第二十七話:『復讐者』の誕生
グレイロック鉱山、最深部。
佐藤健也は、もはや自分が人間なのか、岩を穿つ機械なのか、わからなくなっていた。
ただ、ミナトへの憎悪だけが、かろうじて彼を「佐藤健也」たらしめていた。
(カンザキ……カンザキ……)
ツルハシを振るうたび、その名を呪詛のように繰り返す。
(いつか、必ず、ここを出て、お前を――)
その時。
健也の頭の中に、直接、声が響いた。
それは、彼が地獄に落ちるきっかけとなった、あの忌々しい女の声だった。
『――佐藤健也』
「……!?」
健也は、驚きにツルハシを落とした。
「誰だ……!?」
周囲の奴隷たちは、健也が突然奇声を発したのを、いぶかしげに見ているだけだ。
「うるせえぞ、98番! 『悪臭』が舞うだろうが!」
看守が鞭を鳴らす。
『静かになさい、汚らわしい。わたくしの声が聞こえているのは、お前だけです』
(……女神、セレスティーナ……!)
健也は、憎悪に歯ぎしりした。
「ふざけるな……! てめえ、今さら何のようだ! 俺たちをここに叩き落として、満足かよ!」
『ええ、お前たちを罰したこと自体は、今も正しいと思っていますよ』
女神の声は、神殿で聞いた時のような慈愛など微塵もなく、絶対零度の冷たさだけを宿していた。
『ですが、状況が変わりました』
「状況だと?」
『わたくしが寵愛を与えた「お気に入り」……ミナトが、わたくしを裏切りました』
「……は?」
女神は、健也の疑問など意にも介さず、冷ややかに続けた。
『奴は、わたくしが与えた『勇者』の地位を、自ら捨て去った。わたくしの恩寵を、足蹴にしたのです』
「…………」
『今や、ミナトは、わたくしにとっても……そして、お前にとっても、共通の『敵』です』
健也は、その言葉の意味を、瞬時に理解した。
(……こいつ、ミナトに裏切られて、キレてやがる)
(そして、俺を……利用する気か)
健也の口元に、乾いた笑みが浮かんだ。
「……それで? 俺に、ミナトを殺せとでも?」
『話が早くて助かります、罪人』
女神は、取引を持ち掛けた。
『お前は、ミナトへの復讐の「力」が欲しい。わたくしは、裏切り者を処分する「駒」が欲しい。利害は、一致していますね?』
「……力、だと?」
「お前が俺に、力をくれるってのかよ!」
『ええ。お前の、その淀みきった憎悪は、わたくしの光の力とは対極にあり、裏切り者を狩るには、ある意味でおあつらえ向きですわ』
健也は、もはや迷わなかった。
たとえ悪魔(女神)との取引だろうと、ミナトを殺せる力が手に入るなら、何でもよかった。
「……いいぜ。乗ってやるよ。その取引」
『賢明な判断です』
健也が承諾した瞬間。
彼の全身を、経験したことのない激痛が襲った。
「ぐ……あああああああああっ!!!」
健也の体が、暗闇の中で黒いオーラに包まれる。
彼が呪いとして与えられていたギフト、『悪臭』。
それが、女神の力によって、健也の憎悪を触媒に、強制的に「書き換え」られていく。
健也の目の前に、ステータスプレートが浮かび上がった。
=====
名前:サトウ・ケンヤ
地位:罪人
ギフト:悪臭
=====
その『罪人』という文字が、バチバチと音を立てて砕け散る。
そして、新たな「地位」が刻まれた。
『復讐者』
同時に、ギフト『悪臭』も、変質していく。
『腐食の瘴気』
「が……はっ……!」
健也が、新たな力を得て立ち上がった。
その瞳は、もはや人間のものではなく、憎悪に燃える魔獣のそれだった。
「98番! 貴様、何をしている!」
異変に気づいた看守たちが、剣を抜き、健也を取り囲む。
「……うるせえよ」
健也は、自分を散々鞭打ってきた看守を、冷たく見据えた。
「試してみるか。新しい、この力」
健也が手をかざす。スキル『腐食の瘴気』。
彼の手から、濃密な黒い霧が噴き出した。
「ゲホッ!? な、なんだ、この霧……!?」
「目が……体が……溶け……!」
瘴気に触れた看守たちは、悲鳴を上げる間もなく、その鎧ごと、肉体がジュウジュウと音を立てて溶け崩れていった。
それは、かつての『悪臭』とは比較にならない、明確な「殺意」を持った力だった。
「……すげえ」
健也は、自分の手のひらを見つめ、恍惚とした。
「すげえ力だ……!」
『行きなさい、佐藤健也』
女神の、最後の神託が響く。
『お前と同じく、ミナトを憎む者たち(元取り巻き)も、お前の瘴気で解放して差し上げましょう。手駒として使うがよい』
『そして、ミナトを探し出しなさい。……わたくしを裏切ったあの顔を、絶望に染め上げて、殺しなさい』
「ハ、ハハ……」
健也は、壊れたように笑い始めた。
「言われなくても、やってやるよ!」
健也は、他の看守たちを瘴気で溶かしながら、元取り巻きたちがいる坑道へと歩き出す。
「待ってろよ、カンザキ……!」
こうして、女神の「依怙贔屓」ならぬ「依怙憎悪」によって、最強の「敵」が、地獄の底から解き放たれた。




