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自由間接話法を用いた三人称小説となんちゃって三人称小説との違い

なんちゃって三人称とは、一人称小説の一人称(僕、私等)を三人称(彼、彼女)に変更したものである。(ソース不明。私がそう読んでるだけかも^^;)


 結構、僕を彼に変えると三人称になるという人もいます。もしそれでまかり通るのなら、自由間接話法など必要ありません。ですので反対票を1票投票。小説を覚えていくプロセスとして一人称小説になれたら三人称一元視点小説を書こうと思うのは自然の流れですが、書き上げた一人称小説を三人称に改造した場合、どうしてもいびつになってしまいます。それについて考えてみたいと思います。


 一人称にも2種類あります。一人称リアルタイム型と一人称回想型(他の投稿で日記型と書いてますが、変更しようかなと思っています)。リアルタイム型は主人公と語り手のタイムラグがほぼありません。回想型はタイムラグがあります。分かりやすく言えば、ストーリーの主人公は時間経過が伴いますが、語り手の主人公はそのストーリーが終わった後で語っています。例えば、中学生の頃の話を大人になった語り手が昔を懐かしむように話すなどです。仮に語り手の時間が設定されていなくても、その時、あの場所の表現があれば回想型であることが分かります。

 一人称リアルタイム型を三人称に変換することはほぼ不可能だと思います。なぜなら地の文は独白だからです。それに比べ、一人称回想型は行動描写、風景描写について客観描写に沿った書き方をする場合が多いので、一人称を三人称に変換しても、まあ読める程度になることは多いです。実際、三人称で書いているネット小説の大半がこれです。 


 なんちゃって三人称の問題点を上げていきます。

 三人称一元視点のまあ、ルールと言っていいかもしれませんが、地の文は基本的に客観情報です。もし主観的表現がされた場合はこれは主人公の主観であり心情描写です。あとは視点は主人公の目又は後方ですが、語り手の現在位置は存在しません。その為主人公のいない場面では他の登場人物を視点者としてその場面を語ることができます。時系列も同じで、語り手は時系列を自由に移動できますが、語り手の存在する時間はありません。(時系列を自由に移動できるが無暗にやるとネタバレになったり、読者が混乱したりします)

 神視点についての考え方も書いておきます。カメラを向ける先は自由です。主観が存在する場合は語り手の主観です。もし登場人物の心情描写を書く必要があれば間接話法を用いれば読者の混乱を防げるでしょう。


 なんちゃって三人称の特徴をあげていきます。

 そこで、あの時、その日はという表現が出てきます。一人称では語り手の時間や場所が表記されなくてもあります。ですので1人称回想式ではよく出てきます。三人称のに変換した場合、それを指す場所や時刻があればいいのですが、ない場合は語り手の今という時刻と場所を想定していることになるので、少し変になります。 

 似たような表現で、あっちへ、向こうから、こっちなどの表現があります。語り手は実際どこにいるか分かりませんし、存在しません。損じしないモノと比べたらその方向も存在しないはずです。実際は主人公の位置をしめすものですが、自由間接話法はあくまでも会話と心情描写のみであり行動描写は風景描写には用いることができません。


 主観と客観が1つの文で入り混じってしまい、何が主観なのか客観なのか分からなくなります。

例えば三人称の文章で次の文があったとします。


①バス停でバスを待っている女性は美しい。

②美しい女性がバス停でバスを待っていた。


 同じ意味ですがどちらが客観的でどちらが主人公の主観と思われますか。たぶん多くの人が①のほうが主人公の主観だと思われたと思います。これは、主語に感覚的描写を持って来ると客観的に感じるからです。 美しい自体は好みもあるから主観ではないかというご質問があろうがと思いますが、これはその他大勢見ても美しいということなのでこれで通じるのです。

 

③面倒だったが親の言いつけを守って太郎は買い物に出かけた。

④太郎は親の言いつけを守って買い物に出かけたが、面倒だった。


 ③の方がより一人称に近いと思われるでしょう。④の方が三人称っぽく感じることと思われます。そこでなんちゃって三人称の問題ですが、こういう重要でもない文章で一人称に近い表現が連発されることです。変換される前の主語が私である一人称であれば違和感はありあんせんが、三人称の文体でところかまわず一人称に近い表現をされると、ウザったく感じます。基本は客観を書いて主観です。これは1つの文章に限らず段落でも同じです。しかし、一人称では主観を客観に織り交ぜたほうが良いケースが多いので三人称に変換した際どうしても不規則に主人公の主観が出てきてしまします。


 また、文章の末尾に”だろう”などの推定形。~~だ。とうい断定形。~る。という現在進行形が多数出てしまいます。心情描写でなければ、語り手の主観となり問題であり、また進行形は三人称ではあまり多用しないほうがいい表現です。

 

 私は神視点で書いたものに心情描写を書き足していったほうが三人称一元視点のマスターには近道だと思いますしバリエーションも増えると思います。

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