傘を背負った雨女さんと駄菓子屋の話
私は生まれました。
ある一人の人間の手によって。
マザー。
私は彼女のことをそう呼称します。この言葉には母親、という意味が含まれているそうです。しかし私は血のつながりというものを持ちません。
私が生まれた場所は機械の中。
卵型の、しかしどことなく保育器に似ています。私はここで製作されました。
「ようこそ、鈴島研究所へ」、起きてとマザーは言いました。
私は四肢に力を篭めます。
起きてって何。ああ。そうか。今わかった。つまり起動する。
機械で作られた身体に電力を供給し、稼動できるよう調える。
人工知能を立ち上げて、思考をする。目が覚めた。瞼を上げて、視界のノイズを一つずつ潰す。私は人間とは違う生を持ってここにいます。
高木さん、というマザーの助手をしている男の人が私の身体を起こしてくれ、肩をぽん、と叩きました。ぎいぎい。音が鳴ります。これは私の身体が軋む音。人が作った筋肉が動く音。
でも、あれ。電源コードが抜けない。よいしょ。あわわ、あっ、抜けた。
「今日の天気は晴れです、マザー」、私は言いました。
「うん。そうみたい。でも、天気は聞かれたときだけでいいわ。それよりも、気分は?」
「悪くありません」
親機である、気象衛星ヒマワリから受け取った情報によると、雨は週明けにならないと来ないようです。
私はウェザーノイド。人型気象定点観測機。気象衛星〈ヒマワリ〉、親の名前と同じように研究所の皆さんは私のことをヒマワリと呼びます。
「初めまして、かしら?」
「いいえ。シュミレータ内で何度もお会いしています」
私の言葉を聞いて、マザーは満足そうに頷きました。
大丈夫みたい、高木さんにそう合図します。
「どう? その身体」、襖に背中を預けて、マザーは言います。
私の身体、腕が白くて髪が金色。それから15歳程度の少女の標準体型。やや幼い面立ちや、くりっとした丸い目、ゆるくカーブのかかったショートカットなどはマザーの趣味かも。
「とてもよいです。気に入っています」、そう答えると「よかったわ」とマザーは微笑みます。
眼球カメラの照準を設定し、周りを見渡す。
古い民家に機械がずらりと並び、配線の束や機材が熱を持っていて。室内は少し暑いです。
それに、季節は―――夏。
初夏の眩しい太陽が、雨戸の桟や障子も飛び越えて、私の頬を照らしています。どうりで雨が降らないわけです。
「この島の天候は良好です。なぜ私が起動されたのか、教えていただけますか」
気象衛星では観測不能な天候。
世界にはそういった事例がいくつか存在する。
人型の私が起動される理由は一つ。はるか上空から雲を観測する気象衛星が把握できない気象を調査する。それしかないようなのです。
観測を乱す原因を探るために、定点観測機が作られた。というわけです、新しくプログラムされた情報から参照。
「あなたはね」、マザーは白衣のポケットに手を入れたまま、静かに息を吐く。
「この島を調査するの。地球を周回する気象衛星からのデータがここ最近、ひどくずれているの。昨日は晴れだったはずなのに雨が降ったでしょう?」
私は頷く。
私は宇宙空間にいる気象衛星にアクセスして、気象記録を受信。結果、雨という予報はありませんでした。しかしマザーは昨日雨が降ったと言っています。
天気予報が外れただけ。
私はその解釈がどれほど無意味かを知っている。昨日の空には雲が存在していないから。
その日は夏の高気圧に覆われて、にわか雨を呼ぶような積乱雲も見えません。つまり、気象写真に載らない雲が昨日、雨を降らせた可能性があるようです。
不思議でならなくて、私はマザーに訊ねたくなりました。
「どうして、雲もないのに雨が降るのですか」、私が真剣な面持ちで言うと、マザーはふふ、と笑います。
「それを調査するのよ。そのために、今あなたはここにいるの」
そのために私がいる。
私は拳を握って身体に力を篭めました。
調査をして、集積したデータから原因を究明してマザーの役に立ちたいと思ったから。
気象衛星ヒマワリを親機とするたくさんの妹たちのためにも。
もし私の頑張りが認められるならば、妹がたくさんできる。私の仲間が増える。それが私の喜びであり、願いです。
ここは瀬戸内海浮かぶ、猫島。
その由来となったネコが、今も「なー」と縁側に寝転がっています。
しかしこの島はどうしてこうもネコが多いのでしょう。そこらじゅうをぴょんと飛び交っています。ネコは行儀良く座って、研究所内に張り巡らされた配線を眺めています。
