第三十二話:『試作品』の報告と、残された『血』
閃光が消え、静寂が森に戻ってきた時、そこに立っていたのは、王国最強を誇る騎士団の、呆然とした姿だけだった。
「……ミナト殿は」
「……逃げられました。結界の効力は、消失しました」
騎士の一人が、燃え尽きて黒い炭になった「松明(魔道具)」の残骸を拾い上げ、悔しげに地面に叩きつけた。
「…………」
騎士団長は、ミナトが消えた闇の奥を、苦渋の表情で見つめていた。
彼は、自分の剣先に、わずかに付着している「もの」に気づいた。
ミナトの、『血』だった。
「……団長。我らの、完敗です」
部下の一人が、兜を脱ぎ、うなだれた。
「あれが、女神様から賜った、たった一度の切り札だったというのに……」
「いや」
騎士団長は、その血を指で拭うと、静かに首を振った。
「完敗ではない。……むしろ、得るものは大きかった」
「と、申されますと?」
騎士団長は、部下たちに向き直った。
「我らは、三つの重大な『情報』を手に入れた」
彼は、指を一本立てる。
「一つ。ミナト殿は、あの『神縛り』の結界が、自分に効くことを知らない。我らがあれを使ったことに、心底驚いていた。彼は、まだ『切り札』を隠し持っていることに気づいていない」
そして、二本目の指。
「二つ。あの『試作品』は、不完全だった。物理的な『隙間』があれば、強行突破が可能であることがわかった。……次に『完成品』を使う時は、この失敗は許されん」
最後に、騎士団長は、血の付いた指先を見つめた。
「そして、三つ。……最も重要なことだ」
「彼は、無敵ではない」
「スキルを封じられれば、我らの剣で傷つき、『血』を流す。……ただの『人間』だ」
騎士団長は、ミナトの血が付着した剣を、厳重に鞘に納めた。
「王都へ戻る。急げ」
「はっ! しかし、追跡は……」
「無駄だ。スキルが戻ったミナト殿に、我らが追いつけるはずもなし。……それに」
騎士団長は、天を仰いだ。
「この『失敗』の報告と、この『血』という証拠を、一刻も早く陛下と……女神セレスティーナ様に、お届けせねばならん」
その報告は、即座に天上の女神にまで届いた。
『試作品』の結界が、設置の不備(物理的な隙間)によって破られたこと。
そして、ミナトが「手傷を負った」こと。
『……愚かな人間ども。わたくしが与えた好機を、そんな単純なミスで逃すとは』
女神は、水鏡の前で、不機嫌そうに呟いた。
『ですが、収穫はありましたわね』
彼女は、ミナトが「血」を流したことに、愉悦の笑みを浮かべていた。
(やはり、あの子はわたくしの『祝福』がなければ、ただの人間)
(そして、『試作品』が破られたということは、奴は油断するでしょう。『完成品』の結界が、これと同じように『隙間だらけ』だと、誤解してくれる)
女神は、別の水鏡を起動させた。
そこには、瘴気をまとい、アルテア平原に向かって南下する、佐藤健也の姿が映っていた。
(国王軍は、もう役に立ちませんわね)
『復讐者』
女神は、新たな「駒」に、神託を下した。
『裏切り者は、手傷を負いました。……南です。血の匂いを、お前の憎悪で追跡なさい』
「ハ……」
健也は、暗い街道で、その神託を聞き、獰猛な笑みを浮かべた。
「血ィ流したのかよ、カンザキ……!」
「逃げられると思ってんじゃねえぞ……!!」
健也の率いる「罪人」の一団が、その速度を上げた。
国王軍という「表」の追っ手から逃れたミナト。
だが、その背後には、女神の誘導を受け、より確実に、より執拗に、彼の「血の匂い」を追う、最強の「裏」の追っ手――復讐者・佐藤健也が、迫っていた。




