第十一話:罪人たちの怨嗟(えんさ)
そこは、太陽の光が一切届かない場所だった。
王都から遥か北、グレイロック山脈の地下深くに掘られた、魔鉱石鉱山。その最深部。
空気は湿っぽく、ツルハシが岩を打つ乾いた音と、岩盤から滴る水の音だけが反響している。
灯りは、壁に設置された微弱な魔力灯と、看守が持つカンテラのみ。そこで働く者たちの顔は、粉塵と泥、そして絶望で黒く汚れていた。
「――グズグズするな、奴隷ども! 掘れ! 今日もノルマを達成するまで休みはないぞ!」
甲高い鞭の音が、暗闇に響く。
その鞭に打たれ、よろめいたのは、かつて教室の頂点に君臨していた男、佐藤健也だった。
「ぐっ……!」
背中に走る焼けるような痛み。だが、それよりも彼を苛むのは、耐え難い悪臭だった。
彼に与えられたギフト、『悪臭』。
それは、彼自身がどれだけ体を清めようとも(そもそも清める水さえないが)、その体から常にドブのような腐臭が発せられるという呪いだった。
「チッ、近寄るなよ、佐藤! クセェんだよ!」
「ゲホッ、ゲホッ……! こいつのせいで、息もできやしねえ」
健也と共に『奴隷』や『下級労働者』に落とされた元取り巻きたちが、健也から距離を取り、忌々しげに悪態をつく。
かつては健也の機嫌を取るようにへつらっていた彼らも、今や立場は同じ。いや、常に悪臭を放つ健也は、この劣悪な環境において、かつての仲間たちからも疎まれる最底辺の存在となっていた。
「うるせえ……黙って掘れよ、クズどもが」
健也は、痩せこけ、頬は落ち窪み、かつての精悍な面影は微塵もなかった。だが、その瞳だけは、暗闇の中でぎらぎらと不気味な光を放っていた。
彼らの労働は、開拓地の『農奴』たちとは比較にならないほど過酷だった。
一日の大半を地下で過ごし、食事は日に一度、水でふやかした正体不明の穀物の粥のみ。寝床は、湿った岩肌に藁を敷いただけの雑魚寝。
『農奴』たちは少なくとも「人間」として扱われていたが、彼ら『罪人』と『奴隷』は、使い捨ての「道具」でしかなかった。
ツルハシを岩に叩きつけるたび、全身の骨がきしむ。
(なんで……)
(なんで、俺がこんな目に……)
健也の脳裏に、あの神殿の光景が何度もフラッシュバックする。
あの女。セレスティーナとか名乗った、あの女神。
(あいつが、俺を陥れた)
だが、思考がそこに行き着くと、健也の中で別の感情がせり上がってくる。
女神への怒り。それはもちろんある。だが、それ以上に、どうしようもなく許せない存在がいた。
(違う)
健也は、暗闇の中で歯を食いしばる。
(あの女は、最初から決めていやがったんだ)
(カンザキ……)
神崎湊。
あの、教室の隅で息を潜めていた、ゴミ。
あいつが、あの女の前で、あの忌々しいメガネを外した瞬間。
あの女の目が、明らかに変わった。
(あの女、あいつの顔に惚れやがった)
(あいつが、あの女をたぶらかしたんだ)
そうだ。
全ては、神崎湊のせいだ。
あいつがいなければ、俺たちはこんな世界に来ることもなかったかもしれない。
あいつがあの女に取り入らなければ、俺たちがこんな『罪人』扱いされることもなかったはずだ。
あいつが、俺たちの日常を、俺たちの未来を、全て奪ったんだ。
それは、身勝手で、不尽な「逆恨み」だった。
自分たちが湊に対して行ってきた、数々の非道な行いを棚に上げ、全ての責任を被害者である湊一人に押し付ける、醜悪な思考。
だが、この光も届かない絶望の底で、健也が正気を保っていられるのは、その黒い憎悪の炎があるからこそだった。
「クソ……クソッ……!」
健也は、ツルハシを振るう。
その一振り一振りに、湊への殺意を込めて。
「カンザキ……」
(てめえだけ、いい思いさせてたまるかよ)
「カンザキ……!」
(いつか、必ず、這い上がって……)
「カンザキィィィィ……!!」
その怨嗟の声は、まだ王都の『白銀の勇者』の噂が届かない、暗く、冷たい鉱山の底で、ただ虚しく響いていた。
健也の魂は、過酷な労働によってではなく、自分自身の内側から湧き上がる憎悪によって、急速に歪み、蝕まれようとしていた。




