第四十七話:深淵(しんえん)の罠と、完全なる檻(おり)
王国の東部国境を守る要塞都市エスティア。
そこは既に、地獄の釜の底と化していた。
「ひるむな! 撃て! 撃てェ!」
守備隊長の絶叫が響く。城壁の上から矢と魔法の雨が降り注ぐが、眼下を埋め尽くす魔王軍の進撃は止まらない。
転移門から現れた数千の軍勢。その先頭に立つのは、骸骨の騎士や、腐肉を纏ったゾンビたち――不死者の軍団だった。
何度倒しても、不気味な紫色の光を浴びて蘇る。
「駄目だ……! 敵の再生速度が異常だ!」
「門が破られるぞ!!」
城門が巨大なトロールの棍棒で粉砕されそうになった、その瞬間。
ドォォォォォン!!
上空から飛来した「何か」が、トロールの頭上に着弾した。
爆風と共にトロールが消し飛び、周囲の不死者たちが一掃される。
土煙の中から現れたのは、白銀の剣を携えた、一人の青年。
「……勇者様!」
「ミナト様が来てくれたぞ!!」
兵士たちの歓声が上がる。
ミナトは、油断なく周囲を見渡した。
(再生する魔物……。通常の魔族じゃない)
『鑑定(真)』で敵を見る。ステータスに異常な数値。
(女神の『神聖力』で強化されているのか。……厄介だな)
だが、やるしかない。
ミナトは剣を掲げた。
「『聖域』!」
広範囲に展開された聖なる光が、不死者たちを包み込む。女神の力を悪用して強化された彼らには、純粋な勇者の光が劇薬となる。
ジュワアアアッ!
不死者たちが浄化され、塵となって消えていく。
「……フォッフォッフォ。流石は元・勇者。派手な登場ですな」
戦場に、不気味に響く老人の声。
ミナトが視線を上げると、魔物の軍勢の遥か後方、空中に浮遊する影があった。
黒いローブを纏い、巨大な杖を持った老魔導師。
四天王『深淵のロキ』。
「お前が指揮官か」
ミナトは、即座に地面を蹴った。
(魔法タイプか。距離を取らせたら面倒だ。速攻で沈める!)
スキル『身体能力超強化』全開。
音速を超え、一瞬でロキの懐へと肉薄する。
「消えろ!」
白銀の剣が、ロキの首を刎ねようと閃く。
だが、ロキは動じなかった。
枯れ木のような指で、懐から「ある物」を取り出し、ニヤリと笑っただけだった。
「……お待ちしておりましたよ」
「貴方が、自らこの『処刑台』に飛び込んでくるのを」
ロキの手にある、禍々しい紫色の水晶が輝いた。
「――『神縛りの檻』、展開」
カッ!!!!
閃光。
ミナトの視界が紫色に染まる。
「ぐ……っ!?」
ミナトの体から、力が抜けた。
空中にいたはずの彼の体が、重力に引かれて墜落する。
ドサッ!
地面に叩きつけられる痛み。受け身すら取れなかった。
「は……あ……?」
ミナトは、震える手で地面を掴んだ。
(力が……入らない)
(魔力が、練れない)
(あの時の……『神縛り』か!?)
ミナトは、必死に顔を上げ、周囲を確認した。
紫色の光のドームが、ミナトを中心とした半径数百メートルを完全に覆っている。
そして、ミナトは探した。
あの時、騎士団長が使った「試作品」にあった、物理的な「隙間」を。
「……無駄ですぞ」
ロキが、重力を無視して、ゆっくりと降りてくる。
「貴方が探しているのは、結界の『綻び』でしょう? 残念ながら、これは女神様が直々に調整された【完成品】」
「設置型の松明などという原始的なものではない。この空間そのものを断絶する、完全なる檻です」
ロキは、杖の石突きで、ミナトの頭をコツンと小突いた。
「ぐぅ……!」
「おやおや、痛そうですな。……今の貴方は、スキルも、ステータス補正もない、ただの脆弱な人間。私の杖の一撃でも、骨が折れるかもしれませんな」
ミナトは、歯を食いしばって立ち上がろうとする。
だが、鉛のように重い体は言うことを聞かない。
(……罠だ)
(東、西、南。三箇所同時侵攻に見せて、俺が一番戦力の高い『東』に来ることを見越して……)
(ここにだけ、この『結界』を配置していたのか!)
「さて」
ロキは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「女神様からのオーダーは、『なぶり殺し』ですが……。ただ殺すのでは芸がない」
ロキが杖を掲げる。
彼が飲み込んだ『神の雫』の力が発動する。女神の神聖力と、ロキの深淵魔法が融合し、どす黒く輝く無数の「魔弾」が空中に生成された。
「貴方が無様に踊り狂う様を、王都の人間どもに見せてやりましょう」
「『希望』が『絶望』に変わる瞬間こそ、最高のエンターテインメントですからな!」
「――撃て(ファイア)」
ドシュシュシュシュッ!!!
無数の魔弾が、無力化されたミナトに降り注ぐ。
「が、あ……っ!!!」
防御スキルもない。回避もできない。
生身の体に、魔法の弾丸が次々と突き刺さる。
血飛沫が舞い、ミナトの悲鳴が戦場に響き渡った。
完全なる罠。
完全なる檻。
英雄の帰還からわずか数十分後。ミナトは、東の荒野で、絶体絶命の窮地に立たされていた。




