第六十話:権限外の『バグ』
『消えなさい。「存在消去」』
女神セレスティーナの手から放たれた極大の光球が、ミナトを飲み込んだ。
それは爆発ではない。触れた物質を、この世界を構成するデータごと「無」へと還元する、管理者の絶対命令。
花畑が、小川が、光に触れた瞬間に「最初から無かったこと」になっていく。
ミナトの姿もまた、光の中に消えた。
女神はつまらなそうに手を下ろした。
『あっけないですね。バグと言っても、所詮はプログラムの一部……』
「……おい」
光の中から、声がした。
『……え?』
女神が目を見開く。
光が収束した場所。そこには、五体満足のミナトが立っていた。
いや、ただ立っているだけではない。彼の体は黄金の光を帯び、女神が放った消滅エネルギーを、まるで「栄養」のように吸い込んでいた。
「ごちそうさん。……随分と濃い魔力だな」
ミナトが、口元を拭う。
『ば、馬鹿な……!?』
女神の声が裏返る。
『今の攻撃は「物理ダメージ」ではありません! 貴方の構成データを「0」にするコマンドです! 耐久値など関係ないはず……!』
「ああ、そうだな。だから書き換えた」
ミナトは平然と言った。
「『対象:俺への攻撃判定』を『回復リソース』にな」
『……は?』
女神が絶句する。
攻撃を無効化したのではない。攻撃という「概念」そのものを、自分に都合よく書き換えたのだ。
『ありえません……! わたくしは管理者! 貴方はただのユーザー! 下位権限が、上位権限の命令を上書きするなど……!』
「あんたが作ったシステムだろ?」
ミナトが一歩踏み出す。
「完璧すぎて、逆に穴だらけなんだよ。……俺みたいな『バグ』が入り込む余地があるくらいにな!」
『おのれ……! ならば!』
女神が指を弾く。
『「重力係数」――1000倍!』
ズンッ!!
空間そのものが歪むほどの重圧がミナトを襲う。だが、ミナトは涼しい顔で歩き続ける。
「『重力耐性』――無限大」
『「空間座標」――固定!』
ミナトの足元の空間が凍結する。
「『座標定義』――流動化」
ミナトは、固まった空間を水のようにすり抜ける。
『「酸素濃度」――ゼロ!』
「『呼吸不要』――適用」
『「視界」――遮断!』
「『心眼』――全開」
イタチごっこ。
女神が世界のルールを変更し、ミナトが即座に自分のステータスを書き換えて適応する。
天空の庭園で、目まぐるしく「理」が衝突し、火花のように空間に亀裂が走る。
『なぜ……なぜ屈しないのです!!』
女神の表情から、余裕が消え、焦燥が浮かび上がる。
『わたくしはこの世界の神! 全てはわたくしの思い通りになるはずなのに!』
「それは、お前が『痛み』を知らないからだ」
ミナトが加速する。
重力も、大気も、空間さえも無視して、女神の目の前まで肉薄する。
ミナトの体からは、バチバチと異様な音がしていた。
皮膚が裂け、金色の血が流れている。
システムへの無理な干渉は、生身の肉体に凄まじい負荷を与えていた。
だが、止まらない。
「俺たちは、泥水をすすって、理不尽に耐えて、それでも生きてきた!」
「クリック一つで世界を変えるお前とは、覚悟の重さが違うんだよ!」
ミナトが拳を振り上げる。
剣ではない。怒りを込めた、ただの右拳。
『ひっ……! くるな!』
女神が悲鳴を上げ、両手を前に突き出す。
『「絶対防御障壁」展開! 耐久値・測定不能! 物理干渉・完全無効!』
彼女の前に、虹色に輝く幾重もの壁が出現する。
この世界のいかなる攻撃も通さない、神の盾。
ミナトは、その盾を見据え、右拳に全ての「改竄」を集中させた。
「耐久値が測定不能なら……!」
「その『設定』ごと、ブチ壊す!!」
「『防御貫通』――絶対固定(100%)ォォォッ!!」
ドォォォォォンッ!!!!
拳が、絶対防御の障壁に突き刺さる。
バリンッ! パリーンッ!
神が作った最強の盾が、薄氷のように粉々に砕け散る。
『う、そ……』
女神が呆然とする目の前に、ミナトの拳が迫る。
「これは、俺を利用された分!」
「これは、高橋たちの分!」
「これは、田中さんの分!」
「そしてこれは――!!」
「ギルガメスと、魔物にされたあの爺さんの分だァァァッ!!」
ガッッッッッッッッッ!!!!
生々しい打撃音が、天界に響き渡った。
ミナトの拳が、女神セレスティーナの美しい顔面を、真正面から捉えた。
「きゃあアアアアアッ!?」
女神の体が、優雅なティーテーブルをなぎ倒し、花畑の上を無様に転がっていく。
彼女が顔を上げた時。
その美しい鼻からは、真っ赤な――人間と同じ「赤い血」が流れていた。
『ち……血……? わたくしが……血を……?』
女神は、震える手で自分の顔を触り、付着した血を見て絶叫した。
『ありえない! ありえないありえない!! わたくしは神! 無敵の存在! なぜ痛いのですか!? なぜ血が出るのですかァァァッ!!』
ミナトは、血まみれの右拳を握りしめ、仁王立ちした。
「痛えだろ?」
彼は、冷たく言い放った。
「それが『生きている』ってことだ。……さあ、引きずり降ろしてやったぞ」
「ここからは、ただの『殺し合い』だ」
管理者権限、突破。
無敵の神に「血」を流させた瞬間、彼女は「倒せる敵」へと墜ちた。
だが、プライドを砕かれた神の怒りは、世界そのものを崩壊させかねない暴走を始める。




