一元視点について考える
他のサイトでもそうだが三人称の作品で視点者がコロコロ入れ変わる作品をよく見る。まあそれも良かろうと思う。でも本当に上手くなりたいのなら、視点は1つに絞ること。何故なら難しいから。
一人称は難しいと普段は三人称で書く人がよく言う。これは情報が主人公の知っていることに限定されるからです。でもちょっと待ってください。三人称一元視点と一人称はどちらも主人公(一元)視点です。
つまり、一人称は難しいという人は、普段から三人称一元視点で書いていないことになります。
もし上手になりたい、プロになりたいと思うのであれば、一人称の主人公視点で三人称一元視点の小説を書く練習をしてください。
例
主人公は真っ赤な顔をして怒った。
よく見かけます。でも主人公は自分の顔色は見えませんよね。ということになる。一人称に変換してみると、
僕は真っ赤な顔をして怒った、
一人称になれた人ならなんか変だと思うでしょう。更に、
僕の怒った顔は真っ赤だった。
ここまでいくと読者から突っ込みが入るレベルです。
絶対ダメとは言いませんんが、変だなと感じたとき皆さんならどうしますか? 違う表現を探すと思います。試行錯誤をすることで自分の味が出る文章になっていくと思います。
中には一元視点でなくていいじゃんとおっしゃる方もいると思います。神視点で書かれた小説もあるでしょ。その通りです。
三人称の種類で、いわゆる神視点と三人称多元視点がありますが、神視点は心情描写を一切しない、多元視点は全員の心情描写をおこなう、という違いがあります。
主人公のみ心情描写をおこなう三人称一元視点と、心情描写を一切行わない神視点、登場人物みんなの心情描写をおこなう三人称多元視点をくらべどれが一番、主人公に感情移入できるでしょうか? たぶん三人称一元視点だと思うでしょう。
例えば、恋愛小説を神視点で書けますか? 主人公の心情描写をせずに書くことは私の技術では無理です。
推理小説を三人称多元視点で書いたとします。容疑者の心情描写を書いた時点で犯人とばれてしまいます。
三人称一元視点はオールマイティでどのジャンルでも使えます。そして一人称の練習をすることで三人称一元視点の練習にもなり、ここで取り上げている自由間接話法は部分的に一人称なのです。