4:奥地
第四区画は小惑星の秋分点方向の象限に位置している。恐らく第五象限は冬至方向の象限だろうし、第六は南極方向だろう。そして迷宮の最奥、第七象限が小惑星の中央にある筈だ。
床の方向を確認し、つま先を床につける。ゆっくりと、重力に似た力が俺の身体を床の方向へと押し付ける。
第二次遠征隊はこの思わぬギミックに大混乱に陥った。人工重力。それは圧倒的な科学力を意味している。
ただ今では、この力の正体もかなり解析が進んでいる。残念だったのはこれが本物の人工重力では無かったことだ。だがもしかするとそれ以上のものかも知れない。
熱とは分子運動、そう学校で習ったかもしれない。どうもエイリアンのこの力、熱から一定方向の運動エネルギーをかすめ取るという代物らしい。どう考えても熱力学第二法則に反している訳だが、この力が作用すると熱を奪われるのは確かだ。
このインチキ人工重力はおよそ0.05G程度、10メートルの高さから物を落とすと床まで落ちるのに7秒程度かかる。数字で考えるとかなりゆっくりしたものだが、今の自分の身長は10メートルだ。体感の落下速度はさらに遅くなる。
温度センサが異常な値を報告するのを無視する。目の前に上に昇る階段がある。たった10段の階段だが、一段の高さが1メートルある。それを歩いて昇る間にゆっくりと周囲が明るくなっていく。なんと可視光だ。通路の材質そのものが発光しているのだ。
第二次遠征隊の装備、イカルス探査補助ユニットには足が無かったから、この階段は大問題だった。二人がかりで装備を担ぎ階段をよじ登ったのだ。
だが、その先に彼らは進むことが出来なかった。
俺たちは、その扉を開けるにはある種の特徴が必要だと考えていた。扉の表面に何も無いのだから、扉はこちらの何かを勝手に検知して開く条件にしている筈だ。
目の前に扉がある。縦横15メートル、中央に縦にスリットがある。その表面は何らかの意味を持つと思われる模様で覆われていた。
扉の表面の色が変わっていく。第二次遠征隊の報告にもあった現象だ。こちらの身体の外形とほぼ同じ形と面積で扉の色が濃い灰色に変わる。
扉が開いていく。予想通りの両開きの扉だ。だが予想とは違い、こちら側に、外向きに開いてゆく。扉の開く向きくらい統一しろよ。
やはり俺たちは正しかった。扉は人型であること、少なくとも身長を検知していた。
これまでの人類の到達点がここだった。俺は歩いて扉を超えていく。
扉の向こうも明るく、そして壁が見当たらなかった。床は赤茶けて弾力性があった。延々と風景が広がっているように見えたが、勿論何らかの欺瞞だろう。ミリ波レーダーは200メートル先から混乱した反射を拾っていた。
背後で扉が閉まる。数歩進むと天井がなくなった。青く広い空が広がっている。遠い向こうで空は白く霞んで足元の茶色と混ざり合っている。今ここは空気が無い真空なのだから、青い空はインチキもいいとこだ。
これはエイリアンの母星を模したものなのか。連中が地球型惑星の出身だという証拠はこれまで無かった。
歩くと目の前に、幾つか何かがあるのが見えてきた。
一つは細長い、石のベンチのような物体で、奥行き方向に床-地面に細長く置いてある。モノリスの幅を削って横倒しにしたような代物で、ベッドにしては幅が狭い。
その横には上に半球状の窪みのあるブロック、更にその横には上を向いた円錐が鎮座していた。反対側には、椅子と呼べなくもないものがある。斜めに傾いた背もたれらしきものが付いたブロックだ。その向こうにも何かある。ブロックを斜めにカットして階段状にしたものだ。
これはまたパズルだろうか。横一列に並んでいるのは何か意味があるのだろうか。
