表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

嘘をつくということ

「嘘をつくにはどうすればいいのですか」

 私は鈴島研究所に戻った次の日、マザーに訊ねました。

 マザーは座敷に布団を敷いて横になっていました。どうやら、先日の雨の中で外出をして風邪を引かれたよう。

 高木さんもひどい咳をしていますが、なんとか持ちこたえているみたいです。

 夏風邪、というよりは先日の雨が冷たかったせい。

 しかし私が嘘について訊ねると、マザーは布団から起き上がって言いました。

「あなたは、嘘をつくように作られていないの。ウェザーノイドが嘘をつくようになってしまっては、天気予報の意味がなくなるから」

 そう。それはもう何度もマザーから聞かされてきたこと。

 ウェザーノイドが嘘をついてはいけない。だから嘘をつけないようにプログラミングされている。そんなこと、知っています。

 高木さんが、氷水を持って襖を開けます。

 咳をしながら、マザーの看病をしているようです。

「嘘なんかついたら、廃棄されるだろ。嘘をつくようなウェザーノイドなんかこっちはいらないんだから」

「そんなきついこと言わないで」

「わかりましたよ」

 マザーは高木さんを睨みつけて、激しい咳を繰り返しました。

 咳はなかなか止まらず、マザーは再び横になりました。

「お前、今ひまか?」と高木さんは私に訊ねました。頷いて見せると、

「近くに薬局があっただろう。薬を貰ってきてくれるかな。これ、処方箋」と高木さんは一枚の紙を私に手渡しました。

 三つ折りにされたその紙を持って、私は鈴島研究所を出ました。

 今日は晴れ、私はアマネさんに会いたくて仕方がありません。けれど、まだ私はアマネさんがこの異常気象に関わりがある、ということを知っただけでどういう原因で、なぜ雨が降るのかまではわからないのです。

 せめてアマネさんが『呪い』と云う、あの水色の髪の秘密さえわかったら。

 私はバッテリー収納用のエナメルのバッグから、アマネさんに貰ったハサミを取り出して、光に当ててみました。

 なんの変哲もない、ただのハサミ。ためしにちょっとだけ、自分の前髪を切ってみました。空を見上げる。でも空には何の変化もなく、ただ晴れた空にときどき白い雲が流れるだけ。

 どうやらこれに不思議がある、というわけではないようです。

 私はバッグにハサミをしまって、歩き始めました。

 今日の目標は、薬局。

 鈴島研究所に薬を届けた後は、おばあちゃんが言っていた10年前の水害に関するデータを集めに役所に行ってみましょう。

 猫島にはバスが通っていますが、バス停というのは数えるほどしかありません。

 うち一つが駄菓子屋、ヤギ商店の前。それから、虹色薬局の前にも一つあります。ここも、薬局というよりは民家という佇まいで、生垣に石を積み上げた門構え、それから敷石が玄関まで続いてようやく、虹色薬局という看板が。

