【第1話】コップ1杯の水すら予測できない理由 〜3重の不可能性〜
【登場人物】
・ミーナ(ギャル):ワンルームの主。直感と常識で生きる。推し活とバイトで多忙。
・アルベルト(物理学者):若手物理学者。専門知識は超一流だが空気は読めない専門バカ。
・ソクラ(哲学者):ストールを巻いた哲学者。主観や現象学からマウントを取る。
・賢者:異世界から居座る老人。コタツでミカンを食べながら本質を突く。
本編
都内某所、ミーナのワンルームマンション。
「……ねぇ、アル君。物理学ってさ、ぶっちゃけ何でもお見通しなの?」
ソファでスマホをいじりながら、ミーナがふと思い立ったように尋ねる。
「フッ……愚問だなミーナ君!」
ホワイトボードの前に立ったアルベルトが、ドヤ顔でメガネをクイッと押し上げた。
「現代物理学の精度を舐めてもらっては困る。ニュートン力学から量子力学、熱力学に至るまで、我々は自然界の法則を完璧に数式化している。理論上、初期条件さえ分かれば世界の未来はすべて計算可能なのだよ!」
「へー、じゃあさ」
ミーナはローテーブルの上に置かれた透明なコップを指さした。中に冷たい水が入っている。
「そのコップの中の水分子って、1秒後にどこでどう動いてるか完璧に予測できる?」
「……ハッ! コップ1杯の水だと!?」
アルベルトはバカにしたように鼻で笑った。
「たかが水滴の集まりじゃないか! 量子力学のシュレディンガー方程式と分子動力学を用いれば、そんなものは造作もない……と言いたいところだが、実は……」
急に声のトーンが落ち、汗をたらりと流し始めるアルベルト。
「実は……計算できないのだ……」
「え、できないの? ダメじゃん」
「だ、ダメではない! できないのには物理学的な【3重の不可能性】という絶対的な壁が存在するからなのだよ!」
「サンジュウのフカノウセイ? なにそれ必殺技?」
1. 『3重の不可能性』という壁
「クックック……相変わらず惨めだなアルベルト君」
部屋の隅でハーブティーを優雅にすすっていたソクラが、不敵な笑みを浮かべて会話に入ってきた。
「ミーナ君、彼が言えない情けない真実を教えてあげよう。科学者どもは『未来は予測できる』と大口を叩きながら、目の前のコップ1杯の水すら予測できないのだ。なぜなら、彼らの信じる物理法則など人間の勝手な妄想に過ぎんからな!」
「哲学野郎! 科学の限界を勝手な妄想と片付けるな!」
アルベルトがホワイトボードを叩きながら叫ぶ。
「いいかねミーナ君! 1つ目は【量子論の不確定性】だ! ミクロな粒子は位置と運動量を同時に正確に測定できない!」
「ふんふん、小さすぎて測れないんだ!」
「2つ目は【多体問題のカオス】! 粒子が3つ以上集まると、ほんのわずかな誤差が時間の経過とともに指数関数的に巨大化し、計算が破綻する!」
「それ知ってる!バタフライ効果ってやつだよね」
「そして3つ目が【熱力学的・情報論的限界】だ! コップ1杯の水には約10の23乗個という狂った数の分子が入っている! この全分子の位置と速度を同時に測定しようと光を照射した瞬間、その観測エネルギー(熱)で水の状態そのものが激変して測定が無意味になる! さらにだ……!」
「さらに?」
「仮に奇跡的に測定できたとしても、その10の23乗個のデータを記録・計算するためのメモリ領域と電力は、地球上の全コンピュータを集めてもどころか、宇宙全体の原子の数でも足りない!! 物理的に計算機が作れないのだよ!」
「えぇ……宇宙レベルでメモリ不足ってこと? ヤバすぎでしょ!」
ミーナは思わずコップから身を引いた。
「つまりだな! 完璧に予測しようと観測した瞬間に、観測対象そのものを破壊してしまう! これが理論物理学が突き当たった【3重の不可能性】なのだ!」
2. 粗視化という名の妥協
「ほら見ろ」
ソクラがストールを揺らしながらフッと息を吐いた。
「結局、科学者どもは完璧な未来など何一つ計算できていないのだよ。彼らが『天気予報』や『水の温度』と言っているものは、ミクロな真実を諦め、大雑把にごまかした主観的イリュージョンに過ぎん」
「ごまかしと言うな! それは【粗視化(Coarse-graining)】という立派な統計力学の手法だ!」
「名前をかっこよく変えただけの妥協だろうが!」
またしても胸ぐらをつかみ合ってレスバを始める二人。
「あー……はいはい。要するにさ」
ミーナが呆れた顔で二人を割り込む。
「コップの中の分子ひとつひとつの動き(ミクロ)はぐちゃぐちゃで絶対予測不可能だけど、『全体として水温20度くらいで静かに存在してる(マクロ)』っていう大雑把なまとめ方なら分かるってこと?」
「「……むっ!?」」
ピタリと動きを止めるアルベルトとソクラ。
「……そ、その通りだミーナ君。ミクロな詳細を切り捨てて、マクロな平均値だけを抽出する操作……それこそが『粗視化』なのだ」
まとめ:ミクロはカオス、でもマクロは?
その時、コタツの布団がガサゴソと動き、賢者がミカンを手に顔を出した。
「ふむ……アルベルトよ。お主の説明は『なぜミクロな予測が不可能なのか』という前提(第2章)の解説としては合格じゃ」
「け、賢者……!」
「だがミーナよ、ここで一つの巨大な疑問が生まれるはずじゃ。ミクロな世界がそれほどカオスで、3重の不可能性に阻まれておるなら……なぜ僕たちの生きるマクロな世界は、これほど平和で予測可能に見えるのじゃろうな?」
賢者はミカンを1房口に放り込み、意味深にニヤリと笑った。
「え……? 確かに。ミクロがそんなにぐちゃぐちゃで爆発するレベルなら、ウチらの日常だって一瞬で崩壊してカオスになってなきゃおかしくね?」
「そう! これこそが本論文の出発点……『なぜミクロは絶対予測不可能なのに、マクロな世界には予測可能な長期安定構造が生まれるのか?』という謎なのだよ」
ミーナは腕を組んで納得の表情を浮かべた。
「なるほどね……! 完璧に計算できないのは分かったけど、じゃあなんで普段ウチらは普通に未来を予測して生活できてるのかって話か!」
「フッ……その答えは、次回のお楽しみじゃな」
賢者が温かいお茶をすする横で、アルベルトはホワイトボードの「3重の不可能性」の文字を見つめながら呟いた。
「ミクロの不可能性を踏まえた上で、なぜマクロな予測可能性が創発するのか……次回、天体力学の謎へ挑むとしよう……!」
「いや、ドヤ顔で引っ張らなくていいから。次は日食と月食の話ね!」
(第1話・おわり)
次回は
【第2話】じゃあなんで天体運動は完璧に当たるの? 〜過渡期のデスゲームを生き残った者たち〜
です。
金曜17時投稿予定です。




