第二十一話:憎悪の矛先
ミナトが茂みから姿を現した瞬間、開拓地の空気が凍りついた。
その場にいた三者の視線が、一斉にミナトに突き刺さる。
「――何奴だ!」
鞭を振り上げていた衛兵が、突然現れた武装した男に対し、即座に剣の柄に手をかけた。
「ミナト様! お待ちください!」
ほぼ同時に、ミナトを追ってきた「影」たちが、彼の前方に回り込もうと木立から飛び出してくる。彼らの任務は、ミナトを「連れ戻す」ことであり、「衛兵と戦闘させる」ことではない。
だが、最も強烈な反応を示したのは、地面に這いつくばっていた者たちだった。
「……あ……?」
鞭の恐怖に怯えていた高橋が、顔を上げた。
衛兵でも、追っ手でもない、見慣れない男。だが、その顔立ちには、忌まわしい記憶があった。
「……か……んざき……?」
泥にまみれた唇から、かすれた声が漏れる。
ミナトは、彼らの反応など意にも介さず、ただ、鞭を持った衛兵を、殺意のこもった冷たい瞳で見据えていた。
剣の柄を握る手に、力がこもる。
今、この衛兵を斬り捨てれば、全てが始まる。
「神崎……なのか……?」
高橋が、よろよろと立ち上がった。痩せこけ、虚ろだったはずのその瞳に、憎悪と嫉妬が入り混じった、醜い光が宿った。
「なんで……お前が……」
「……」
ミナトは、視線を高橋に向けた。助けを求めるかと思った。
だが、高橋の口から迸ったのは、感謝ではなかった。
「なんでお前が、そんな綺麗な服着て、剣なんか持ってんだよ!!」
それは、絶叫だった。
「俺たちは! 俺たちは、こんな泥水啜って、毎日鞭で打たれてるってのに!」
「お前だけ……! お前だけ『勇者』になって、王城でぬくぬくしやがって!」
その叫びに、他のクラスメイトたちも次々とミナトを認識し、怨嗟の声を上げた。
「そうだ! お前、全部知ってたんだろ!」
「『白銀の勇者ミナト』様だか知らねえけどよ!」
「見物かよ! 楽しいかよ、俺たちが見世物みたいで!」
「助けろよ! 助けられるんだろ! 今すぐこいつら(衛兵)殺せよ!」
彼らは、助けを「懇願」したのではない。
自分たちを差し置いて幸福を手に入れたミナトに対し、その幸福のおこぼれをよこせと「要求」し、「命令」したのだ。
その瞳は、教室でミナトが虐げられているのを見て見ぬふりをした、あの日の「傍観者」の目であり、同時に、自分たちより格下だったはずの者が上に立ったことへの、純粋な「嫉妬」に満ちていた。
ミナトの動きが、止まった。
衛兵に向けようとしていた剣が、行き場を失い、宙で止まる。
(……こいつら)
(俺は、こいつらを……助けようと……?)
自分を騙した国王への怒り。
クラスメイトを虐げる衛兵への殺意。
そして今、目の前で、助けようとした対象から向けられる、身勝手な逆恨み。
全ての感情がミナトの中で渦を巻き、彼の足を縫い付けた。
(……どうしろっていうんだ)
(こいつらを助ければ、俺は王国への『反逆者』になる)
(だが、こいつらを助ける『価値』が、本当にあるのか?)
ミナトが、人生で初めて経験する、スキルでは解決できない「葛藤」だった。
その一瞬の躊躇を、追っ手(影)は見逃さなかった。
数人の「影」が、ミナトと衛兵たちの間に割って入る。
「ミナト様! ご無事でしたか!」
一人が、あたかもミナトを「保護」しに来たかのような芝居がかった声を上げた。
そして、ミナトの耳元で、冷たく、はっきりとした声で囁いた。
「――お戻りください、勇者様」
「……」
「彼らは、貴方が思っているような『友人』ではありませぬぞ。ご覧なさい、あの醜い姿を。あれが、彼らの本性です」
「影」は、ミナトの心の迷いを見透かしたように言った。
「さあ、陛下がお待ちです。これ以上、事を荒立てられますな」
「影」たちは、ミナトを傷つけないよう、しかし確実に拘束できるよう、じりじりと包囲網を狭めてくる。
ミナトは、剣を握りしめたまま、動けなかった。
衛兵は、勇者と影のただならぬ雰囲気に警戒し、クラスメイトたちは、ただミナトに向かって「助けろ」「殺せ」と喚き続けている。
地獄のような光景だった。




