第六話:農奴たちの後悔
陽が昇るよりも早く、粗末な兵舎の扉が蹴破られるような音を立てて開かれた。
「起きろ! いつまで寝ている、農奴ども! 今日の作業が始まるぞ!」
衛兵の怒声が、薄暗く埃っぽい大部屋に響き渡る。
そこが、神崎湊と田中美咲を除く、元クラスメイトたちの「住居」だった。
男女別に分けられてはいるものの、硬い木の板に薄い藁を敷いただけの寝床が、ぎっしりと並べられている。プライバシーなど欠片も存在しない。
「……うそ、まだ真っ暗じゃん」
「体が……痛い。岩みたい」
あちこちから、すすり泣きや呻き声が漏れる。
ついこの前まで、スマホのアラームで目を覚まし、母親の作った朝食を食べていた高校生たち。その面影は、わずか数日で消え失せていた。
服は、あの日広場で支給された、ゴワゴワの麻の貫頭衣だけ。髪は洗うこともできず、泥と汗で汚れ、肌は荒れ放題だった。
彼らに与えられた仕事は、王都から少し離れた未開拓地の「開墾」だった。
具体的には、森を切り開き、巨大な岩を砕いて運び出し、畑を作るための土地を整備するという、過酷な肉体労働。
「ほら、さっさと食え!」
支給された朝食は、硬い黒パン一切れと、具のない薄いスープだけ。
女子生徒の一人が、そのパンの硬さに思わず泣き出した。
「こんなの……食べ物じゃない……!」
「文句を言うな! それでも食わねば死ぬぞ!」
衛兵は容赦ない。彼らにとって、この『農奴』たちは、女神から下賜された「労働力」でしかなかった。
数分後、彼らはツルハシやクワを手に、開拓地へと向かう。
「う……重い……」
「だめ、もう持てない……」
男子も女子も関係ない。非力な少女が運べずに立ち往生していても、衛兵は鞭を鳴らして急かすだけだ。
「動け! お前たちには、この国に貢献する『義務』がある!」
昼休み。わずかな休息時間。
彼らは地面にへたり込み、泥だらけの手で水を飲む。
その中で、誰かがポツリと、全員の思いを代弁した。
「……なんで、俺たちがこんな目に」
その言葉に、先日まで教室の中心にいたグループの男子、高橋が苦々しく吐き捨てた。
「決まってんだろ……あの女神のせいだ」
その言葉をきっかけに、堰を切ったように不満と怨嗟が溢れ出す。
「そうよ! ふざけてる! 『見てただけ』で、なんで農奴なのよ!」
「佐藤(健也)たちと同じ扱いじゃない……! あいつらより『軽い』って言ったくせに!」
佐藤健也たち『罪人』や『奴隷』は、ここにはいない。彼らは、この開拓地よりもさらに過酷な、鉱山の最深部へと送られたと噂で聞いた。それよりはマシ。だが、この生活が「軽い」とは到底思えなかった。
「……ずるい」
一人の女子生徒が、震える声で呟いた。
「田中さんだけ……ずるい」
その名前に、全員が忌々しげに顔を歪める。
あの広場での光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
自分たちが衛兵に家畜のように連行される中、田中美咲だけが『平民』として扱われ、衛兵に丁寧にギルドの場所を案内されていた。
「なんでよ! あんな地味で、いつもコソコソしてた田中が!」
「『勇気』? あんなの、ただ先生にチクろうとしただけじゃん!」
「私たちだって、佐藤が怖かったんだから仕方ないでしょ!」
彼らは、美咲のささやかな抵抗を「善意」ではなく、「要領のいいゴマすり」としか捉えていなかった。そして、その結果、天と地ほどの差がついたことが許せなかった。
「……一番ムカつくのは、神崎だよ」
高橋が、地面の石を蹴飛ばしながら言った。
「あいつ、今頃どうしてると思う?」
「……」
誰もが想像した。
『勇者』という、自分たちとは比較にもならない地位。
あの日、女神が神崎湊に向ける、うっとりとした甘い眼差し。あからさますぎる依怙贔屓。
「決まってんだろ。王城で、ふかふかのベッドで寝て、美味いもん食ってんだよ」
「王様とかに、ちやほやされて……」
「王女様とか、出てきちゃったりして?」
ある女子生徒が、自嘲気味に笑った。
「ありえる。だって、あいつ、メガネ外したら……マジでムカつくくらい顔良かったし」
そうだ。
自分たちが散々「ゴミ」「キモい」と嘲笑い、その存在を無視し、時には一緒になって笑っていた、あの神崎湊。
彼が今、この世界で最高の待遇を受け、自分たちは、この世界の最底辺で泥にまみれている。
(もし、あの時……)
(もし、佐藤を止めていたら?)
(もし、神崎に、一言でも優しい言葉をかけていたら?)
(せめて、田中さんみたいに、何か行動を起こしていたら?)
後悔が、嫉妬と羨望の炎となって、彼らの心を焼いた。
だが、どれだけ後悔しても、時間は戻らない。
「……なんでだよ」
高橋は、ツルハシを握りしめた。硬い地面に慣れないせいで、手のひらのマメが潰れ、血が滲んでいた。
「なんで、あんな奴が……勇者様なんだよ……!」
その憎悪にも似た嫉妬の言葉は、しかし、王城で歓待を受けるミナトにも、ギルドで自分の居場所を見つけた美咲にも届くことはない。
「――休みは終わりだ! 立て、農奴ども! 日が暮れるまで、手と足を動かせ!」
衛兵の非情な声が響き渡る。
彼らは、重い体を引きずり、絶望的な明日へと続く労働に、再び身を投じるしかなかった。