眠っていた卵型の機器から、私は畳に足を移して。立ち上がると、少しぐらつきますが、どうやら大丈夫。しかしネコが足許をすり抜けて、その拍子に私は転んでしまいました。
「……い、いたい」
くすくすと、マザーも助手の高木さんも笑っています。
見ているだけなら、手を差し延べて起き上がらせてくれてもいいのに。
私は頬を膨らませながら自分の足で立ち上がりました。
けどもう転ばない、自律システムもうまく調整できた。蝉の鳴き声、そして潮の香りがほのかに香って心地いい。
私は水色のワンピースに袖を通して。赤い靴と花柄の靴下。腕時計は内蔵されているから本当はいらないけれど、せっかくだから。それにバッテリーの入ったエナメルのバッグを持って玄関に立ちました。
「では、調査に出かけます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
マザーは私に手を振ってみせました。
だから、私も手を振って「お昼までには帰ります」と返事をしました。
私は食事をすることがないのですが、ウェザーメイドは人間に近い人工知能を持っています。人間らしい機械、それが私。
調査をする、という性質上好奇心は必要なようで、それを突き詰めると私みたいに人に近くなっちゃうという話みたい。
引き戸を引くと、ガラスがガララと音を立てます。
外は快晴。
雲を探すのが難しいくらい。
夏の暑さは私には体感できないけれど。でも白い肌が太陽できらきらに輝いているのを見ると、日ざしの強さがなんとなくわかります。
夏ですね、暑いですね。私はネコに話かけます。返事は「なー」、だから私も「なー」と首を傾げてネコの顔を覗きこみます。
私は道路に出て、日ざしをよけるために手のひらで額に庇を作って空を見上げる。
―――澄み渡った空。
どこまでも青い空。
もしかしたら、私の親機が見つかるかも。なんて。彼は今宇宙空間、しかも赤道軌道上。見つかるわけないの。だけど、奇麗。
うーん。この赤い革靴、靴底溶けちゃわないかしら。
私は足の裏を見る。今は大丈夫、だけど後々ちょっと心配。
私は猫島の地図を広げました。
そうだ、今度地図のはじっこにシールつけよ。
現在地は島の南側、鈴島研究所。
昨日、不自然な雨が降り始めたというのが、北側。
ちょうど島を縦断しなきゃなんないけど、お散歩できるし行ってみましょう。
島には高い建物なんて一つもなくて、中くらいの山が一つ、それに連なって丘くらいの勾配がちらほらあって。そこを登るのは大変かも。
でも私はエナメルのバックを肩から提げて歩きます。
だって調査だから。少しくらい歩くのつらくても頑張るの。
私は小高い丘の麓にある駄菓子屋さんを目指します。一つ角を曲がって川沿いを歩く。橋を渡ると、畦道に。
山へとまっすぐ伸びたでこぼこの道を突き進んで、蝉の鳴き声を聴く。雨なんてもうずっと来ないのかもしれない。そんな不安さえ感じてしまう、夏の風。
畦道を渡るとアスファルト道路に出ます。
山を越えるための山道で、夏祭りの数日間は、この道は大変込み合うそう。でも今日は車は一台もとおりません。
斜向かいに郵便ポストとバス亭。それからお店のサンルーフ。目指していた駄菓子屋の名前は、ヤギ商店。八つの木でヤギ商店というのだそうです。
ここのおばあちゃんはこの島にずっと住んでいて、何でも知っています。
私は駄菓子を買いに来たわけじゃなくて、島の天候がいつ頃からおかしくなったのか聞くために来た。そう心に言い聞かせます。
でないと、猫のシールとか、お菓子とか探しちゃいそうだから。
「すいませーん」
店は薄暗く。正面に見えるのはガラスケースとレジ。
その奥が上がり框で、その先は民家の敷居になっています。暖簾が掛かっていて、おばあちゃんが顔を出しました。
「何ぞ用かいね」
「あの、私……今日からこの島の調査をすることになったヒマワリです」
「ああ、ウェザーノイドさんね。そういえば、寄合で聞いたねえ。ご苦労さん、今日引っ越してきたんかね?」
「いいえ、あの、今日目が覚めたんです」
「ほーう。じゃあずいぶん長い間寝とったんかいねえ」とおばあちゃんはコクコクと頷いています。
「はい。寝てました」、私も首肯します。
寝ていた、という言葉が適切かはわからないけど、でもあの卵型の機器の中で眠っていたんだから間違っていないと思う。
