1:アプローチ
「全チャンネル異常ありません。マコ、気分はどうですか」
トゥダはゲーム機の神経接続パス時のセリフをそのまま俺に告げた。トゥダに限らず皆俺の名前マコトをマコと略すが、そこだけがゲームとの違いだ。
勿論目を開ければそこはゲームと大違いだ。ケリーとモフェンが目の前をうろちょろしている。
「気分に問題なし。あ、ケリーは股間で俺のカメラを塞がんでくれ。それだけが気分にマイナス」
「すぐ終わる」
ケリーは真面目なやつだ。予備の広角センサポールから赤札を抜いて起動状態にするのが見えた。
「千分の一インタフェイス試験、準備良いですか」
トゥダは次の試験項目の準備が出来たか、呼びかける。
「首から下だけだけど、でも用心のためケリーもどいて」
「もう終わった」
無重量状態で器用に身体を捻って離れてゆくケリーが視野から去ると、身体の拘束感が消える。これでもう手足が動かせる。でもパワーは本来の千分の一に調節されているし、稼働角度にも制限が入っている。
「右手、オープンクローズ」
右手を開いて握る。
「左腕、肩をすくめてみて」
指示に従いながら、問題は無いか聞く。
「うん、全然問題ないよ」
問題なし、だそうだ。いやはや。
肘のヨー軸の回転方向が左右とも逆だ。ただ、これは既にさっきパッチを充てた。視線追従メニューから、ヨー軸回転のセンサ出力を極性逆転してやる。簡単なものだ。
今の俺の身体、俺の乗機、有人イカルスプローブ三号、または有腕有人機アルファ、こいつは24時間前に組み上がったばかりの代物だ。その性質上地上ではフルスケール試験が出来なかった。一度軌道上で組み立てて試験をするという案もあったそうだが、予算の都合でその案は消滅していた。
この身体は、ケープカナベラルとギアナから4回にわたって打ち上げられたものをここで組み立てたものだ。その4個はそれぞれ万全の試験を受けた筈だし、4個の結合に関しても万全の注意が払われた筈だ。しかしこういう回転座標の取り違えのようなエラーはいつでも紛れ込む可能性があった。勿論試験をすれば一発でわかるたぐいのエラーだ。
だが今回、試験はなかった。ならば俺が用心をするしかない。
「アリアドネとの接続試験行きます」
元ネタの神話と違い、このアリアドネは小惑星イカルスの奥まで俺を案内し、通信を保つためのシステムだ。アリアドネは過去二回の遠征でそれぞれ別のシステムが使われたため、かなり混乱した代物になっている。
「試験結果に大きな問題は見られません。運用は問題ありません。通信系問題なし」
いつのまにか試験は終わったようだ。今のアリアドネは民生のTCP-IPをベースにしたもので、原理的には地球のネットにもアクセスできる。
実際には行き帰りで500秒のタイムラグがあるのでアクセスは難しい。どうやってもタイムアウトは免れない。対して宇宙機専用の深宇宙ネットワークの上位プロトコルはタイムラグを補償する。その代わり地球のネットワークとは切り離される訳だ。
「バッテリー問題なし、モーメンタムホィール問題なし、熱系問題なし」
ケリーが試験結果を告げる。バッテリーは生命維持だけならひと月持つと聞いた。もちろんその前に二酸化炭素回収系の限界が来る筈だ。だが最大の問題は排熱だ。俺がこれから向かう場所は宇宙空間であって宇宙空間ではない。小惑星の中なのだ。そこでは絶対零度プラス3ケルビンの宇宙空間に排熱することができない。
「生命維持系問題なし。神経接続、主観的に問題なし」
俺はそう報告する。二酸化炭素回収系は普通なら1週間持つ。呼吸の中から二酸化炭素を取り除くキャニスターは古い技術で信頼性は高い。
トゥダが答える。
「神経接続はこちらでもモニターの結果に問題なし。次は推進系試験に行きます」
視野にいる全員が作業エアロックから出て行く。俺は手持無沙汰で待つ。
「エアロック閉確認」
「はい、全てのエアロック閉確認。減圧を開始します」
視野の隅、エアロックの補強構造体に張り付いた赤いランプが点滅し、警報音が鳴る。が、やがて警報音は小さくなっていく。その間に俺の身体から稼働範囲の拘束が解かれる。だが出力制限は千分の一のままだから、まだひ弱な気分だ。