石のベンチの上に乗ってみる。周囲を見渡すが、光景の欺瞞は素晴らしいとしか言いようがない。ミリ波レーダーの情報を総合すると、ここは直径200メートルの半球状の空間である。元が直径1.1キロの球の中なのだから、かなり広く空間を取っている。
目の前に、何かが現れた。
白いもやのようなものが正面に現れる。もやはやがて白い正方形になる。
その白い表面に何かが動いた。
近づこうとして、気づく。映像だ。白い正方形は俺の視点よりかなり低いところにあるため、正面から映像を眺めるためにはしゃがまなければならない。石のベンチの上で色々と恰好を工夫しながら、いきなり俺は気づいた。これは椅子だ。
横の半球の窪みも、円錐も、椅子状の物体もだ。エイリアンはここに来る奴の体形がどうなるか予想がつかなかったから、いろんな形を並べてみたのだ。
とりあえず映像を注視する。
映像は可視光ではなく、赤外のモノクロだった。これも俺たちへの配慮だろうか。いや、多分これはエイリアンの視覚そのものだ。
最初が丸い輪、次に同心円になり太陽系と思しき映像になる。ぱっとズームアウトして、はるかな恒星間の距離を表すと思しき間を置いた後、再びズーム、今度は多分エイリアンの出身太陽系だ。背景の星は位置関係が正しいなら、これがどこにある星なのかすぐに割れるだろう。
うかつな連中だ。自分は攻め込まれないとでも思っているのだろうか。
雲や陸地があると思しき惑星へズーム、海洋の中に視点が移ると、多数の魚が泳ぐ素晴らしい光景だ。この解像度では魚としか言いようがない。収斂進化のもう一つの例だろうか。
水しぶきをあげて視点は海上に移る。鳥の群れだ。ただ尻尾がやけに長い。雲と船だろうか、都市だろうか、構造物の連なりにスームする。
腹立たしいことに、ここにロゴらしきものが画像の上に現れ、画像を埋め尽くす。連中の文字と思しき点滅するパターンが、ちくしょう、回転しながらズームしてくる。
その文字らしき点滅が変なフェードで消えると、絶望的なほどに簡略化されたエイリアンの像が現れた。
我々は既にエイリアンが二本の腕と、そして足を持っていることを知っている。新しい発見は、足が二本であることと、頭があることくらいだろうか。
画像はエイリアンの手にズームする。ただの棒だ。実際もそうなのか簡略化されているのか区別がつかない。画像の外から別の手が現れて、何か絡んだように見えたあと、背後から光があふれる演出のあと、またロゴらしきものがあらわれ、そして画像は消えた。
あれは握手か何かの表現だったのだろうか。
そこでもう一度画像が現れた。3x3のパターン、例によって平衡三進数で最初は1、次が2、最後が3、それで終わり。そしてスクリーン代わりの白い正方形は再び霧のように崩壊し始めた。手を伸ばすとほんの僅か抵抗があったが、それもすぐ消えた。後には何も残っていない。
なんとなく予感がして、今度は椅子のような物体へと移動して、そして座ってみた。
再び目の前に白い霧が沸き上がり、正方形に姿を取る。
再び始まった映像はさっきと全く同じものだった。解析は録画を後で見る地上の奴らに任せてしまおう。そう決めると、なんとなくこういう光景に覚えがあるような気がしてきた。確か宇宙飛行士選抜の面接の時だ。
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「では一人づつ、自己紹介と志望動機をお願いします」
確か2039年の冬、御茶ノ水だったと思う。俺たちは折りたたみ椅子に一列に座らされて、目の前に一列に並ぶテーブルの向こうの連中に質問を受けた。
2030年代は日本の宇宙開発にとっても冬の時代だった。有人宇宙計画は問答無用で中止されており、そして俺は10年ぶりの日本人宇宙飛行士となった。