「それで、どうかね。わかりそうかい、猫島の天気は」
訊かれて、私は顎に手を当てて考え込む。
正直、まだこの島の異常気象がよく理解できていないのです。
「あの……昨日は雨でしたか?」
「ああ、そうだね。雨が降った。オヤカタはなんて言ってんだい?」
オヤカタ、とは親機のこと。
人間でいうところの、仕事上の上司というところでしょうか。
マザーは肉親、気象衛星の親機は親方。
ウェザーノイドとは言っても、やはりデータを相互にやり取りする間柄よりも、自分を作ってくれた人をマザー(母親)と呼んでいます。
「オヤカタは、昨日雨なんてなかったと。降っている時間帯も高気圧に覆われていたそうです」
「そうかい。やっぱりねえ」
おばあちゃんは、そう言って暖簾の向こうに帰っていきました。
しかしすぐにアルバムを持って「この島の異常気象は10年前の水害があってからなんだよ」とレジまで降りてきてくれました。
ガラスケースの上で開かれた、写真。
そこには島の家屋が数軒、壊れてしまった跡。
ぐしゃぐしゃになって、西海岸の砂浜まで押し流されています。それから、さっき歩いてきた川沿いは道なんて見えなくて、濁った水で溢れかえって。
なんだか、この島の写真と言われても信じたくない気持ち。
「あんた、一つ聞きたいんだけどこのときの写真ってあるかね。7月10日だよ。衛星写真でも、天気予想図でもいいんだけどさ」
私は天井を見上げる。
親機、気象衛星にアクセスして10年前の夏の日の天気図を検索。オヤカタからの答えは「なし」、その日の記録は存在しない。
「おかしいです。たった10年前の記録がないなんて」
私はもう一度、この島の10年前の7月10日の記録を検索する。
しかし同じように、返答は「なし」、じゃあ、と私は四国南部地方の同年同日の記録を検索。すると、200件にも及ぶ資料が、簡易検索ながら出てきた。
「オヤカタの故障じゃ、ないみたいです」
「そうかい。じゃあ、やっぱり10年前の7月10日になんかあったんだねえ。わたしゃあ、天気に詳しくないからわからないけどさ、その日の記録ってやつを探してみたらどうだい? きっと、役場かどっかに保管されているかもしれないよ」
私は頷いた。
「その写真、スキャンさせてもらってもいいですか?」
「ええよ。天気予報が当たらんと、ここら辺の家はみんな困るからなあ」
私は、おばあちゃんのアルバムから数枚、7月10日の写真を胸に押し当てる。
蒼白い光とともに、私の身体に画像データが流れて、人工知能内に保存。うん、ばっちし。
「ありがとう、おばあちゃん」
「おお、がんばりい。ヒマワリちゃん」
猫のシールと飴や景品のおまけをいくつか頂いて、私は駄菓子屋を出ます。
郵便ポストの横に立って、サンルーフの陰で少し休憩。歩くの久々で疲れちゃった。ちょうど、バス亭の後ろにペンキ剥げのあるベンチがあったから、私はそこに座った。
ふう。風が気持ちいい。
ちょうど海岸線が見えて、白い砂浜に堤防と真っ白な灯台。それから船が二隻。沖へと出て行きます。
私は小さく手を振ってみました。あの船から私の姿は見えないだろうけど。
「なー」と三毛猫が私の膝に乗って、顔を洗っています。
「雨が降るのですか?」、私はネコに訊ねました。
よく、ネコが顔を洗うと雨が降ると言うけれどホントかな。バスがベンチの前に止まります。首を振って、乗らないと伝えます。
ネコ、寝ちゃった。
雨が降るのかどうか、もっと訊きたかったのに。けれど、昼下がりの日ざしは日中よりも弱くて、ついうとうととして私まで寝てしまいました。
起きたときには日が沈みかけていて、ちょうど海岸行きのバスが目の前に止まったところでした。ブレーキ音で目が覚めて、私は目をこする。
「乗ります?」、白髪の運転手が私に訊ねます。首を振って、「ネコが寝ていて、立てないんです」と言いました。
「あー、猫島のネコは人懐っこいからね。早く帰んないと、ついて来ちゃうよ、その猫」
運転手は笑って、バスの扉を閉めました。ブロロ。バスのお尻から排気が出て、車はゆっくりと動き出した。なんとなく、ぼうっと見送ります。
はーああ。
帰らないといけないけど、ネコは眠ったまま。そのとき、私の隣に人が立ちました。ぽたり。雫が地面を叩く音。アスファルトを水で濡らす音。
まっすぐ山の向こう側を見つめる、水色の髪をした女の人が立っています。ぽたり。雫は、その女性の髪から落ちている。どうして、空はこんなにも晴れているのに。
