第四十四話:決別、そして憐(あわ)れみ
戦場に、風の音だけが響いていた。
数万の魔物の軍勢がいた痕跡は、ミナトが穿った巨大なクレーターと、黒い灰となって消え失せている。
圧倒的な静寂。
その中で、神崎湊は、ミスリルの剣を鞘に納め、ゆっくりとクラスメイトたちの方へ歩み寄った。
「ヒッ……!」
最前列にいた高橋が、ビクリと体を震わせて後ずさる。
他の生徒たちも同様だ。
かつて教室で「ゴミ」と呼び、開拓地で「人殺し」と罵った相手。だが、今、彼らの目の前にいるのは、神の如き力で魔王軍を消し飛ばした、正真正銘の『怪物』だった。
殺される。
誰もがそう直感し、顔面蒼白で震えていた。
ミナトは、彼らの数歩手前で足を止めた。
その瞳は、かつてのような怯えも、先日のような激情もなく、ただ凪のように静かだった。
「……怪我は、ないか」
ミナトの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「あ……え……?」
高橋は、パクパクと口を開閉させた。
「な、なんで……」
「なんで、助けたんだよ……。俺たちは、お前を……」
罵倒し、見捨て、逆恨みした。
なのに、なぜ。
ミナトは、ため息交じりに答えた。
「勘違いするなと言っただろ。お前らのためじゃない」
「女神の思い通りに、お前らが無惨に殺されるのが気に入らなかった。それだけだ」
「……」
「それに」
ミナトは、高橋の目をまっすぐに見据えた。
「お前らを殺しても、意味がない」
その言葉は、慈悲深く聞こえたが、その実、この上なく残酷な響きを帯びていた。
ミナトにとって、彼らはもはや「復讐する価値」すらない存在なのだ。
愛の反対は、無関心。
かつてのいじめられっ子は、いじめっ子たちを「対等な敵」としてすら見ていなかった。
「……王都へ行け」
ミナトは、北ではなく、南の方角を指差した。
「国王陛下とは話がついている。お前らの『農奴』の身分は、取り消される」
「え……?」
「あの方も、女神に騙されていただけだ。お前たちを保護し、最低限の生活は保証してくれるだろう」
クラスメイトたちが、ざわめく。
「ほ、本当か……?」
「もう、石を運ばなくていいのか……?」
「助かった……助かったんだ……!」
安堵で泣き崩れる者。へたり込む者。
高橋だけが、呆然とミナトを見上げていた。
「……お前は」
「お前は、どうするんだよ」
「王都に戻って……また『勇者様』に戻るのかよ」
ミナトは、首を振った。
「いや」
「俺は、女神を殴りに行く」
「は……?」
「このふざけた仕打ちを後悔させるために、俺は行く。……お前らとは、ここでお別れだ」
ミナトは、それだけ言うと、彼らに背を向けた。
その背中は、あまりにも遠かった。
同じ教室にいて、同じ空気を吸っていたはずなのに。
彼だけが、遥か高みへと登り詰め、自分たちはずっと泥の中を這いつくばっていた。
その事実が、高橋の胸に、かつてないほどの劣等感と、そして後悔を突き刺した。
「神崎……っ!」
高橋が、去りゆく背中に声を絞り出した。
「ごめん……なさい……」
それは、初めて彼が口にした、純粋な謝罪だった。
命を救われたからではない。
人間としての「格」の違いを、魂の底から理解させられたからこその、敗北宣言だった。
ミナトは、足を止めなかった。
振り返りもしなかった。
ただ、右手を軽く上げ、ひらひらと振っただけだった。
(……ああ、そうか)
ミナトは、空を見上げた。
(謝ってほしかったわけじゃ、なかったんだ)
高橋の謝罪を聞いても、何の感慨もなかった。
ただ、「ああ、終わったな」という、区切りがついただけ。
彼の中で、あの教室の呪縛は、完全に過去のものとなって消え去った。
「……行くか」
ミナトは、膝を曲げ、地面を蹴った。
ドォン!!
爆音と共に、彼の体は空へと舞い上がる。
眼下で小さくなっていくクラスメイトたちの姿。それは、彼にとって、もう守るべき対象でも、憎むべき敵でもない、ただの「背景」へと変わっていった。
目指すは王都。
そしてその先にある、神域への道。
神崎湊の、本当の戦いが始まる。