 それに縁側や雨戸もあって、雨どいから先日の雨の水がちょろちょろと流れています。

 玄関の扉も引き戸で、薬局というよりは古いおうち。風邪薬の処方箋が書かれた紙を確認して、私は引き戸を開きました。

そこには少女が一人、廊下に座布団を敷いて座っていました。

 白衣を着て、どことなく薬剤師の風格がありますが、その下は学生服で、見た目も高校生くらいに見えます。

 ちょうどアマネさんと同じ年齢くらい。

 目の前には丸い木皿、中には煎餅がたくさん入っていて、ばりばりぼろぼろと両手に持って食べています。

「やあ、何かよう?」

 手のひらをしゅたっと上げて、ずれた眼鏡がちょっと気になりますが、その白衣の方は奇麗な八重歯を光らせて笑いかけてくださいました。

「風邪薬を頂きたいのです」

「ああ、はいはい。ぼくに用事ってわけじゃないのね。まあいいよ、じゃあ処方箋見せて」

「あのー、あなたに用事だったほうがよかったのでしょうか」

「へっ?」、その少女は目を見開いて私を見つめたあと、あっははと笑い転げました。

 廊下の上ではせっかくの白衣が汚れます。

「あんたおもしろいねえ。冗談だよ、大体薬局に来る人なんて薬貰いに来るに決まってるでしょ。ぼくは露見秋穂。にしても、あんた初めて見るけど……どこの人?」

 秋穂さんは、ずれた眼鏡を反対側にずらして私をまじまじと見つめます。

「私は鈴島研究所のウェザーノイドです。ヒマワリと言います、気象衛星と同じ名前のヒマワリです」

「ああ。あのおっかしな連中の子分ってわけだ。それにしても、ウェザーノイドっていうの? すっごいんだねえ、人間とほとんどかわんないや」

 私は思わず、一歩下がってしまいました。

 座布団をずりずりと玄関先まで引き寄せて、秋穂さんが迫ってきたからです。

 それにしても、私はマザーや高木さんのような方々に囲まれていたので……こんなにしゃべる人初めて。っていうか。あのー、眼鏡がずれてます。

「はあはあ、処方箋、なんだ普通の風邪薬ね。ちょっと待ってて、すぐ持ってくるから」

 どたどたと、秋穂さんは煎餅を口にくわえたまま、座布団を脇に抱えて奥座敷に入っていかれました。

 ふう、と私が一呼吸置いてすぐに、秋穂さんは薬を入れた紙袋を持って廊下に飛び出してきました。

「はいよっ! これ、ちゃんと薬剤師のお姉ちゃんに処方してもらったやつだから大丈夫。間違ってないから。ねーっ! おねえちゃーんっ!」と、秋穂さんは振り返って奥座敷に大声で話かけます。

「うーん……」と家鳴りと勘違いしてしまいそうなほどか細い声が玄関まで届きました。

「ごめんね、お姉ちゃんシャイだから。自分で薬局開いたのに接客ができないの。だからぼくが変わりに店に立ってるんだ。まあ、助手ってやつかな?」

 秋穂さんは誇らしげに白衣を私に広げて見せます。

 私は助手と聞いて、高木さんのことを思いました。あの人も助手。高木さん、ちょっと怖いけど、秋穂さんも怒ると怖そう。

 助手という人たちはみんな怖そうなのかもしれません。

「それでさあ、あんたウェザーノイドなんでしょ? じゃあ、天気って変えられるの?」

 私は即座に首を何度も振ります。

 どうやら鈴島研究所からこの猫島で起こる異常気象の調査をする人型観測機を派遣する、という話があったときにみんな、観測機ではなくて天候そのものを変える機械と勘違いしてしまったようです。

「え? 変えられないの? じゃあ、毎日何やってんの?」

「観測です。この島で天気予報が当たらない原因を調査しています」

「えーなんだあ。ちぇっ、ちぇっ」と秋穂さんは口を尖らせています。

「じゃあさ、明日の天気ってわかる?」

「はい。それなら―――」

 私はオヤカタ、気象衛星にアクセスして明日の天候を調べます。天気予想図、それから現在の衛星写真から雲の行方を予測。

「明日は晴れです。ここ数日間、雨は降らないみたいです」

 言うと、秋穂さんはがっくりと肩を落としてうなだれました。

「晴れんのかよー、なんだよー。だって先週も日曜雨だって言って晴れたじゃんよー、よー」

 秋穂さんはごろごろと廊下を転がります。おかげで白衣が汚れます。

「晴れると困るのですか?」

 私は訊ねました。先週の日曜はリコが最後に島の海で遊んだ日。アマネさんが、髪を切ることで雨の予報を覆して、空を晴れにした日。

 ここにもあの日、晴れることを望まなかった人がいる。私は胸が痛みました。

「ぼくはね、高校で野球部のマネージャーやってるんだ」

 起き上がって、秋穂さんは折りたたんだ座布団に顔を押しつけて呟きました。

「これ、秘密だよ。ぼくしか知らないことだから」

 私は頷きました。

「うちの野球部のエースはね、肩の調子が良くないんだ。試合を休んだほうがいいって、ぼくは言ったんだけど……あいつ聞かなくてさ。先週だって痛がりながら投げたくせに、明日も投げるっていうんだ。うちの野球部は九人しかいないし、あいついなくなると大会に出場できなくってさ」

