第十二話:鉱底の誓い
どれほどの時間が経ったのか、佐藤健也にはもはやわからなかった。
地下深くの坑道には、昼も夜もない。ただ、看守の交代を告げる鐘の音だけが、時間の区切りだった。
「クソッ……クソッ……!」
ツルハシを振るう腕は、とうに限界を超え、鉛のように重い。
だが、健也は振るうのをやめなかった。脳裏に浮かべるのは、たった一つの顔。
(カンザキ……カンザキ……!)
あの忌々しい、今頃王城でぬくぬくと暮らしているであろう元いじめられっ子の顔。
その顔を憎悪で塗りつぶし、ツルハシを岩盤に叩きつける。それだけが、健也を正気でいさせた。
その時、坑道の入り口がにわかに騒がしくなった。看守の交代時間のようだ。
古い看守と、新しい看守が、引き継ぎのために言葉を交わしている。普段はすぐに立ち去るのだが、その日は珍しく雑談に花が咲いているようだった。
「聞いたか? 例の『白銀の勇者』様が、またやったらしいぜ」
「ああ、今度は『呪いの沼』のリザードマンの群れを、たった半日で掃討したって話だ!」
その単語に、健也の動きがわずかに止まった。
(白銀の……勇者?)
どこかで聞いたような響き。だが、この最底辺の鉱山まで届く噂は、断片的で不鮮明だった。
「マジかよ! あの沼、騎士団でも手こずってたってのに……」
「なんでも、俺たちみてえな平民の出じゃなくて、女神様が直々に選んで遣わされたお方だとか」
「そりゃ強えわけだ。……ああ、そういや、名前、聞いたぜ。『ミナト』様って言うらしい」
ガツン!!!
健也が持っていたツルハシが、手から滑り落ちた。
金属音が、静かになった坑道に響き渡る。
「おい! 何してる、98番!」
看守の一人が怒鳴る。
だが、健也はそれどころではなかった。
(ミナト……?)
(女神が、遣わした……?)
取り巻きの一人、かつては健也の子分だった男も、顔面蒼白になって健也を見ていた。
「け、健也……いま、『ミナト』って……」
看守たちは、そんな奴隷たちの動揺には気づかず、話を続けていた。
「ああ、そういや隊長が言ってたが、あの勇者様、俺たちと同じ日に転生してきた『転生者』の一人らしいぞ」
「はあ!? じゃあ、お前らが今使ってる、こいつら(奴隷)みてえな雑魚ばっかだったんじゃ?」
「馬鹿野郎、一緒なわけねえだろ! 他の転生者は、こいつらみてえな『罪人』か、開拓地の『農奴』ばっかだ。その中で、たった一人だけ、女神様に選ばれたのが、『ミナト様』なんだとよ」
「へえ……。じゃあ、こいつらの仲間だったのか。すげえ奴がいたもんだな、あの中にも」
その言葉は、健也の疑念を、確信へと変えた。
「………………」
健也は、ゆっくりとツルハシを拾い上げた。
その顔は、粉塵と泥にまみれ、表情は読めない。だが、肩だけが、怒りでわなわなと震えていた。
「……やっぱりだ」
地を這うような、低い声。
「やっぱり、あいつのせいだ……!」
あの日、神殿で起こったことの全てが、一本の線で繋がった。
女神の依怙贔屓。
神崎湊だけが『勇者』に。
そして、自分たちは『罪人』『奴隷』として、この地獄へ。
その間、あいつは「英雄」になり、「勇者ミナト様」と呼ばれ、王都で栄光を掴んでいたのだ。
「ふざけやがって……」
健也の瞳に、暗闇よりも暗い、狂気じみた光が宿った。
逆恨みは、今や、確固たる殺意へと変貌していた。
(俺たちがこんな場所で苦しんでる間に、あいつだけが!)
(俺たちを陥れて、手に入れた栄光かよ!)
「許さねえ……」
健也は、近くで震えていた元取り巻きたちに、低い声で囁いた。
「おい、お前ら。聞いただろ」
「け、健也……」
「このままここで、朽ち果てて死ぬか? それとも……」
健也は、暗闇の中で、口の端を吊り上げた。それは、もはや笑みとは呼べない、獣のような表情だった。
「ここを出て、あいつ(ミナト)を殺すか」
取り巻きたちは息を呑んだ。脱走。そんなこと、考えもしなかった。
だが、この地獄で何もわからずに死ぬことと、神崎湊という明確な復讐対象がいる今とでは、話が違った。
「で、でも、どうやって……ここを……」
「……方法は、考えるんだよ」
健也は、看守たちの会話が終わるのを待ちながら、ツルハシを握りしめた。
「毎日、毎日、考えるんだ。この岩盤をどう崩すか、あの看守をどう殺すか、この暗闇からどう這い出るか」
(待ってろよ、カンザキ)
健也の心は、もはや絶望していなかった。
『白銀の勇者ミナト』への、どす黒い復讐心。
それだけが、この地獄を生き延び、そして抜け出すための、唯一の希望となっていた。
佐藤健也は、この瞬間から、ただの奴隷であることをやめた。彼は、勇者を殺すことだけを目的とする、復讐鬼へと変貌したのだ。




