈だ。光は次第に強くなり、やがて壁は消えた。
壁の向こうに、奴はいた。
エイリアンだ。
大体第六区画の全身像と同じだが、翼は無いようだった。身長はこちらと変わらない10メートル、いやもう少し大きい。ほぼ11メートル。連中は、自分たちの身長を基準に寸法の規格を作ったのか。
頭から布でも被っているような格好で、そこから二本の腕が生えている。こちらに差し出されるように開かれ、そして布を通して、身体の表面のあちこちが赤外光で光っている。もしかしてこれが連中の言語なのか。ここが相変わらず真空中であることを考えると、赤外光での通信手段を持っている可能性は高い。
こちらも相手の真似をして両腕を開く。これは危害を加えないことの意思表明だろうか。赤外発光もしたほうがいいのだろうか。身体に備えた二つの投光器は両方とも赤外波長までカバーしている。
「光学記録、赤外光、強度を30秒前から30秒切り出し、エイリアン発言Aとして保存。
エイリアン発言Aを正規化して保存。スクリプト編集、エイリアン発言Aを投光器Bパターン制御器に出力。出力終了の場合再度出力。オウム返しAとしてスクリプト保存、編集終了。
スクリプト、オウム返しAを実行」
さて、反応はどうだろうか。
明滅のパターンが変わった。俺にもわかる。点滅頻度と密度が上がった。さっきからせっせと点滅パターンをパターン解析器に突っ込んでいたのだが、さっきまでエイリアンの語彙を2000以上としていたのを、さっき急激に60にまで減らした。解析精度が上がって単語らしきものが見えてきたらしいが、意味は相変わらずわからない。
相手の身振りの真似をし続ける。
相手のやることをそのまま繰り返すオウム返しは、人類間の初回コミュニケーションでもよく採用される定番だ。ただ、なんらかの語彙の意味をひとつひとつ確定させていかないと、今のようにバカみたいになる。
エイリアンの手振りが大袈裟になる。発光頻度は落ちたが強度は増した。こちらに一歩踏み出してくる。無重量なのに、と思ったがどうも床をどうにかして掴んでいるらしい。
そして、俺の頭をはたいてきた。
どういう意味だ。親愛の表現か?
オウム返しの原則に従い、相手の頭をはたいてやろう。蹴るための壁を求めて一歩下がったところに、エイリアンはもう一度俺の頭をはたきにきた。
かわす。こっちの番がまだ終わっていない。つまり奴はオウム返しの原則に沿っていない。だが、やられたらやりかえす。これは人類の原則だ。
「先に手を出してきたのはお前のほうだからな」
勢いを付けて飛び掛る。ヘッドセンサを腕で守る。エイリアンは俺を避けようとする。だがさっと奴の頭を掴んで方向転換してやった。
奴の頭は思ったほど堅くない。殴れる強度だ。
と、奴がタックルしてきた。壁際に押し付けられ、マウンティングの体勢を取られた。そのまま一発頭を殴られた。まだセンサは壊れていない。これはもう喧嘩だ。
だが、マウンティングは重力環境下の戦術だ。無重量環境では違う。俺は脚を突っ張ってブリッジの姿勢のまま、モーメンタムホィールを駆動してロール軸機動で奴の押さえ込みを振りほどいた。
そのまま胸元の仮想コンソールを操作して、ガスジェットスラスタを駆動する。奴の顔に窒素ガスを浴びせてやる。
おお、何か効き目があるぞ。奴は真空中で平気な奴だから、ガスを浴びせられてもなんとも無いんじゃないかとも思っていたが、逆に真空じゃない環境が苦手なのかもしれない。残念なのは自分の身体に内蔵されたタンクのガス量が限られていることだ。この広い空間を満たすにはとてもじゃないが足りない。
おお、怒っている。赤外発光がビッカビカだ。
奴は飛びかかってきた。組み合おうとした腕をとられた。ちくしょう。蹴る。一発入れた。今度は脚を掴まれた。そのまま引っ張られる。腕が奴に届かない。
振り回される。片足を掴んで勢い良く、そして俺の脚はもげた。俺の身体は勢い良く吹っ飛ばされて、何かにぶつかった。
衝撃に身体が軋み、フレームが歪む。小さな痛みに翻訳された機体ダメージが全身を苛む。
ダメージを食らったサブシステムはぞっとするほど多かった。自動的に冗長系に切り替わった系統が幾つもある。
だが、俺の身体はまだ戦える。喪失した基本機能は無い。俺は腕を構えた。
エイリアンは俺の脚を掴んだまま、こっちへ向かってくる。そして俺の脚を棍棒のように振り上げた。
今だ。俺は勢い良く脚を折り曲げた。
ちぎれてしまった脚だが、有線接続を失っても、自動で無線接続が有効になっている。つまりちぎれてもまだ俺の脚のままだ。そして脚に内蔵された独立電源はフルに駆動しても15分は持つ。
俺の脚の付け根が、足首を掴んでいるエイリアンの手を強く打ち据えた。