実のところ、海外に行った日本人のうち結構な人数が既に宇宙飛行をやっていて、一部は仕事として飛んでいた。そして俺も正確には政府の宇宙飛行士では無かった。政府には相変わらずお金が無く、そして今回の宇宙飛行士枠は、アメリカが全予算を持ってくれて実現したのだが、日本側で書類仕事やら管理に使うお金も無いからと、一度はこの枠も潰されかけたのだという。
そこを救ったのは俺の仲間たち、ミノス計画だった。管理予算の肩代わり、つまりお金をあげますという話に持っていって、ようやく、たった一人の日本人宇宙飛行士枠は実現した。
だからその面接は出来レースだった。俺と一緒に5人が並んでいたが、彼らは宇宙飛行士にはなれない。多分素晴らしい能力と精神力を持っているのだろうが、関係ない。
大学卒業後、国際NGOに技術職員として在籍。俺の自己紹介は単純なものだった。真の志望動機を言うわけにはいかない。イカルス有人探査への参加なんて高すぎる目標、政府側が知ったら驚いて止めようとするだろう。
だが既にお膳立ては出来ていたのだ。
そもそもの最初は2034年、著名な技術系SNSと掲示板の、イカルス関係のボードの著名固定ハンドルと管理人がオフ会をやった時だという。ボストンに集まったのはおよそ20人。欧州、ロシア、インドからも人が来ていたという。
会合の主題はエキセントリック仮説だった。そして彼らは、自らの手でイカルスに探査機を送り込むことを決めたのだった。
勿論、ただ単に決めただけだ。彼らにそんな財源は無い。だが法人組織ミノス計画が作られ、専従技術者がつくと、計画は一気に実現性を模索し始めた。同時についていけないとして離脱するメンバーも相次いだ。例のゲームが作られたのがこの頃で、だから俺がミノス計画に連絡をつけたのもこの時になる。
転機は2038年、第一次遠征隊の失敗直後に来た。地方自治・政治サポートソフトウェアの大手、シチズンコムの創業者、カリナン・ベイが資金を提供したのだ。カリナンはエキセントリック仮説を真剣に受け止めていた。
資金を得て急拡張したミノス計画に、俺はフルタイムの技術職員として参加した。イカルスの迷宮探査にロボットアームが必要であること、恐らく足が必要であることもこの時の議論で出た結論だ。
エキセントリック仮説は今や酷くばかげた計画に結びつこうとしていた。巨大ロボットの開発だ。そして俺はロボットアームを神経接続による身体感覚没入で動かすシステムの技術担当者の一人になっていた。
急速に形をあらわしていった探査機に対して、それをイカルスに送る方法は一向に解決しなかった。
探査機は軽量化して4つに分割して、第三次遠征隊の補給機で送れるように仕様が変更された。それぞれ複数の大学を探査計画に噛ませて、彼らのセンサペイロード枠を乗っ取る形で運搬の問題は解決された。どの大学も研究機関も、迷宮にアプローチする直接の手段を持たなかったから、ミノス計画は格好の相乗り先だったのだ。
残る問題はパイロットだった。宇宙飛行士をプロジェクトに勧誘してパイロットになってもらおうと方々に声をかけたが、面白そうだと言ってくれたごく少数も、イカルスまで半年間、ちっちゃなカプセルのなかでじっとしていないといけないと聞くと二の足を踏んだ。そもそも俺たちはイカルス有人探査に噛めそうな優秀な宇宙飛行士に渡りをつけることができなかった。
アメリカ政府が日本人宇宙飛行士を一人、アメリカの国費で養成する計画が持ち上がったのはこの頃の事だ。実質アメリカの援助であるこの計画は日米宇宙開発協力の一環として始まったが、日本側に準備が全く無い事を見て取ったミノス計画は、俺を宇宙飛行士としてでっち上げる事にしたのだ。
俺を宇宙飛行士にする利点は多かった。探査機のハードウェアを熟知し、いざとなったら修理も出来る。操縦の腕も、ミノス計画の志願者の中でも五本の指に入る実力をキープし続けていた。