「だから、雨が降って欲しいのですか」

 秋穂さんは「うん」と頷いて、座布団を下にしてばふっと廊下に倒れこみました。

「だってさあ、頑張ってるやつが肩痛めるっておかしくない? 野球好きなやつが野球できなくなるって、どういうこと? あいつ、雨でも降んなきゃ、肩痛めたまんまで試合出ようとするからさあー……んもうーっ!」、ごろごろと廊下を転がる秋穂さん。

 眼鏡はずれているし、白衣の裾は埃だらけです。

 私は、嘘をついてみようと思いました。先日、アマネさんが言ったように。

 今、この瞬間に傷ついてしまっている彼女を救うための、嘘。それに、もしかしたら。

 この島の気象は不安定で、私が今日まで信じてきた気象衛星の映像でさえも覆す。

 だからずっと晴れる明日に気を落とすよりも、明日天候異常が起きて雨が降ることに希望を持ったほうがいいかもしれない。

 アマネさん、私はあなたが言ったようにやってみようと思います。そしてごめんなさい、マザー。私がつく嘘で、人の心の痛みを和らげられるかもしれないのです。

―――だから、許してください。

「私、間違えました」

「えっ? 間違えたって、どういうこと?」、ぴたりと秋穂さんは廊下の真ん中で転がることをやめました。

「明日は、雨です。突如、発生した低気圧で猫島一帯は大雨に見舞われます」

「ほんとにっ?」

 やったー、と秋穂さんは座布団を天井まで放り投げて、私に抱きつきました。

 気象衛星にアクセスします、

 しかしさっきと変わらず―――明日の天気予想図に雲はどこにも見当たりません。今も。南方海域を調べても、低気圧は発生していない。

 嘘とは、こういうものですか。アマネさん。

 私は抱きつかれて頬ずりされながら、秋穂さんの髪のにおいを嗅いでいました。優しい匂い。私は彼女の気持ちを、裏切っているような気がしてなりませんでした。

「私、薬を届けないといけません」

 はっと、秋穂さんは私から身体を離して、ちょっと照れくさそうにしました。

「ごめんごめん。おつかいの途中だったね。でも、ありがとう。はい、これ薬っ!」

 私は薬を受け取って、玄関を出ました。

 秋穂さんはわざわざ外まで出てきてくれて、四つ角を曲がるまで私に手を振っていました。

 私、嘘をついたんだ。

 でも不思議と、高揚した気持ちになりません。

 もっと、思わず両手を挙げてしまうような、達成感があると思っていましたけど、なんだか少し気持ち悪い。

「アマネさん、嘘をついてもちっとも嬉しくありません」

 私は薬の袋に処方箋の髪を入れて、エナメルのバッグに入れました。次は10年前の気象衛星写真を探しに役所まで。

 私はもぞもぞとする変な感情を胸の辺りに抱えながら歩きはじめました。

 役所は薬局の四つ角を曲がったすぐそばにありました。

 市道に面した、猫島には珍しい鉄筋コンクリートの建物。けれど、やっぱり質素で小さくて、なんだかおっきな縁石みたい。

 役所のガラス扉を開くと、スーツを着たたくさんの方がばたばたとうちわや扇子で仰ぎながら、書類を捲っています。

 タバコの煙がもうもうと立ち上って、外よりも窮屈そう。

「すいません」、私が言うと、人差し指に輪ゴムをまいた若い男の人が「どうしたの」と声をかけてくださいました。

「10年前の水害に関する資料を知りませんか?」

「ああ、鈴島研究所の方?」

「はい。鈴島製のウェザーノイドです」

「へえ、まさかうちにこんな機械が来るなんてねえ。うちのとこなんて、炊飯機もまだないのに」と若い男の人が言うと、隣の眼鏡をかけた中年の男性が、

