自由直接話法と自由間接話法について
え~と。一回ちゃぶ台をひっくり返します。もうしわけないです。
今までの説明の訂正として()や--を使った心情描写は直接話法(内的独白)と解釈します。それは読者の頭の中でそれぞれのキャラクターの音声に変換されるからです。初めの(や、--が、彼はこう思った。~~。と同じ意味合いを持つからです。
私の主張の原点にもどります。一人称と三人称を比べると、どうしても一人称のほうが読者は感情移入しやすいの自由間接話法を使って一人称の雰囲気に近づけること。自由間接話法とは主人公の心理描写を書くとき、主語と述語を省く。これらが前提でした。
しかし、文学を学問として研究されていらっしゃる方の考え方はどうやら少し違うようです。自由間接話法と自由直接話法の境目に判断は難しい。だから、日本の小説の特にアマチュアで用いられるのは自由間接話法と分類したわけですが、研究者の方の考え方は、作中の視点者と語り手の視点双方が入り混じり、それが確認できるものしか自由間接話法としか言えない。それ以外は自由直接話法と分類する。と乱暴ではありますがこんな感じです。まあ、研究対象にもなるくらいですから、難しいことには変わりありません。
例文1
花子は太郎のことを好きではないと言った。(太郎は花子から好かれていないと聞かされた。)
嘘だ、そんなはずはない。(嘘であろうと思いたかった。)
彼の告白を受け入れないのは、友人の春江を気遣っているからだ。(のだろう。)
一番目につくところが2行目だと思います。「嘘だ、そんなはずはない」は自由直接話法に分類されるといえます。(自由直接話法は内的独白とされています)それとくらべると(嘘のあろうと思いたかった。)は作者の手が加えられた表現であり、自由間接話法と言えます。ただ、述語が残っています。
また直接描写では”思いたい”となるところを、”思いたかった”と過去形に変換されているところも注目点です。主人公の心情はストーリー上でリアルタイムです。しかし語り手は時間を行き来できるとしても、語ることはストーリーが終わった後です。ですので過去形に変換されます。
3行目ですが、気遣っている、までは語り手の客観です。そのあとの”いるのだ。(いるのだろう)”が主人公の心情描写であろうことを匂わせています。そもそも、3人称の語り手は神であり、全てお見通しです。ですので、”だろう”という推定形は普通使いません。また、”だ”の強調の場合ですが、前の文章で否定からの流れで、主人公は決めつけていると主人公は思いたい。とのニュアンスです。しかし、主人公の心情であることがあいまいなのは、文頭で”彼”と言っているからです。彼とは太郎のことを指します。自分で自分のことを彼とは言いません。これは語り手の表現であることはハッキリします。これを私に変換すると
私の告白を受け入れないのは、友人の春江を気遣っているからだ(と、太郎は思いたかった)。
となり、直接描写となります。
つまり研究対象の自由間接話法は主人公へ感情移入の観点から研究されているものでなく、あくまでも表現方法としての自由間接話法に重点が置かれているものです。では、勉強しても仕方ないじゃんとなりますが、自由直接話法ばかり多用すると、どうしても一人称に偏りすぎる、一人称小説っぽく思えてくるようになります。また地の文の客観的描写との温度差がついてしまい、ギクシャクした文体になってしまいます。これでは心情描写を多用できません。
直接話法を言っても、基本的には語っているのは語り手であり語り手の声です。一人称は主人公の台詞と地の文は同じ音声です。そこに違いがあります。主人公に感情移入させたいが、文体としては語り手の口調、味を残したい。場面によっては主人公を客観視してもらいたい。そういうこともあると思います。時に読者を熱くさせ主人公に感情移入させる。時には冷まさせ、ストーリー展開を楽しんでもらう、または主人公の行動に疑問を持ってもらう。その塩梅を制御するのが、直接話法、間接話法、自由直接話法、自由間接話法でないかと思います。一文一文は自由間接話法であったり間接話法であったりしますが、文章全体としてどんなイメージを与えるかが大切ではないかと考えます。一つの文章でも一人称ぽかったり三人称ぽかったり、デジタルでなくアナログなのですから、文章全体としては更に多種多様であると思います。
1Q84を例に挙げると、台詞のかなり多くの部分で ○○は□□□と言った。○○は「□□□」と言った。と表現されています。台詞の場合、この伝達詞を省こうと心がけますが、1Q84は反対です。たぶんこれはたの地の文がかなり一人称に近い表現になっているため、読者を冷静にさせるため、語り手側に引き戻すためじゃないかと推理します。こうすることで全体のバランスが保てるんじゃないでしょうか。
追記
例文はラノベのように箇条書きで書いてますが、見やすい配慮ですので、実際書かれる場合はちゃんと段落で書いてください。改行にそれまでの情報をリセットする力がありますので、自由間接話法で書いたつもりの文が自由直接話法(内的独白)みたいになってしまうからです。