第四十一話:絶望の進軍
「女神様に見捨てられた……」
「終わりだ、俺たちは皆殺しにされるんだ!」
王都アルカディアは、パニックに陥っていた。
上空を守っていた黄金の結界が砕け散り、不気味な赤紫色の空が剥き出しになっている。女神セレスティーナの絶縁宣言は、人々の信仰心を恐怖へと反転させ、暴動寸前の混乱を引き起こしていた。
冒険者ギルドもまた、怒号と悲鳴に包まれていた。
「おい、北の街道から魔物の群れが来るぞ!」
「数は!? 1000や2000じゃない、万単位だ!」
「無理だ、逃げろ! 勝てるわけがない!」
歴戦の冒険者たちでさえ、顔を青くして震えている。結界のない状態で、魔王軍の正規軍とぶつかるなど、自殺行為に等しい。
その喧騒の片隅で、田中美咲は、祈るように両手を組んでいた。
(神崎くん……)
彼女の脳裏には、数日前、窓から夜の闇へと消えていった彼の背中が焼き付いていた。
彼は「何者でもない者」として生きると言った。
ならば、この国の危機に関わる必要はない。逃げようと思えば、彼ならどこへでも逃げられるはずだ。
(でも……)
美咲は知っていた。
彼が、シエナの町でキマイラを倒したという噂を。
彼が、結局は「見捨てられない」人であることを。
「……どうか、無事で」
王城、作戦会議室。
広げられた地図の上には、北の国境線沿いに、絶望的な数の赤い駒(敵軍)が置かれていた。
「報告します! 北の砦、陥落! 生存者なし!」
「第2騎士団、壊滅! 敵の進軍速度、想定よりも遥かに高速です!」
次々と飛び込む凶報に、将軍たちは頭を抱えていた。
「馬鹿な……。いくら結界がないとはいえ、我が国の精鋭が、こうもあさっりと……」
「……先導しているのは、『将軍級』の魔族か」
ミナトが、地図を見つめながら静かに言った。
「ええ……。目撃情報によれば、巨大な戦斧を持った牛頭の魔人――魔王軍四天王の一角、『剛力のバッカス』と思われます」
騎士団長が、悔しそうに拳を震わせる。
「奴一人で、城壁を紙切れのように粉砕していると……」
四天王。Sランク相当、あるいはそれ以上の化け物だ。
それが率いる数万の軍勢。
「陛下。王都に到達されるまで、あとどのくらいですか」
「……今のペースなら、二日。いや、一日半か」
国王アルトリウスの声は重い。王都の防衛戦力だけでは、民を逃がす時間稼ぎすらままならないだろう。
ミナトは、地図上のある一点を指差した。
「……ここは?」
そこは、北の国境と王都の中間地点にある、荒野のエリアだった。
国王の顔色が、さっと変わる。
「そこは……『開拓地』だ」
ミナトの眉がピクリと動いた。
「……あいつらがいる場所ですか」
「ああ。早馬は出した。だが、避難が間に合うかどうか……」
魔王軍の進路の、真正面。
武器も持たない『農奴』のクラスメイトたちは、間違いなく、最初に踏み潰される。
会議室に、重い沈黙が流れた。
かつてミナトを裏切り、罵倒し、石を投げた者たち。
彼らを見殺しにしても、誰もミナトを責めないだろう。むしろ、因果応報だ。
だが、ミナトは顔を上げた。
「陛下。俺が出ます」
「なっ……ミナト殿!?」
「俺一人で、先行します。バッカスとかいう牛頭を止めて、軍の足を止めます」
「無茶だ! いくら君でも、相手は万の軍勢だぞ!?」
「万だろうが、億だろうが、関係ありません」
ミナトは、腰の剣(王城の宝物庫から新調された、ミスリル製の剣だ)を握りしめた。
「女神は、盤面をひっくり返して、俺たちが絶望する顔を見たがっている」
「クラスメイトが無惨に死んで、王都が燃えて、俺たちが泣き叫ぶのを、酒の肴にしようとしてる」
ミナトの瞳に、静かな、しかし強烈な闘志が宿る。
「……絶対に、思い通りにはさせない」
「あいつらが憎いとか、許すとか、そんな次元の話じゃない」
「女神のシナリオを、俺が全部、へし折ってやる」
それは、かつての「自己犠牲」や「義務感」ではない。
女神という理不尽な「運命」に対する、明確な「反逆」の意志。
「……ミナト殿」
国王は、感極まったように目頭を押さえ、そして、王としての顔に戻った。
「……頼む。騎士団の残存戦力も、すべて君に預ける。後方から必ず追いつく。それまで……」
「はい。持ちこたえてみせます」
ミナトは、翻るように会議室を出て行った。
テラスには、リリアーナ王女が待っていた。
「ミナト様……」
彼女は、もう「行かないで」とは言わなかった。彼の背中が、あまりにも大きく、決意に満ちていることを悟ったからだ。
代わりに、自分の首飾りを外し、ミナトに手渡した。
「……王家の守り石です。必ず、必ず帰ってらしてくださいまし」
「約束します、リリアーナ様」
ミナトは、バルコニーから飛び立った。
スキル『身体能力超強化』全開。
さらに、『風魔法』による飛翔補助。
彼は、一筋の流星となって、黒い雲が垂れ込める北の空へと、一直線に翔けていった。
目指すは、地獄の最前線。
開拓地。
かつて逃げ出した因縁の場所で、ミナトは再び、過去と、そして圧倒的な暴力と対峙する。




