プロローグ 『その夜、初めて地球人を殺した』
──その夜、私は初めて地球人を殺した。
地球がこんなに寒いなんて知らなかった。
私の住む場所はもっと寒くて、ずっと雪が降っていて、でも今は、地球のほうが寒く感じる。
学校の屋上に身を隠し、手すりの隙間から下を見下ろす。
彼女──標的は、校門の前で手をこすり合わせながら何かを、誰かを──私を待っているようだった。
今夜学校の校庭で待ち合わせしよう。
そう彼女に伝えたのは私だから、彼女がここに来るのは当然だった。
指先を遠く先の彼女に向けて、照準を定める。
夜の風は地球も同じように強く冷たく、私の束ねた髪を激しくなびかせた。
技を使うときの痛みには慣れているはずなのに、痛くて痛くてたまらなかった。
「ルルナ」
背後から名前を呼ばれ、私はぎゅっと目をつむった。
「何をしてる。いい加減撃て」
いつまでも標的を撃たない私に苛立っているのだろう、ロッキー先生の声に怒りが滲んでいるのがわかる。
──分かってる。殺さなきゃいけない。
鎖骨の奥のあたりがジンジンと痛む。
遠く先の彼女が、キョロキョロと辺りを見渡す。
私との約束の待ち合わせ時間は当に過ぎているからだ。
ひとしきり見渡したあと、星空でも眺めようとしたのか、月を探そうとしたのか、彼女は見上げて──私の姿を捉えた。
「あっ──」
気付かれた焦りで出た声と共に、後頭部に鈍い痛みが走った。
「ルルナ。撃て」
ロッキー先生の指先が私の頭の後ろに力強く押し付けられていた。後頭部からの細い痺れが背骨を伝い落ちる。
彼女に集中しすぎて、背後の気配に一切気付くことができていなかった。
先生の声は先ほどと比べてさらに低く、これ以上の猶予を許さない厳しさがあった。
この寒さの中、首元を汗が伝った。
「お前が直ちに撃たなければ、俺がお前をこのまま撃つ」
後頭部に感じる指先が、1本から2本に増えた。殺傷力のある狙撃魔技を出すときの構えだった。
身体が硬直して振り返ることすらできない。
「あの標的と自分の命、比較して判断しろ。今すぐにだ」
標的は校門をくぐり、こちらに向かってきている。校庭から大きく手を振り、何かを叫んでいるようだった。不思議そうな表情をしている。
おーい。どうしてそんなとこにいるのー?
多分そんなことを叫んでいるのだと思う。
鎖骨の奥の痛みがさらに増す。夜風が吹き、汗の冷たさが不快だった。
殺さなければならない。それ以外の選択肢は最初から与えられていなかった。
もう一度右手の指先を二本立て、ゆっくりと標的に向ける。震える指先のせいで、照準が合わない。それでも殺さなければならない。ロッキー先生は、私が標的を撃たなければ本当に私を殺すつもりだろう。
大きく息を吸う。
痛みが鎖骨から肩へ移動し、腕を通っていく。
こちらへ歩いてくる標的に合わせて指先の位置を動かす。
痛みが手の骨を伝い──指先へと集まった。
「ルナちゃーん! そんなところにいたの?」
近づいてきた彼女の声が耳に入ってきた。
まるで暖かいスープのような、優しい声。
「ルルナ! 死にてぇのか!」
一瞬躊躇した私に気付き、ロッキー先生は私の肩を強く掴んだ。
私はハッとして、また指先に意識を集中させる。
──ごめん、詩月ちゃん。
「アンヴァス!!」
そう唱えた瞬間指先が熱い光で包まれ、標的に向かってまっすぐに放たれた。辺りが光で真っ白になる。
狙撃の反動で後ろに倒れそうになった私を、ロッキー先生が受け止めた。
パァン!!!
耳の奥を突き刺すような高い破裂音が響いたのち、辺りが静まり返り、自分の荒い呼吸音が耳に入るようになった。
力の入らない足を何とか前に進ませ、屋上の手すりに手をかける。
校庭に、少女がひとり、うつ伏せで倒れていた。白く焦げた彼女の姿が目に入り、サッと血の気が引いていくのが分かった。
「うああああああああ!!!!詩月ちゃあああん!!!」
手すりを飛び越えて彼女の元へ行きたかった。でも、今の私にロッキー先生の制止を振りほどく力は残っていなかった。
涙で彼女の姿がぼんやりと霞んでいく。
「詩月ちゃあああん!!!」
ぴくりとも動かない彼女に呼びかける声だけが、虚しく夜に残された。
──その夜、私は初めて地球人を殺した。
その事実だけが、私の中に残った。