なんと言っても、狭いところでじっとしているのは俺の大得意だった。たとえそれが半年間になろうともだ。
御茶ノ水のその席を記憶しているのは、その場で見せられた映像がひどくつまらない代物で、お金をかけて何故そんなものを作ったのか、理解に苦しむような内容だったからだ。ちょうど今見せられているのと同じような。
そんな風に別のことを考えていたものだから、最後の3x3の画像が、さっきのものと違うのに酷く慌てることになった。
今度は、9、9、9。これがパスワードのつもりなら、駄目過ぎると言うしかない。
白い正方形が崩れ、そして俺は立ち上がって更に進んだ。半球の空間の、その中心に何かあるだろうと踏んでのことだ。
四角い穴が地面に開いていた。底は深く、見えない。穴の壁面は発泡素材らしく、ミリ波レーダーは確かな像を結ばない。レーザーレーダーも有効な反射を拾えない。
俺は穴の壁の向かいに手を付いて、穴に足を差し入れた。そのまま踏ん張って身体を支えようとする。そのとき人工重力の作用がなくなるのが感じられた。
穴の中は無重量だった。俺はしかし慎重に穴を這い進んでいく。穴の突き当りを二度直角に曲がると、次の区画への扉だった。
扉には例の3x3の出っ張りがある。
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さて、急ぐ必要もあるまい。扉の開け方は既に知っている訳だし。母船のエアロックからここまでおよそ5時間。普段の連続没入時間と決めている4時間を越えている。ここで一旦休憩だ。
姿勢をがっちり取ると、ホールドモードにして、それから身体感覚を肉体に切り替える。
即座に吐き気が這い上がってきた。次に身体全体の痺れを自覚した。
痛いほどに痺れた手を動かして、頭からHMDを取る。手探りでチューブを探し、キャップを捻る。
船外活動をする宇宙飛行士の為の、食べても排泄物の出ないゼリーチューブだ。きついイチゴ味が脳天に染みる。
人心地ついて考える。吐き気と痺れの原因は人工重力の影響に違いない。
俺はもう半年にわたって無重量空間に暮らしてきた。ほとんど身体を動かさず、狭いカプセルの中で一人ぼっちで、地球から無人補給機の荷物としてイカルスまで運ばれてきた。その間ずっと食事はゼリーチューブ、味は12種類揃えたが、旅の最初で、うち3種類が受け付けない味であることが判明した。ただ、旅の最後には刺激としてその3種も美味しくいただいてしまった。マズさを感じるのも生きている証だ。
イチゴ味はまだましな部類だ。
低代謝剤を数日おきに自分に注射し、身体感覚没入でストレス発散。運動不足は人工頸椎に解消させた。ありていに言ってこれは人間ではなく荷物の扱いだったし、こんな扱いが宇宙飛行士たちに受け入れられる筈も無かった。
だが俺は違う。だからここまで辿り着けた。
小惑星の中で俺は重力に出会うとは思っていなかった。加速状況には出会うとは思っていたし対処も考えていたが、ずっと加速がかかりつづける状況は考えていなかった。単純に身体がハーネスで中吊りになって血行が悪くなったのだ。吐き気のほうは内蔵の問題だろう。重力で内蔵が下に動いてしまったのだ。
チューブを始末しながら考えたが、重力環境下で休憩していれば食事が楽になったかもしれない。まぁ過ぎた事だ。
ハーネスでカプセルの中央に固定されたままの身体の細部を、意識して動かす。半年間繰り返した運動だ。
そうこうしているうちに休憩時間と決めていた一時間はあっというまに過ぎた。HMDを被り直す。身体を弛緩させて、唇をなめる。いちご味はもう残っていない。
身体感覚を探査機に切り替える。ホールドモード解除。
扉に手を伸ばす。表面の出っ張りを押していく。9、9、9。
第五区画だ。