エイリアンは俺の脚を取り落として、また何か発光している。奴の手首から何か繊維状のものが飛び出すのが見えた。
奴に飛び掛る。いっちょ奴の被っている布みたいな奴を剥ぎ取ってやろうじゃないか。あっ、抵抗しやがる。すごく嫌がられている雰囲気がある。くそ、チョップだ。一発入った。次は避けられた。
センサヘッドを掴まれた。そのまま壁に押し付けられる。エイリアンを蹴る。蹴る。しかし奴は構わずセンサヘッドをもぎ取りにかかった。アルミニウム合金のフレームが撓むのが、すぐ横の広角カメラから見える。
ミリ波レーダーのテレメトリが失われてすぐ、レーザーレーダーと望遠カメラとの接続が切れた。そしてそのまま俺のセンサヘッドは3軸マウントからもぎ取られてしまった。
もしこれが頭部破壊で決着が付く戦いならば、ここで俺は負けだろう。しかしだ、こっちは知ったこっちゃない。
回収しておいた俺の脚を掴んで、奴の身体との間に押し込み、足を広げる。エイリアンを押し返して、脚を構える。カメラ解像度は落ちたが、この距離ならば広角カメラだけで何の問題も無い。
掴んだ足を延ばしたり折ったりすると、変な武器みたいだ。身体感覚的にはまだ身体の下についているはずの脚が手の先に有るのだから変な感覚だ。
俺の脚だが、結構奴に当たる。リーチが伸びてこっちが断然有利になった。
・
人類史上に残るファーストコンタクトが、ただの喧嘩に成り果てたのは俺のせいじゃないと、ここでちゃんと主張しておきたい。
俺だってちょっとは期待していたのだ。人類言語を20種類くらいペラペラのエイリアンがフランクにもてなしてくれないかなぁ、そんな願望も第七区画の扉を開けた直後くらいまでは持っていたのだ。
エイリアンがそのテクノロジーと同じくらい賢ければ。もしすっごく賢ければ、ファーストコンタクトは全く違うものになっていただろう。
もしエイリアンが宇宙的リア充なら、こっちの想像を超えるハッピーなおもてなしをしてくれただろう。例えば俺のアパートの隣の部屋にいつの間にか越して来た美少女の姿をしたエイリアンの端末が、手取り足取りコンタクトしてくれても良かった。それくらい気の利いたことをやって然るべきだ。
エイリアンがそのテクノロジーの割にあまり賢くない場合、エイリアンの特徴について幾つか推測できる。例えばエイリアンは、知識や経験を世代を超えて蓄積する能力を、学習によるもの以外持たないだろう。人間のように、生まれたばかりの状態では何も知らず、そこから個体一体一体がわざわざ個別に学習で知識を蓄積しなくてならない。エイリアンの社会にも学校があるのかも知れない。
また、太陽系にやってきたエイリアンは1個体だけの可能性がある。複数個体が関わっているなら、やることは無難になりがちだ。たった一人でやってきたからこそ、勝手に適当にやらかしていると推測できる。
迷宮は、エイリアンがたとえ真空と無重量に適応していたとしても、快適な温度のほら穴を必要としているのではないかと推測する根拠となった。恐らくエイリアンは珪素生命体ではない。多分炭化水素ベースだ。
そしてエイリアンには手足がある。但し身長は10メートルだ。エイリアンは惑星で進化した生物の末裔で、小惑星帯などで暮らすことに適応したものと考えられた。
ここまで判れば、対処のしようがある。俺たちミノス計画のメンバーはそう考えた。たとえ迷惑な変態エイリアンが地球人にちょっかいをかけに遊びに来たのだとしても、遥かにかけ離れたテクノロジーの差を越えて、対等の関係を、敬意を得ることが可能ではないかと。
迷宮の最奥で待っているのは、オリジナルかそれに近い姿の、エイリアン1体のみ。俺たちはそう考えた。殴り合いの喧嘩なら、超テクノロジー抜きのどつき合いなら、対等に戦えるかもしれない。
そしてエイリアンがあまり賢くないなら、多分喧嘩になる。コミュニケーションストレスが増大していくと、どこかでエイリアンは何らかの限界に達するだろう。コミュニケーションは必ず破綻し、エイリアンはストレス回避行動を取ると予測された。
つまり、今の状態だ。
・
エイリアン体地球製ロボットの喧嘩に訪れていたつかのまの小康状態は突然破れた。
エイリアンが何か手に取った、と思った次の瞬間、俺は膝をついていた。上体が倒れる。俺は斜面をずり落ちようとしていた。もがく手は身体を支えきれない。
エイリアンの擬似人工重力だ。テレメトリが低温異常を報告する。次の瞬間、俺は崖を落下していた。床に勢い良く身体を打ち付ける。
この人工重力はかなり強い。恐らく俺の肉体は熱を奪われてひどいことになっている筈だ。テレメトリはヒーターが最大出力で動いている事を示していたが、その熱も全部奪われているようだ。
