第五十六話:第三章『英雄、あるいは魔神』
極北の地から、ミナトは王都アルカディアへと帰還した。
手には、魔王ギルガメスから託された『魔王の核』が握られている。
(終わった……)
空を覆っていた赤紫色の雲は消え、久しぶりに澄み渡った青空が広がっている。
魔王軍の脅威は去った。
これで、みんな安心して眠れるはずだ。
ミナトは、王都の正門前広場に降り立った。
「……戻ったぞ!」
高橋たちが、国王が、そしてリリアーナ王女が待っているはずだ。
そう思っていた。
だが。
「…………」
広場を埋め尽くしていたのは、歓喜の渦ではなかった。
数万の市民たち。
その全員が、殺気立った形相で、ミナトを睨みつけていた。
手には、剣や槍ではない。石ころや、農具、割れた瓶などが握られている。
「……え?」
ミナトが戸惑った、その時。
「――いたぞ!!」
「魔神だ!!」
「奴が、我らの平和を奪った元凶だ!!」
ヒュンッ!
誰かが投げた石が、ミナトの額に当たった。
コツン、という乾いた音。ダメージなどない。だが、その事実は、魔王の一撃よりも重くミナトの心を打ち据えた。
「……何をしてるんだ」
ミナトは、呆然と周囲を見渡した。
「俺だ、ミナトだ。……魔王は倒した。もう大丈夫なんだ」
「黙れ、ペテン師め!!」
群衆の中から、豪奢な法衣をまとった男――セレスティーナ教団の大司教が進み出た。
彼は、震える指でミナトを指差した。
「女神様より、神託が下った!!」
「『勇者ミナトは、魔王と結託し、その力を奪い取った』!」
「『奴こそが、結界を破壊し、魔物を招き入れた、真の魔神である』とな!!」
「……は?」
ミナトは、開いた口が塞がらなかった。
(女神……!)
(自分が見捨てておいて……全部、俺のせいにしやがったのか!?)
大司教は、狂信的な目で叫ぶ。
「女神様は仰った! 『魔神ミナトを処刑せよ。さすれば、再び結界を張り、楽園を約束しよう』と!」
「殺せ! 魔神を殺せ!」
「女神様をお怒らせた悪魔め!」
「殺せ! 殺せ!」
シュプレヒコールが巻き起こる。
守ったはずの人々が。
命がけで救ったはずの街が。
今、殺意の塊となってミナトに牙を剥いている。
「やめろ! やめてくれ!」
王城のバルコニーから、悲痛な叫びが聞こえた。
国王アルトリウスと、高橋たちだ。
彼らは必死に止めようとしているが、暴徒と化した群衆に阻まれ、城から出ることすらできないでいる。
「ミナト殿は救世主だ! 目を覚ませ!」
国王の声も、狂乱の渦にかき消されていく。
ミナトは、飛んでくる石礫を、避けることもせず、ただ受けていた。
(痛くない)
(体は、痛くない)
だが、胸の奥が、冷たく冷え込んでいく。
「……そうかよ」
ミナトは、空を見上げた。
そこには、何も映っていないが、きっと女神がこの光景を見て、嘲笑っているはずだ。
『ほらごらんなさい。人間なんて、こんなものですわ』と。
「……ミナト! 逃げろ!」
遠くで、高橋が叫んでいる。
「こいつら、イカれてやがる! 今のお前じゃ、手出しできねえだろ!」
そうだ。
今のミナトの力なら、この数万の群衆を皆殺しにすることは造作もない。
だが、それはできない。
彼らは「敵」ではない。女神に騙されているだけの、守るべき人々だ。
(……戦えない)
(魔王軍相手なら戦えた。でも、人間相手じゃ……)
ミナトは、握りしめた『魔王の核』をポケットにしまうと、無抵抗のまま、群衆に背を向けた。
「……逃げるのか、魔神!」
「追え! 逃がすな!」
ミナトは、地面を蹴った。
空へ。
石が届かない高さまで上昇し、眼下の王都を見下ろす。
怒りと、悲しみと、そして諦めにも似た感情。
(……上等だ、セレスティーナ)
ミナトは、虚空を睨みつけた。
(そこまでやるなら、俺も容赦はしない)
(お前が作ったこの「信仰」ごと、全部ひっくり返してやる)
「……行くぞ」
ミナトは、王都を離れ、さらに南――世界の中心にあると言われる、教団の総本山「聖都」の方角へと機首を向けた。
そこには、天界へと至る「天の塔」があるという伝説がある。
人類全てを敵に回した、孤独な英雄。
第三章、女神討伐の旅は、世界中からの迫害という最悪のスタートで幕を開けた。