「炊飯機はあるだろ」とぼそりと呟きました。

「あれ、そうだっけ。ああ、じゃあ扇風機っ! あれさえありゃあ、おれの仕事は三倍速くなるね」

「扇風機もあるだろ。あれは課長が二階に持って行った」

「あれ? そうでしたっけ」

「そうだ。扇風機はうちにあるんだからお前はさっさと三倍働け」と眼鏡の男性は貧乏ゆすりをして言います。

「えー、でもおれの近くにないじゃーん」と若い男の人は汗をタオルで拭い、うちわで顔を仰ぎながら言います。

「ああ、それでね、ええっと。鈴島研究所の方がおとつい来てね。その資料持って行っちゃったよ。美人だったけど、こんな目が釣りあがった人」と、両手で目尻を上に引き伸ばしています。

 マザーだ。

 すぐにわかりました。

 そういえば、高木さんがマザーはたまに研究所を抜け出していると言っていた。

 もしかしたら、私の調査があまりに遅くて、マザーが自分で異常気象のことについて調べているのかもしれません。

 でも。10年前から猫島に異常気象が起きているなんて、マザーには言わなかったはず。

 その情報はおばあちゃんから聞いて役所に立ち寄って調べようと思ったのですから。

 しかしマザーも、おばあちゃんか他の方に聞いたのかもしれません。

帰ったら聞いてみましょう。私は役所の若い男の人に深く頭を下げて役所を出ました。

 海岸の堤防へと向かう坂道を下っていると、バス亭のベンチでアマネさんに会いました。私は、今日私が勇気を持ってついた嘘を知ってほしくて走って彼女の許に駆け寄りました。

「アマネさんっ! 私、嘘ついたんです」

「嘘? どんな?」

「明日、雨が降るっていう嘘です。本当の予報は晴れなのですが」

 言うと、アマネさんはにこり、と笑ってくれました。

 そして傘を一本、パンと開いて「大丈夫、その嘘は真実になる。明日、きっと雨が降る」、そう呟きました。

 アマネさんは自由に天候を変えることができる。私もそう思っていました。

 ショートヘアの髪を靡かせて、彼女は空を見上げて微笑んでいます。飛行機雲がじっと空に横たわっている。

 眩しさに顔を歪めながら。

「初めてついた嘘はどうだった?」、珍しくアマネさんから口を開きました。

「なんだか、ちょっと気持ち悪い」

 胸のもやもやが晴れなくて、私はふう、と息を吐きました。

「だから本当にするの」、アマネさんは言いました。明日はきっと雨が降る。そう願って私は青空から目を下に向けました。

「では、私行きます。お使いの途中だったのです」

「うん、また」

「では、また」

 私はアマネさんに手を振って、坂をさらに下ります。

そのうちずんずんと堤防沿いのわき道から田んぼが広がる農道に入ります。

 向日葵の咲き誇る畦道を歩きながら、私は薬袋を胸に抱いてまっすぐ鈴島研究所へと帰りました。しかしマザーは眠っていて。私は枕元に薬と水を置いて、じっと座敷に座っていました。 

 明日の天気を、気にしながら。私は空を見上げます。雲ひとつない、青空。

 その空に雨雲を願って、私は研究室のケーブルからコードを一本引っぱりだしました。そして後頭部にバッテリー電源を差し、コードにつなげてシャットダウン、眠りにつきました。

 明日はきっと、雨が降る。

 アマネさんが、それをかなえてくれる。そう思っていました。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