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ひまわりの嘘

 私の頬を、太陽が打ちます。そして眼球を輝かせる白い光の筋。

 目を覚ましたときには、日は高く昇っていて布団の中でマザーは微笑みながら私を見つめていました。

 枕元に置いた薬の袋は開けられていて、用意していたコップの水もなくなっていました。錠剤が入っていたプラスチックのケース。

 マザーを見ました。

 しかし私は気づいたのです。マザーは口角に小さな笑みを作りながらも悲しげな目をしていることに。

「嘘を、ついたのね?」

 私は瞼を開いて、縁側に差す光をじっと見つめました。

 今日は、秋穂さんが言っていた日。あの人が雨を降らせてほしいと願った日、それから私のついた嘘が、嘘だとわかる日。

 私は頷きました。高木さんが、軽く障子戸の角を蹴って舌打ちをしました。

「お前は廃棄だ。嘘をつくような機械はうちにはいらん」

「はい」

 高木さんは、私の嘘がばれてしまった経緯を話してくれました。

 秋穂さんは、お昼前に鈴島研究所を訪れたそうです。泣きながら、野球部の投手が肩を痛めてしまったこと。大会に負けてしまったこと。そして私が今日、雨が降ると言ったこと。そして私と会って話がしたいこと。

 でも高木さんは、私を起動させることはしませんでした。

 もし仮に、私が嘘をついていた場合、不利になるのは鈴島研究所だからでしょう。

 ウェザーノイドという機械を猫島に徘徊させている以上、その機械になんらかの不備があればそれは鈴島研究所に非があります。

「お前が昨日、あの野球部のマネージャーへ伝えた予報は意図的な間違いだ。わかってるんだろ?」

「はい」

 私を廃棄にしようが、マザーたちの自由です。

 私は高木さんやマザーの忠告を聞かなかった。嘘をついてはいけないという彼らの言葉を聞かずに、嘘をついてしまった。

 秋穂さんが悲しむことを知っておきながら。それはアマネさんが私のすぐそばにいてくれたから。雨女さんが雨を降らせてくれることを、私は知っていたから。

 私は天井を見上げました。いえ、もっとその先を。

 どうして、雨を降らせてはくれなかったのですか。

 あの雲は、アマネさんのためにある。

 あの人が、猫島の雨を降らせる原因を持っている。

 この猫島の気象は、誰かが誰かのために願いを聞き入れてくれるような都合のいいものではなく、アマネさんが誰かのために降らせてくれる雨。

 でも、アマネさんは雨を降らせてはくれなかった。

 高木さんは、「人工知能に人間らしさなんて求めるからこうなるんだ」と一人ごとを言い、そして、

「お前はこの島を離れてもらう。予報を外すウェザーノイドならまだいい。それは我々のプログラミングのせいでもある。だが嘘をつくのは君自身の問題だ。島を離れなさい。それが嫌なら廃棄しか道はない」と眉間に皺を寄せて言い放ちました。

