第四話:王女のアプローチ
王城での生活が始まって数日が経過した。
神崎湊――今はミナトと呼ばれることにも慣れてきた――の日常は、驚異的な速度で充実していった。
王国賢者による魔法の講義は、もはや講義ではなく、ミナトが「未発見の魔法理論」をスキル『全属性魔法適性』と『超速成長』によってその場で構築し、賢者がそれを泣きながら書き留めるという研究発表会に変わっていた。
騎士団長との剣術訓練も同様だった。木剣での訓練は一日で終わり、二日目からは真剣での組み手となったが、ミナトは騎士団長の猛攻を『身体能力超強化』と『超速成長』で予測し、受け流し、三日目にはついに一本を取ってしまった。
騎士団長は「我が人生に一片の悔いなし……!」と、なぜか満足げに敗北を宣言した。
その日も、ミナトは王城の中庭で、騎士団長と軽い打ち合いを行っていた。
「ミナト様! その踏み込み、もはや神域ですぞ!」
「いえ、まだ浅いです!」
カン、カン、と金属音が心地よく響く。この前までカツアゲに怯えていた少年とは、もはや別人だった。力強く剣を振るうたび、自信が漲っていくのを感じる。
その訓練の様子を、中庭に面したテラスから、うっとりとしたため息と共に見つめる一対の瞳があった。
陽光を浴びて輝く、蜂蜜色の髪。レースをふんだんに使った豪奢なドレス。年の頃はミナトと同じくらいだろうか。透き通るような白い肌と、ぱっちりとした翠色の瞳が印象的な、いかにも「お姫様」といった風情の少女だった。
彼女こそが、このアルカディア王国の第一王女、リリアーナ・フォン・アルカディア。
国王アルトリウスの溺愛する一人娘であり、その美貌は「王国の至宝」とまで謳われていた。
「……まあ、あの方が……」
リリアーナは、先日行われた謁見には、王族の作法を学ぶための別室での講義が長引き、参加が叶わなかった。父である国王からは、「女神様の神託により、我らを救う勇者様が降臨された」とだけ聞かされていた。
(どんな厳しい武人か、あるいは神々しい聖人のような方かと思っていましたのに……)
彼女がテラスから目にしたのは、騎士団長と互角以上に渡り合う、若く、そして――息を呑むほどに美しい青年の姿だった。
鍛錬によってわずかに汗ばんだ白いチュニックが体に張り付き、鍛え上げられつつあるしなやかな筋肉のラインを際立たせる。剣を振るうたびにサラリと流れる黒髪。真剣な眼差し。そして、何より、あの端正な顔立ち。
神崎湊の素顔は、女神セレスティーナの好みであっただけでなく、この国の王女の好みにも、見事に突き刺さったのである。
「……素敵」
リリアーナの頬が、ぽっと赤く染まる。
彼女は、テラスに控えていた侍女に「少しお散歩してまいりますわ」とだけ告げると、ドレスの裾を軽く持ち上げ、小走りに中庭へと駆け出した。
「はぁっ、はぁっ……騎士団長、今日はこのくらいで」
「承知いたしました! ミナト様、また一段と腕を上げられましたな!」
ミナトが木陰で汗を拭っていると、背後から鈴を転がすような声がかかった。
「あ、あの……! もしや、勇者様でいらっしゃいますか?」
振り返ったミナトは、目を丸くした。
そこに立っていたのは、明らかにこの城の人間だとわかる、気品と美しさを兼ね備えた少女だった。彼女は、ミナトの顔を見るなり、さらに頬を赤らめ、少し恥ずかしそうにスカートの裾をつまんだ。
「……ええと、はい。ミナト、です。あなたは?」
「まあ! やはり! わたくしはリリアーナ・フォン・アルカディアと申します。この国の王女ですわ」
「王女……!」
慌てて頭を下げようとするミナトを、リリアーナは
「おやめくださいまし!」
と慌てて制止した。
「勇者様は、この国を、いえ、世界をお救いくださる方。わたくしたち王族が敬意を払うべきお方ですもの。どうぞ、お楽になさって」
そう言うと、リリアーナはミナトの隣に(かなり距離を詰めて)ちょこんと座った。侍従のセバスが、どこからともなく現れ、王女のために即座にテーブルと椅子、そして冷たい飲み物を準備する。
「すごいですね、セバスさん……」
「ミナト様と王女殿下のためであれば、当然のことでございます」
セバスは涼しい顔で一礼し、控えた。
「勇者様……ミナト様、とお呼びしても?」
「あ、はい。構いません」
「ミナト様! 先ほどの剣術、拝見しておりましたわ。なんて力強く、華麗なのでしょう! わたくし、あんなに素敵な剣技、初めて見ました!」
リリアーナは、瞳をキラキラと輝かせ、身を乗り出すようにしてミナトを絶賛する。その距離の近さに、ミナトはたじろいだ。昨日までの自分なら、女子とこんな至近距離で話すことなど絶対にありえなかった。
「そ、それほどでも……」
「ご謙遜を! それに……」
リリアーナは、うっとりとした表情でミナトの顔を見つめた。
「噂にはお聞きしておりましたが、ミナト様は、本当にお顔立ちが整っていらっしゃるのですね。その涼やかな瞳……まるで夜空に輝く星のようですわ」
(直球だな!?)
ミナトは、あまりにもあからさまな好意と賛辞に、どう反応していいかわからず固まってしまった。
だが、先日まで自分を「ゴミ」「キモい」と罵っていた健也たちの言葉を思い出すと、今、目の前で王女が向けてくれる好意は、ひどく心地よいものに感じられた。
「リリアーナ様こそ、とてもお美しいと思います」
思ったままを口にすると、リリアーナは「まあ!」と嬉しそうに声を上げ、顔を真っ赤にした。
「そんな……! ミナト様に褒めていただけるなんて……光栄ですわ!」
遠巻きにその様子を見ていた騎士団長や賢者たちは、苦笑いを浮かべていた。
「いやはや、王女殿下も、勇者様にはすっかりお熱いようですな」
「うむ。あれぞまさしく『美女と勇者』。絵になりますな」
こうして、女神の依怙贔屓によるチートな能力と厚遇に加え、神崎湊は、この国で最も美しい王女からの熱烈なアプローチまで手に入れることになった。
彼の異世界での生活は、ますます順風満帆なものとなっていく。