エイリアンは手に持ったもので俺を殴ってきた。
胴体のサーマルブランケットが引き裂かれる。CFRPの肋材が折れて炭素繊維の破片が飛び散る。乱打に主電源系コントローラの筐体がへしゃげ、テレメトリが途絶える。
モーメンタムホィールを駆動して体勢を変えようとしたが、わずかに身体をよじれただけだった。俺はがっちりと身体を床に押し付けられていた。
一瞬、身体全体に強い痺れが走る。没入神経接合にノイズが混入したのだ。まずい。もし神経接合が切れたら、文字通り手も足も出なくなる。
胴体をかばって胸の前に構えた腕を、構わず強打される。一発でフレームが歪んだ。次は再び胴体に強打が入った。
いつのまにか人工重力はなくなっていた。奴は俺の胴体の中に手を突っ込んで、ハーネスを引きちぎる。電源バス系が死んだ。もう下半身は動かない。
次に引きちぎられたのは、モーメンタムホィール、よりによってロール軸、さっきまで体勢を変えようとして駆動していた奴だ。
ちぎれたモーメンタムホィールの塊がこちらに漂ってくるのを手で押そうとして、その感触に気づく。こいつの中ではまだホィールが高速回転している。60000rpmだ。蓄積された角運動量は、ちょっとした爆弾並みのエネルギーだった。
俺はその塊を両手に持って、エイリアンに投げつける。右手肘関節が完全に死んでいるが、へろへろだが投げつけられた。エイリアンはさっとそれを振り払う。当たり所が良かったか。俺は更にモーメンタムホィールを掴んでエイリアンに投げつけた。
今度こそ、エイリアンの払いのける手がホィールの軸の先に当たった。
軸受けにダメージを負って既にガタガタだったホィールは、軸に加わった力によって一気に偏芯運動が進行し、滅茶苦茶な回転になったホィールがケースの内側に当たる。
ホィールはケースを削り、その蓄積角運動量を熱に変換する。
音もなくモーメンタムホィールは爆発した。
その破片は俺の身体にも襲い掛かり、ガスジェット用の窒素タンクを一つ吹き飛ばした。つまり爆発だ。
衝撃。
体内からの爆発は、俺の身体機能の大半を奪った。
最後の広角カメラが破壊されたことで、外部状況がまったく判らなくなってしまった。だが生命維持系はまだ生きている。俺の肉体が入っているステンレスカプセルはどうやら無傷のようだ。
神経接続を切ると、強烈な悪寒とさむけが襲ってきた。ヒーターが強烈に動いていたが、温まるのは身体の外側だけで、内部から奪い去られた熱はなかなか戻らない。
だが身体は動く。HMDを脱ぎ、水を飲むとちょっと考えた。
外に出るしかない。食事を取り、もういちど水を飲むと、カプセル内にしまいこまれていた軽量ヘルメットを取り出す。これは非常用の装備で、単体では生命維持は30分が限度だ。だがカプセル内の生命維持系のうち二酸化炭素除去系は取り外しでき、これを使うことで生命維持は8時間まで延ばせる。
ヘルメットを封鎖し、身体を拘束しているハーネスを全て解除する。緊急解除装置は確実に全てのハーネスをぶった切るが、元に戻すことはできなくなる。
カプセルに減圧機構は無い。カプセル端のハッチを僅かに開けるだけで、隙間からカプセル内の空気が勢い良く噴出してゆく。LEDランタンをハッチから出す。自動で点灯したランタンは強い光で周囲を照らした。
ハッチから出ると、切り離した二酸化炭素除去系の箱を引っ張り出す。ヘルメットと二酸化炭素除去系の筐体は頼りない細いホースで結ばれているだけで、大きな筐体の扱いはとにかく厄介だ。
そこで背後をふりかえる。
エイリアンの巨体がのびていた。静かに無重力空間に浮かんでいる。
身体の各所から繊維状の何かが飛び出していたが、手足が切断するような事態にはなっていないようだし。むしろ無傷と言っても良いような状態のようだ。ちくしょう。
探査機の破損状況を一応チェックする。データレーコーダはへしゃげていたが、本体であるメモリは取り出せた。第六区画の戦利品の黒い板も無事だ。是非とも持ち帰りたい。ベルクロのテープで巻いて二酸化炭素除去系の筐体に固定する。
帰還の方法はある。探査機の背中側のガスジェットスラスタは比較的無傷で、ガスタンクもまだ充分中身がある。ちょっと工具を使えば取り外せるだろう。俺はいざというときにはこいつを手動操作できることを知っていた。
小惑星の外まで、ガスジェットで飛んで戻ってやる。
必要な工具を考えながら、カプセルに戻る。戻るとガスジェットシステムを探査機から取り外しにかかる。
実際には作業は結構な難物だった。俺は何か工具になりそうなもの、細い棒か何かを探して、一度カプセルに戻ろうとした。作業に夢中で、周囲には全く注意を払っていなかった。
俺の記憶にはそこから先が無い。