「おい動くな。手は動かしても良いから足だけは動かすな」
アッシュハウスの声が聞こえる。奴は母船に付属する作業用ロボットアームの担当だ。奴が俺の踝の所にあるグラブルフィクスチャを掴んで、俺の身体をエアロックから引きずり出す手筈になっている。やっこさんのロボットアーム操縦はジョイスティク頼りだから大変だ。
「エアロック内圧2かけるの10パスカル。減圧終了。終了確認。エアロック排気開放弁開きます」
「エアロック内問題なし」
「エアロック開きます」
足元が星空に開いていく。真っ黒な穴のむこうに小さな光点が見える。星だ。どうも画像処理がエリア別露光をしているらしいが、見る限りごく自然に見える。こういう部分も事前に試験で確認しておきたかった項目の一つだ。
アッシュハウスのロボットアームが早速俺の足首を掴む。俺の踝のグラブルフィクスチャというのは実のところ、段付き三角錐が突き出ているだけに過ぎない。アッシュハウスはロボットアームの手先に付いたカップにそれを収めると、カップの中のワイヤが巻き取られてグラブルフィクスチャはカップにがっちり固定される。
ゆっくりと俺の身体がエアロックから引きずり出される。俺は今、全高10メートル、腕を頭の上に伸ばすと16メートルになる自分の巨体をじっとさせていた。エアロックの縁を掴んでアッシュハウスの手間を軽減することも出来たが、そういうのは手順書には入っていなかった。
この手順は宇宙飛行士が船外宇宙服を着たときの手順をベースにしていた。しかし俺は今の身体が、船外宇宙服よりずっと身軽である事を知っていた。今の俺はエアロックを出るのに手順書どおりの15分ではなく10秒もかからない筈だ。
「アンビリカル気液供給ライン内圧無し、閉鎖確認」
「閉鎖確認。探査機アルファ、電源切り替え」
電源切り替えはこの身体の最後の外部コントロール項目だ。あとは全部自分のコントロールが優先される。これが俺の最期の枷、これで俺は自由だ。
「電源切り替え確認。電源異常無し」
「アンビリカルロック外します。ロック解除確認」
「ロック解除確認しました。関節トルク増幅率ノミナル」
「増幅率ノミナル確認っ、あっちょっと」
俺はアンビリカルハーネスを手で掴んで脇に寄せた。
「手順書に無いことするな」
トゥダの抗議を受け流す。
「状況を安全にしただけだ。確認してくれ。状態は問題なし、と」
「二度とするなよ」
トゥダはぷんぷん怒りながら状況を確認してくれた。問題なし。
その間に俺はほとんどエアロックから出掛かっていた。首がエアロックから引き出されると、宇宙船の外観が目に入ってくる。
俺が今まで入っていたのが、全長15メートル、直径10メートルのエアロシェル式の作業用エアロックだ。乾燥大気で膨らませたエアロシートを円筒に丸めて上下にアクセスハッチを足した代物で、この俺の身体の為に深宇宙探査船ダイダロスに追加された設備だ。
このエアロックの端、俺が今引き出されている方に二つのロボットアームが付いていて、うち一本が俺の身体をエアロックから引きずり出している最中、もう一本はカメラを付けてこの状況を確認している筈だ。
エアロックから離れると、エアロックの向こうにセンサプラットフォームが見えてくる。探査用のドローンもここに格納されている。その更に向こうに居住モジュールの観望キューポラが見える。
そしてその更に向こうに巨大な球体、推進剤タンクが3つ並んでいるのが見える。あれを全部使い切ってようやく俺たちは地球に戻れる。ちなみに地球から出発したときには更にもう9個の推進剤タンクが付いていた。
ダイダロスの全景は見えない。全長120メートルの巨大な船体に対して、俺は今張り付いた位置にいる。
「ヘッドクリア」
身体の全てがエアロックからようやく出た。全周カメラの視野に、輝く半円が見えてくるようになる。
アッシュハウスのロボットアームがゆっくりと俺の身体の姿勢を変え始めた。90度姿勢を変えると、俺の頭上に半円が来るようになる。
