小説のルールについて考える。
小説を書くにも様々なルールがあります。
たとえば、閉じ括弧(」)のまえに句点(。)をつけないとか、三点リーダー(…)や、ダッシュ(-)は偶数で使う。数字は漢数字を使う。これらは印刷業界で決められたことですので、出版を目指す、公募に応募するのであれば、守った方がよいでしょう。
一字下げを行わない。空白行を入れる人もいますが、まあ、携帯電話が主流の時代、詰めすぎると読みにくいということの苦肉の策ですが、テキストデーターとして再利用に支障がきたすので私はしませんし、大画面スマホであれば、しなくても読めるのではと思っています。
また、一文で改行する人が多いです。これは段落という情報の塊をいかに読者に伝えるか、濃淡をつけるか、ということと、一つの事柄をたくさんの文章で表現するということで、できるだけ一塊の段落を活用してほしいと思っています。自由間接話法も段落あってこそです。もし一文づつで改行するのであれば、直接話法( ―― や ( )を使い独白と表現する)を用いた方が読者も分かりやすいし、いさぎよい気がします。
視点、人称については、ルールではあるけれども、そうしたほうが伝わりやすいよという程度のものです。ですので小説の一か所が、ルールにそぐわないからと言って、ダメということはないと思いますし、その箇所だけ他の文章と違えば、異なった印象を読者に与えることも可能です。
様々なテクニックもあります。小説のルールもいいかえればテクニックと言えます。もし長く小説を書きたいのであれば、まず自分の文体を構築することだと思います。いろいろな方法を試す人もいますが、たぶん内容に自信がないからでしょう。文章は伝達ツールでしかありません。自分に合った書き方を見つけて、最高のストーリーを読者に提供してください。
追加、
映画「君の名は。」見ましたか?(多少ネタバレ注意)
評価云々はしませんが、視点で考えると、瀧視点と三葉視点が存在します。基本的に二人は同じシーンには登場しませんので、三人称一元視点には沿っています。まあ、2人主人公の形態をとっていますが・・・。
ただし、恋愛物語としては、お互いの心情が分かってしまうため、心情を深く掘り下げることができずにいます。監督はそんなこと考えていなかったように思います。ストーリーの足早ともいえる展開。彗星落下の為害性、ダイナミックさ。
正直、村が消失していたところで面白さは消失しています。起承転結でいえば転の部分です。またよく見てみると、映画全体が回想形式になっていて、冒頭の語りは、現在の(瀧が大学4年生)の時間ですから、つまり三葉は死んでいないのが冒頭で分かります。ハッピーエンドで終わっていることがわざと示されています。これはオープニングの情報量ではわからないと考えたのでしょう。小説の方は読んでいないのでわからないけど、小説でこれをやってしまうと、瞬時に分かってしまいます。これは映像は見た者が情報を流してしまうからできたことで、一字一句読み解こうとする小説の読者にはこの方法は利かないと思います。
それにしても、興行的には成功しています。やはりストーリー展開が大切だということが分かると思います。