第四十八話:『理(ことわり)』の抜け穴
「ガ……ッ、ア……ッ!」
ミナトの体は、地面を転がり、泥と血にまみれていた。
四天王ロキが放つ魔弾は、骨を砕き、肉を抉る。
スキル『自動回復』も『身体能力超強化』もない生身の肉体にとって、それは耐え難い激痛だった。
「フォッフォッフォ! どうしました、英雄殿!」
ロキは、空中から愉悦に満ちた声を降らせる。
「踊れ、叫べ! その無様な姿こそ、人間にはお似合いですぞ!」
ドシュッ!
魔弾が左肩を貫く。ミナトは悲鳴を噛み殺し、岩陰に滑り込んだ。
(……クソッ)
息が上がる。視界が霞む。
これが、ただの人間であることの「痛み」と「脆さ」か。
(魔法は使えない。体は鉛みたいに重い)
(剣で斬りかかろうにも、あいつは空にいる)
(……詰み、か?)
いや、とミナトは奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。
(諦めるな)
(俺は、開拓地で誓ったんだ。女神のシナリオをへし折ると)
ミナトは、必死に思考を巡らせた。
この『神縛りの檻』は、完成品だ。物理的な隙間はない。
だが、その効力は「女神由来のスキルとステータスを封じる」こと。
(……逆に言えば、それ以外は封じられていない)
ミナトは、震える手で、虚空に触れた。
「……『アイテムボックス』」
亜空間が開く。
(……開いた!)
これはスキルの一種だが、女神のギフトではなく、勇者が携行する「道具」に近い扱いなのか、あるいは空間魔法の亜種だからか、機能は死んでいなかった。
(中にあるのは……食料、水、ポーション、着替え……)
(そして、王城の宝物庫から拝借した、予備の武器と防具)
だが、武器を取り出したところで、ロキに届かなければ意味がない。ポーションを飲んでも、この結界内では回復効果が阻害されるのは経験済みだ。
その時。
ミナトの指先が、アイテムボックスの奥底にある「ある物」に触れた。
それは、彼が王城の倉庫を整理していた時に、「何かに使えるかも」と放り込んでおいた、何の変哲もない生活雑貨だった。
(……これだ)
ミナトの脳裏に、一つの賭けが閃いた。
成功率は低い。だが、ただ殺されるのを待つよりはマシだ。
「……出てきなさい、元・勇者」
ロキが、岩陰に隠れたミナトに向かって杖を構える。
「隠れても無駄ですよ。この一撃で、岩ごと消し飛ばして……」
「隠れてなんか、いない!」
ミナトは、岩陰から飛び出した。
その手には、剣ではなく、何も握られていない。
「ヤケになりましたか。……死になさい!」
ロキが、最大級の魔弾を放とうとした、その瞬間。
「食らえッ!!」
ミナトは、アイテムボックスを全開にし、中身を「解放」した。
彼が取り出したのは、武器でも、魔法道具でもない。
大量の「小麦粉」の袋だった。
「は……?」
ロキが呆気にとられる間に、ミナトは剣で袋を切り裂きながら、空中にばら撒いた。
白い粉塵が、爆発的に舞い上がり、ロキの視界を白く塗り潰す。
「粉!? ……馬鹿な、目くらましのつもりですか!」
ロキは嘲笑い、風魔法で粉を払おうとした。
だが、ミナトの狙いは、目くらましではなかった。
ミナトは、粉塵の中に、小さな「火種」――火打ち石で着火した布切れを投げ込んだ。
物理法則。
それは、女神の理が支配するこの世界においても、決して揺るがない絶対の法則。
密閉された空間(結界内)。充満する可燃性の粉塵。そして、火種。
条件は、揃った。
「――『粉塵爆発』」
ズガアアアアアアアアアアアンッ!!!!
凄まじい爆発音が、戦場を揺るがした。
魔法による爆炎ではない。化学反応による、純粋な熱と衝撃の暴力。
「な、グオオオオオッ!?」
予期せぬ至近距離からの爆発に、ロキが吹き飛ばされる。
魔法障壁を展開していたが、爆風の衝撃までは殺しきれない。
そして。
ロキの手から、あの紫色の水晶――『神縛りの檻』の核が、衝撃で弾き飛ばされた。
「しまっ……!」
ロキが手を伸ばす。
だが、その一瞬の隙を、ミナトは見逃さなかった。
爆風に煽られ、地面に転がりながらも、ミナトは、右手に握りしめた「ミスリルの剣」を、渾身の力で投擲していた。
狙うは、ロキではない。
宙を舞う、紫色の水晶。
「――砕けろォッ!!」
剣は、回転しながら空を切り裂き、吸い込まれるように水晶へと直撃した。
パリーンッ!!!
硬質な破砕音が響き渡る。
紫色の光が霧散し、空を覆っていたドーム状の結界が、ガラス細工のように崩れ落ちていく。
「……あ」
ロキの顔色が、絶望に染まる。
「……戻った」
ミナトは、地面に伏せたまま、拳を握りしめた。
鉛のように重かった体が、羽のように軽い。
枯渇していた魔力が、奔流となって全身を駆け巡る。
背中の傷が、肩の傷が、一瞬で塞がっていく。
『神縛り』は、消滅した。
そこにいるのは、手負いの人間ではない。
Sランク魔獣すら瞬殺する、最強の『勇者』だった。
「ひ……」
ロキは、震えながら後ずさった。
「ば、馬鹿な……! 魔法もスキルも使えない人間が、粉と火だけで……!」
ミナトは、ゆらりと立ち上がった。
その瞳は、冷たく燃えていた。
「……女神に教わらなかったか?」
ミナトは、瞬時にロキの背後へと移動した。
「人間は、道具を使う生き物だ」
「ヒッ!?」
「『知恵』と『泥臭さ』を、舐めるなよ」
ミナトの手刀が、閃く。
「『一閃』」
ロキの首が飛ぶのと、彼の体が崩れ落ちるのは、同時だった。
東の戦場。
絶望的な罠を、ミナトは「人間の力」だけで突破した。
だが、まだ終わりではない。
西と南には、まだ仲間たちが残っている。
ミナトは、休む間もなく、次の戦場――西の空へと飛び立った。