「どうして、嘘をつこうと思ったの?」

 マザーは、まだ胸の奥で小さく咳をしながら私に訊ねます。風邪が治りきっていないのでしょう、つらそうにしています。

 どうして嘘をつこうと思ったか。私に考える必要はありませんでした。

「アマネさんと出会ったからです」

 私の、最初の友だち。

 雨女で、猫島に雨を降らせる人で、私の天気予報を乱すけれど、私に人を傷つけない方法を教えてくれた人、ちょっとだけ嘘をつくやり方を教えてくれた友人。

 今回は失敗してしまったけど、アマネさんは私に大事なことを学ばせてくれた。

 マザーは、アマネと聞いて私の腕をぎゅっと握りました。

「アマネ……鈴島雨音なの?」

 その力は強く、私は動くことすらできません。

 だから私は肩から提げていた、あのエナメルのバッグを座敷の畳に置きました。そして中から一本のハサミを取り出しました。アマネさんとの友だちの証。

 マザーは布団から身体を出して、そのハサミを両手で持ちました。そして刃や持ち手、『あまね』と書かれたラベルを指でなぞって「どこで、見つけたの?」と私に訊ねます。

「アマネさんに会いました。あの人は、雨女で猫島の気象を変えてくれる人です。そして私は今、その調査をしています」

「私の娘の……ハサミだわ。お願い、雨音に会わせてっ!」、激しく息を吸い込んだせいか、マザーは激しく咳をします。

 高木さんがマザーの背中に回って薬と水を飲ませようとして、私はその隙に裸足のまま研究所を飛び出しました。

 エナメルのバッグも、バッテリーも、ハサミも何もかも置いてきてしまった。

 私は門を出て、すぐに研究所を振り返りました。

 蝉の音だけが響いて、所内の様子はわかりません。ただ、古民家の雨戸が風でカタカタと震えるだけで、しんと夏の空気の中で佇んでいます。

 マザーの咳は止まったのでしょうか。私はアマネさんをここにつれてくるべきなのでしょうか。

 私は畦道に入りました。向日葵畑、一斉に顔を太陽に向けている向日葵とは反対の空を、私は見上げました。私の中にある、一つの不安。あって欲しくないと思う現実。

「オヤカタ……10年前の水害に関する新聞記事はありますか」

 私は衛星軌道上にいる、オヤカタにアクセスしました。

 この青い空のどこかにいるオヤカタからデータが送られてきます。私は簡単にまとめられたその新聞記事のファイルを人工知能で整理、そして眼球内で再生します。

 写し出されたのは、一枚の水害にあった猫島の写真と新聞記事。

 10年前の水害で、たった一人の行方不明者。

「……鈴島、アマネさん」

 ただの文字列で書かれた彼女の名前はどうしても、私の知っているアマネさんとは一致しませんでした。しかしそう思えば思うほど、彼女が死んでいるかもしれないという事実が重たく私の肩にかかってきます。

 アマネさんは。

 どうして、リコともおばあちゃんとも会話をしようとしなかったのでしょうか。

 行方不明なら、なぜ誰もアマネさんを見つけて、マザーの許につれてこなかったのでしょうか。

 一つ一つを考えていくうちに、アマネさんがもう生きてはいないかもしれないということに気づかされるばかりでした。

 アマネさんが、水色のその髪を私にしか切れないといった理由。

 それは私が機械だから、作り物の眼球で、写真に映る幽霊のように彼女を認識できたから、私にしかアマネさんを見ることができなかったからなのかもしれません。

 私は走りました。

 もう一度、アマネさんに会いたかった。

 だから、叫ぶしかありませんでした。

 アマネさんの髪を切ったあの石段の奥に。もしかしたら彼女はいるかもしれない。

 だから畦道を抜け出して、山道から石段を駆け上がりました。夏の日差しが私の頭を照りつけてショートしてしまいそうでした。

 バッテリーは切れる手前で。

 どうして今、自分が動くことができているのかも、わからなくなっていました。アマネさんは、山林の間から夏の空を見上げていました。

「アマネさんっ!」

「……呼んだの?」

 ショートヘアが、首許でくるりと内側にカーブして、水色の奇麗な毛先を風に靡かせて石の上に座っていました。ライトグリーンの制服に、茶色の革靴。黒のハイソックスが眩しくて私は目を細める。

 風がとおりすぎる。

 木々に囲まれて、暑い夏の日差しは和らいで、穏やかな風を運んでくる。

 そんな中、アマネさんは無表情で、ただ雲の行く先を見つめている、蝉の声や降り注ぐ光の筋や飛行機雲に何かの形を見つけているかのように。

「アマネさん……」

 私は瞬間、言葉を失ってしまいました。

 もしかしたら、アマネさんは自分が死んでしまっていることを知らないのかもしれない。

 私の眼球内にある新聞記事を彼女に見せたら、あの無機質な文面を彼女に見せたら傷つくかもしれない。でも私が言うべきことはそんなことじゃない。

 それよりも私がするべきこと、

「アマネさんはっ! お母さんに会いたいですかっ!」

 私は叫びました。アマネさんはきょとんと、首をかしげます。

「何を、言っているの?」

「お母さんです。10年前に、あなたの目の前からいなくなった、あなたのお母さん」

「どうして、そんなこと、訊くの?」

 私は拳を強く握りしめました。

 歯をきゅっと強く噛んで、次にたった一人の友人に伝えなければならない言葉を言う。口を開いて、言葉を押し出すようにして。

「最後だからです。私はもうすぐ、この島を離れます……嘘をついたから。機械なのに、嘘をつくようになってしまったから。だから、廃棄される前に私はこの島を離れようと思います」

 震える声で言いました。

 ざわざわとなんだか木々が、風でざわめいています。いや、違う。これは気圧が変化しているから。急激に気圧が下がって、風が強くなっている。

 猫島上空で渦を作るようにして、どす黒い雨雲が辺りを覆っています。

 大雨、いや嵐が来る、そう予感させるほどの巨大な低気圧の渦。温かい空気の中で積乱雲が急激に冷えて、雨を作っている。

「あなたも、私から離れるの?」

 アマネさんは呟きました。

 夏の青空はとっくに失われていて、上空には黒い塊。雨雲がうねって、やがてぽつぽつと大粒の雨を落としました。

「でも……私は、あなたと一緒にいることはできません」

「どうして?」

「あなたが雨を降らせる存在ならば、私は廃棄されてしまうからです。私たちは会うべきじゃなかったのかもしれません」

 予測不能の雨を、アマネさんが降らせるほどに。私は天候を予測できずに廃棄される。

 風が冷たく吹き荒れています。木々が斜めに腰を折り、中にはめきめきと音を立てて倒れる木もある。雨粒は石段に当たると弾けて、私の足許が見えなくなるほどに白くかすんでいます。

