表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

芥川龍之介「羅生門」における思考

 ほとんどだれもが読んだことがあると思われる作品ですが、記憶を呼び起こしてどのようなイメージでしたでしょうか? (まだ読んでない人は青空文庫へ)

 主人公の下人の行動を、全くその通りで感銘を受けたという人は少ないでしょう。人間のエゴイズムを書いた作品ということですが、自分はエゴイストではないと思う人がほとんどではないでしょうか。

 この作品は、芥川の意図でこうなっているのか、それとも芥川の持っている文体なのか、私にはまだ理解できていませんが、主人公と読者の間の距離を取った文章になっていると思います。


 神視点なのか三人称一元視点なのかですが、主人公の心理描写がされているので、全体として一元視点という解釈でいいと思います。

 ですが、一行目に視点者が登場するけれど、それ以降も主人公視点になっていないように思われます。

『~この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。』

 ありそうなもの、これは下人の心情ではないです。下人はこの時代の状況を知っているので、人がいないのが当たり前だと思っているはずです。だた読者から見れば、羅生門(羅城門)は都の正門なので人がいっぱい行き来していると思う。その心理を書いていると思われます。

『何故かと云うと、~』と説明が続きますが、無論下人視点ではありません。


 『作者はさっき、~』という書き出しの段落があります。以前に書いた太宰治の『桜桃』を思い出しました。主人公と読者の間に作者が存在するということを認識させられます。また『Sentimentalisme』 というフランス語も平安の時代に合いません。(今でも読めん)

 

 この辺りまで心理描写の有り無しを考えなかったら、作者視点(神視点?)と感じます。ですが、

『雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍いらかの先に、重たくうす暗い雲を支えている。』

 ”来る”という表現は、向こうとこっち。方向が示されています。視点者に向かってくるということです。つまり視点者は羅生門付近にいるということです。(ただし、この表現は一元視点を含め三人称ではあまりふさわしくないと思います。しいて言えば、下人の方に近づいてくる、という感じでしょうか)

 また、”見上げると”となっていますが、無論作者が見上げるわけではないので、見上げたのは下人。薄暗い雲を見たのも下人。以前にも書いたと思いますが、風景描写が主人の視線とリンクするのが一元視点だと考えています。(ただし、すべての描写が必ず主人公がみているものである必要はないと思います。)


 これ以降主人公の視点に移行します。下人の心理描写に変化が見られます。より下人の言葉に近い表現になっています。

『どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。』 

 ”どうにもならないこと~選ばないとすれば”は、下人の言葉に近いと感じます。ただし、完全一致(独白)ではないと思われます。(ばかりであるという言葉が再三登場するから)


以下の文章で視点が(一瞬?)変更されます。

『それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子ようすを窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿うみを持った面皰にきびのある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛くもの巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。』


 正直、最初訳が分かりませんでした。下人の他に男がいるのかと錯覚しました。この男はニキビがあるので下人です。(あってますか?授業で習ったのは、かなり昔なので忘れた)明らかに下人の視点ではありません。また、2,3段梯子を上ったのは中段にいる時点よりちょっと過去。風景描写というより、回想というか、下人の心理描写であるのではと思います。”ただものではない”は自由間接話法と思われます。

 文豪であるだけに単なる視点のブレでは説明が付きません。何らかの意図があったのだと考えた方が自然に思われます。


 以降クライマックスに向かいますが、視点についてはしばらく下人視点で進みます。

『見ると、楼の内には~』

『下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲うずくまっている人間を見た。』

これらの表現は下人の視点であることが理解しやすい。見るという行動描写のあとに風景描写。風景描写のあとに視点者の心情。


 下人と老婆が対面したのち、視点に多少の変化が見られます。

『老婆は、一目下人を見ると、まるで弩いしゆみにでも弾はじかれたように、飛び上った。』

見ると。一瞬、視点者は老婆でないかと錯覚します。しかし、飛び上がったのは老婆なので下人視点。この表現であれっっと思う人は、中心人物は誰かということだろうと思います。下人は老婆に一目見られた。ただ続く描写の主語が老婆なので、スマートな文章にはならない。

 

『老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。』

これも、行く、来るの表現です。下人からしてみれば向かっくる。つまり、下人がいて、老婆がいて、老婆の後ろに視点者がいると考えられます。こういうもみ合うシーン(バトルシーン)では、主人公視点では難しい面があると思います。カメラがくるくると移動しているようなものですから、位置関係を表しにくくなる。


『これを見ると、』

風景描写あって、行動描写がある。今までの逆のパターンです。見た時点(見るという行動描写が書かれた時点)で初めて、下人に目に写ったと考えると、それ以前の風景描写は誰の目か?ということになります。ただ、読者は気づくことはないでしょう。意図的な表現なのか、単なる言葉のあやなのか。


『すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。』

前の文章と同じですが、前半は老婆の表情の描写で後半は老婆の行動描写との解釈でいいのでしょうか。


『その気色けしきが、先方へも通じたのであろう。』

先方とは老婆のこと。視点者以外の心理描写は書けないということで推定形。


『しばらく、死んだように倒れていた老婆が、~』

下人はすでに立ち去った後であるから、明らかに下人視点ではない。

『梯子の口まで、這って行った。』

行ったとなっているので、老婆ではない誰かの視点。作者視点である。


 ここで、神視点、作者視点の違いについて、この作品に限って考えてみると、神視点は、はるか上空にカメラがあるとよく言われます。しかし、行く、来る、向こう、こっち、という表現はあんにカメラの位置が主人公付近にあることを知らせてしまいます。


 この小説で考えられる現象として、序盤の説明に含まれた主人公の心理描写は作者の言葉、考えとして書かれ(とりわけ言い直している)、中盤の、下人視点であることがはっきりとわかるシーンでは、下人の言葉に近い心理描写、自由間接話法が用いられ、さらに終盤、視点者が作者に戻ると心理描写も作者の言葉で語られる。序盤と終盤は、主人公と読者の間に割って入っているのは距離感の調整ではないかと私は思います。人のエゴイズムを読者に客観視してもらいたかった作者の意図であるのではと思います。が、単なる気まぐれかもしれません。

 自由間接話法、主人公の言葉に近い心理描写の時は、一元視点を用いると効果的ということは言えるのではと思います。あくまでも近いです。丸括弧や--で表す独白は、神視点に近い文章でもいいと思います。

 

 なぜ、中盤だけ読者と主人公の距離を縮めたかの疑問ですが、読者にとって一番理解しやすい心理。作者の立場からは、読者の情に訴えるという意図があったかもしれません。・・・かもです。


追伸

私は皆さんにテクニックをまねろと言ってるのではありません。文豪だからできることであって、凡人には無理だし、私も無理。ただ、どう感じたかが重要ではないかと思います。こういう表現の時はこう感じる。感覚を鍛えることです。

一時的感想欄を開放してみます。あくまでも私自身の思考であり皆様のご意見を反映させるつもりはないのですが、羅生門があまりにも有名なので私の独りよがりになっているといけないので。お礼の返信をした数日後には、従来のスタンスに立ち返り、いただいた感想の削除&感想欄の閉鎖をしますのでご了承ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