「傘……、拾い物」
私は彼女を見上げました。
その女性は淡いグリーンのセーラー服に、真っ赤なリボン。
濃紺のソックスに茶の革靴を履いています。でも一番目を引いたのは奇麗ではっきりとした顔。意思が強そうな瞳、水色の髪はしっとりと濡れていて、それから二十本くらいを束にした傘を背中に背負っている、不思議な人。
「傘、いる?」、手に持った傘を使ってほしい、ということなのかも。
でも空は夕暮れだけど澄み渡っています。日傘? でも、もうすぐ夜になるし。
「お名前はなんですか?」
その方はちょうど私と同じくらい。
目が覚めて、初めて近しい年齢の方をしゃべるのですから、これは友だちになるチャンスかもしれません。
「……雨音」
アマネ、さん。アマネさんは傘を私に差し出したままで小さな口を開きます。
「傘、使って。もうすぐ降るから」、アマネさんは空を見上げました。
夕暮れのオレンジ色の空。
奇麗な―――夏のアプリコットカラー。
でも何かがおかしい。私は目を擦って、もう一度開きました。すると空はすでに雲に覆われていて、雨が落ちていました。
あんなに晴れていたのに。私はオヤカタ、気象衛星親機にデータを取り寄せる。今日の天気、今現在の猫島の気象天気図。
「雲が……ない」
気象データにはまったく雲が映っていない。
アメダスにも気象レーダーにも何にも雨を呼ぶ情報がない。気象衛星から見た猫島周辺には本来、雲なんてないはず。なのに。
「私、雨女だから」とアマネさんは呟きました。
どこか物憂げで悲しそうな表情で、私に傘を差し出します。
思わず、受け取ってしまって。私は空を見上げました。あんなに晴れていた夏の空。それが今はどこにもない。
サアア、と雨粒が風に流されて、煙るような雨。でも少しずつ上空の雲も厚みを増して、雨音も強くなっている。どうして、なんて考えることすらできません。ありえない、ことだから。
「アマネさんは、雨女なんですか」
こくっ、と一度大きく頷かれました。
アマネさんはそれ以上何も答えずにただじっと、私が傘をさすのを待っているようでした。
彼女がたくさんの傘を背負っている理由。人に傘を渡す理由。
少しだけわかった気がします。
「どうして、雨女なんですか?」
私の質問がおかしいのはわかっています。
そもそも気象衛星の子機である私が、雨女なんて迷信に近い話を間に受けてしまうのもおかしな話なのですが。でもアマネさんは雨が降ることを知っていた。
この気象衛星では映らない雲、異常気象の発生を言い当てたのです。
信じる、というよりも彼女と雲には何か因果関係があるような気がします。
「呪い……だから」
アマネさんは言いました。呪い、私には理解不能の現象。
私は受け取った傘を開いた。
ジャンプ式の深張り傘がパン、と音を立てます。アマネさんは自分では傘を差さずに、ただ空を見つめて雨を全身で受けていました。
ライトグリーンのスカートが濡れて、重たく彼女の真っ白な足に張りついて。セーラー服のリボンもどこかしゅんと悲しげ。
「呪いを解く方法はないのですか?」
アマネさんは首を振ります。その無表情の中に、諦めと苦しみが入り混じった仕草。肘を掴んでセーラー服を強く握って、唇を軽く噛んでいます。
もう何度も自分の行く場所で雨が降ってたくさんの人を困らせて……、だからアマネさんはその背中に傘を背負ったのでしょうか。
一本だけ、真新しい傘を背負っています。蛇の目の奇麗な傘。
「その傘、奇麗ですね」と私は言いました。
「これは……大事な傘だから」
私はその奇麗な蛇の目傘を見つめて言います。
「大丈夫です、アマネさん。私はこの島を調査しに来ました。だから、その呪いを解くのも私の仕事なのです、きっと」
傘の柄をくるくると回しました。
機械である私に、呪いというものを解けるかはわかりませんが、たしかに気象衛星写真に映らない雲を見ました。その原因が呪いだとは、私には言えません、でも。
あの雲を解析すれば、きっと雨が降る原因がわかる。
そしてそれがアマネさんの呪いを解くことにもなる。きっとそうなのです。
私が微笑むと、少しだけアマネさんの表情も緩みました。
私は傘で彼女の肩まですっぽり雨から守ります。
アマネさんはそっと、私の中指と薬指を優しく握りしめてくれて、重たい雨がばらばらと傘を打つのにふわりと身体が浮いたような気持ち。
バス亭に、最終バスがやってくる。