「気になるか?」
カメラの性能は、それが半円ではなく円だと知らせてくれた。実のところそれは球体だ。直径1.1キロの完全な、銀色の球体。但し俺の頭上に当たる位置に、直径22メートルの穴が開いている。
「いや。それより試験を終わらせよう」
「わかった。姿勢安定確認」
「試験可能な安定度を確認。記録開始。グラブルフィクスチャ開放」
「開放、開放確認。アーム退避、退避確認」
「試験準備よし。シーケンスどうぞ」
「シーケンス開始します」
俺の身体には16系統の窒素ガスジェットスラスタが搭載されている。俺は事前設定済みのシーケンスに従って、スラスターを一つづつ動作確認していく。
このスラスターの推進剤は地上で充填されたもので、ここで再充填する方法は無い。補充できないから無駄使いは絶対に出来ない。それに姿勢制御でスラスターに頼るつもりも無い。
「シーケンス終了。ついでにモーメンタムホィールの試験もやっておきたい」
手順書にエクストラミッションとして入っている奴だ。俺は腰を前後屈、左右、そしてひねる感覚で三軸モーメンタルホィールをコントロールしてみる。
ブラシレスモーターで回転するただの円盤に過ぎないモーメンタムホィールだが、タングステンの重りで慣性モーメントを盛りまくった円盤は、普通の有人宇宙船に必要な量のざっと20倍の角運動量を蓄積できる。だが、俺の考える必要にはまだ足りないくらいだ。
「へぇ、ほとんどアンローディングの必要無いじゃん。本当に身体感覚だけでコントロールしてるの?」
「訓練したからね」
モーメンタムホィールは使い方によって、ゼロモーメンタムとバイアスモーメンタムの二種に区別される。巨大な角運動量を蓄積できるモーメンタムホィールは、高速回転させるとその慣性蓄積がばかにならない。下手をすると身体を傾けることすらできなくなる。正直言って機敏な行動の邪魔だ。だから搭載しているのは基本ゼロ回転のゼロモーメンタム方式だし、行動のたびにホィールの回転をゼロに戻すことが大事になる。
さて。
俺は両腕を胸の前に構える。
今の俺の両腕は、伸ばすと8メートルになるひょろ細長い白い宇宙用ロボットアームだ。宇宙用としてはトルクを増し増しにしている関節駆動部も、俊敏に動かすには全くトルク不足だ。だが手に入る最高のものがこれだとすれば、あとは運用でカバーするしかない。
手には五本の指がちゃんとある。手袋をしていてちょっと人間の手のようだ。アッシュハウスのロボットアームと違い、この手ならグラブルフィクスチャ以外の何でも握ることが出来る。但し握力は悲しくなるほど弱い。なんと俺の素の、肉体の握力とほとんど変わらないのだ。
その手で握りこぶしを作り、そして右腕を右に払う。反動で身体が左にわずかに動く。右腕を静かに戻して身体も元の姿勢に戻す。次は左腕だ。シミュレーションとぴたり同じ運動ができている。ということはこの身体の重心と慣性モーメントは設計値とぴたり一致しているという事だ。立派な仕事ぶりじゃないか。
「AMBAC、AMBACじゃないか!」
アッシュハウスはロボアニメオタだった。正直ウザい。
「うるせぇ、AMBACなんてものは無い。ただのモーメンタムブーム機動だ」
モーメンタムブーム機動の良いところは角運動量を蓄積しない点だ。但し手足があらぬ方向を向いてしまうから正直使えない。
「宇宙で巨大ロボットなんだから、もっとエキサイトしろよ!すごいカッコイイよ!」
うぜぇ。俺の姿をからかっているのか。
俺の身体はアニメに出てくるロボットには程遠い。胴体は縦5メートル幅3メートル、厚み1.5メートルの板状の箱でしかない。知り合いにカマボコ板と呼ばれたが、何の暗喩なのか教えてくれなかった。食べ物なのだそうだが、そういう形状のシリアルバーでもあるのかも知れない。
この胴体は宇宙開発で良く使われる5315パレットに規格を合わせてある。ロボットの開発を始めたころの最初のバージョンは5315パレットそのものだった。この規格に合わせることで、小惑星までの補給品の中にこの身体を紛れ込ませることができたのだ。