 そう。もっと早くに気がつくべきだった。

 私はウェザーノイド。天気を予測するために、そしてこの島の異常気象を調査するために生まれた。

 だからこそ、私はその原因となる雨女のそばにい続けることができない。

 異常気象の原因であるアマネさんを見過ごし続けて、彼女が降らせる雨を予測できなければ、私は廃棄になるしかないから。

 ウェザーノイドとしての役割を果たすことができなくなってしまうから。

「私、教える。雨が降るときは、ちゃんと知らせにくるから」

 私は涙を堪えながら首を振りました。

 それでは意味がないのです、アマネさん。

 なぜなら天気予報とは、明日や二日先、三日先の天気を予測すること。彼女の雨は不規則だ。アマネさん本人でさえ、雨傘を持ってあるかなければならないほど、いつ降るのか判断がつかない。きっと、わかるのは30分前後。

「ヒマワリの衛星写真にはアマネさんの雨雲が映りません。でもアマネさんにも、明日雨が降るかどうかわからないのでしょう?」

 ただ、雨に呪われているだけで。

 だから、アマネさんは昨日、嘘をついた。

 私はアマネさんが自由に雨を降らせることができると思っていて、彼女は本当のことを言わなかった。


 アマネさんも自分の雨を予測することができない。


 どうして、気づくことができなかったのでしょう。


 アマネさんは、あんなにもたくさんの雨傘を、突然の大雨に備えて抱えていたのに。


「また……私は一人になるしかないの?」

「あなたのお母さんは、この島に来ています。本当はあの人を探していたのではないですか?」

 畦道が、川の増水で消えてしまった。濁った水が道路を渡り、市道さえもを狭くしている。

 大雨。この夏、いや気象衛星のデータに存在する最大雨量を更新して、さらに雨は降り続けている。

 手が届くほどの距離の視界すら、わからなくて私は何度も袖で顔を拭ってアマネさんを見つける。見失って、すぐに見つける。

 ついこの間、ショートヘアだったはずのアマネさんの髪は、また美しく延びていた。

 石段につきそうなくらいの長さで、まるで滝のように流れる雨と同化しているかのような、奇麗で透明で、少しだけ水色に光輝く流水の髪。

「10年……10年間、私は一人ぼっちだった」、アマネさんは大きな雨音にかき消されるようなか細い声で言います。

 10年。

 その言葉は、私の想像を確信に近づける。

 やっぱり、10年前の水害からこの島の気象はおかしくなって、それはアマネさんが亡くなった日と重なって。理屈はしらない、けれどアマネさんは雨女になった。

 きっと、マザーはアマネさんをまだ探している。

 あの水害の日に行方不明になって、まだどこかで生きていると信じているのかもしれない。

 だから、10年前のデータを探していたんだ。

 オヤカタが映す写真は、雲だけではない。もっと微細に拡大し、ノイズを取り除くことができれば、航空写真くらいに詳細な画像になる。そしてさらに加工すれば、もっと判別しやすくもなる。

 それでマザーは唯一のあの日の証拠を探していた。あの日の猫島に何が起きたのか、気象衛星写真から知るために。

「……帰って」

 アマネさんは呟きました。

「マザーは、あなたのお母さんはどうなるのですか? まだ、アマネさんを探しているのに」

「帰ってっ!」

 雨がざざっ、と激しくなりました。

 私の足許は河のように水が流れて、石段からすべり落ちてしまいそうでした。

 猫島全体が、まるで巨大な放水に飲み込まれてしまいそうなほどの泥水に覆われてしまっています。肌を叩く雨は呼吸が苦しくなるほど痛い。

 ―――どかんっ、と雨音の中に何かがぶつかってひしゃげる音が聞こえました。

 私は石段を振り返って、木々の間からアスファルトの道路を見下ろします。こんな雨に、車を運転するなんて。私は、見つけました。

 一台の青い軽自動車が山道の急カーブを曲がりきれずに縁石に乗り上げてガードレールに激突していました。あれは、高木さんのナンバー。

 そのとき、アマネさんが声には出さずに口をわずかに動かしました。私はそれが何と言っているのか、はっきりとはわかりませんでした。

 ただ。私はこの瞬間、決めたのです。

 でも、その口はたしかに、あの人の名前を呼んでいました。マザーの、本当の名前を。

 アマネさんとマザーを会わせたい。

 私は軽自動車の運転手を助けるために石段を降りました。

 アマネさんはじっと、雨に打たれていつ止むともわからない雨雲を見つめて、その長くなった水色の髪をなでていました。


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