ちょうど私たちがバスを見遣ったときに、ライトがちかっと光った。バスが止まって、タラップから小さな少女が降りてぐすぐすと泣いています。
必死に涙を堪えようとしても、目の前が涙で滲んで、拭いてもすぐに目元から頬へと流れ落ちています。女の子は赤い雨合羽を着て、長靴で私たちの前に立ちました。
バスは女の子を降ろしたのを見ると、やがて発進。
「どうして泣いてるの?」、私は訊ねた、けど。女の子はぶんぶんと激しく首を振って、泣いてないと震える声で言います。
アマネさんはその子の顔を覗きこむと、「たしか、駄菓子屋の孫……」と呟きました。
そして考える仕草をして、「名前は、たしか菰野と言った。菰野リコ」と囁きます。
「ねえ、あなた。今週の日曜日の天気わかるんだよね」
リコはきゅっと私を見上げ、言う。
「はい。私はウェザーノイドですから。来週の日曜の天気は―――」
「晴れにして」
「はい?」
「晴れにしてって言ってるのっ!」
女の子は固く雨合羽を握りしめて、うつむいています。私は困惑してしまいました。
私はウェザーノイド。天気を観測するためだけに作られた機械。天気を予測することはできても、気象を変えることまではできない。
「今のところ、明日は雨です。南から低気圧が北上して、週末はほぼすべての時間帯で雨になる、と予報が出ています」
それから―――。雨の予報をしても私は彼女を見ることはしなかった。
それはアマネさんを傷つけることになってしまうから。
週末の天気に関しては、アマネさんは関係がない。気象写真に映らない雲があってもなくても、来週の日曜は大雨。はっきりと天気図に映った雲が降らせる雨。
でも、女の子はさらに涙をぽろぽろと零して鼻も目も真っ赤にして泣いています。
「どうして? どうして、晴れにしてくれないの?」
女の子は私に抱きついて、願いごとをするかのように腕に、手にぎゅっと力を込めています。
「あなたは菰野リコ、と云うのですか?」、女の子は「うん。リコ、菰野リコ」と頷きます。
「では、リコ。許してください。私に天気を変える力はありません」
どうか、許してください。
気象衛星が宇宙空間から天候を操作することもできずに、ただ雲の行方を追っているのと同じように、私もまた集積した気象データを許に少し先の天気を予測することしかできないのです。
「それに、天気は一人の人間のものではありません。誰かの願いを聞けば、また違う誰かが悲しい思いをしてしまうものなのです」
そう。週末、雨が降ってほしいと願った誰か。
リコの願いを聞けば、空は晴れるかもしれない。けれど晴れた空を悲しいと思う人だっているはず。
リコはぎゅっと抱きしめていた腕を解いて、悔しそうに雨合羽の袖で涙を拭って頷きました。そして小さな声で、わかった。と。それだけ言い残して、駄菓子屋の中に入ってしまいました。
雨が少しだけ強まって、傘を打つ。
アマネさんは駄菓子屋のガラス戸に消えていく真っ赤な雨合羽を寂しそうな表情で見つめています。
相変わらず、表情は希薄で物憂げだけど。なんとなくわかるのです。
「どうして……嘘をつかなかったの?」、アマネさんは私にそう呟きました。
「嘘、ですか? どうして嘘をつくのですか?」
嘘。アマネさんが言っているのは、来週の日曜に例え雨が降るとしても、リコに晴れると答えればよかった。リコはきっと喜んだはず。そういうことでしょう。
しかしその嘘には何の意味もありません。晴れる日を待ちわびて、それが裏切られたときの気持ちのほうがもっとつらい。
それに、私は機械。
嘘をつくようにプログラムされていない。もし私が都合よく嘘をつくことができるのなら、私の口から伝えられる天気予報など誰も当てにはしないでしょう。
だから私は―――嘘をつかない。
「でも、リコはきっと傷ついた」
アマネさんは、私が差した傘から抜け出して、ちょっと駆け足をしたあと、立ち止まって私の方を振り返り、
「晴れる。きっと晴れるよ」と呟きました。
水色の髪の毛が淡く輝いているようにも見える。雨を落とす空を見上げるアマネさんがどんな顔をしているのか、私にはわかりません。
雨を身体全身で受けて、アマネさんは一人で歩き始めました。
背にたくさんの雨傘を背負って。
私は彼女に何か言おうと何度も口を開きかけましたが、言葉を紡ごうとすると消え、また消えて結局、何も声をかけることもないまま、ただじっと彼女が歩く後ろ姿を見守るだけでした。