手足となる計4本のロボットアームは、全てこの板の前面に配置されている。大丈夫、低重力下ならちゃんと直立歩行できる。そこは慣れと訓練だ。腕も慣れると胴体の横より前についていた方が楽になる。
ロボットアームを4本全て前面に集中させることで機械強度と出力を上げることが出来たし、開発コストも下がった。あと地味に重量軽減にもなった。
頭であるセンサヘッドは三軸のサーボ雲台にセンサ類を乗っけたものに過ぎないうえ、両肩に一本づつ生やした広角センサポールがあれば最低どうにかなる。ポールは1本で全周視野が得られる。もう一本は冗長系だ。
俺の身体は深宇宙探査機らしくほとんどの部位が冗長構成になっている。腕が二本なのも足が二本なのも冗長構成のためだ、というのは冗談だが。
俺の肉体そのものは背中に背負った形で固定された、直径2メートル長さ3メートルのステンレス合金製気密カプセルの中だ。制御系と生命維持系はカプセルの中に全て内蔵されている。
俺は簡易宇宙服を着せられてカプセルの中にハーネスで宙釣りになっている。宇宙服を使うのは小便の処理など、有人宇宙船としてめんどくさそうな機能を全部既製品である宇宙服にやらせるためだ。
そういうコストダウンの工夫は、他にも例えばロボットの身体を神経接続で直接操るのに民生のゲームの技術を流用するなど、枚挙にいとまがない。
そして民生のゲーミング用HMDを使う都合、宇宙服の簡易気密ヘルメットは被れない。一応ヘルメットはカプセル内に用意してあるが、非常事態にならない限り出番はないだろう。
ロボットの外見のひどさと同じくらい、俺の操縦する格好もひどいものだ。このカプセルは間違ってもコクピット等と呼ぶ代物ではない。
さて準備運動は済んだ。身体の脇にあたる部分に付いている金具を捻って取る。仕様書や手順書では電力系コネクタのフタとされている部位だが、これが取れるという事や、ましてやこの金具の本当の使い方を知っているのは、ここ百万キロ四方では俺一人だ。
「ねぇマコなにやってるの。自由時間に許可されている行動なのそれ」
トゥダの声を無視して、さっきの金具を手首の下に押し当て、捻る。ぱちんと小さな反動とともに金具がかっちり手首に嵌る。この金具は最初からこう使うよう設計されたものだ。
俺はアッシュハウスのロボットアームを軽く蹴ると、母船のセンサプラットフォームに取り付く。
「何やってる!反動きたぞ!」
アッシュハウスの狼狽した声も無視だ。シミュレーション通りの位置にケーブルはあった。小惑星イカルスと母船を結ぶ、アリアドネのケーブルだ。
「やめなさいマコ!」
手首の金具にケーブルを絡ませる。ここはちょっと難しい。二三度向きを変えて、ようやく手首にケーブルが噛み込んだ。金具はケーブルのガイドだ。手首を捻ると手首駆動部のギヤの一部が露出してケーブルに当たる。
駆動開始。ケーブルにゆっくりとテンションがかかっていき、俺の身体は宙に浮いた。手首内部の駆動部、ギヤとモーターがケーブルを手繰る。簡易ロープウェイの一丁上がりだ。
イカルスと母船の間のおよそ2000メートルを超えるのに、これで大体30分かかる。
「戻れ、戻れって言ってんだこの!」
アッシュハウスが振り回すロボットアームをかわすと、あとはもう誰にも俺を阻めない。
「CCに問い合わせてみろ。俺の行動に許可が出ている筈だ」
無線でぎゃあぎゃあと喚く連中に言う。
「んな訳無いだろ何をトチ狂った!やっぱお前アレだったんだな。俺は最初からおかしいと思っていたんだ。何でこんな奴がプロジェクトのここまで入り込めたんだ一体」
だがアッシュハウスの罵声に混じって、
「え、ちょっと待って、あっはい………………はい、合意します」
トゥダは平板な声で、
「手順書が来てる。CCは許可済み、だそうよ。有人突入ミッションアルファ、だって」
その後に湧き上がった、無線の向こうの罵声に、
「あー、あとはCCに聞いてくれ」
そして俺は無線をミュートした。
頭上の明るい半円は、まだちっとも大きくならない。